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火花天龙剑 -> 外语学园 -> 先抄下来,不知有谁愿意译……
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マコト写本

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先抄下来,不知有谁愿意译……

〈1〉

 ヘッドホンから流れてくるポップスをペースメーカー代わりに、毎朝5キロのロードワークをこなすのが、ユリ・サカザキの日課のひとつである。
 美容と健康のために身体を動かすのならフィットネスクラブでのバイトで充分だろうが、空手家としての鍛錬にはそれだけではとても足りない。そう思って始めたロードワークだが、父にいわせれば、これでもまだ足りないという。
 ユリがそれに反論しようとすると、父はすぐに自分の若い頃の話を持ち出してくるので、最近ではユリも、「はいはい」と適当にあしらって退散することにしている。

 要するに、父は年を取ったのだ。
 娘を相手にことあるごとに昔話をするようでは、そう思われても仕方がない。
 はっきりと本人がそう宣言したわけではなかったが、何となく第一線から身を引いたような形になっている父は、しかし、まだその力が衰えてきたようには思えない。少なくともユリの目には、タクマ・サカザキは昔と変わらない世界最強の父親である。
 ただ、性格は少し丸くなったのかもしれない。ミスター・カラテとして天狗の面をかぶっていた頃の父には、娘の自分でさえも触れることがためらわれるような、抜き身の刀を思わせる闘気、殺気ともいうべきものがあったが、今の父にはそれがない。
 だからといって父が弱くなったのかと聞かれれば、ユリは即座に首を横に振るだろう。いかに実戦から遠ざかっているとはいえ、父は同年代の人間とくらべればずば抜けて頑健な肉体の持ち主であり続けているし、そのためにユリ以上の鍛錬を欠かしていない。昔の闘いで負った古傷さえなかったら、今でもリョウをさしおいて第一線に立っていたはずだ。

 いずれにしても、父の変化はユリとしては喜ばしいことではある。もう50になろうかという父が、闘いばかりの空手ひとすじだった生き方から開放されたとしても、別に罰は当たらないだろう。極限流の看板はリョウが立派にささえてくれている。
「結局、わたしがいないとダメなんだから」
 ――そんな生意気なことをいうこともあるが、実際のところ、空手の実力にしても流派を盛り立てていくことにしても、自分は兄に遠くおよばないということをユリは承知している。それがほんの少し悔しくて、ユリはときどき父や兄を相手にそんなことをいってみたりもするのだが、そのたびに、自分が存外に極限流というものに対して強い思い入れを持っていることに気づかされるのだった。
 もっとも、ユリにしたところで、極限流総帥の座を兄と争うつもりなど毛頭なく、きっかけはどうあれ今は身体を動かすことが楽しくて続けている空手なのだから、ロードワークの量くらいでいちいち口をはさまないでほしい、というのが本音であった。


[楼 主] | Posted:2008-05-18 13:26| 顶端
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〈2〉

 いつものコースを、いつものペースで。
 ミュージックプレイヤーの液晶画面でここまでのタイムを確認し、ユリは頬を伝う汗をリストバンドに吸わせた。
 と、その時。
「――っと!」
 横合いの路地から不意に出てきた人影に気づき、ユリは咄嗟にサイドステップで身をかわした。
「……これは失礼」
 それは、パナマ帽を目深にかぶった、どこかくたびれたスーツ姿の小柄な老人だった。目の前に現れたユリに少し驚いていたようだが、軽く帽子をかかげて挨拶したその表情には、おだやかな笑みしか浮かんでいない。
「こ、こちらこそどうもすみません」
 ユリはヘッドホンをはずして慌てて頭を下げ、その時ちらりと上目遣いに、帽子の下の顔に目を走らせた。
 わずかに見えた顔つきからすると、アジア系――それもどうやら日系人のようで、髪にはちらほらと白いものが混じっていたが、最初にユリが考えていたよりずっと若い。痩せぎすで、背中を丸めていたからそう見えたのだろう。50代なかばほどか、少なくとも老人という年齢ではなさそうだった。
 左手にステッキを持った男は、もう一度ユリに目礼し、彼女が走ってきたほうへと歩いていった。その足取りはしっかりとしていて、やはり老境に入った者のそれとは思われない。
「あの人、どこかで――」
 その後ろ姿を、ユリは眉間に小さなしわを刻んでじっと見送った。
 今の男をどこかで見たことがあるような気がする。どこで見たのかは思い出せないが、そんな気がしてならなかった。
 それに、今にして思えば、腑に落ちない点もいくつかある。
 そもそも、見通しの悪い路地から出てきた人間とユリが出会い頭にぶつかりそうになるということ自体、まずあることではない。ロードワーク中はつねに音楽を聞いているユリだが、それでもボリュームは抑えているし、後ろから近づいてくる自転車や人の足音くらいは聞き分けられるという自負もある。
 にもかかわらず、あのパナマ帽の男が出てくる足音や気配を、ユリは感じ取ることができなかった。ユリの感覚が鈍っていたというより、男のほうがそうさせなかったのかもしれない。去りゆく男の足取りをじっと観察していたユリは、その男が、ほとんど足音を立ずに歩いていることに気づいていた。わざとそういうふうに歩いているのではなく、そう歩くことが当たり前になっているような、ごく自然な足の運び方だった。
 あんな歩き方ができるのなら、あの時こちらが避けずとも、男のほうでいくらでもかわすことはできたかもしれない。
 そんなことを考えながら、あえて男に声をかけることもなく、ユリはじっとその場に立ち尽くしていた。不思議な既視感と違和感が、彼女を足止めしているかのようだった。
 男の背中が曲がり角の向こうに消え、ようやくひと息ついたユリは、どこからか聞こえてきたかすかな呻き声に今頃になって気づき、さっき男が出てきた路地の奥を覗き込んだ。
「!」
 真昼でも明るい陽射しが降りそそぐことのない、陰鬱な路地の片隅に、数人の男が倒れていた。
 倒れていたのはいずれも大柄な男たちで、あたりには数本のナイフが転がっている。人を見た目だけで判断してはいけないと判っていたが、どう見てもこの男たちにこそふさわしい凶器だった。
 もっとも、ナイフには誰かを傷つけたような痕跡はまったくない。逆に男たちのほうは、肩や顎の関節をはずされた上、急所に的確な追い討ちを食らって悶絶していた。この情況からすれば、恰好の獲物をこの路地の奥まで連れ込んだチンピラたちが、予想外の反撃を受け、刃物を使う間もなく一方的に叩きのめされた――といったところだろう。
 だが――。
 ユリは路地を出てさっきの男の姿を捜したが、どこへ行ったものか、すでにこの近くにはいないようだった。もしあのチンピラたちを倒したのがさっきの男なのだとしたら、相当の使い手に違いない。
「……!」
 ロードワークでかいた汗はすっかり冷えきっていて、ユリは思わず身震いしてしまった。


[1 楼] | Posted:2008-05-18 13:27| 顶端
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〈3〉

 ユリがロードワークから帰ってみると、自宅に父の姿がなかった。いつもなら、庭に出て軽く稽古をしたり庭木をいじったりしているはずの時刻だが、きょうにかぎっては庭にも寝室にもいない。
 さっき見た男の話をしようと思って父を捜していると、道場のほうから気合のこもった鋭い声が聞こえてくる。
「あれ――?」
 道場を覗くと、空手着に着替えた父が、上半身を肌脱ぎになって拳を繰り出している。
 ただ、いつもの朝の稽古とは何かが違っていた。つねになく鬼気迫るものを感じる。いってみれば、昔の父に戻ったようだった。
 その迫力に気圧されて声をかけられずにいると、ユリの背後で砂利を踏む音がした。
「ユリ」
「あ、おにいちゃん」
 こちらもロードワークから戻ってきたばかりなのか、リョウは首からかけたタオルで汗をぬぐっている。リョウは毎日ユリの倍の距離を走っているが、慣れているせいか、特に息が上がっているようには見えなかった。
「どうしたんだ、親父のやつ?」
 同じく道場の中を一瞥し、リョウはユリに尋ねた。
「わたしにも何が何だか……戻ってきたらこんな感じだったし」
「おまえ、親父に何かいったんじゃないのか? 最近太ったんじゃないか、とか」
「いってないよ、そんなこと」
「本当か? よく判らんが、男親というのは年頃の娘のひと言にぐさりと来るもんらしいからなぁ」
「だから何もいってないってば!」
 自分を悪者にしようとする兄の肩を軽くひっぱたき、ユリは道場を離れた。
 いつもなら、このまま笑い話ですませられたのかもしれない。しかし、きょうはなぜかそんな気になれなかった。自宅のほうへと戻るユリの視線は足元に落ちたままで、脳裏からは稽古に打ち込む父親の厳しい横顔が離れない。
「……確かに、あれはちょっといつもとは様子が違うみたいだな」
 父親の稽古風景をしばらく観察していたリョウが、さっきまで見せていた笑みを収めてユリに追いついてきた。
「ゆうべまではいつもの親父だったんだが……俺たちがいない間に何かあったんだろうか?」
「……そういえば」
「何か心当たりでもあるのか?」
「ううん、おとうさんのこととは特に関係ないと思うんだけど」
 そう前置きをして、ユリはロードワークの途中で出会った男のことをリョウに話した。
「猫背で痩せた東洋人、か……」
「別にその人がどうのっていうのをこの目で見たわけじゃないんだけど、ちょっと気になって……足の運びとか身のこなしとか、ふつうにすごかったし」
「そんな東洋人の武術家がいれば、確かに親父が何か知っていそうではあるな」
「うん。わたしもそう思って話を聞こうかと思ったんだけど――」
 ユリはそこで言葉を途切らせ、道場を振り返った。
 父の稽古はまだしばらく終わりそうにない。
 ユリは気難しげな顔をしている兄とともに自宅に戻り、シャワーを浴びてから朝食の支度に取りかかった。


[2 楼] | Posted:2008-05-18 13:31| 顶端
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〈4〉

 久しぶりにサウスタウンにやってきたというのに、真っ先に顔を合わせるのがユリやリョウたちではなしにこの老人だったということが、ロバート・ガルシアにとっては少しく不満であった。
 もっとも、次代のガルシア財団総帥たるべき人間としては、そんなことを顔に表すわけにはいかない。あくまでビジネスはスマートに――それが父に仕えてきた財団幹部たちからの教えであった。
 相手の勧めにしたがって飲茶の席に着いたロバートは、円卓の向こう側に座る老人を上目遣いに見やり、あたたかい烏龍茶をすすった。
「ほっほっほ……」
 猿の面をかぶった老人が、ロバートを見て小さく笑った。
「ずいぶんと忙しい身分になったようじゃが、鍛錬は欠かしていないと見える」
「それはおたがいサマやろ? もその年でようやるわ。引退して薬剤師に専念しとるゆうとったけど、どう見てもタダのジイサマやあれへんがな」
 苦笑しながら翡翠色の餃子に箸を伸ばす。極限流空手の修業時代に、なかば強制的にタクマの手打ちそばを食べさせられていたおかげで、ロバートの箸の使い方は最近の若い日本人よりよほど達者である。中華は嫌いではないし、ここで出されるものはさすがに味のほうも一流だった。
 ロバートがサウスタウンにやってきたのは、チャイナタウンのリー・パイロンとの商談のためだった。財団の製薬部門から、拳法の達人にして中国薬学の大家でもあるパイロンに、大規模な新薬開発プロジェクトのために協力を仰ぎたいとの声があがり、その交渉役として、パイロンと面識のあるロバートが選ばれたのである。
 無論そこには、ロバートに次期総帥にふさわしい実績を作らせてやりたいという父アルバートの意向もあったのだろうが、そういったことを抜きにしても、この交渉にロバートを使ったのは正解であった。財団から送り込まれてきた人間がどんなに辣腕のビジネスマンであったとしても、ロバートほどスムーズに交渉を進めることはできなかったに違いない。
 リー・パイロンという老人の心を動かすことができるのは即物的な損得勘定などではなく、目の前に立った人間が信頼できるか否かという一点にかかっている。そして、パイロンがひと通りの説明を聞いただけで「諾」とうなずいたのは、ロバートの人柄を熟知していたからにほかならない。
 実際のところ、ロバートとパイロンがこうして差し向かいで話し合うのはほとんど初めてのことだったが、にもかかわらずパイロンがロバートを信頼の置ける人間だと判断したのは――ふつうの人間には理解しがたいことかもしれないが――かつて格闘家として拳を交えたことがあるからだった。パイロンほどの達人ともなれば、相手の闘い方を見て、その人となりを理解するくらいのことはやってのけるものである。そうでなければ、この年までそのようなことをやってきた意味がない。

「ところで、近頃こっちの様子はどないなってんねやろ?」
 ロバートはふと思い出したように切り出した。
 サウスタウンでギャング同士の抗争が激化しているという話は、イタリアで父の事業の手伝いをしていたロバートの耳にも入っている。そうしたニュースを聞くたびに、サカザキ一家の――さらにいうならユリの――そばにいてやれないことを歯がゆく思ってきた。
「財団の調査部のほうで、逐一こちらの現状を調べさせていたんじゃろ?」
 自分は茶も口にせず、もっぱらロバートに料理を勧めてばかりだったパイロンが、意味ありげな口ぶりでいった。どこか飄々とした、人を食ったようなところが、この老人にはある。
「そらまあな。せやけどアレや、よそから来とる人間と長年そこに住んどる人間とでは、言葉の重みっちゅうもんがちゃうやろ? 地元の人間の口から聞きたいねん」
「一時期とくらべればましにはなった……というところかのう。少なくとも、ギャング同士の流血沙汰はずいぶんと減った。もともと我らチャイナタウンは独立独歩の立場をつらぬいておるが、安心して商売ができるようになったのは確かじゃよ」
「アルバ・メイラちゅう男が今のギャングどものボスや聞いとるけど、どないな人間や?」
「ふむ……ひと言でいうのは難しいの。ただひとつはっきりといえるのは、ギース・ハワードやデュークとはまるで違うタイプだということじゃ。ギャングというより、街の自警団のリーダーといったほうがふさわしかろうよ」
「大人はその男のことを個人的に知っとるんか?」
「まんざら知らぬ仲でもないな。あれがまだ15かそこらの頃じゃったか……前のリーダーだったフェイトという男に連れられてここへやってきて、頭のいい子供だから稽古をつけてやってほしいと頼まれたことがある」
「あんさんらは特定のギャングとはつるまんのやろ?」
 ロバートが切り返すと、珍しくパイロンが苦笑した。
「そこがフェイトという男の不思議なところなのじゃよ。あの男に頼まれると、どうにも断りづらい。あの時は、まさかアルバがフェイトの跡を継ぐとは思わなんだし、だからワシも、勝手にここへ来て勝手に見ていくぶんにはかまわんと、そういってやったのさ。ほかの長老たちも反対はせなんだしのう」
「大人の弟子ちゅうわけやないんか?」
「あれに師匠などおらんて。毎日ただここへ来て、ほかの子供たちが稽古しているのを見ておっただけじゃよ。じゃが、頭がいいというか呑み込みが早いというか、真に肝要なところだけを見よう見まねで学んでいったようじゃ。おいしいところだけをつまみ食いするようにな。――もっとも、シャンフェイだけはずいぶんとあれに入れ込んで、頼まれもしないのにあれこれ教えていたようじゃが」
 そう語るパイロンの顔は、おそらく仮面の下で、おだやかな笑みに崩れていることだろう。それはまるで、孫の成長を喜ぶ老人のようだった。


[3 楼] | Posted:2008-05-18 13:33| 顶端
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〈5〉

「大人」
 ロバートとパイロンが歓談している部屋へと、チャイナ服の若者たちが足早に入ってきた。本人は抑えているつもりだろうが、呼吸が乱れていることをロバートは目ざとく見抜いている。ことさら神経を研ぎ澄ませるまでもなく、部屋の外が何やら騒がしいのが判った。
 背後に控えていた財団のボディガードたちがスーツの懐に手を伸ばすのを制し、ロバートは箸を置いた。
「…………」
 若者から耳打ちされていたパイロンは、ひとつ大きく深呼吸し、おもむろに椅子から立ち上がった。その身にまとっていた好々爺然とした雰囲気が、すでに完全に消えている。
「……何ぞあったんかいな?」
「そうらしい。しばしこのままお待ちいただけるかのう?」
「待つだけはつまらんな。見物しとってもエエか?」
 ロバートはそういって不敵に笑った。
 外で何が起こっているのかは判らないが、屋敷全体を包む空気がピリピリとしてきていることにはロバートも気づいていた。ロバートにとっては懐かしい、闘いを前にした格闘家の放つ覇気を感じる。
 ただ、それが向けられているのは自分ではない。ロバート以外の何者かに対して、この屋敷に詰めている血気さかんな若者たちが覇気を高めているのである。
 しばらく考え込んだあと、パイロンはふかぶかとうなずいた。
「おぬしは大事な客人じゃ。もしおぬしに何かあれば、ご尊父に申し訳が立たぬばかりか、師父の留守を預かるワシの面子も立たん。何があろうといっさいの手出しをせぬと約束できるのであれば、見物くらいはよかろう。ほかに何の余興も用意できぬし……の」
「おおきに」
 ロバートはパイロンたちにしたがって飲茶の席をあとにした。

 伝統的な四合院作りの屋敷の庭先には、いずれもパイロンの弟子なのか、揃いのチャイナ服を身に着けた若者たちが10人以上も集まっていた。アメリカ各地のチャイナタウンでは、中国的な生活様式や言葉さえも忘れ、アメリカナイズされた華僑の若者が増えているというが、ここのチャイナタウンには古きよき伝統がまだ残っているらしい。
 その若者たちの輪の中に、ひとりの東洋人が立っていた。
 パイロンとともに奥の部屋から出てきたロバートは、若者たちに囲まれているその男を見た瞬間、我が目を疑った。
「まさか――ウソやろ……?」
 それは、ロバートもよく知っているはずの男だった。
 痩せぎすの東洋人は、ステッキを片手に背を丸めるようにして立っていた。そのせいで、一見するとひどく年を取った小柄な老人のように見えるが、実際にはさほどの年ではあるまい。せいぜい50代の後半といったところか。
 しかし、それでもまだ年齢が合わない。ロバートの知っているその男は、本当ならまだ50にもなっていないはずだ。もし同一人物だとすれば、短期間のうちに10歳も年を取ってしまった計算になる。深いしわが無数に刻まれたその東洋人の顔は、誰がどう見ても40代のものとは思われなかった。
 しかし、この東洋人こそが、チャイナタウンの若者たちをいたずらに刺激し、殺気立たせている張本人に違いなかった。枯れ枝のようなその身体からは、隠しようもない挑戦的な闘気があふれ出している。そのような空気をただよわせてここへやってくるということは、声高に道場破りにきたといっているも同然であった。
 ロバートは咄嗟にパイロンを見た。猿の面のせいで表情は窺えなかったが、彼もまた少なからず驚いているのだろう。この老人が息をするのも忘れて立ち尽くしているのが、ロバートにも判った。
 ふたたびロバートが東洋人のほうに目を向けると、東洋人のほうでもロバートを見ていた。
 やはり間違いない。
 あれは、ロバートが知っているあの男だった。
「……リー・ガクスウ師はおられるか……?」
 聞き苦しくしわがれた声で、東洋人が尋ねた。おそらくパイロンへの問いだったのだろう。
「師は本土へおもむいておられる。しばらくは戻られぬよ」
 殺気立つ若者たちを抑え、パイロンは答えた。
「不在か……」
「師に何用かの?」
「確かめてもらいたいものがあったのだが――無駄足であったか」
 男は落胆の吐息とともにかぶりを振り、男はパイロンたちに背を向けた。
「師に何を確かめろと?」
「強さを」
「強さ……とな?」
「今のわしと、ある男の強さを……だ」
 肩越しにパイロンを振り返った東洋人は、白髪混じりの髭を震わせて陰惨に笑った。
「リー・ガクスウが第一線を退いたのは、若かりし日のタクマ・サカザキとの闘いで負った傷がもとだと聞きおよんでいる……。かのリー・ガクスウを引退に追いやったほどのタクマ・サカザキの強さを誰よりもよく知るのは、やはりガクスウ本人をおいてほかにはあるまい?」
「――!」
 男の口からタクマの名前が出たことで、ロバートは思わず身を乗り出した。
 それを押しとどめたのは、彼の革靴の爪先をそっと踏みつけたパイロンのさりげない動きであった。
 ここはあくまでチャイナタウンであり、そこで起こるトラブルにロバートが口出しするのは礼儀に反する行為でしかない。それを思い出したロバートは、唇を噛み締め、男とパイロンのやり取りを見守るしかなかった。
「おぬしの狙いはタクマ・サカザキか」
「……いや」
 男はゆっくりと首を振った。
「殺気の失せた今のタクマになど興味はない。相対せば、ものの10秒ほどでねじり殺せよう」
「何やと――」
 怒りと驚きでロバートが息を呑む。その場にいるロバートが、ほかならぬタクマの弟子と知った上で、この男はそのようなことをいっているのに相違なかった。
「わしはただ、わしの今の強さが全盛期のタクマを超えているということを確かめられればそれでよい。そう思ってガクスウ師に会いにきたのだが……」
「それはつまり、我が師を試金石にしようと、そういうことかね?」
 たっぷりとした両袖の中に手を入れたまま、パイロンが一歩前に踏み出した。その足元から流れ始めた静かな気迫に、殺気立っていた若者たちが思わず一歩下がる。
 ただ、彼らの輪の中央にいた東洋人だけが、微動だにせずそこに立ち尽くしていた。
「……気に障ったのなら謝ろう」
「別にかまわんよ。……それより、ワシでは駄目かね?」
「何がだ……?」
「師の強さを一番よく知っているのはこのワシじゃ。そして、タクマ・サカザキの強さもまんざら知らぬでもない。……ワシではいかんかね?」
「そうだな……一線を退いた貴様に勝てぬようでは、タクマにもガクスウにもおよぶまい」
 そういいながらパイロンに向き直った東洋人は、しかし、その目ではロバートを見ていた。この男は、パイロンとではなく自分との闘いを望んでいるのだと、ロバートは直感的にそう悟った。
「御曹司」
 黒服のボディガードたちが、両脇からロバートの腕を掴んで抑えた。
「もはやあなたひとりのお身体ではないのです。ご自重ください」
「くっ……!」
 ロバートには、彼らを強引に振り切ることもできた。だが、今の自分の地位を思えば、軽はずみなことはできない。自分に大きな期待をかけている父を裏切って目の前の敵に立ち向かえるほど、ロバートは刹那的な生き方のできる男ではなかった。
 何より、パイロンの心遣いを無にするわけにはいかない。おそらくパイロンは、この東洋人がタクマの弟子であるロバートとの闘いを望んでいると察した上で、それを阻止するためにみずから相手になろうといい出したのだ。でなければ、老境に入ったこの拳士が、わざわざ名乗りを上げるはずがない。
 その時、からりと乾いた音がした。東洋人の手を離れたステッキが、石畳の上に転がったのである。
 それを合図に、パイロンが動いた。
 両の袖で顔を隠し、すぐさまその手を降ろした時には、パイロンの顔を覆っていた仮面が、隈取のどぎつい威圧的なものに変わっていた。
 ――という伝統芸が中国の四川地方にある。衣装の早変わりならぬ仮面の早変わりのことで、大きな袖で顔を隠したほんの一瞬のうちに面をつけ換える芸だが、パイロンが見せたのもそれだったのかもしれない。
 闘いの面をかぶったパイロンは、石造りの階段を蹴って軽やかに跳躍し、男に襲いかかった。ひと息に間合いを詰め、矢継ぎ早に突きと蹴りを繰り出す。いつしかその拳には、鉄の爪が輝いていた。
 戦慄のアクロバットクロー――。
 電光石火、変幻自在の闘いぶりを評して、パイロンをそんな異名で呼ぶ者もいる。老いたりとはいえ、確かにその名に恥じぬスピーディな攻撃であった。
 だが、同時にロバートは、息をもつかせぬパイロンの攻勢が、なぜかひどく危ういもののようにも見えた。
 パイロンの手数の前に、東洋人は反撃に転じることができずにいる。ただ、いい方を変えれば、それは男がパイロンの攻め手をすべてさばききっているということでもある。もしこのままの状態が続けば、老齢というハンデがあるぶん、パイロンのスタミナが先に尽きるのではないか。スピードが持ち味のパイロンが、ひとたびその動きを鈍らせてしまえば、闘いの趨勢はおのずと決まってしまう。
 ――と、ロバートがそんな懸念をいだいた刹那、勝負はまばたきひとつのうちに、意外なほどあっさりと決した。
「がっ――」
 血を吐くような呻き声をもらし、パイロンが石畳の上にあおむけに倒れていた。
「……っ!」
「師父!?」
 闘いを見守っていた若者たちが悲痛な叫び声をあげた。師匠の敗北を信じられずに思わずほとばしった声であった。
 しかし、ロバートはいかにしてパイロンが敗れたかを正確に理解していた。
 左右の旋風脚のコンビネーションから、流れるような動きでパイロンが右の突きを繰り出した瞬間、男は鉄の爪をかわしながら左手を伸ばしてパイロンの右袖を掴むと、腕を巻き込むようにして腋の下にかかえ込み、寸毫の躊躇もなく老拳士の肘をへし折った。と同時に、相手の身体を引き寄せながら、右の掌底をパイロンの胸に叩き込んだのである。
 右腕を折られ、胸骨にもひびくらいは入ったに違いない。たとえパイロンがあと20歳若かったとしても、このまま闘い続けるのはもはや不可能だった。
「ぐ……」
 パイロンの仮面の下から、赤い血が細い糸となって流れ落ちている。今の胸への一撃で、内臓に傷がついたのかもしれない。
「おのれ……!」
「よくも師父を!」
「ま、待て――」
 我に返った若者たちが、パイロンの仇を討とうと東洋人に殺到する。パイロンがかぼそい声で制止しようとしたが、怒りに支配された彼らにその絶え絶えの声は届かなかった。
 パイロンとの闘いでろくに汗もかいていなかった男は、いっせいに襲いかかってきた若者たちを見て、陰惨に笑っただけだった。
「リー・パイロンの弟子にしては……落ち着きがないな」
 その言葉が予言していたかのように、わずか数十秒後には、若者たちはすべて男の足元に倒れ伏していた。ある者は踏み込みのいきおいを利したカウンターによって顎を砕かれ、またある者は身をかわされたところを背後から一撃され、またある者は、上段の蹴りをいなされて後頭部から石畳に叩きつけられ――そして、ひとりの例外もなく、若者たちは沈黙させられたのであった。
「み、見事……!」
 ロバートにかかえ起こされたパイロンが、血の糸をぬぐった左手を伸ばし、男を指差した。
「今のおぬしなら……なるほど、タクマを倒せるかもしれぬ……」
「そうか……」
「……じゃが、それではおぬしの餓えは満たされまいよ」
「…………」
 パイロンの指摘に男は目を細めた。もともとしわの多い男の顔が、さらに渋ついたように見えた。
「……で、あろうな」
 長い沈黙を置いてそう呟いた男は、自分が倒した若者たちなどもはや一顧だにせず、ステッキを拾ってきびすを返した。
「……!」
 反射的に立ち上がろうとしたロバートのスーツの襟を、パイロンの左手が掴んだ。
「約定をたがえる気か、御曹司……?」
「せ、せやけど――」
「おぬしが今どこに立っているか……ゆめ忘れるな……」
「それを大人がいうんか? あんさんこそ、こないな――」
「ワシはよい。これでよいのじゃ……ガクスウ師がお戻りになられたと知っても、もはやあの男は二度とここへは来ないであろうしな……」
 仮面越しに東洋人の背中を見送り、パイロンは苦しげに笑った。
「……それより、このことをリョウに伝えるのじゃ――」
「――――」
 ロバートは無言でうなずいた。
 ガルシア財団の後継者などといっても、もはや自分にできることはそのくらいしかないということを、ロバートはよく理解している。これからの闘いに割り込んでいくには、ロバートはいささか実戦から遠ざかりすぎていた。
「朝晩の稽古の時間、もうちょい増やさなアカンわ」
 忸怩たる思いを噛み締め、ロバートは唇をゆがめた。


[4 楼] | Posted:2008-05-18 13:34| 顶端
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〈6〉

 夕刻、すでに夜になりかけた空に星がまたたき始める頃。
 父が庭先で冷たい水を浴びているのを見ていたリョウは、オレンジ色の空手着に下駄履きといういでたちでガレージに向かった。
 あの日以来、タクマの激しい鍛錬は続いている。
 リョウやユリがそれとなく問いただしてみても、タクマはただ、それが武道家のあるべき姿だと答えるばかりで、突然の変化の理由を語ろうとはしなかった。今はああしているが、夕食がすめば、また道場に戻ってふたたび稽古に入るのだろう。
 もっとも、リョウにはタクマのその変貌の理由が判っている。本人の口から聞いたわけではないが、おおよそ見当はついていた。
「おにいちゃん」
 バイクをいじり始めたリョウのところに、ユリがやってきた。
「――今頃そんなこと始めて、どこか行くの?」
「ああ」
「どこ?」
「ユリ」
 妹の問いには答えず、リョウは声をひそめて切り出した。
「……今夜は何があっても親父を家から出すんじゃない」
「えっ?」
「俺が戻ってくるまで絶対に親父を外に出すな。殴り倒してでもだ」
「ちょっ……ど、どういうこと、おにいちゃん!?」
「詳しいことはロバートに聞け」
「ロバートさんに?」
「ああ。今夜ここへ来てくれることになっている」
「ちょっと待ってよ! おにいちゃん、どこへ何しにいくつもりなの?」
 ユリはかさねてそう尋ねたが、リョウはロバートに聞けと繰り返すだけだった。
 今はまだ、真実をユリに伝えるわけにはいかなかった。真実を打ち明ければ、ユリもいっしょに行くといい出しかねない。何があっても、ユリには父を引き止めておいてもらわなければならなかった。
「俺がどこに出かけたか親父に尋ねられたら、ロバートに会いにいったといっておくんだ。くれぐれも余計なことはいうな。……それが親父のためなんだ」
 革ジャンをはおったリョウは、整備をすませたバイクにまたがり、キーを回した。エンジンが小気味よい唸りをあげ、ハンドルから頼もしい震えが伝わってくる。
「――あとのことは頼んだぞ」
「おにいちゃん!?」
 まだ何かいいたげなユリを残し、リョウはバイクを走らせた。

 修行三昧の日々を送っていたからか、バイクで風を切る感覚は久しぶりだった。
 だが、それがリョウの心を浮き立たせることはない。サウスタウンの南、ファクトリーエリアへと向かうリョウの心は、気持ちよく抜けていくバイクのエンジン音とは裏腹に、深く静かに、冷え固まっていくようだった。
 すさまじい速さで後方へと流れていく街路灯の明かりに目を細め、リョウは空手着の懐に左手を添えた。


[5 楼] | Posted:2008-05-18 13:36| 顶端
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〈7〉

 リョウがいずこかへと出かけてから小一時間ほどたった頃、ボディガードも連れずにたったひとりでロバートがやってきた。
「ロバートさん……!」
「久しぶりやな、ユリちゃん」
 ロバートとはひさびさの再会だったが、ユリはうまく笑えなかった。ロバートと再会できた喜びより不安のほうが大きい。リョウが残していった意味深な言葉が、ユリの心に重くのしかかっていたのである。
 ロバートもまた、ユリとの再会を大袈裟に喜ぶでもなく、すぐに表情を引き締め、
「お師匠さんは?」
「道場にいるけど……」
「リョウから聞いたんやけど、最近すごいんやて?」
「うん……」
「ほな、リョウの推測もあながち間違いやあれへんちゅうことか……」
「ねえロバートさん、いったいどういうことなの? おにいちゃん、どこに行ったの?」
「それはワイにも判らんけど……ユリちゃん、ちょい前に、ヘンな東洋人に会うたんやろ?」
「え? う、うん、確かに会ったけど……どうして知ってるの?」
「たぶん同一人物やと思うけどな……そのオッサン、チャイナタウンに現れたで」
 ロバートはユリにチャイナタウンでの一件を語って聞かせた。
「どっ、どうして!? あの人が、どうして――」
「ああ……ユリちゃんはじかに会ったことなかったんやな」
 居間へと案内されたロバートは、ユリが出してくれた緑茶をすすり、力なく笑った。
「――あのオッサン、藤堂竜白やで」
「と、藤堂って……え!? それってもしかして、香澄ちゃんのお父さんのこと!?」
「せや」
「だ、だって……ずっと行方不明だったんじゃないの?」
「リョウに負けてからな」
 ロバートは茶托に湯飲みを置き、いったん言葉を引き取った。
 沈黙が降りてきた居間に、道場のほうから父の気合の声が響いてくる。それをじっと聞いていたロバートは、テーブルの上に身を乗り出し、あらためて切り出した。
「リョウに負けたあと、藤堂のオッサンは家族にも何もいわんと姿をくらましとったんやろ?」
「香澄ちゃんからはそう聞いてるけど……」
「たぶんオッサンは、自分を鍛え直すために武者修行の旅に出とったんやろな。それも、生半可な修行とちゃう。げっそりとやつれて、一気に10歳も年を取ったようにみえるような、面相まで変わるほどの過酷な修行やったんやろ。チャイナタウンでオッサンを見た時、ワイもまさかと思たわ」
「そんな……どうしてそこまでする必要があるの?」
「そらアレや、お師匠さんとリョウに勝つためやろ」
 藤堂竜白は、若い頃にタクマ・サカザキと闘って敗れている。その当時、タクマはまだミスター・カラテの異名を持たず、極限流空手の名もほとんど世間には知られていなかった。戦国時代にその源流を持つ藤堂流古武術伝承者の竜白にとって、海のものとも山のものとも知れぬ一空手家に敗北した事実は、たとえようもない屈辱だったに違いない。
 だが、タクマへの雪辱を果たすことはかなわず、逆にタクマの息子リョウにまで敗北を喫した竜白は、おのれの弱さを呪ったに違いない。それが竜白を、身を削るほどのさらなる過酷な修行へと駆り立てたのだろう。
「それもこれも、極限流に勝つためや。自分を倒したリョウやお師匠さんに勝つためや」
「それじゃ、おとうさんが今になってあんな激しい稽古を始めたのって――」
「ひょっとしたら、お師匠さんはユリちゃんより先に、もう藤堂のオッサンと会うたんちゃうかな。チャイナタウンでのオッサンの口ぶりやと、少なくともオッサンは、お師匠さんが実戦から離れてかなりたっとることを知っとった。せやから、あえて闘わずに立ち去ったんやろな」
「おとうさんは……そのことに気づいてたのかな?」
「そのへんも聞いてみなよう判らんけど、たぶん、オッサンが自分の様子を見にきたことには気づいとったんちゃうか?」
 ユリとともに道場のあるほうを見やり、ロバートは立ち上がった。
「ロバートさん……?」
「実戦から離れとるんはワイもいっしょや。ひさびさに稽古つけてもらお思てな」
 スーツと靴下をその場で脱いだロバートは、シャツの袖をまくり、大股で道場へ向かった。心配そうな表情のユリも、小走りにそのあとを追いかける。
「ユリちゃんもリョウにいわれとるやろ、お師匠さんを家から出すなて?」
「う、うん。でも、どうして出しちゃいけないの?」
「天狗の面をかぶっとった頃ならともかく、もし今のお師匠さんがオッサンに闘いを挑んだら、どう贔屓目に見ても無事じゃすまされへんよってな」
「それって……おとうさんが、香澄ちゃんのお父さんと闘うかもしれないってこと?」
「お師匠さんが今になってあないにシャカリキになっとんのは、つまりはそういうことちゃうか? せやろ?」
「う、うん……」
 いわれてみれば確かにそうだった。ただ強さを維持するためだけなら、あそこまで過酷な鍛錬は必要ない。最近のタクマの鍛錬は、あれは明らかに、さらなる強さを欲している者のやりようである。一日でも早く、より強くなるために、肉体を徹底的に苛め抜くような、狂気すら感じさせるやりようである。
 板張りの廊下を歩いていたユリは、はっと目を丸くしてロバートを見上げた。
「もしかして、おにいちゃんが出かけたのって――」
「せや。……リョウは、お師匠さんの代わりにオッサンとの決着をつけにいったんや」
「そんな――」
 想像を絶する修行の果てにふたたびサウスタウンへと戻ってきた藤堂竜白に、今のタクマでは勝てるかどうか判らないとロバートはいった。ロバートだけでなく、チャイナタウンのリー・パイロンもまたそう評したという。
 その竜白と闘うためにリョウが出ていったのだと聞いて、ユリは全身の血の気が引いていくのを感じた。
「どうして!?」
 ユリは思わず声をうわずらせた。
「もう闘う必要はないって、そう思って引き下がってくれたんでしょう、香澄ちゃんのお父さんは!? だったらいいじゃない! おにいちゃんが闘う必要だってないはずでしょ!?」
「ま……ユリちゃんのその気持ちは判らんでもない。けど、リョウとしてはそういうワケにもいかんのやろ。なんせアイツは、お師匠さんのあとを継いで極限流の看板を背負ってかなアカン人間やし」
「どうしてよ!?」
「判ったってや、ユリちゃん。極限流の看板を受け継ぐゆうことは、お師匠さんの業も受け継がなアカンっちゅうことなんや。よくも悪くも、お師匠さんは業の深いお人やしな」
 瞳を潤ませてわめくユリをなだめるように、ロバートは彼女の頭をそっと撫でた。
「実際、藤堂のオッサンの闘いを見とったらよう判るわ。あのオッサンがあないになるには、それこそ今のお師匠さん以上の厳しい鍛錬を長いこと積んできとるはずなんや。家族のもとにも帰らんと、まっとうな生き方に背を向けて……人としてのふつうの生き方も何もかも捨てて一心不乱に修行に打ち込まんと、あそこまで強くはなれへんわ。……そして、オッサンをそこまで追い込んでもうたんは、お師匠さんとリョウなんや」
「――――」
 卒然、ユリの脳裏に、かつて同じチームでKOFに出場したことのある藤堂香澄の姿がよみがえった。
 香澄は、リョウに敗れて以来行方不明となっている父をずっと捜していた。いつも気丈にふるまってはいたが、本当はさびしかったのだろうと思う。幼い頃に母を亡くし、父タクマまでがいなくなって、リョウとふたりきりで生きていくことを余儀なくされていたユリには、それが手に取るようによく判った。
 あの頃の自分と同じようなさみしさを押し隠して生きている香澄を思い、そして、その原因が自分の父と兄にあると聞いて、ユリは胸が締めつけられる気がした。それまで必死にこらえていた涙が、堰を切ったようにはらはらとこぼれ落ちていく。
「それは……それは判るけど……でも、そんなの――おにいちゃんのせいじゃないじゃない。おにいちゃんは、ただ、さらわれたわたしを捜そうとして――」
「せやな……ユリちゃんのいう通りや。ホンマはリョウたちが悪いんとちゃう」
 ロバートはユリの肩に手を置いた。
「――武道なんてモンをやっとる以上、誰かに負けることくらい覚悟しとかなアカンのやし、オッサンが尋常の立ち合いでリョウに負けたかて、それは単にオッサンが弱かったせいや。オッサンがリョウにリベンジしよ思て、家族を捨ててまで修行する気になって、それでガイコツみたいにやつれて戻ってきたことかて、そんなんオッサンの意志でやったことや。別にリョウやお師匠さんがやれっちゅうたワケやない」
 ロバートの言葉のひとつひとつに、ユリは何度もうなずいた。子供のようにしゃくり上げながら、Tシャツの裾で流れる涙をぬぐっても、それでも彼女の嗚咽は止まらない。
「……けど、それでもリョウは、それが自分の責任やと考えてまうようなヤツなんや。お師匠さんが本調子じゃあれへん今、自分が本気で相手をしてやらんかったらオッサンの思いの行き場所がなくなるゆうて、それでリョウはひとりで出かけてったんや。それが、極限流の看板を背負って立つ自分の役目やって、な……」
 ユリの背中をぽんと軽く叩き、ロバートは道場に入った。
 さっきまで裂帛の気合が響き渡っていたはずの道場に、今は重苦しい沈黙が降りている。正面の床の間の前には、空手着の乱れを整えたタクマが静かに正座していた。
「……あの馬鹿めが――」
 眉間に深いしわを刻み込み、タクマが呻くように呟く。それを耳にしたロバートは、大袈裟に目を丸くして聞き返した。
「あれ? 聞こえてはりました?」
「あれだけ大きな声で騒いでいれば嫌でも耳に入る」
 ロバートのかたわらにいるユリをじろりと睨み、タクマは立ち上がった。
「どないしますのん?」
「――おまえは、藤堂がどこにいるか知っているのか?」
「知りまへん。もし知っとったとしても、お師匠さんにはいわれへんですわ」
「…………」
 悪びれないロバートのセリフに、ユリに向いていたタクマの視線がロバートへ向く。いつしかタクマの身体から、陽炎のような覇気が立ち昇り始めていた。
「ここはおとなしくリョウに任せとったらエエんとちゃいまっか?」
「自分のツケを子に支払わせる親がどこにいるか。そも、リョウがかならず藤堂に勝てるとはかぎるまい」
「やっぱお師匠さんも、あのオッサンに会うたんでっか?」
「……直接顔を合わせたわけではない。だが、ヤツとは一度拳を交えた仲だ。顔を見ずとも、気配でそれと判る」
「ほな、あのオッサンの今の強さも想像がつくんとちゃいますか?」
「だからこそ、だからこそ闘ってみたいのだ。ワシにそう思わせるほどに強くなった藤堂竜白――じかにその闘いぶりを目にしたおまえになら判るだろう?」
「そらまあ……せやけど、今のワイやお師匠さんじゃ、あのオッサンの相手はキツすぎますよって。ブランクありすぎですわ」
「……いうようになったな、ロバート」
 タクマが目を細めて軽く拳を握った。ロバートに正対していた身体をやや半身にし、悠然と身構える。
「おとうさん――」
 思わず叫ぼうとしたユリを押さえ、ロバートもまた身構えた。さまざまな格闘技のエッセンスを取り入れたロバートの極限流空手は、その構えからして独特で、まるでボクシングかテコンドーのように、つねに軽快にステップを刻みながら相手の呼吸を読むというものだった。
「ここでワイにてこずるようじゃ、どのみちオッサンには勝たれへんでっしゃろ。まずはお師匠さんのお手並み、拝見させてもらいまっせ」
「……よかろう」
 タクマとロバートの間で、ふたりの放つ覇気がぶつかり合う。それに気圧されて、ユリは数歩後ずさった。
「……!」
 財団の仕事で多忙を極めるロバートに、稽古にかけられる時間はそう多くはないはずだ。そしてタクマも、昔のような過酷な稽古に打ち込み始めたのはここ数日のことである。本来なら、今のふたりに全盛期の強さはない。
 しかし、それでもユリは、自分の腕ではまだまだふたりにおよばないということを、目の前の現実として突きつけられた気がした。それは、単なる身体能力や鍛錬の量から来るものではなく、もっとメンタルな部分に根ざす強さだと思えた。


[6 楼] | Posted:2008-05-18 13:38| 顶端
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〈8〉

 生ぬるい風が吹いている。
 海が近いせいか、潮の香りが混じった夜風だった。
 バイクを降りたリョウは、伸び放題の青草をかき分けてその廃墟へ向かった。
 ここへ来るのは何年ぶりか――。
 そこはかつて、リョウがタクマと最初で最後の真剣勝負を繰り広げた場所だった。
 あの頃、タクマは天狗の面をかぶってミスター・カラテと呼ばれていた。さらわれたユリを捜すうちに、リョウはこの荒れ果てたかつての極限流の道場跡にたどり着き、そこで父と再会したのである。

 リョウを出迎えるかのように、無人のはずの廃墟には篝火が焚かれていた。ときおり、薪のはぜる音がうつろに響いて、あたりの静けさを否が応にも際立たせていた。
 男は、篝火を背にして、腕を組んだままじっと立ち尽くしていた。石組みの床の上に男のくっきりとした影が落ち、炎の揺らめきに合わせて震えている。炎の赤さと影の黒さが、しわの多い男の顔にどぎついコントラストを描き出していた。
「……来た、か……」
 目を閉じていた男は、リョウの下駄が床で鳴る音を聞きつけ、静かに目を開いた。いや、おそらくこの男なら、リョウがここへやってくることをもっと前から察していたに違いない。
 数メートルの距離を置いて男と対峙したリョウは、相手の顔を見つめて目を細めた。
「ロバート・ガルシアから聞いてきたか……? それとも、タクマか?」
「親父は何もいわんさ。近頃は年甲斐もなく特訓なんかやっているよ」
 リョウは冗談めかして笑った。男も小さく笑ったようだが、それはリョウの笑いと少し意味が違うらしかった。
「なあ、あんた」
 今度は逆にリョウが尋ねた。
「これまでどこで何をしていたんだ? 一度も国に戻ってないそうじゃないか」
「わしがどこにいたかは……わしももう覚えていない。覚えておるのは、貴様とタクマに勝つために、ただひたすらおのれの技を磨いていたということだけだ――」
「そうだな……あの時とは大違いだ」
 男――藤堂竜白の双眸には、闇の中でちらつく蝋燭の炎のような、何ともいえずほの暗い輝きがある。それを真正面から見据え、リョウは下駄を脱ぎ捨てた。
「――それがこうしてサウスタウンにやってきたってことは、俺たちを倒す自信がついたって意味かい?」
「さて……少なくとも、わしはそのつもりでここへ来た。すぐに落胆させられることになったがな……」
 竜白は聞き取りづらいぼそぼそした声で呟いた。
「わしがきょうまで腕を磨いてきたのは、ただ貴様ら極限流に勝つためであった。だが、いざサウスタウンへ戻ってきたわしが目にしたのは、わし自身の仇とも思っていたタクマのあの体たらくだ。あのような男に勝っても、むなしさが増すばかりだ。このわしの絶望が貴様に判るか、リョウ……?」
「親父に何を期待していたのかは知らないが、親父がリー・ガクスウとの闘いで負った古傷を今もかかえていることぐらい知ってたんじゃないのか?」
「だとしてもだ」
 チャイナタウンに現れた時、あるいはユリが見かけた時は、くたびれたスーツ姿だったという藤堂竜白は、今はリョウにも見覚えのある道着に袴といういでたちだった。ただ、赤い胴丸はつけていない。
「……たとえ傷つき、老いたにせよ、タクマはタクマのままでいるべきであった。殺気の失せた今のタクマなど闘う価値もない」
「つねに殺気立ってれば強いのかい? 俺はそうとはかぎらんと思うがね。不器用な親父もようやくそのことに気づいたんじゃないかって思うのは、俺の身贔屓かもしれないが」
 そう応じたリョウには、殺気というものがまったくなかった。かつてのタクマが剥き出しの殺気をまとっていたとするなら、一方のリョウはどんな闘いでも殺気というものを放つことがない。親子であり、同じ極限流空手家でありながら、リョウとタクマの間にはこれほどの差があった。
 しかし、リョウがいうように、殺気がないからといってリョウのほうがタクマより弱いとはかぎらない。
 竜白は重々しくうなずいた。
「で、あろうな……もはや極限流最強はまぎれもなく貴様、リョウ・サカザキだ――」
 竜白が組んでいた腕をほどいてだらんと垂らした。構えといえるような姿勢ではない。ただ単に、肩の力を抜いて身体に沿って腕を垂らしただけの、自然体というのさえはばかられる姿勢だった。
 だが、それこそが今の竜白の不動の構えなのだということを、リョウはロバートからの電話ですでに知っていた。柳の枝が風に逆らうことなく柔らかくなびくように、竜白は、あの状態でこちらの攻撃を流れるように受け流し、逆にその力を利用して痛烈なカウンターを打ち込んでくるのである。以前リョウが闘った時の竜白とは、まったくの別人と考えたほうがいい。
「ひとつ、約束してくれ」
 革ジャンを脱ぎ捨て、リョウはいった。
「――ことがすんだら、一度日本へ帰れ」
「いわずもがなのことを……もはやタクマとの再戦に未練はない。貴様に勝って、わしと極限流との因縁に終止符を打つつもりだ。でなくば日本になど戻れるか……」
「そうじゃない。あんたが勝とうと俺が勝とうと、結果がどうなろうと一度日本に帰れといってるんだ。……娘さんがあんたを捜してあちこち旅して回ってるってこと、あんたは知らないのか?」
「――――」
 つねに感情を抑えて泰然と構えていた竜白の表情に、この日初めてわずかながらも変化が生じた。おそらく、香澄のことを思ったのだろう。
「俺がいうのも何なんだが、武道家の父親ってのは不器用な連中が多いらしいな」
「……わしが子供に残してやれるものなど、この技と、生きざまのほかに何もない」
「ウチも似たようなもんさ」
 肩を揺らして笑ったリョウは、懐から塗りの剥げた天狗の面を取り出し、おもむろにかぶった。それは、かつてタクマがミスター・カラテと名乗っていた頃にかぶっていた、曰くつきの面であった。
「……覇王翔吼拳を破らないかぎり、極限流に勝つことはできないぜ?」
 そう呟いたリョウの構えは、タクマのそれによく似ていた。もしここでリョウがその身に殺気をまとえば、あるいは竜白は、自分が対峙しているのがタクマ・サカザキだと錯覚していたかもしれない。
「面白い――」
 額に巻いた鉢金を締め直し、竜白はにやりと笑った。
「――その面、日本への土産に持って帰るとするか」
 ざわり――。
 青草を揺らして吹きつけてきた風が、篝火の炎をひときわ大きく揺らめかせた。

 どちらが勝つにせよ、勝負は一瞬、一撃で決着がつくだろう。何の根拠もなく、リョウはそう思っていた。
 今宵の夜風のように――あるいはそれに逆らうようにして――竜白のほうから押し寄せてくる覇気を受け止め、リョウは仮面の下で笑っていた。
 肌がひりつくようなこの瞬間を楽しいと思ってしまうところが、自分の駄目なところなのだろう。勝利に対する執着心が薄く、ただ闘っている瞬間さえ満たされていれば、その結果はどうでもよくなってしまう。最近は特にそうだった。
 そんな自分が果たして藤堂竜白に勝てるのか、それはリョウにも判らない。
 判らないから、こうしてここに立っているのである。
 自分たち親子が竜白の人生を狂わせてしまったことへの自責の念は確かにある。だが、それ以上に、今はただこの強い武道家と闘ってみたかった。素顔を隠した仮面は、闘いの間だけ、竜白に対する同情を切り捨てるためのものだった。
 足の指先の力だけで、リョウはじりじりと間合いを詰め始めた。
 そこに遺恨はなく、憎しみも殺気もなく、心地よい緊張感だけがあった。


[7 楼] | Posted:2008-05-18 13:39| 顶端
金色の闇

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龙虎的拳==

[8 楼] | Posted:2008-05-18 20:10| 顶端
想念小小



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汗一个。。。。。。。。。。。。
哪位闲了没事的来吧。
或者等我买了电脑。。。。。。。。

[9 楼] | Posted:2008-06-01 21:15| 顶端
MadScientist



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Re: 先抄下来,不知有谁愿意译……

〈4〉

久しぶりにサウスタウンにやってきたというのに、真っ先に顔を合わせるのがユリやリョウたちではなしにこの老人だったということが、ロバートガルシアにとっては少しく不満であった。
もっとも、次代のガルシア財団総帥たるべき人間としては、そんなことを顔に表すわけにはいかない。あくまでビジネスはスマートに――それが父に仕えてきた財団幹部たちからの教えであった。
相手の勧めにしたがって飲茶の席に着いたロバートは、円卓の向こう側に座る老人を上目遣いに見やり、あたたかい烏龍茶をすすった。
「ほっほっほ……」
猿の面をかぶった老人が、ロバートを見て小さく笑った。
「ずいぶんと忙しい身分になったようじゃが、鍛錬は欠かしていないと見える」
「それはおたがいサマやろ? もその年でようやるわ。引退して薬剤師に専念しとるゆうとったけど、どう見てもタダのジイサマやあれへんがな」
苦笑しながら翡翠色の餃子に箸を伸ばす。極限流空手の修業時代に、なかば強制的にタクマの手打ちそばを食べさせられていたおかげで、ロバートの箸の使い方は最近の若い日本人よりよほど達者である。中華は嫌いではないし、ここで出されるものはさすがに味のほうも一流だった。
ロバートがサウスタウンにやってきたのは、チャイナタウンのリーパイロンとの商談のためだった。財団の製薬部門から、拳法の達人にして中国薬学の大家でもあるパイロンに、大規模な新薬開発プロジェクトのために協力を仰ぎたいとの声があがり、その交渉役として、パイロンと面識のあるロバートが選ばれたのである。
無論そこには、ロバートに次期総帥にふさわしい実績を作らせてやりたいという父アルバートの意向もあったのだろうが、そういったことを抜きにしても、この交渉にロバートを使ったのは正解であった。財団から送り込まれてきた人間がどんなに辣腕のビジネスマンであったとしても、ロバートほどスムーズに交渉を進めることはできなかったに違いない。
リーパイロンという老人の心を動かすことができるのは即物的な損得勘定などではなく、目の前に立った人間が信頼できるか否かという一点にかかっている。そして、パイロンがひと通りの説明を聞いただけで「諾」とうなずいたのは、ロバートの人柄を熟知していたからにほかならない。
実際のところ、ロバートとパイロンがこうして差し向かいで話し合うのはほとんど初めてのことだったが、にもかかわらずパイロンがロバートを信頼の置ける人間だと判断したのは――ふつうの人間には理解しがたいことかもしれないが――かつて格闘家として拳を交えたことがあるからだった。パイロンほどの達人ともなれば、相手の闘い方を見て、その人となりを理解するくらいのことはやってのけるものである。そうでなければ、この年までそのようなことをやってきた意味がない。

「ところで、近頃こっちの様子はどないなってんねやろ?」
ロバートはふと思い出したように切り出した。
サウスタウンでギャング同士の抗争が激化しているという話は、イタリアで父の事業の手伝いをしていたロバートの耳にも入っている。そうしたニュースを聞くたびに、サカザキ一家の――さらにいうならユリの――そばにいてやれないことを歯がゆく思ってきた。
「財団の調査部のほうで、逐一こちらの現状を調べさせていたんじゃろ?」
自分は茶も口にせず、もっぱらロバートに料理を勧めてばかりだったパイロンが、意味ありげな口ぶりでいった。どこか飄々とした、人を食ったようなところが、この老人にはある。
「そらまあな。せやけどアレや、よそから来とる人間と長年そこに住んどる人間とでは、言葉の重みっちゅうもんがちゃうやろ? 地元の人間の口から聞きたいねん」
「一時期とくらべればましにはなった……というところかのう。少なくとも、ギャング同士の流血沙汰はずいぶんと減った。もともと我らチャイナタウンは独立独歩の立場をつらぬいておるが、安心して商売ができるようになったのは確かじゃよ」
「アルバメイラちゅう男が今のギャングどものボスや聞いとるけど、どないな人間や?」
「ふむ……ひと言でいうのは難しいの。ただひとつはっきりといえるのは、ギースハワードやデュークとはまるで違うタイプだということじゃ。ギャングというより、街の自警団のリーダーといったほうがふさわしかろうよ」
「大人はその男のことを個人的に知っとるんか?」
「まんざら知らぬ仲でもないな。あれがまだ15かそこらの頃じゃったか……前のリーダーだったフェイトという男に連れられてここへやってきて、頭のいい子供だから稽古をつけてやってほしいと頼まれたことがある」
「あんさんらは特定のギャングとはつるまんのやろ?」
ロバートが切り返すと、珍しくパイロンが苦笑した。
「そこがフェイトという男の不思議なところなのじゃよ。あの男に頼まれると、どうにも断りづらい。あの時は、まさかアルバがフェイトの跡を継ぐとは思わなんだし、だからワシも、勝手にここへ来て勝手に見ていくぶんにはかまわんと、そういってやったのさ。ほかの長老たちも反対はせなんだしのう」
「大人の弟子ちゅうわけやないんか?」
「あれに師匠などおらんて。毎日ただここへ来て、ほかの子供たちが稽古しているのを見ておっただけじゃよ。じゃが、頭がいいというか呑み込みが早いというか、真に肝要なところだけを見よう見まねで学んでいったようじゃ。おいしいところだけをつまみ食いするようにな。――もっとも、シャンフェイだけはずいぶんとあれに入れ込んで、頼まれもしないのにあれこれ教えていたようじゃが」
そう語るパイロンの顔は、おそらく仮面の下で、おだやかな笑みに崩れていることだろう。それはまるで、孫の成長を喜ぶ老人のようだった。

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[10 楼] | Posted:2019-02-20 10:33| 顶端

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