火花天龙剑 -> 外语学园 -> (全文翻译愿望) 同人作家も誤解する二次創作の「合法性」

hello1z 2008-08-21 06:44
[創造環境論] 2008-08-19 23:45:34
後輩にあたると思われる人のサイトをたまたま見たら、「二次創作イラストは、著作権法を厳密に解釈すれば権利の侵害にあたる」という記述があった。俺はこの言い方がものすごく気になった。そして、権利の侵害に当たるはずのものがなぜ黙認されているのかという理由として挙げられているものも、すごく気になった。しかも、ほとんどの人がこれらを前提だと思っているらしい。

同人活動が黙認されるのは、一次創作の宣伝になっているからでも、プロが生まれる土壌だからでもない。それらは副次的な理由だ。そもそも、「二次創作が権利の侵害にあたる」というところからして間違っている。「著作権法を厳密に解釈しても、いわゆる版権イラストが著作権法の侵害に当たるかどうかは、一概には決められない」からである。

例えば、ドラえもんのジャイアンを美少女化したような絵をウェブ上に載せた場合、著作権法に違反するといえるのか? こういうのはなんとも判断が難しい。物語の設定や名前やキャラクターの性格付けなどは「アイディア」であって、「アイディア」に著作権は無い。保護されるのは表現だけだ。アイディアをパクることは、作家として非難されることではあるかもしれないが、パロディはそれを意図的にやるわけだし、出来上がる表現としては劇的に異なってくるので、果たして最終的に司法がどう判断するかは、裁判をしてみなければわからない。もし裁判で一定の結論が出たとしても、学者達の見解は割れるだろう。

第一、「二次創作」といったときに何を連想するかは、人によってかなり違いがある。元ネタをそのまんまコピーしてつなぎ合わせたものだと考えるかもしれないし、元ネタで使われた「アイディア」や「設定」を膨らませて作られた別の物語だと考えるかもしれない。前者はいわゆるMAD、英語圏で言うところのAMVであり、後者は大塚英志が『物語消費論』で論じた同人作品の形だ。


『定本 物語消費論 (角川文庫)』
大塚 英志 『キャプテン翼』の翼君と岬君の淡い恋愛関係を描いたりというのは、(今となっては陳腐過ぎるが、そうした表現がほとんど存在しなかった時代を考えれば)名前や設定を借りて原作とは異なる新しい耽美的な物語を作り上げたものだとも評価できる。それらは、本来の著作権法が考慮していた「二次的著作物」、つまり、翻訳や、編曲、小説の映画化などとは、チト異なるものだ。

元のマンガやアニメの絵という表現をそのまま模写したり、そのままつなぎ合わせたりした場合、著作権法に違反する可能性はやや高くなるが、これもケースバイケースで、元の絵が「二次創作」の着想の参考になっただけで、「二次創作」されたマンガやイラストに新しい独創性が盛り込まれていれば、翻案にすら当たらない場合もあるかもしれない。やっぱり裁判をしてみなければ分からない。そしてそういった裁判は、一次著作者が訴えを起こさなければ始まらない。さらに、何が著作権法違反として訴えられる可能性があるのかというのは、突き詰めてしまえば排他的独占権を持つ一次著作者の主観に拠るといえる(ここら辺のせいで、「心意気」とかの誤解が入りやすくなる)。

「二次創作」って一口に言われるものの範囲は広く、それ故、違法かどうかってのは一口には言えないのだ。

さらにいえば、一次創作と二次創作という分類も、ボーダーのはっきりしない、あやふやなものだ。例えば、ウルトラマンがその着想を手塚治虫から得ていたとしたって、「ウルトラマンは二次創作だ」とか「パクった」とか叫ぶ人はいないだろう。

参考: http://www.ld-dvd.2-d.jp/column/column_ultra.html
また、宮崎 駿がルパンやラピュタでフライシャーのメカを真似たからといって、「宮崎駿はパクリ人間だ」などと叫ぶ人もいないだろう。

参考: http://www.archive.org/details/superman_1941
こういう話になるとすぐ「作品Aと作品Bは似ている/似ていない」の議論になるが、そういう議論をし出したら、もういっそほとんどの萌えキャラは似ているともいえるし、ほとんどのジャンプマンガは似ているともいえるのだ。俺の親の世代なんかだと、美少女キャラクターの区別なんて全然付かない人が大勢いる。一次創作と二次創作に客観的で明快なボーダーを引こうというのも、実は結構難しいわけだ。

二次創作が黙認される理由は、一次創作者の「心意気」や、二次創作者の「リスペクト」が問題なんじゃない。どうしてそっちへ行くんだろう。その考え方はやや危険だ。何でも「クリエイターの心意気」に落としちゃいけない。黙認される最大の理由は、はっきり言えば著作権法が曖昧だからだ。もっと言えば、人間の創作活動というものが、一次創作と二次創作とへ常に簡単に分けられるものでもないからだ。

二次創作が「違法」なのかどうか、さらには一次創作と二次創作の分離も、判断はケースバイケースであって、その判断は容易とは言い難いものも多い。もし一次創作者がギャーギャー騒ぐのならそれなりに酷いケースなんだろうから、じゃあ裁判して白黒付けてやろうじゃないか、でもそうでないなら放っておこう、というのが現状の著作権法のスタンスだ。

大胆に考えれば、二次創作を行わせるためのプロトコルは、現状の著作権法の曖昧さの中に、ある程度インプリメントされているとしてもよいだろう。フェアユースってのだって、曖昧さ故に成り立ってるようなもんだ。

何が言いたいのかというと、「二次創作」=「違法」という認識は誤解だということです。「二次創作」とされる作品は、「違法」な作品を真部分集合として含む、くらいに考えた方が良い。そしてそのボーダーの曖昧さ、グレーっぷりは、フェアユースなどの制度を入れても、完全なホワイトにはならんのです。著作権法は曖昧なんです。

Kurz 2008-08-31 12:20
第一句 「後輩にあたる」就看不懂……
楼下请继续。

七夜志贵 2008-08-31 16:32
二饼,这篇文章你还需要么?

现在也没翻译?

真●零式W天使● 2008-09-01 10:29
最近在忙别的,把这件事忘了

要是有人能代劳最好,不算太急用

ghbzcy 2008-09-18 11:36
饼神,接着。

偶尔看一个还算后辈的人的站点的时候,发现这么一句话:“从严格意义上说,根据著作权法,二次创作的插画是会被判定为侵权的。”这句话一下子就抓住了我的眼球。继而,我对这种算作是侵权的东西被默许的理由也产生了很大的兴趣。而且看起来,绝大多数的人都觉得这些理由是理所应当的。(要不然怎么会被默许呢)

同人活动之所以被默许,既不是因为它能成为一次创作的宣传,也不是因为它是职业画师诞生的土壤,这些都不过是一些次要的理由而已。事实上,从最开始的“二次创作是对权利的侵害”开始就已经错了。这是因为,“即使从严格意义上来解释著作权法,所谓版权插画是否侵权也是不能一概而论的。”

比如说,有一幅把机器猫里的大胖给美少女化的画,把这幅画放到网上去能说是违反著作权么?这种情况要做判断十分困难。像故事的设定,名字和角色性格这样的东西是一种“创意”,“创意”是没有所谓著作权一说的。被保护的只局限于表达出来的部分。对于抄袭创意的行为,作为艺术创作者也许会受到指责,但这种模仿既是刻意为之,同时在最终的表现上又和原作有着天壤之别,到底最后法律上如何判断,只有上法庭才知道。而且,即使法庭上得出了确切的结论,专家学者们的意见也是会有分歧的吧。

先不说别的,光是说到“二次创作”的时候,人们联想到的东西之间都有相当大的区别。有的人可能会想到把原作品原样拿来连接到一起的方式,有人可能会想到把原作中的“创意”和“设定”给拓展开来创作新故事的方式。前者就是所谓的MAD,在英语圈国家叫做AMV,后者则属于是大塚英志的《物语消费论》中所论述的同人作品那一类。

像描写《足球小将》里的翼和岬的淡淡的恋爱关系那样(虽然现在看起来这确实很过时,但考虑到那个时代的作品里几乎没有这种表现的情况,也是可以接受的),借用名字与设定创作出的与原作不同而又新颖的耽美故事也可以得到认同。这些作品和原本著作权法所针对的“二次著作物”,即翻译,编曲,将小说改拍成电影还是有所不同的。

把漫画或动画原作中的画面这样一种表现形式原封不动的复制,连接起来的做法,虽然违反著作权法的可能性要稍稍高一些,但也是要具体情况具体对待的。如果原作的画面只是为“二次创作”的创意提供了参考,并且在“二次创作”的漫画和插画之中融入崭新的独创性的话,也许会出现连改编都算不上的情况也说不定。这种事情果然还是只有上法庭才能搞明白。并且要形成案件进行审理的话,必须要原作者起诉才可以。更进一步,对于某作品是否有被以违反著作权的理由起诉的可能性,深究下去的话甚至可以说是由持有排他性独占权的原作者的主观意愿决定(由于这些原因,容易产生“气度”等方面的误解)。

“二次创作”这个词虽然简短,代表的意义却十分广泛,因此,这种做法是否违法并不是一两句话能够说清楚的。

更进一步说,一次创作和二次创作这种分类方法,并没有什么明确的界线,是很含糊的东西。例如,说奥特曼的创意是由手塚治虫那里得来的,也不会有人高喊什么“奥特曼是二次创作”,“抄袭”什么的吧。

再比如,因为宮崎駿在鲁邦三世和天空之城里模仿了弗莱舍的机械而大叫“宮崎駿就知道抄袭”的人也应该不会有。

话说到这个地步,虽然马上就会变成“作品A和作品B像或不像”的争论,但这种争论只要一出现,那甚至就可以说几乎所有的卖萌角色都很相像,也可以说绝大部分的JUMP漫画互相之间非常相似。我父亲的那一辈人里,有很多根本看不出美少女角色之间的区别。所以想要在一次创作和二次创作之间划上一道客观而又清晰的界线,实际上是相当困难的事情。

对于二次创作被默许的理由,原作者的“气度”和二次创作者的“敬意”都不是问题所在。为什么会想到这些东西上去了呢?这种思考方式是有些危险的。不能把什么都拿“创作者的气度”来解释。其被默许的最大理由,说白了就是因为著作权法是一部暧昧的法律而已。再往深点说,是因为人类的创作活动,并不是总能被简单的分为一次创作和二次创作。

二次创作是否是“违法”,和在这之上产生的一次创作与二次创作的分离问题,都是要具体情况具体分析,很难做出判断的情况也不在少数。如果原作者叫嚷个不停,估计就是相当过分的情况,那你们就去法庭上分个是非。但要是冲突没有那么尖锐,那就把这事先搁着。这就是现在的著作权法所表现出的态度。

大胆的设想一下,在现行的暧昧的著作权法中,适当加入一些允许二次创作的条款也未尝不可。所谓的fair use也是由于建立在暧昧的基础之上才能得以成立。

总之我想说的是,“二次创作”=“违法”这种认识是一个误解。把被归类于“二次创作”的作品,想象成是“违法”作品的一个真子集,才是一种比较恰当的认识。并且,用来划分作品类别的界线的暧昧属性和灰色调,即使是导入fair use等制度也无法完全解决。著作权法是一个暧昧的东西。


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