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雪之丞

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海蓝之钻(II)
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空と月と太陽と


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- 7 - 



 イシュタルがユングヴィに来て、半年が過ぎた。
 その日、城内では朝早くから多くの女官達が忙しく走り回っていた。その喧騒は城の中央から離れた、イシュタルの住まう閑静な一廓にも伝わってくる。

「おはようございます。イシュタル様」
 女官長が朝食をワゴンに乗\せて部屋に入って来た。いつもは侍女に運\ばせるのだが、今日は人手が足りないらしく、女官長自らが給仕にあたっている。彼女はこうして、1日のうちに何回かイシュタルの様子をうかがいにやって来るのだ。

 女官長はイシュタルの素性を知っている数少ない一人だった。最初はイシュタルを警戒し常に監視していた彼女も、放任主義の主人に影響されたのか、今では単なる高貴な客人として扱っている。

「今朝は公爵様はご用がおありとかで、先にお食事を済まされました」
 暖めたカップにお茶をそそぎながら女官長が告げる。ファバルの用事とはこの騒がしさと関係があるのだろうか。そう思いながら、カップを受け取った。

「城内が騒がしいようだけど、何かあるの?」
「はい、なんでも大切なお客様がいらっしゃるそうで、お迎えする準備にみな大忙しです」
「客?」
 来客は珍しいことではなかったが、こんな朝早くから総出で歓迎の準備をすることなど今までなかったことだ。よほど大切な客なのだろうか。
 朝食が終わった後、イシュタルは久しぶりに城内を歩いてみた。
 小走りで行く女官達と幾人もすれ違った後、ようやく厨房の前で司厨長と何やら打ち合わせをしているファバルの後ろ姿を見つけた。彼が自ら料理に注文を出すなど、やはりただ事ではない。ファバルはいつも来客の接待に関しては、それぞれの専門家達に一任していたのだ。

 話が終わるのを見計らって、イシュタルは声をかけた。
「来客があるそうね」
「イシュタル…」
 こんな時間にこんな場所にいるイシュタルにファバルは驚いた顔を見せたが、すぐに笑顔がそれに取って代わる。
「パティが…妹が来るんだ。今朝早くエバンスからの知らせが届いた。ヴェルダンがようやく落ちついたらしい」

 ファバルの妹が、ヴェルダン王の宣言をした夫と共に、かの地の平定にあたっていることはイシュタルも聞いていた。野盗の巣窟と化したヴェルダンに、わずかな兵と共に向かったままの妹夫婦のことを、ファバルが常に気にかけていたことも知っている。
 自分の前ではいつもぶっきらぼうな態度の彼が、今は素直に表情を表に出して喜びを隠そうともしない。
 そうしていると、元々童顔の彼はずいぶんと幼く見えた。もしかしたら、そう見られるのが嫌で、めったに自分の前では笑わないのかもしれない。そんなふうに考えるとなんだか可笑しかった。

「おまえのそんなに嬉しそうな顔は初めて見るわ。まるで恋人にでも会うみたい」
「なっ…!」
 一瞬、何か言い返そうとしたファバルだったが、やがて降参したように肩をすくめると素直に認めた。

「……ああ、パティはたった一人の大切な妹だからな。あいつとは子供の頃からずっと一緒に育ったんだ。こんなに長いこと離れていたのは初めてだ」
 そう言って、遠くを見つめるような目をする。

「元気でいるかな、あいつ。一年ぶりだからな…」
「よほど妹がかわいいのね」
「ああ、悔しいけどそれは認めるよ」

 心配していた妹が無事に帰ってくる。そのことをファバルが兄として喜ぶのは当然のことだ。それはイシュタルにもよくわかる。なのに、何か胸の底にひっかかるものがあるのはなぜだろう…。
 ファバルの関心が自分以外の人間に向けられていることに、心のどこかで焦りのようなものを感じている。

 ―――何なのかしら、これは…

 ファバルはいつも自分に心を配ってくれていた。そして、他のどんな事情より自分のことを優先してくれた。そのことに自分は慣れすぎてしまったのかもしれない。
 イシュタルは改めて自分達の関係を思い出した。囚人とそれを預かる看守…それにすぎないということを、もう一度胸に刻み込んだ。





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 突然の事故で母と妹を一度に失った時、ユリウスは悲しみを表に出さずに皇太子として立派な振る舞いをした。それがイシュタルには嬉しかった。母の死が彼を強くしたのだろうと思った。
 その直後、父ブルームを助けるためイシュタルはアルスターへ行くことになり、今までのようにユリウスと頻繁に会えなくなった。だから、彼の「変化」にイシュタルが気付くのが遅れたのも、無理のないことだったのだろう。

 月に一度の出仕の際、謁見の間で会話を交わすたびに感じる違和感も、彼が大人になろうと努力している結果なのだと自分に言い聞かせた。
 自分を慕ってくれた幼い日のユリウスがもうどこにもいないことに気づいても、あの悪魔の側を離れられなかった。自分を呼ぶ声の中に、氷のような瞳の奥に、傷つきやすい心を持ったかつての少年の幻を探していた。

 ―――イシュタル…
 ぞっとするような冷たさを秘めた声が優しく囁く。
「どうしてそんな目で私を見る。おまえは私が父のような強い支配者になることを望んでいたのだろう? だから私は、おまえのために力を手に入れたのに…」
 悲しげにさえ見えるまなざしが、イシュタルの心を惑わせる。
「どんなことがあっても味方だと言った、あの言葉は嘘か…?」
 赤い瞳の悪魔は、イシュタルの忠誠\心と罪悪感を巧みに操り、決して逃れられないよう彼女を追い詰めていった。
「いいえ…いいえ、ユリウス様。わたしの忠誠\は生涯あなたのものです」
 そう誓わせられるたび、目に見えない枷に全身がとらわれていくような思いがした。

空と月と太陽と


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- 8 - 



「客間に妹達が来てるんだ」
 その日の午後、ヴェルダンから到着した一行の応対にあたっているはずのファバルが、突然イシュタルの部屋を訪れた。
「ええ。そのようね」
 それで? と問いかけるイシュタルの視線を受けて、ためらいがちにファバルが切り出す。
「よかったら…おまえも来ないかと思って…」
 意外な申し出に、イシュタルはファバルの顔を見返した。

「でも、わたしが同席しては気まずいでしょう」
「そんなことはない。できれば顔を出してほしい。…もちろん、おまえが嫌じゃなければだけど」
「………わかったわ」

 しばしの沈黙の後、イシュタルは答えた。
 おそらく客人の誰かが自分を見たいと言い出したのだろう。自分を待っているのは好奇の目か、憐れみの目か、それともあからさまな嫌悪の目か…。いずれにしても好意的なものでないことは確かだ。
 だが、自分の立場を虜囚と受け止めているイシュタルは、それがどんな申し出であれ、城主の言葉に逆らうつもりはなかった。

 ファバルの後に付いて客間の扉をくぐる。しかしイシュタルがその場に現れても、なごやかな空気は全く変わらなかった。

「あっ、イシュタルさん。こんにちは。兄がいつもお世話になってます」
 長い金髪の少女が真っ先に立ちあがり、ぴょこんと頭を下げた。ファバルと同じ空の色の瞳。一目で彼の妹だとわかった。

「えっと、一応紹介しておくな。これが妹のパティ。その隣がパティの夫のレスター。俺の従兄でもあるんだけど…。で、こっちがレスターの妹のラナ」

 ファバルの声に促されて、青い髪の青年と、やわらかな金の巻き毛の少女が立ち上がった。そしてイシュタルに向かって会釈する。その視線のいずれもが純粋な好意に満ちていて、イシュタルは拍子抜けするような気分を味わっていた。

 ヴェルダンの王と王妃。そしてシアルフィ公妃。彼らがそう呼ばれる立場にあることを、イシュタルは知っている。しかし、ファバルはそういう紹介の仕方をしなかった。
 かつて戦場で見た記憶のある顔ぶれだが、イシュタルにとってはみな初対面に近い。
 とはいえ、自分は何度か帝国軍の指揮官として彼らの前に姿を現しているはずだ。その敵を目の前にして、こうして微笑んでいられる彼らの神経が、イシュタルには理解できなかった。

「イシュタルさん。お砂糖はいくつですか?」

 かけられた声にその方向に目をやると、パティが砂糖壷とスプーンを手にイシュタルの方を見ている。

「あ、いえ。わたしは砂糖は結構よ」
「そうなんですか。じゃ、はいどうぞ」

 にっこり微笑んで受け皿に乗\ったカップを手渡してくれる。どうやら使用人は遠ざけられているようで、客人自らがお茶を淹れてくれたのだ。
 自分よりも彼らのほうがよりファバルに近い存在なのだということを、イシュタルは嫌でも思い知らされる。

「あたし、イシュタルさんに会えるのとっても楽しみにしていたの」
 憧れを含んだまなざしで、パティがイシュタルを見つめた。
「お兄ちゃんの手紙って、いつもイシュタルさんのことばかり書いてあるんだもの。でも、こんなにきれいな人だなんて、想像以上だったわ…」
「パティ! よけいなこと言うな!!」
「なによ。本当のことじゃない」

 たちまち口ゲンカを始めた兄妹を、イシュタルは驚きの目で見ていた。自分の知っているファバルは、こんなに率直に感情を表に出す人間ではなかったはずだ。
 やがてケンカ(というよりも、それはじゃれあいに近かった)をやめたパティは、再びイシュタルにその空色の瞳を向けた。

「ところで、イシュタルさん。お兄ちゃん、きちんと仕事してます? 元々飽きっぽい性格だから、放り出して遊んでるんじゃないかと、あたしすっごく心配なんだけど」
「そんなことはないわ。ファバルはよくやっている。民にもとても慕われているわ」
「ほんとー?」
「イシュタルが何かと助言してくれるからな」
 疑わしそうなパティに、ファバルが代わって答える。
 王女として育ち、マンスターの領主でもあったイシュタルは、宮廷の人間のものの考え方や対処の仕方をよく知っていた。
 やっぱりねーと兄に向かって言うと、パティはある期待を込めてイシュタルを見つめる。

「イシュタルさんがずっとここにいて、お兄ちゃんを見張っててくれればいいのに。そうすればあたしも安心なんだけどなあ」
 彼女が好意で言ってくれているのはイシュタルにもわかる。しかし、それが到底かなわないこともよくわかっていた。
「それは無理だわ。わたしはあくまでも一時預かりの身で、いずれバーハラで裁判にかけられる。おそらく極刑を申し渡されるだろうから…」
「そんな…!」
 パティが反論しようとした時、それまで黙って彼女の隣に座っていた青い髪の青年がさりげなくそれを制止した。
「そんなことはありませんよ。あなたは自分の意志で戦っていたわけじゃない。それに、囚われた子供達を密かに助けて下さったことは、セリス様もご存知です。あなたに感謝している人々も大勢います」
 穏やかな瞳の青年が、諭すような口調で言う。その隣で、パティが大きく頷いている。ラナもファバルも同意するような視線を向けている。

 ―――そろいもそろって、お人よしばかりだ
    ユングヴィの人間は、みなこうなのか…

 自分が良く知っていた唯一のユングヴィ人を、イシュタルはふと思い出した。
 前ユングヴィ公爵スコピオ。彼は、幼い頃のユリウスとよく似た繊細な心を持った少年だった。一見気難しいように見えるが、その内側には傷つきやすい魂を持っていた。
 いつか父の仇を討ちたいと、自分の前で一度だけ口にしたことがある。めったに心を開かないスコピオがその言葉を口にした時、彼の心に残る深い傷跡を垣間見たような思いがしたものだった。
 もし運\命が少しだけ形を変えていたなら、スコピオも今ここで一緒に笑っていたのだろうか…。

「ところで、ラナ。公妃が留守をしてシアルフィは大丈夫なのか? オイフェさんが寂しがってるんじゃないのか」
 沈んでしまったその場をとりなすように、ファバルが話題を変えた。それを受けて、ラナも微笑を返す。
「オイフェ様が薦めてくださったのよ。エバンス城に兄さまがいらしてるとお聞きして、身動きできなくなる前に一度里帰りしてきなさいって」
 まだほとんどわからないが、彼女のお腹の中には次代のシアルフィを担う新しい命が芽生えているのだ。
 そして話題はレスターとパティのことに移った。ヴェルダンを統一した彼らは、この後バーハラへと上りグランベル王であるセリスに報告をし、その後さらにイザークまでレスターの母エーディンを迎えに行くという。

 ずいぶんな長旅になりそうだとイシュタルは思った。統一を成し遂げたばかりの不安定な国を、そんなに長いこと留守にして大丈夫なのかと、よけいな心配をしてしまいそうになる。だが、パティは笑いながら言い切った。
 後のことを任せられる人は大勢いるわ。あたし達は、王と王妃がちょっと留守をしたくらいでダメになるような国を作ったんじゃないわよ――
 その輝く瞳は、かつてイシュタルの前でユングヴィのことを誇らしく語ったファバルと同じものだった。

 ファバルの薦めもあり、しばらく彼らはこの城に滞在することになった。



[80 楼] | Posted:2004-05-22 16:51| 顶端
雪之丞

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空と月と太陽と


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- 9 - 



 アルスター城の王の間で、そこに居並ぶ誰もが素性の知れない傭兵にさげすみの目を向けた。誇り高きフリージの魔法騎士である自分達が、なぜこのような者と同列に扱われなければならないのか…。彼らの視線はそう言っている。
 だが、ブルームの隣に控えた銀の髪の少女だけは違っていた。何の偏見も先入観もない、澄んだまっすぐなまなざしでファバルを見ていた。やがてファバルの弓の腕を認め、対等な戦士として敬意を表してくれるようにさえなった。
 帝国側の人間に、しかも王女という身分にある人間に、そんなふうに扱われることなど、ファバルは想像もしていなかった。
 所詮は自分達を弾圧する側の人間、憎むべき存在…。何度もそう思おうとしたが、彼女のまるで夜明け前の空のような美しい紫紺の瞳を見ていると、そんな気持ちは消えていく…。
 そしてその瞳に宿る哀しみの影に気づいた時、彼女はファバルの心から消すことのできない存在になっていた。





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 その夜イシュタルは、なかなか寝付けずにいた。昼間、ファバルの妹や従兄妹達と過ごした時間が、繰り返し頭の中で再生されているような感じがする。この半年間、ファバル以外の人間とはまともに話をしていなかったことに改めて気付いた。

 イシュタルはテラスから庭へと降りた。月の明かりはあるが、周囲は木立に囲まれているため暗く、見通しが悪い。しかし、怖いという気持ちはなかった。むしろ闇はイシュタルの心を静め癒してくれる。自分の本質が闇に属するものだと、内側から囁く声がする。

 ―――月の光のようだな。おまえの髪の色は…

 初めてイシュタルにそう言ったのは誰だったか……。

 ―――月は闇に属するもの。
    おまえにふさわしいとは思わないか? イシュタル

 マンスターからイシュタルを呼び戻したユリウスは、彼女を自分の側から離さなかった。
 この頃にはもうイシュタルも、ユリウスの自分に対する特別な執着に気付いていた。それだけが、昔のユリウスと今目の前にいる男とを繋ぐ唯一の接点だった。

「世界など手に入れなくても、わたしはユリウス様のお側にいます。もう、このようなことはおやめ下さい」
 子供狩りを続けるユリウスに、イシュタルは思い余って訴えたことがある。
 しかし、返ってきたのは冷ややかな視線だった。
「信じない…そんな言葉など信じられない」
 かつて信頼を込めて彼女を見た瞳の輝きは、もうそこにはない。
「おまえは幼い頃の私に同情はしても、愛してはくれなかった。私が皇子という身分になかったら、おそらく見向きもされなかったことだろう。だから、おまえを永遠に手に入れるには、この世の全てを支配するしかないと思った。その力をマンフロイは私に与えてくれたのだ」
「いいえ、わたしはユリウス様を愛しています」
「この世で信じられるのは力だけだ。おまえを繋ぎとめておけるのも力のみ。私は決して昔の自分には戻らない」

 イシュタルにはわからなくなっていた。変わったと思ったのはユリウスの外側だけだったのだろうか。彼の本質は、今でもあの幼い日のままなのではないだろうか…。

 家族の愛情に恵まれなかったユリウスが、自分を心のよりどころにしているのはイシュタルも察していた。だがそれがこういう歪んだ形で現れるとは、考えてもみなかった。ユリウスの側に控えている黒\衣の司祭が、彼に少しずつ猜疑心を植え付けていったことなど、イシュタルは知らなかったのだ。
 あの時、父に付いてアルスターに行かずにユリウスの側にいれば、彼の「変化」を止められたのかもしれない。そう思ってしまうと、もう二度とユリウスの側を離れることはできない。たとえそれが愛ではなく責任感から生じた感情だとしても、ここまで自分を必要としている人間の手を再び離すことなど彼女には決してできなかった。

 周囲の闇が、優しくイシュタルの身体を包み込む。
 このまま闇にとけ込んでしまいたいような気がした―――


 その時、どこかから風を切るような音が聞こえてきた。一定の間隔を置いて聞こえてくるその音が、過去の幻影から現実へと彼女を引き戻す。音に導かれるようにイシュタルは歩を進め、やがてその正体を見つけた。

 月の光の下で、ファバルが黄金の弓を引いていた。

 その周囲には木々がなく開けた場所になっているため、弓を引くその姿も彼の表情も、イシュタルからはよく見える。本格的な弓の訓練場は別の場所にあるが、ファバルがここに簡単な的を作って時々練習をしているのを彼女も何度か目にしていた。

 弓を引き絞ったまっすぐな姿勢は、まるで一幅の絵のようにイシュタルの目に映る。弓に詳しくない彼女にも、素直に美しいと感じられる情景だった。何かを見て胸を打たれることなど、ずいぶんひさしくなかったように思う。
 月の光を浴びて的を見据えるその横顔は、何か神聖な儀式を行っているようにも見える。邪魔をしないよう、イシュタルはそっとその場を離れようとした。

空と月と太陽と


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- 10 - 



「イシュタルか?」
 その時、突然ファバルが振り返った。
 視線はまっすぐイシュタルの方を向いている。彼女のいる場所は木の影になっていて、本来ファバルからは見えないはずだった。かすかな物音でも察したのだろうか。
 イシュタルは、ファバルの前に姿を現した。

「こんな時間に弓の練習?」
 彼の隣に立ち、ファバルが矢を射ていた方を見る。闇に閉ざされ、イシュタルの目に的は見えなかった。
「こんなに暗くては、的なんか見えないのじゃない?」
「心の目で撃つんだよ」
「え?」
「本気にしてないだろ? なまじ嘘でもないんだぜ。人間の視力には限界がある。でも、本来なら見えるはずのない的がはっきりと見える瞬間があるんだ。イチイバルを手にしている時は、特にその力を強く感じる」
 その言葉に、ファバルが手にしている黄金の弓を見た。闇の中でも自らの光で輝く聖なる弓。

「あの時もそうだった」
「あの時って?」
「おまえのトールハンマーを狙った時」
 イシュタルは思わず息をのんだ。自分が最後に解放軍の前に姿を現した時のことを、ファバルは言っているのだ。
「魔道書だけじゃない。おまえの表情まではっきりと見えた。普通なら見える距離じゃなかったのに」
 そういえばあの時、自分にもファバルの青い瞳がやけにはっきりと見えたことを思い出す。
 しばし沈黙が流れた。


「イシュタル…」
「何?」
「今でも……ユリウスを忘れられないのか」
 言った後で、ファバルは後悔するような表情をした。だが、イシュタルはそのことに気付かない。
「わたしの心はユリウス様のもの。あの方が亡くなられた時、私の心も一緒に持っていってしまった…」
 自分に言い聞かせるようにイシュタルが言う。
「…そうか……」
「今のわたしは死んでいるのも同じ。ただの抜け殻にすぎない…」
「そんなことあるもんか。おまえはちゃんとここで生きている。生きてさえいれば、何度でもやり直しができる。心だっていつかまた生まれ変わってくるんだ」
「でも、わたしにとって生きていることは苦痛でしかなかったわ。ユリウス様のために戦って死ぬこと…それがわたしの救いになるはずだった……」
「だから、たった一人で解放軍の前に現れたのか?」
「そう…、それだけがあの方にわたしの心を証明する唯一の方法だったから…」
 ファバルに背を向け、イシュタルは闇を見つめた。
「ユリウス様の心を救うことができないのなら、せめて一緒に死んでさしあげたかった。一人で黄泉の国へ渡るあの方を、わたしだけは迎えてあげたかった。最後まで信じて下さらなかったけど、それでもわたしは愛していたのに…」
 淡々と語り続けるその姿は、ファバルに話をしているというよりも、闇の向こうにいる誰かに対して訴えかけているようにも見える。
「なのに自分だけおめおめと生き長らえて……。今さら死んでも、ユリウス様は迎えては下さらない。もうわたしの行くところはどこにもない…!」
 一切感情を交えなかった静かな口調が、最後だけほんの少し乱れた。しかし、イシュタルはそれもすぐに自分の胸の内に抑え込む。
「ごめんなさい。おまえには関係のない話だったわね」
 そう言ってファバルを振り返った表情には、かすかな笑みさえ浮かんでいた。
 それまで黙って話を聞いていたファバルが、軽くため息をつく。

「関係ない…ってこともない」
 やがて短い沈黙を破って、ファバルはイシュタルに視線を合わせた。
「前に、どうして俺がおまえをユングヴィに連れて来たのか聞かれて、答えたことがあったよな? あの答は嘘なんだ。いや、嘘じゃないけど、本当の理由は他にあるんだ」
 突然変わった話題に、イシュタルが戸惑いの表情を浮かべる。それには構わずに、ファバルは話を続けた。

「俺はおまえに側にいてほしかった」
「ファバル?」
「アルスターでおまえと出会った頃…あの頃から俺はおまえのことが気になって仕方がなかった。王女として何不自由ない生活をしているはずなのに、なんでいつもあんな悲しそうな目をしているのかって。貧しい暮らしをしていても、パティのほうが何倍も幸せそうに笑ってた」
 突然の告白に、イシュタルが息を呑む気配がする。
「おまえにもあんなふうに笑ってほしかった。俺の側にいて、俺に笑いかけてくれるおまえを、一度でいいから見てみたかった。たぶん、俺にはおまえが必要なんだ」
 ファバルの瞳がまっすぐにイシュタルを見つめる。氷のようなユリウスの瞳とは対照的な、ユングヴィの空のように青く暖かい瞳。

「このままずっとここにいてほしい」

 その言葉を耳にした瞬間、イシュタルは自分の心臓が鼓動を打つ音を聞いたような気がした。
 ユリウスを失ってからずっと、凍りついたままだった心が熱いもので満たされていくのを感じる。それは瞬く間にイシュタルの全身にも広がっていく。胸の前で両手を重ねても、熱く脈打つ鼓動は抑えられそうになかった。

 自分はずっとこの言葉を待っていたのだろうか…。
 ファバルのたった一言が、自分の乾ききった心をこんなにも潤して癒している。それは、疑いようもない事実だった。
 だが、自分がそれに応えられる人間でないこともまた、イシュタルにはわかっていた。

「おまえは思い違いをしているわ。わたしはおまえが思っているような人間ではない…」
 視線をはずしてそう呟いた。ファバル達ユングヴィ家の人々は、実際以上に自分を好意的に解釈しようとしている。そのことが、イシュタルにはむしろ心苦しく感じられる。
「おまえの従兄は、わたしが自分の意志で戦っていたのではないと言ったわね。でも、それは違う。わたしは自分のしていることが間違っているとわかった上でユリウス様に従った…。わたしはユリウス様に操られた被害者ではない。共犯者よ。自分の意志であの方に協力したのだわ」
 目を閉じれば今でもユリウスの幻がはっきりとまぶたに浮かぶ。
「今でもあの瞳を忘れられない…」
 氷のように冷たい瞳の奥に宿る孤独の影。それが今でもイシュタルを捕らえて離さない。
「そんなわたしが許されていいはずがない」

 全ての救いの手を拒絶するイシュタルの宣言。ファバルはそんな彼女の言葉を否定も肯定もせず、ただ静かに見つめていた。
 あの時、イシュタルの瞳を見た時に、彼女が死ぬためにやってきたことがファバルにはわかった。自分を裁いてくれる相手を求めて、イシュタルは解放軍の前に姿を現したのだ。
 だからこそ、死なせてはならないと思った。絶望の色だけを映したその瞳に、もう一度生きる希望を取り戻してほしかった。

「おまえはかわいそうなやつだ」
 ファバルはイシュタルのすぐ側まで歩み寄り、静かにそう口にする。

「俺が必ずおまえをユリウスから自由にしてやるよ」
 ファバルの手が、そっとイシュタルの肩に伸ばされた。彼の意図を悟って、イシュタルが離れようとする。しかしかまわずにファバルは彼女の身体を引き寄せた。イシュタルもそれ以上は逆らわずに、ファバルの胸に頬を寄せる。自分を抱きしめる腕の暖かさに、イシュタルは自分が震えていたことに初めて気付いた。

 もう、この地上のどこにも見つけられないと思っていた自分の居場所がここにはあるのかもしれない。たとえそれがほんの一時の幻想でも、それにすがってみたいとイシュタルは思った。



[81 楼] | Posted:2004-05-22 16:52| 顶端
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空と月と太陽と


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- 11 - 



「私から逃げたくなったのか? イシュタル」
 イシュタル出陣の報を受けて、ユリウスは皮肉めいた視線を向けた。
「いいえ! そのようなことは決して…」
「まあいい。どこに逃げようとおまえは私のものだ」
 そして唇の端をあげて笑う。
「たとえ死んでも…な」
 彼の手が自分に向かって伸びてくるのを見て、イシュタルは声にならない悲鳴を上げる。そこで目が覚めた。全身に汗をかいている。時刻はまだ真夜中だった。

 ―――たとえ死んでも…な

 結局命を落としたのは、イシュタルではなくユリウスのほうだった。しかし今でも彼の幻影は、こうして自分をとらえている…。





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 まだ朝早いユングヴィ城の中庭を、イシュタルは両手に花を抱えたまま足早に歩いていた。
「イシュタル」
 自分を呼ぶ声に振り返ると、反対側の入り口からこちらに向かって来るファバルが見える。
「ラナと一緒じゃなかったのか? イシュタル」
 彼の言う通り、イシュタルはラナに庭園の案内をするため、今朝早く一緒にでかけたのだった。
 物静かで博学なラナは、イシュタルにとって良い話し相手となっていた。同じ魔道をたしなむものとして共通の話題も多い。パティが夫のレスターと一緒に、見学を兼ねて城下の街に繰り出している午後の時間、イシュタルはラナと共に過ごすことがほとんどだった。

「ええ。でも彼女、途中で薬草の栽培をしている苑の方に興味を持ったようで…。そこまではわたしの手に余るので、専門家に案内をお願いしてきたわ」
 ファバルが自分のところまで来るのを待ち、イシュタルは手にした白い蘭の花束を見せた。
「それで、これがとても綺麗に咲いていたから、ラナとパティの部屋にと思って切ってきたの」
「え? おまえが、自分で?」
 何か言いたそうな顔のファバルを見て、イシュタルは少し心配そうに付け加える。
「大丈夫よ? ちゃんと園丁の許可をもらってきたから」
「いや、そういう意味じゃないけど……」
 正直ファバルは驚いていた。イシュタルが花に興味を示したのはこれが始めてだったのだ。いや、花に限らず何かに心を動かされる彼女を見たことは、これまで一度もなかったように思う。
 綺麗に咲いていたからとイシュタルは言った。それは、花を見て美しいと思えるだけの心の余裕ができたということなのだろうか。

 黙ったままのファバルを見て、イシュタルは少し首をかしげるしぐさをする。しかし、それ以上は追求せずに、彼と並んで城に向かって歩き始めた。
 途中、ふと隣を歩くファバルの横顔を見上げる。
 あの告白の後も、ファバルの態度はとりたてて変わることはなかった。だが、自分に対する視線と口調がいくぶん柔らかくなったとイシュタルは思う。

「ラナは、とても薬草の知識に詳しいのね。驚いたわ」
 歩きながらイシュタルは、自然にファバルに語りかけていた。
「ああ、シスターだからな。解放戦争の間中も、ラナにはずいぶん助けられたよ」
「そうね、彼女はとても優秀なプリーストだわ。…あら? そういえば、ファバル。今朝はレスターと出かけたのではなかったの?」
「俺は早めに引き上げてきたんだ。レスターは、まだバイゲリッターの訓練を見学してる。毎朝ほんとに熱心だよ、あいつは。レスターの方が、よほどユングヴィ公爵にふさわしいんじゃないかって思うぜ」
「わたしはそうは思わないわ。ユングヴィにはむしろおまえのような、今までにない新しい公爵が必要よ」
 その言葉を聞いてファバルが少し照れたように笑う。
 こうしてファバルの顔を見て声を聞いていると、夕べ見た夢がひどく遠い世界のことのように感じられる。そんな自分の心を、不思議な気持ちでイシュタルは見ていた。

 その時、突然思い出したようにファバルが話題を変えた。
「そうだ。最近何か変わった事はないか?」
「いえ、特に何もないけど…。何かあったの?」
「ここのところ、どうもこの城を探ってるやつがいるらしいんだ。警備兵が夜、何度か不審な人影を目撃してる。警備を強化したけど、手がかりはまだつかめていない」
「………………」
「何が目的かはわからないけど、万一ということがある。おまえも身の回りには気をつけてくれ」
「そういえば…」
 ふとあることがイシュタルの心にひっかかった。
「何だ?」
「昨夜遅くに、大きな鳥の羽ばたきの音を聞いたような気がしたけど…」
 悪夢に眠りを妨げられ飛び起きた時、イシュタルの耳にかすかに聞こえてきた音。
「でも、関係ないわね。そんなこと」
 すぐに自分の記憶を否定した。おそらくあれは、動揺した自分の心が聞かせた幻聴だったのだろう。
「鳥…か?」
「気のせいかもしれないわ。このあたりにそんなに大きな鳥はいないはずだし…」
「…そうだな……」
 しかし言葉とはうらはらに、ファバルは何か考え込むような表情をしている。
 その沈黙を破ったのは、前方から聞こえてきた元気な声だった。

「ねえ、お兄ちゃん、どういうこと!?」
 後ろで編んだ長い金の髪を揺らし、テラスからこちらに向かって駆けてくるファバルの妹パティ。すでに人妻であり、一国の王妃という立場にありながら、その様はまさしく少女と呼ぶにふさわしい。
 パティは兄の元にたどり着くなり訴え始めた。

「ちょっと厨房の隅を貸してって頼んだだけなのに、ここの司厨長さん真っ赤になって怒り出すのよ。あたし、何か悪いこと言った?」
 ひさびさに自慢の料理の腕をふるおうと、パティは厨房に行き、そして司厨長に追い返されてきたのだった。そんな妹を、苦笑を浮かべながらファバルは見ている。
「そりゃそうだ。厨房は司厨長にとっていわば城だからな。客に料理を作らせるなんて、彼の誇りが許さないんだろ」
 一応おまえも隣国の王妃様なんだし――。からかうように言うと、パティの頭に軽く手を置いた。

「ずいぶんうるさいこと言うのね。ヴェルダンではあたしが作った料理を、みんなおいしいって食べてくれたわよ。兵士達も大臣も。厨房に入って怒られたことなんかなかったわ」
 そう言ってから、ファバルに対してふっと同情するような目を向ける。コノートにいた頃の兄は、こんなふうに人の立場に気を配ったりする性格ではなかった。
「お兄ちゃん…、もしかして苦労してるんじゃない?」
 だが、ファバルはそんな妹の心配を吹き飛ばすように、明るい笑顔を見せる。
「そうでもないさ。俺は好きなようにやってるよ。そうすると、そのうち周りがあきらめるんだ」
「あはは。お兄ちゃんらしいね」
 パティに再び笑顔が戻ってくる。
「じゃあ、あたしもやりたいようにやらせてもらおうっと。お茶の時間までにはおいしいお菓子を用意するからねっ」
 イシュタルさんも楽しみにしててね――そう言って、パティは手を振りながら姿を消した。

 パティの後ろ姿を見送っていたイシュタルは、ふと視線を感じて隣を振り向いた。ファバルがじっとこちらを見つめている。
「何を見ているの?」
「おまえの顔」
「…何かおかしい?」
「今、笑ってた」
「え…? そうかしら」
 思いもよらない言葉にイシュタルはとまどう。
 ファバルはふっとため息をつくと、少しさびしそうな表情を向けた。

「パティ達が来てから、時々笑うようになったよな、おまえ。自信なくすよ、全く…。俺には一度もそういう顔見せてくれなかったのに……」
 そう言ったきり、ファバルは下を向いたまま黙り込んでしまった。
「そんなつもりはないわ。ただ、さっきのやりとりがとても微笑ましかったから…」
 ファバルの表情を覗おうとしても、前髪に隠れてそれが見えない。
「わたしは自分の兄とあんなふうに打ち解けて話すことがなかったから、うらやましいと思って……」
 そう言葉を続けても、ファバルは黙ったままだ。イシュタルの中で、ふと不安が頭をもたげてくる。

「…ファバル。怒ったの?」
 しかしその声を聞いたとたん、突然ファバルは肩を震わせ始めた。そして顔を上げ、笑いをかみ殺したような表情でイシュタルを見る。
「悪い。ちょっとおまえの困った顔が見てみたくなったんだ」
「まあ…」
「そういう顔、かわいいよな。イシュタル」
 無邪気に笑いながら言うファバルに、イシュタルはどんな表情を返せばいいのかわからなかった。

 生まれながらにトードの聖痕を持ち、トールハンマーの継承者として雷神の異名をほしいままにしたイシュタルにとって、今ファバルが口にした形容詞はずっと縁遠い言葉だった。幼い頃から、周囲の人々は畏怖と崇拝の念を込めて彼女に接してきた。「かわいい」などという言葉は、父親からさえ言われた記憶がほとんどない。
 自分を遥かにしのぐ娘の潜在的な能力に、ブルームは密かな恐れを抱き続けていたのだった。

 ―――ファバルは、わたしが恐ろしくはないのかしら…

 今、自分がトールハンマーを手にしていないからではないだろう。初めて出会った頃から、ファバルの自分に対する接し方は基本的に変わってはいないのだ。
 自分を全く恐れなかった人間は、今までに二人しか記憶になかった。一人は、今自分の目の前にいる男。そしてもう一人は、すでにこの世にはいない…。

「だけど、残念だな」
 過去の思い出に沈み込みそうになっていたイシュタルは、ファバルの声で我に返った。
「せっかく仲良くなってくれたのに残念だけど、パティ達はそろそろここを発つそうだ。まだ先の長い旅だから、俺もあまり引き止められないし」
「………そう…。寂しくなるわね…」
 その声にひどく実感がこもっていたことに、イシュタル自身、気付いていたかどうか…。

「なあ、イシュタル」
 ファバルはイシュタルを見つめたまま、言葉を続けた。
「そのうち、二人でどこか旅に出かけないか? 領内でも国外でもどこでもいい。行き先を決めない旅でもいいし」
「でも……公爵が国を離れるなんて…」
「視察っていう便利な名目があるからどうにでもできるさ。そんなに長いこと留守にしなければ大丈夫だろう」
 ファバルが自分を気遣って言ってくれていることが、イシュタルにもよくわかる。
 しばしの沈黙の後、イシュタルは静かに答えた。
「それならわたしは、バーハラに行きたいわ」
「バーハラ? どうして。だって、あそこは…」
「セリス王にお願いして、延び延びになっているわたしの裁判を行ってほしいの」
「イシュタル…」
「そして、もし……もしも罪を償う機会が与えられたら、わたしは………」

 言葉に出来ない全ての思いを込めたせつないようなまなざしが、ファバルをとらえる。思わずファバルは彼女を抱きしめたい衝動にかられた。
 だが、イシュタルはふと視線をはずすと、腕の中の花に目をやった。
「大変…。早く活けないとしおれてしまうわ」
 それだけ言うと、足早にその場を離れ城の中へと入っていった。


空と月と太陽と


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- 12 - 



 その日の午後、イシュタルはラナの誘いを断り、一人あずまやで時を過ごしていた。手にした書物に再び目を落とすが、視線はさっきからずっと同じところを行き来している。
 今朝のファバルとの会話が蘇る。

 ―――もしも罪を償う機会が与えられたら…

 そんなことを考えたことは、今まで一度もなかった。ファバルの顔を見ていたら、思わず口をついてしまった言葉だった。もし本当にそんな可能性が残されていたら、自分はいったいどうするつもりなのだろう…。
 自分が本当は何を望んでいるのか…すでに答は出ているような気がする。しかし、それを認めることを阻むものが心の奥底に存在している。
 命よりも大切だったあの人を、たった一人闇の中に置き去りにして、どうして自分だけ幸せを求めることができるだろう…。


 その時―――

「おひさしゅうございます、イシュタル様」
 突然どこかから聞こえてきた声に、イシュタルは顔を上げた。人の近づく気配には全く気付かなかったのに、低く抑えたその声はかなり近くから聞こえてきたような気がする。
 ゆっくりとあたりを見渡し、すぐ側にある植込みの影に見覚えのある顔を見つけだした。

「おまえは……メング!?」
 かつてイシュタルの忠実な部下でもあり、共に最後の戦いへと出陣したファルコンナイトの指揮官メングの姿がそこにはあった。あの戦いの後、生死不明となっていた彼女がこうして自分の前に現れた事に、イシュタルは驚きを隠せなかった。
「生きていたのか…」
「イシュタル様。どうか、そのままでお聞き下さい」
 メングはひざまずき、周囲の様子をうかがうように視線を走らせた。
 恐らく彼女はずっとイシュタルを探して城内を探っていたのだろう。それでは、鳥のはばたきの音と思ったものは、メングの乗\るファルコンの羽音だったのだ…。イシュタルはようやく思い当たった。

 メングは、変わらぬ崇拝を込めた目でイシュタルを見上げる。
「おいたわしい…。虜囚の屈辱に甘んじるなど、さぞご無念だったことでしょう」
「別にわたしは囚われているわけではない。自分の意志でここにいるのだ」
「イシュタル様?」
 思うように反応しないイシュタルに、メングがいぶかしげな視線を向ける。
「いったいどうなさったのです? もしやユングヴィ公は何か卑劣な手段を使って、イシュタル様をここに縛り付けているのですか?」
 イシュタルはあいまいに微笑んだ。
「でも、もうご安心下さい。必ず私がお救い致します。生き残った同志達はイシュタル様が戻ってこられるのを一日千秋の思いでお待ちしております」
「わたしはここを離れるつもりはない」
 メングの言葉をさえぎるようにイシュタルは言った。
「おまえも、もう過ぎたことは忘れるのだ。どこか遠い場所で静かに生涯を送るがいい」
「イシュタル様!」
 その言葉に、メングの表情が一変する。

「よもやユリウス殿下のご無念を、お忘れになったわけではありますまいな!」
 わずかにヴェルトマーの血を引く、メングの赤い瞳がイシュタルを捕らえた。それはかつてイシュタルの全てを支配していた人の瞳と重なって、彼女の意志を縛りつけようとする。
「殿下のご遺志を継げるのは、もはやあなた様しかいらっしゃらないのです。そしてそれはイシュタル様の義務です!」
「そして……また同じ過ちを繰り返すのか…」
 イシュタルのつぶやきはメングには聞こえなかった。

「ユングヴィ公の部屋をお教え下さい。今夜、公を亡き者にし、イシュタル様をお救い致します」
 公を亡き者にする―――その言葉がイシュタルに激しい衝撃を与えていた。ファバルが死ぬ…それを想像しただけで、全身の血が凍りつくような思いがする。

「…わたしを逃がすだけなら、ファバルを殺す必要はないだろう…!」
「私の妹達はあの男に殺されました。必ず仇を討つと、妹達の亡き骸に誓ったのです」
 ファルコンナイトだったメングの部隊に立ち向かったのは、ファバルが率いる弓兵隊だった。そして彼女の二人の妹は、ファバルの持つ聖弓イチイバルによって命を落としていたのだ。

「イシュタル様! 公の部屋はどこです!!」
 赤い瞳の幻影がイシュタルに迫ってくる。もう忘れたと思っていた恐怖と陶酔感が再びイシュタルを襲う。

「イシュタル様!!」

 ―――イシュタル…

 メングの声に、もうひとつの声が重なった。
 イシュタルは震える手で一ヶ所の窓を指差した。



[82 楼] | Posted:2004-05-22 16:52| 顶端
雪之丞

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空と月と太陽と


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- 13 - 



 その夜、侵入者はベランダに降り立つと、音をたてぬようにガラスを割り部屋の中へと入り込んだ。闇に目を慣らしながら、ゆっくりと奥へ向かう。
 やがて続きになった部屋のほぼ真中にある寝台が目に入ってきた。天蓋付きの幅広の寝台は、この部屋の主が高貴な身分であることを示している。豪奢な刺繍の施されたレースを持ち上げると、中には確かに人の気配があった。中央部分が人の形に盛り上り、絹の上掛けがかすかに上下しているのが見える。
 侵入者――メングの赤い瞳が昏い光を放つ。
 彼女は腰に帯びた長剣を静かに鞘から引きぬくと、頭上に振りかざした。そのまま上掛け越しに、寝台に眠る人物に向かってまっすぐ剣を振り下ろす。

 確かな手応えを感じ、メングは満足そうに笑った。ここでユングヴィ公爵の死を見届けたら、昼間会ったあずまやで待っているはずのイシュタルを連れ、この忌々しい場所から一刻も早く去る。そういう手はずになっていた。
 結果を確認するため上掛けに手をかける。その時、急に廊下の方が騒がしくなった。誰かがこの部屋に向かって走ってくる足音がする。

「イシュタル。城に賊\が忍び込んだらしい。こっちは大丈夫か!」
 声を上げながら扉を蹴破るように飛び込んでくる人影。手にした明かりの中に浮かび上がるその顔は…。

「貴様は……ユングヴィ公!」
 部屋の外から現れたファバルを見て、メングが驚愕の声を上げる。
「では、これは!」
 手にした上掛けを、引き剥がすような勢いで捲り上げた。たった今自分が剣で貫いた人物が血の海の中に横たわっている。

「―――イシュタル様!!」
 悲鳴のような声を上げ、メングはよろめいた。自分が手に掛けてしまった主の蒼白な顔がそこにはある。
 それでは昼間イシュタルが指差したのは自分自身の部屋だったのか…。そう察することはできたが、なぜ彼女がそんなことをしなければならないのか、メングには想像することすらできない。まるで悪い夢でも見ているとしか思えなかった。
 きつく目を閉じ身動きすらしないイシュタルを凝視したまま、メングは思わず二、三歩あとずさる。

 部屋の中の様子に驚きを隠せなかったのはファバルも同じだった。だが彼は、一瞬にしておおよその状況を把握した。
「イシュタル、おまえ……俺の身代わりに…」
 だが、彼女の元に走り寄ろうとしたファバルを、一振りの剣がさえぎった。

「死ねっ!」
 自分に向かって振り下ろされた剣を、ファバルは手にしたイチイバルでとっさに受け止めた。目の前には憎しみに全身をたぎらせたメングの、貫くような視線がある。
 彼女にしてみれば、全てがこの男によって仕組まれた罠としか思えなかった。そう思わなければ、自らの手で主を傷つけてしまった恐怖から、とても逃れられそうにない。

 接近戦になると、弓を手にしたファバルのほうが不利だった。素早い動きで繰り出してくる剣を避けるのが精一杯で、間合いをとることすら出来ない。後退を続けるうちに、やがて背中が壁に突き当たった。

「覚悟!!」
 部屋の隅に追い詰められたファバルに、メングが剣を振りかざす。
 その時、轟音と共にまぶしい黄金の光が部屋の中に満ちた。

「きゃああああああ」
 悲鳴を上げたのは、追い詰めていたはずのメングのほうだった。身体をのけぞらせ手にした剣を取り落とし、ついには床にその身を投げ出した。うつぶせに倒れたまま、突然自分を襲った衝撃の正体を求めて視線をめぐらす。それがある一ヶ所で止まった。
 自らの血で真っ赤に染まった夜着に身を包み、床の上に半身を起こしたイシュタルの姿がそこにはある。身体を腕だけで引きずるようにしてここまで這ってきたのだ。
 彼女の手には、エルサンダーの魔道書があった。はじめてユングヴィに来た日、自分の身を守るようにとファバルから手渡された魔道書。それをイシュタルはこの時まで一度も使うことがなかった。

「イ、イシュタル様! ……なぜ…」
 悲痛なまなざしを自分の主に向け、よろめきながらメングは自分が侵入した窓のほうへと向かった。バルコニーの手すりを乗\り越え、向こう側へと姿を消す。一瞬の後、待機していたファルコンが、主人を乗\せて空に舞い上がるのが見えた。
 ファバルは無言でイチイバルに矢をつがえた。

「やめて、ファバル…」
 聞こえてきたかすかな声が、ファバルの手を止める。
「彼女はわたしを助けようとしただけ……お願い…殺さないで……」
 イシュタルが、途切れ途切れの声で訴える。床の上に横たわり、眉を寄せ目を閉じたその顔色には血の気が全くない。ファバルは弓を放り出してイシュタルのほうに駆け寄った。
「わかったから、もうしゃべるな!」
 イシュタルの身体をそっと抱き起こし、自分のひざに彼女の頭を乗\せる。
「無事でよかった…」
 うっすらと瞳を開くと、イシュタルはかすかに微笑んだ。
「イシュタル、しっかりしろ!」
「これでいいの。こういう末路がわたしにはふさわしい…」
 再び彼女の目が閉じる。
「バカ野郎! 死なせるもんか」
 投げ出したままだったイチイバルを拾い上げ、イシュタルの傷に向かってかざした。聖なる光が彼女の身体を覆い、わずかに傷口をふさぐ。だが、イチイバルの回復力では、流れ出る血を完全に止めることは出来なかった。ファバルの顔に、焦燥の色が浮かぶ。

「誰か、ラナを呼んで来てくれ!」
 騒ぎを聞きつけて集まってきた警備兵達に向かってファバルが叫んだ。

空と月と太陽と


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- 14 - 



 あたり一面を白い霧が覆っている。その中をイシュタルはあてもなく歩いていた。
 ここがどこかはわからない。でも、彼女には確信があった。このまま歩いていればきっとあの人に会える。

 そんな彼女の心を読み取ったかのように、やがて彼は姿を現した。
「イシュタル」
 そう呼んでかすかに微笑む。その落ちついた優しい声は、ずっと以前に聞いたものと同じだった。こんな穏やかな表情の彼を見るのは、ずいぶんとひさしぶりのような気がした。
 それが嬉しくて、イシュタルは思わず彼の元に駆け寄った。
「ユリウス様、お会いしたかった…」
 彼の顔を見ていると、ただひたすらに懐かしい思いが込み上げてくる。

 ユリウスと同じように、イシュタルもまた家族の愛情に恵まれない子供だった。自分を娘としてではなく、神器の継承者として一線を引いて接する両親。長子でありながら神器に選ばれなかったことに、かすかなわだかまりを持つ兄。そういう家族に囲まれて、自分でも気付かない満たされない思いを抱えていた。
 そんな時、同じように寂しい瞳をしたユリウスと出会った。二人が惹かれあい、お互いを求めたのは当然のことだったのだろう。
 そこにあったのは親愛の情。家族に対するような穏やかな愛。そして、同じ心の痛みを分かち合った同胞への愛だった。だからこそ、どんな仕打ちを受けてもイシュタルは彼を見捨てることができなかったのだ。

 イシュタルは、目の前の人の澄んだ赤い瞳を見つめた。
「お会いして、どうしてもお伝えしたかったんです。わたしはユリウス様をとても大切に思っていました」
「うん、わかっている。私にとってもイシュタルは、母上よりも大切な家族だった」
「はい…」
 家族――ユリウスがそう言ってくれたことが嬉しかった。
「でも、イシュタル…。おまえはここにいちゃいけない」
「ユリウス様?」
「私はイシュタルが側にいてくれて幸せだった。だから、おまえにも幸せになってほしい」
「いいえ、わたしはユリウス様を一人にはできません」
「私は一人ではないよ」
「え?」
「一番側にいてほしかった人が、今は一緒だから」
 ユリウスは微笑むと、突然その身を翻した。
「待って下さい、ユリウス様」
 イシュタルの目の前で、見る間に幼い子供の姿になったユリウスは、向こうに立っている人影のほうへまっすぐに走って行った。両手を広げて待っていたその人が、腕の中に飛び込んできたユリウスを抱き上げる。

「父上」
 ユリウスはこの上なく幸福そうな顔で、その人の名を呼んだ。


 ユリウスの姿が見えなくなった後、イシュタルは途方にくれたようにひざを抱え座り込んでいた。ずっと自分の指標だった星を見失って、どこに進めばいいのかわからなくなった。しかし、もうユリウスの元へは行けないのだということだけはわかっていた。

 ―――イシュタル

 どこかから、自分を呼ぶ声がする。
 聞き覚えのある声だった。しかし、それが誰だったのかどうしても思い出せない。
 ためらっていると、ふいに手を取られた。姿は見えないのに、その感触ははっきりとわかる。それは暖かく、どこか懐かしい。
 イシュタルは立ちあがり、その手の導く方へと一歩を踏み出した。



[83 楼] | Posted:2004-05-22 16:53| 顶端
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空と月と太陽と


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- 15 - 



「ほんとに大丈夫なのか? こんなところまで来て」
 ファバルは心配そうに傍らを歩く人に声をかけた。これでいったい何度目になるだろう。
「もう大丈夫よ。ラナは本当に優秀なプリーストね。自分でも助かるとは思わなかった」
「でも病み上がりなんだから無理するなよ。気分が悪くなったら、すぐ言うんだぞ」
 尚も心配そうな彼に、イシュタルは軽い頷きを返す。

 イシュタルは今、はじめてこの地を訪れた日に来た、あの果樹園に立っていた。自分からファバルに頼んで、今日再び連れてきてもらったのだ。
 すっかり収穫が終わったオレンジの木が目の前に広がっている。緑の葉に覆われた木々は、やがて来る実りの日に向けて力を蓄えているようにも見える。その生命力が、自分にも力を与えてくれるような気がした。
 ゆっくりと歩を進めながら、周囲を見渡す。またこの風景を目にできるとは思ってもいなかった。


 あの後、意識を取り戻した彼女の目に、最初に飛び込んできたのはファバルの顔だった。
 憔悴しきった表情で、頬のあたりが少しやつれて見えた。その様子からも、自分が眠っていたのが一日や二日ではないことがわかる。そしておそらく彼は、その間ずっと側についていてくれたのだろう。

 ―――よかった…

 それだけ言って、ファバルは泣きそうな顔をした。
 イシュタルは無意識のうちにファバルのほうへ手を伸ばそうとして、そして気付いた。自分の手をファバルが握り締めていたことに。
 その暖かい感触には覚えがある。自分をこの場所へと導いてくれたのは、彼のこの手だったのだ。

 あれから一月が過ぎた。イシュタルを心配して出立を延ばしていたラナやパティ達も、順調に回復へと向かう彼女の姿に安心し、数日前それぞれの目的地へと旅立って行った。
 ユングヴィには再びファバルとイシュタルの二人だけになった。


「ユリウス様の夢を見た……」
 丘の上から遠くに海を見下ろしながら、イシュタルはぽつりとつぶやいた。ファバルがはっとしたような表情で彼女のほうを見る。

「あの方の元へ行こうとしたけど、許していただけなかった。おまえはここにいてはいけないと…」
「イシュタル!」
 ファバルは思わずイシュタルの言葉をさえぎった。
 なんとなく彼女の瞳がこちらを見ていないような気がして、不安が胸に押し寄せてくる。

「……おまえがここにいてくれて、俺は嬉しかった」
 何か言わなくては――。そんな衝動が彼を突き動かす。
「おまえがここに来てから、俺がどんなにおまえに救われてきたかわかるか? 公爵なんて立場も重い責任も、時々みんな投げ出したくなる。でも、おまえがいれば…おまえの顔を見れば俺は頑張ることができた」
「ファバル…」
「前にも言っただろう? 俺にはおまえが必要なんだ。だから…」
「違うの、ファバル。ユリウス様のところへ行けなかったことが悲しいのではないの」
 彼の思い違いを察したイシュタルが、慌てたように言葉を挟む。

「ユリウス様は皇帝陛下と共に微笑んでいらしたわ。その顔を見たら、全てのわだかまりが消えていった」
 もしかしたらあれは、救われたいと願う自分の心が見せた幻だったのかもしれない。だが同時に、自分が呪縛から解き放たれた証でもあるのだと思った。
 たぶんもう、彼の幻影が自分を苦しめることはない。今胸の中にあるのは、穏やかな微笑みを浮かべた幼い日のユリウスの姿だった。

 そして、自分の心を解き放ってくれた人は、今目の前にいる。
 イシュタルは、その人に向けて微笑みを浮かべた。

「大丈夫よ。もう、死を願ったりしない。わたしが死んだらおまえが悲しむから…。おまえの悲しむ顔は見たくない。それだけで、わたしの生きる理由には充分だわ」

 ファバルが見たいと言っていた笑顔。それが彼への答になると思った。
 ずいぶんと長いこと、心から笑ったことがなかった。上手く微笑むことができただろうか。
 目の前のファバルは、呆然とした表情で、ただイシュタルを見つめている。

「もう一度やり直してみたい。……あなたと一緒に」
「イシュタル……」
 魔法が解けたかのように、ようやくファバルが口を開いた。期待と不安がないまぜになった表情でイシュタルに問いかける。
「ずっと、ここにいてくれるのか?」
「もし、セリス王が許してくれたら…」
 その言葉に、ファバルが少し怒ったような表情を見せる。
「許してくれなかったら、おまえを連れてグランベルを出るまでさ」
 真剣な表情で言うファバルに、イシュタルの口許がふっとほころぶ。おそらく彼なら本当にそうするのだろう。

 ファバルの右手を自分の両手で包み込み、そっと頬を寄せた。この手が死の淵から何度も自分を引き戻してくれた。

「わたしを離さないで…」
 そう囁いて、もう一度目の前の瞳を見つめた。

 青い空と青い海。そして頭上には、この地に来た時と変わらない太陽の輝きがある。その光の中で、空の色の瞳がイシュタルだけを映していた。





空と月と太陽と  -完- 



[84 楼] | Posted:2004-05-22 16:53| 顶端
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花 祭 り

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-1-



 南の国ユングヴィは、春の訪れも早い。
 大陸で最北端にあるシレジアがまだ根雪に覆われている頃、この地ではすっかり花がほころんでいる。
 そして今、満開の花に覆われた街路樹の下を、街の中央にある広場に向かって歩く二人の男女の姿があった。

「イシュタル、どうかしたのか? 浮かない顔して」
 ファバルは隣を歩く女性に語りかけた。彼女はさっきから俯きがちで言葉数も少ない。
「だって…」
 ようやく顔を上げたイシュタルは、ファバルにほんの少し責めるような目を向ける。
「本当ならわたしは今、神殿でブラギの神に祈りを捧げているはずなのに」

 ユングヴィ公爵であるファバルとの結婚を間近に控えたイシュタルは現在、潔斎の最中であった。
 俗世の穢れを断つために、神殿で数日間、聖詞を唱え祈りの日々を送る。それは、公妃となる女性が婚姻前に必ず行わなければならない儀式だった。

「その大切な儀式を怠るなんて…」
 ファバルとは違い、宮廷でのしきたりや決まり事を重視するイシュタルにとって、潔斎の最中に務めを抜け出すというのは相当に勇気のいることだ。だから、ファバルが神殿の窓からこっそりイシュタルを誘い出しに来た時も、なかなか首を縦には振らなかった。
 半ば強制的に連れ出される形でここまで来てしまったけれど、澄み渡った空とは対照的に、イシュタルの心は晴れない。

「夕方、シスターが見回りに来る時刻までに戻れば大丈夫さ」
 だがファバルは、あっさりとそう答えた。彼にしてみれば、意味があると思えない行事をさぼることに、どうしてそんなに罪悪感を覚えなければいけないのかさっぱりわからない。
 逆に、好奇心いっぱいの表情で、イシュタルに話しかけてくる。
 
「毎日、何して過ごしてるんだ? 姿も見えない神に祈るだけなんて、退屈じゃないのか?」
「そうでもないわ。時々、司祭様から教理についてうかがったり、シスター達がユングヴィの歴史について語ってくれたり…。それに、静寂の中に身を置いて自分の内面を見つめ直すのは、とても有意義な時間よ」
「ふうん…。俺にはとても我慢できそうにないなあ。公爵にはそんな義務がなくてよかったよ」

 確かに、じっとしていることが得意ではないファバルにとって、その儀式は苦行以外のなにものでもないだろう。心底ほっとしたような彼の表情に、ようやくイシュタルの顔にも笑みが浮かぶ。
 抜け出してしまった事実にはもう変わりはないのだし、それならこのひと時を少しでも楽しんでみようか…。
 そんな前向きの考えをし始めている自分に、少し驚く。もしかしたら、ファバルの楽天主義に影響を受けつつあるのかもしれない。





 イシュタルがそんなことを考えているうちに、二人は目的地である中央広場にたどり付いた。

「今ユングヴィは、花の祭りの真っ最中なんだぜ。こんな時に家の中に閉じこもりっぱなしなんて、もったいなさすぎる」

 広場全体を覆う花のアーチの数々。あたり一帯は馥郁とした花の香りに包み込まれている。その見事さに目を見開いているイシュタルに、ファバルは笑いながらそう言った。

 ブラギの月の7日間、ユングヴィの城下は色とりどりの花に埋もれる。街の通りも民家の窓も、人々によって飾られた花々で覆われ、市民に開放されている中央の広場では豊穣を祈ったさまざまな催し物や市が開かれる。暗黒\の時代より以前には、大陸のあちこちからそれを目的とした旅人や商人が集まったという。
 元々はウルの生誕を祝ったのだと言われているが、いち早く春が訪れるこの国で、こういった祝祭が行われるのは自然の成り行きと言えるだろう。
 ロプト教が大陸中を支配していた頃は中断されていた花の祭典が、今年からようやく再開されたのだ。それにかける人々の熱意は相当のものがあった。

「今回は国費で援助した部分も多いけど、ほとんど市民達の自主的な活動によって開催されたんだ。俺はそのことが一番嬉しいと思う」
 広場の中を忙しく、あるいは楽しげに行き交う人々をファバルは嬉しそうな表情で眺めている。
「あなたは本当に城よりも街の中が好きなのね」
「そうだな。こういうところにくるとほっとするよ。俺が本来いる場所は、ここなんだっていう気がする。それに実際に国を造り上げていくのは、城の中にいる一握りの人間じゃなくて、こうやって一生懸命働いている大勢の人達だろう? その熱気を身近で感じられるのが楽しいのかもしれないな」

 それまでイシュタルが教え込まれてきたものと全く違う哲学をファバルは持っている。以前だったら共感できなかったかもしれないその考えが、今は素直に心に響いてくる。
 そしてそれを手助けできるようになりたいと願っている自分を、確かにイシュタルは感じていた。


 その時、突然子供の泣き声が耳に飛び込んできた。声のするほうを見ると、3、4歳くらいだろうか。まだ幼い女の子が、泣きじゃくりながら歩いている。時々誰かを探すようなそぶりを見せるが、親らしい姿は周囲には見えなかった。

 迷子かもしれない。なんとかしなければと思いながらも、イシュタルはとっさに身体が動かなかった。躊躇していると、彼女の横からファバルが素早く進み出て、女の子のほうに真っ直ぐに歩み寄る。
 ひざを折り、女の子と視線を合わせると、安心させるように笑いかけた。そして頭をなでながら、辛抱強く女の子に話しかけている。

 その手馴れた様子を、イシュタルは感嘆する思いで見つめていた。彼女にとってそれは、とても羨ましく思える光景でもあった。
 ファバルは本当に子供が好きだ。
 城下で子供達に囲まれているファバルは、宮廷で重臣達と議論を交わしている時とまるで違う表情を見せる。おそらく、こちらが彼の本来の顔なのだろう。

 本意ではなかったとはいえ子供達を追い詰める側にいた自分と、身をもって彼らを守ろうとしたファバル。
 信念を貫けなかった自分への罪の意識が、ほんの少しイシュタルをためらわせる。彼女はまだ、ファバルのようにくったくなく子供達に接することができないでいた。
 それは自分に与えられた罰なのだろうとも思う。
 一生をかけても償わなければならない罪。もう二度と不幸な子供達を作り出してはならない。イシュタルは胸の痛みと共に心に誓った。


 その直後―――

 ふいに背後に強い視線を感じた。
 決して思い違いなどではない、自分に対して向けられた明確な意思。
 イシュタルは、その視線になんとなく思い当たるふしがあった。
 彼女は振り返らずにその場をそっと離れ、人通りの少ない場所に向かって歩いて行く。気配はそのまま、ぴったりと後を付いてくる。
 やがて広場の隅にある背の高い木の陰に入ったところで、イシュタルはゆっくりと振り向いた。


花 祭 り

--------------------------------------------------------------------------------



-2-



「やはり、おまえだったのか…」

 イシュタルの視線の先、少し離れた場所に、戸惑うような赤い瞳でこちらを見ている人物がいる。
 その人物に向かって、イシュタルはかすかに微笑みかけた。

「……生きていてくれてよかった」
「イシュタル様…」
「ずっとおまえのことが気になっていた……メング」

 そこに立っていたのは、かつてイシュタルを救い出すためユングヴィ城に単身潜入までした、ファルコンナイトのメングの姿だった。彼女の忠誠\心を、イシュタルは結果的に裏切る形をとってしまった。その罪悪感は、片時もイシュタルの胸から離れることはない。

「さぞ、わたしを恨んでいるだろう」
「いいえ…!」
 反射的にメングは答えた。
「私の願いはイシュタル様の幸福のみ。どうして恨んだりするでしょう」
 メングの瞳から戸惑いの影が消える。
 彼女は静かに歩み寄り、イシュタルの前にひざまずいた。そして以前と少しも違わぬ正式な騎士の礼をとる。
 彼女にとっての主君は、今もなおイシュタルただ一人なのだ。

「あれからずっと考えていました。イシュタル様の行動の意味を。でも、私にはどうしてもわからなかった。そんなある日、偶然街の中でユングヴィ公と共に歩いておいでになるイシュタル様の姿を目にしたのです」
 その告白に、イシュタルがかすかに息を呑む。

「イシュタル様はあの男に微笑みかけていらっしゃった。あんなに幸福そうなイシュタル様の顔は、今まで見たことがありませんでした。ユリウス殿下のお側にいる時でさえ…。その時、イシュタル様のお気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がしたのです…」
 メングは一旦言葉を切り、顔を上げた。

「近く…ユングヴィ公とイシュタル様の婚儀が行われると聞きました。もしこの婚姻がイシュタル様の意に添わぬものなら、私の命を懸けてもお救い致します。その前に、どうしてもイシュタル様の口から直接お聞きしたかったのです」

 メングはその場にひざまずいたまま、永遠に主と仰ぐ人の瞳をまっすぐに見つめた。

「イシュタル様は今、幸せなのですね?」

 一陣の風が梢を揺らす。満開の花びらが、二人の周囲にはらはらと舞い散った。





「ええ。わたしはとても幸せよ」

 わずかな沈黙の後、イシュタルは静かな声でそう答えた。だが言葉とはうらはらに、その表情は固い。自分の言葉はどれだけメングを打ちのめすことだろう…。それを思うと激しく胸が痛む。
 だが目の前のメングは、その顔にかすかな微笑みを浮かべていた。

「それだけを…お聞きしたかったのです」
 メングは立ちあがり、一瞬だけ空を見上げた。その様子は、イシュタルの答えに衝撃を受けたようには見えない。むしろ憑き物が落ちたようにすっきりとした表情をしている。

「これで、この国に心残りはありません。私はシレジアに行こうと思います」
「シレジアに?」
「はい。シレジアは、亡くなった母の祖国。ファルコンを操れる私になら、あの国で役に立てることもあるでしょう」
 その表情を見ているうちに、思わずイシュタルは口を開いていた。
「もし…もしおまえが嫌でなければ、ここでまた以前のようにわたしを助けてほしい」
「いいえ。これから新しい国で新しい生活をはじめられるイシュタル様の側に、過去を思い出させるような存在があるのはよいこととは思えません」
「メング…」
「お仕えさせていただいたのは長くはありませんでしたが、私にとってイシュタル様は、これ以上の方にめぐり合えることはないと、心からの忠誠\を誓った主君でした。イシュタル様に見捨てられたら、私は何を支えに生きていっていいのかわかりませんでした。だから、なんとしてもイシュタル様をユングヴィ公の手から取り戻したかったのだと思います。
 でも、それはあくまで私の身勝手な感情です。真にイシュタル様のためを思っての行動ではなかったのです。一人になっていろいろなことを考えて、ようやくそのことに気付きました」

 メングはもう一度、正面からイシュタルの瞳を見つめた。そこにはもう、迷いの色はない。

「もうお目にかかることもないかもしれません。でも、もしユングヴィ公がイシュタル様を不幸にしたら、たとえ地の果てからでも舞い戻って、その時こそ妹達の仇を討たせてもらいます」

 こう言い切るまでに、彼女はどれだけ悩み考えたことだろう。すでに心を決めているメングに、もう自分がしてやれることはないのだ。一抹の寂しさと共に、イシュタルはそう思う。


「元気で……」

 自分にできることは、せめて静かに見送ってやること。そして、彼女が新しい生き方を見つけられるよう祈ること。

「イシュタル様も、お健やかに…」

 深く一礼すると、メングは二度と振り向くことなくイシュタルの元を去って行った。
 その後ろ姿が雑踏の中に消えた後も、イシュタルはずっとその方向を見つめたままそこにたたずんでいた。


 どのくらい経ったのだろう。
 イシュタルは自分を呼ぶ声に我に返った。
 ファバルの声が、だんだんこちらに近づいてくる。イシュタル自身もファバルと別れた場所から少し遠ざかっていたため、彼はかなり探しまわったようだ。

「悪い。あの子の親を探すのに手間取って」
 言いかけて、自分に背を向けたままある方向を見つめているイシュタルに、ファバルは訝しげな表情を見せる。

「誰かと一緒だったのか?」
「ええ、昔の知り合いに偶然会ったの」
 イシュタルが振り返る。その瞳からひとすじの涙が零れた。

「おまえ、もしかして泣いてるのか?どうしたんだ。何があったんだ!?」
「なんでもないわ。とても懐かしかったから……」
 そっと目許を押さえ、微笑もうとした。しかし彼女の意志とはうらはらに、涙は止まらなかった。
 ファバルはさらに問いかけようとして、やがて思い直したように口を閉じた。そのまま黙ってイシュタルの頬を伝う涙を拭う。
 そのファバルの手には、一本の蔓草が巻き付くように握られていた。視界をよぎる薄紫の花弁に、ふとイシュタルの目がとまる。

「それは?」
「さっきの女の子の母親からもらったんだ。お礼にって」
 そう言って、ファバルは手にした薄紫色の花をイシュタルの髪に結んだ。蔓草状の茎が銀の髪に絡み付き、美しい螺旋を描く。

「花祭りの日に花を贈られた女の人は、幸福な花嫁になれるんだってさ」

 何も聞かずにそう言ってくれるファバルに、イシュタルは静かに微笑を返した。



 その日の夕刻。定時の見まわりに来たシスターは、神殿の中で祈りを捧げる未来の公妃の髪に、見覚えのない薄紫の花を見付けた。
 それがいったいどこから舞い込んだのか、誰も知らない。




<END> 



[85 楼] | Posted:2004-05-22 16:55| 顶端
雪之丞

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星月夜

~ デルムッドとナンナ ~





 アリオーン王子による「三頭の竜」作戦への対抗策として、解放軍は広大なトラキアの各城へ、部隊を分散しつつあった。
 最も遠方にあるミーズ城への援軍を割り当てられた騎馬隊は、朝から馬を走らせ続け、ようやく目的地まであとわずかの地点にたどりついた。今夜はこの地で野営することになる。

 敵の偵察部隊の目から逃れるため、明かりは最小限に抑えられている。その野営地の暗がりの中を、レスターは星明かりを頼りに一人歩いていた。そしてある天幕の前で立ち止まる。
 妹の様子を見てくると言って出ていったきり、帰って来ない親友を探しに、レスターはここまでやってきたのだった。

「ナンナ、こっちにデルムッドが来ていないかい?」
 女性の天幕にみだりに足を踏み入れるわけにいかない。レスターは外に立ったまま、返事を待った。
 やがて入り口を覆った布が揺れ、間から途方にくれたような表情のナンナが顔を出す。
「レスター…」
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「それが……。とにかく、中に入って下さい」

 そう言われ、ためらいがちに足を踏み入れると、奥のほうで誰かが横になっているのが見える。見覚えのあるその人影にそっと近づくと、案の定そこには彼の親友が眠り込んでいたのだった。

「デルムッド…」
「ついさっきまでここで話をしていたのに、突然倒れこむように眠ってしまったの」
 側に来たナンナが説明する。
「呼んでも揺すっても目を覚まさないし…。大丈夫かしら?」

 だが、心配そうなナンナとは反対に、レスターの顔には笑みが浮かんでいる。
「ああ、よくあることだよ。急におとなしくなったと思うと寝てるんだ」
 笑いをかみ殺しながらレスターが言う。
「こいつは一度寝たら起きないから、今日はそこに寝かせるしかないね」
「まあ、そうなの?」
「でも不思議なことに、どんなにぐっすり眠っていても、危険が近づくと必ず目を覚ますやつなんだ。だからデルムッドが寝ている時は、俺達も安心していいってことだよ」
「そう……」

 そう言ったきり、ナンナはしばし黙り込んだ。兄の寝顔をじっと見つめていたが、やがて俯くと小さくため息をもらす。

「なんだか、ちょっと悔しい…」
「え?」
「わたしよりレスターさんの方が、よほど兄さまのことを知っているのね」
「仕方ないさ。子供の頃からずっと一緒に過ごしてきたんだから」
「それはそうだけど…」
 尚も納得できないような表情をしているナンナに、レスターは優しいまなざしを向ける。

「でもね、ナンナ。デルムッドは、イザークにいる間もずっと君のことを考えていた。子供の頃、レヴィン様から君の存在を聞いた時、いつか必ず君と母上を迎えに行くと心に決めたんだ。あいつがどんなに君に会いたがっていたか、俺が一番よく知ってるよ」
「ええ…」
 レスターの言葉に、ようやくナンナの口許に笑みが浮かぶ。

「わたしもイザークに兄さまがいらっしゃることは、お母さまから聞いて知っていたわ。でも、なんだか遠い世界の御伽噺のようで、あまり現実感がわかなかったの。それよりも、リーフ様をお守りすることや、行方不明のアレスを探すことや、日々の生活のことで頭がいっぱいで、兄さまのことを考える余裕がなかった」
 ナンナは、横になったままの兄に視線を移した。

「でも、兄さまはずっとわたしのことを考えてくれていたのね。初めてお会いした時に、それはすぐにわかったわ。そんなふうに無条件で自分を気遣って守ってくれる存在に慣れてなかったから、最初は少しとまどったけど……でも、とても嬉しかった…」
 兄に向けるナンナの視線は、この上なく優しい。

「だから、今まで兄さまがわたしを思ってくれていた分、今度はわたしが兄さまを大切にしたいの」
 そして、デルムッドの安らかな寝顔を見つめる。彼がこうして安心しきった無防備な表情を見せてくれることが、少し嬉しかった。

「じゃ、デルムッドを頼むよ。ナンナ」
「ええ」
 しばし二人を見守っていたレスターは、やがて出口の方へと向かった。
 レスターを見送ると、ナンナは側にたたんであった毛布を広げて、静かに兄の身体に掛ける。

「おやすみなさい、兄さま」

 そっと囁いた口許には、穏やかな微笑が浮かんでいた。


星月夜

~ スカサハとラクチェ ~





 グルティア城の見張り台の上から、スカサハは東の方角に目をやった。
 アリオーン王子率いる敵の本隊は、ここからそう遠くないトラキア城に陣を構えている。山間の要塞にも見えるその城から、竜騎士隊が出撃する様子は今のところまだない。
 さすがに彼らも夜間に行動を起こすことはないのだろう。所々に見えるかがり火の他には、闇と静寂があたりを包んでいる。
 その時、雲の切れ間から、ほのかな月の明かりがさし込んできた。それと同時に、階段を昇ってこちらに近づく足音が聞こえてくる。スカサハは、その方向を振り返った。

「ラクチェ…」
 彼と同じくグルティア守備隊の一員としてここに詰めている妹ラクチェが、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのが見える。
「どうした? まだ寝なかったのか?」
「このあたり、夜は冷え込むんですって」
 そう言って、ラクチェは手にした毛布を差し出した。
「昼と夜の気温差が激しいらしいわ。スカサハが風邪でもひいたら困るから……」
「それでわざわざ持ってきてくれたのか? ありがとう、ラクチェ」
 嬉しそうに微笑むと、受け取った毛布を肩から掛ける。そんな兄を、ラクチェはじっと見つめていた。

「何も指揮官自ら見張りに立つことなんかないのに」
 少し不服そうにラクチェが言う。スカサハは、最前線とも言えるこのグルティア城守備隊の責任者だった。
「いいんだよ。みんな、疲れてるんだから」
 だがスカサハは、なんでもないことのように笑顔を浮かべている。

 ―――自分が一番疲れているくせに…

 辛いことも苦しいことも決して顔に出さない。どんな時も平然として自分の義務を果たすから、みんな気づかないのだ。どんなにスカサハが無理をしているか。
 自分だけが知っている兄の横顔をラクチェは静かに見つめた。

 その時一陣の風が吹き抜けた。その冷たさに、ラクチェは思わず両腕を抱える。自分でも気づかなかった無意識のしぐさを、スカサハは見逃さなかった。

「おいで」
 声に振り返ると、スカサハが見張り場の縁に腰掛けて、身体を覆った毛布の端を上げている。少しもためらうことなく、ラクチェは兄の隣の空間に滑り込んだ。
 そのままぴったりと身体を寄せると、互いの熱が伝わってくる。

「ふふ…」
 ふと、ラクチェがいたずらっぽい笑みをもらす。
「何だよ?」
「子供の頃はよくこうやって一緒に毛布にくるまって寝たわよね。イザークの冬は厳しいけど、スカサハと一緒だとすごく暖かかった」
「ラクチェ…」
「今でもやっぱりスカサハはあったかい…」

 そう言ってスカサハの肩に頭を持たせかけると、ラクチェは瞳を閉じた。
 妹の髪が首すじにかかる。なんとなくくすぐったい気持ちがするのは、さらさらしたその感触のせいだけではないような気がする。

「ラクチェ?」
 急に静かになった妹に声をかけた時、すぐ横からかすかな寝息が聞こえてきた。

 ―――やっぱりラクチェも疲れているんだ

 ラクチェは戦力的には男と全く同等に扱われていたから、他の女性兵士と比べても休息をとれる時間が少ない。ラナが気を遣って、ラクチェには優先的に回復の杖を使ってくれてはいたが、蓄積した疲労はそう簡単にとれるものではないのだろう。
 いつも自ら真っ先に戦いの中に飛び込む妹を、少し痛ましいような思いでスカサハは見た。

 だが、このままここで寝かせておくわけにもいかない。どうしたものかと思案していた時、ふと人の気配を感じた。顔を上げると、一人の男がなんとも言えない複雑な表情で、二人のほうを見つめている。

「ヨハルヴァ…」
 それはラクチェを迎えにきたヨハルヴァだった。彼女が兄に毛布を届けに行ったまま帰らないので、心配して様子を見にきたのだろう。

「ラクチェのそういう顔を見ると、俺は一生おまえに勝てないんじゃないかって気がするぜ」
「何言ってるんだ。らしくないな」
 何事にも強気な彼の唯一の弱点がラクチェである。恋人同士となった今でも、それは少しも変わっていないらしい。

「ほら、ラクチェ。ヨハルヴァが迎えにきたぞ。部屋に戻るんだ」
「…ん……」
 スカサハの呼びかけにうっすらと瞳を開いたラクチェだったが、すぐに再び兄の肩に顔をうずめてしまった。
「いや…スカサハと一緒にいる」
 そのセリフを耳にしたとたん、ヨハルヴァの目が剣呑な光を帯びる。慌てたのはスカサハだ。
「おい、ヨハルヴァ…」
「わかってるよ。別に怒っちゃいねえよ」
 充分に怒っている顔と口調でヨハルヴァが言う。
 が、すぐに真面目な表情になると、兄の側で安らかに眠っているラクチェを見つめた。

「これから先、ラクチェがどんなに長い時を俺と過ごしても、おまえはラクチェにとって永遠に特別の位置にいるんだ。それは当然のことだし、理解もしているつもりだ」
 一旦言葉を切ると、ヨハルヴァはほんの少しだけ眉をしかめる。
「頭じゃわかってるんだが……。俺も修業が足りねえな。ラクチェのことになると…」
 しかし、すぐにその考えを振り切るように頭を振ると、ヨハルヴァはラクチェのほうに歩み寄った。

「ラクチェ、帰るぞ。こんなとこで寝たら風邪ひくだろうが」
 半ば強引にラクチェの身体をスカサハから引き剥がすと、軽い動作で抱き上げた。ヨハルヴァの両腕に納まったまま、ラクチェは目を覚ます様子はない。
 そのラクチェの表情に、ヨハルヴァは心底愛おしそうな視線を向けた。

「じゃあな。おまえもあんまり無理するなよ」
 振り向きながらスカサハに一言かけると、ヨハルヴァはラクチェを抱きかかえたまま去って行った。その背中をスカサハの視線が追う。

「でも、ラクチェはおまえを選んだ…」
 そして、もう見えなくなったヨハルヴァの後ろ姿に向かって、ぽつりとつぶやいた。

 お互いにどんなに大切な存在でも、兄妹がずっと一緒にいることはできない。
 今は冷静な目でヨハルヴァとラクチェを見ることができるようになったスカサハだったが、一時はかなりの葛藤が胸を苛んだ。
 ラクチェはスカサハにとって、どんなことをしても守らなければならない大切な存在で、自分が戦い続ける最大の理由でもあった。ヨハルヴァの出現によってその理由を奪われて、戦う意味を見失いそうになったこともある。

 ラクチェにとってのヨハルヴァのような存在が、いつか自分にも現れるのだろうか…。
 そう思った時ふと頭をよぎった銀の髪の少女の面影を、スカサハは胸の奥にしまい込んだ。

 ―――でも、それでも…

 どんなに離れていても決して断ち切れない絆が、自分とラクチェの間には確かに存在している。

「おやすみ、ラクチェ」

 胸の中の妹に向かって、スカサハはそっと囁いた。



<END> 



[86 楼] | Posted:2004-05-22 16:55| 顶端
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◆ Moonlit ◆



--------------------------------------------------------------------------------


-1-



 ラクチェの身体をそっと寝台に横たえると、ヨハルヴァはその上に覆い被さるようにして彼女の顔を見つめた。
 窓から射し込む月の光の中で、ラクチェの瞳が神秘的な輝きを放っている。いくつもの星を閉じ込めたような無限の輝きを持つ瞳。初めて出会った時から、ずっとこの瞳がヨハルヴァを惹きつけて離さなかった。


「くすぐったい…」
 素肌の上をすべっていく手の感触に、ラクチェが身体をよじる。
 離れようとする彼女の身体をヨハルヴァは再び抱き寄せた。
「がまんしろ」
「だって、くすぐったいんだもの」
 くすくすと笑いながら、ラクチェはヨハルヴァの手を軽く押し返そうとした。ヨハルヴァが逆にその手を捕まえて、彼女の身体ごと抱きすくめる。
 そんなじゃれあいのようなことを繰り返しながら、二人はしだいに深く触れ合っていった。

 ラクチェが幼い頃から何度も目にした帝国兵による暴虐の数々は、彼女の心に深い男性不信の根を植え付けている。こういった行為自体に彼女が嫌悪感を抱いていることも、ヨハルヴァは薄々察していた。だから、もしラクチェが無理をしているようなら、それ以上は何もしないつもりでいた。
 だが、今腕の中にいる彼女は自然に笑顔を浮かべている。それがヨハルヴァには嬉しかった。
 無数のくちづけと愛撫がラクチェの心をゆっくりと解きほぐしていく。
 だから、ヨハルヴァを受け入れる心の準備はすっかりできている……はずだった。


「ごめんなさい……」
 心底困り果てたような目で、ラクチェはヨハルヴァを見上げた。とっくに気持ちを決めたはずだったのに、いざとなると無意識のうちに身体が逃げてしまっている。「やっぱりやめる」と何度言いかけたかしれない。でも、自分からこの部屋を訪れておいて、そんなことを言えるわけがない。
 そして何より、自分を責めるようなことを何一つ言わないヨハルヴァの気持ちに、どうしても応えたかった。

「嫌なら、やめるか?」
「え…?」
 かけられた意外な言葉に、ラクチェはきょとんとした表情を浮かべる。
 やがて、おずおずと…といったふうに口を開いた。
「でも………いいの?」
「当たり前だろう。ラクチェの嫌がるようなことはしねえよ」
 ヨハルヴァはラクチェの髪をかきあげ、額にそっとくちづけた。
「俺はこうしているだけで充分嬉しいよ」
 彼女におびえた表情をさせることだけは、絶対にしたくない。

 だが、ヨハルヴァのその言葉は、かえってラクチェの決意を固めてしまった。
「わたしは嫌。ちゃんとあなたと結ばれたいの」
「ラクチェ…」
 まっすぐ見つめる真剣な瞳は、彼女の揺るがぬ決意を伝えてくる。ヨハルヴァが一番好きなラクチェの表情だった。
 ヨハルヴァは軽く微笑むと、ラクチェのまぶたの上に小さく口付けを落とした。


 
◆  Moonlit  ◆



--------------------------------------------------------------------------------


-2-



 何度目かの浅い眠りから、ラクチェは再び目を覚ました。
 窓の外はまだ薄暗い。ようやく太陽が地平線から顔を出そうかという時刻だった。

 ほんの少しだけ身体がだるいような気がするが、とりたてて以前と変わったとは思わない。だが、自分の内側で何かが確実に変化したのがわかる。
 昨日までとは違った形で周囲が語りかけてくる。

 ―――夢じゃなかったんだ

 すぐ横にあるヨハルヴァの顔を見ながら、そんなことを思った。目を閉じた無防備なその表情は、ラクチェにとっては初めて見るものだ。
 愛しいと思う気持ちは同じなのに、その重さは何倍にも膨らんでいる。それが少し不思議だった。

 起きるのを思いとどまって、そっとヨハルヴァに身体を寄せた。触れ合った部分から熱が伝わってくる。一番近くで愛する人の寝顔を見つめる、その特権をしばし楽しんだ。

 だんだんと太陽が顔をのぞかせてくる。
 このままいつまでもヨハルヴァの横顔を見ていたい気持ちをどうにか抑えつけ、ゆっくりと身体を起こした。彼の眠りを妨げないよう、注意を払いながら服を身に付ける。
 最後に短靴に足を通した時、背後で人の動く気配を感じた。振り返ると、半身を起こし、じっとこちらを見つめているヨハルヴァと目が合った。

「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや、かまわねえよ」
 続けて何か言おうとしてヨハルヴァは、すっかり身支度をすませたラクチェの様子に改めて気づく。
「帰るのか?」
「うん。あんまり遅くなると人目につくから」
 悪いことをしたとは微塵も思っていないが、他人に知られて余計な詮索を受けるのは嫌だった。二人だけの神聖な秘密を、好奇の目で汚されたくない。

 ヨハルヴァの顔をのぞき込み、ラクチェは小さく微笑んだ。
「ありがとう、ヨハルヴァ」
「ばか…。礼なんか言うな」
「でもわたし、とっても嬉しかった。なんだか生まれ変わったみたいな気がする。たぶんあなたの強さを分けてもらったんだわ」

 ラクチェの言う「強さ」が、単なる剣の腕のことを指しているのではないということは、ヨハルヴァにもわかっていた。そして、この戦いの間中、ずっと彼女が心の中に迷いのようなものを抱えていたことも…。
 だが今のラクチェは、何かがふっきれたような、清々しい表情をしている。もし昨夜のことがそのきっかけになったのなら、それだけでもいいとヨハルヴァは思う。

「…ったく。そんな、かわいい顔するなよ。帰したくなくなっちまうじゃねえか」
 思わずラクチェの腕をつかんで引き寄せた。黒\曜石の瞳が近づいてくる。驚いたようなその表情が、目の前で笑顔に変わった。

「あなたと出会えてよかった。大好きよ、ヨハルヴァ」

 ついばむようなくちづけを残すと、次の瞬間にラクチェは扉の向こうに姿を消していた。まるで、小鳥が腕の中から逃げていってしまったようだとヨハルヴァは思った。

 ラクチェと肌を合わせて、彼女を欲する気持ちがおさまるどころか、ますます彼女に溺れていってしまうようなそんな気がする。

 ―――今度会った時、まともに顔が見られるだろうか……

 乱暴に髪をかきあげ、ヨハルヴァはひとつ息をついた。だが次の瞬間には、苦笑にも似た笑みが唇の端にのぼってくる。
 すっかり地平線から姿を現した太陽の光が、その横顔を照らしはじめていた。




- End -  



[87 楼] | Posted:2004-05-22 16:56| 顶端
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◆ Blue Rose ◆



--------------------------------------------------------------------------------


-1-




 イシュタルは、その部屋の前に立ち尽くしていた。
 晩餐の後、イシュタルと、お腹に子供のいるラナは先に退出したが、ファバルと妹夫妻はまだ客間で酒を酌み交わしているらしい。
 少し開いた扉の間から、ファバルの横顔が見える。

 ―――ユングヴィ公の部屋をお教え下さい!

 頭の中で再びメングの声が繰り返す。
 まるで操られるかのように上げられた腕。差し示す指。その瞬間、イシュタルは自分を救おうとしてくれた人を裏切った。それは自分の心を裏切ったのと同じことだった。

 ラナを部屋に送った後、そのままここに戻ったイシュタルは、中に入ることもできずにずっとその場に立ち尽くしている。

 ―――このまま彼が、この部屋にとどまっていてくれたら…

 そんなかすかな願いをこめて、イシュタルは遠くに見えるファバルの横顔を見つめていた。



「もう酔っ払っちゃったの? 情けないわね、お兄ちゃん」
 兄の背中を遠慮なく叩きながら、パティは手にした酒をさらに勧めようとする。ファバルはその攻撃から、ひたすら逃げ回っていた。
「いいかげんにしろ、パティ。俺はおまえみたいに底なしじゃないんだ」
「なんですってぇ。あたしはね、父さんと母さんの血を引いてるの! 二人とも、お酒には強かったって聞いたわよ。お兄ちゃんこそ、いったい誰に似たの?」
 その様子を笑いながら見ていたレスターも、妻の加勢をするかのように相槌を打つ。
「そういえば、母上もめったに酒をたしなむことはないけど、酔ったこともなかったな」
 そう言う彼も見かけによらない酒豪で、いくら飲んでも少しも顔に出ない。
「でしょー? ユングヴィ一族はお酒に強いの。お兄ちゃんが変わってるのよ」
「ああ、もう、わかった、わかった」

 とうとうファバルは両手を上げて降参した。いつまでもこの夫婦に付き合っていたら、明日の朝どんな悲惨なことになるか容易に想像がつく。

「レスター。悪いけどこいつを頼むよ。俺はもう寝る」
「ああ。おやすみ、ファバル」
「お兄ちゃん、逃げる気ー?付き合い悪いわよ」

 尚もからんでくるパティの声を背後に聞きながら、ファバルは扉のほうに足を向けた。


 ファバルがこちらに向かって歩いてくる。それを絶望的な気分でイシュタルは見ていた。
 おそらく彼はこの後、まっすぐ自分の部屋に向かうのだろう。そこに待っているものは…。
 そのことを考えると全身が冷たく震えてくる。


 扉を開けた時、その影に隠れるように立っているイシュタルを見つけ、ファバルは驚いた表情を見せた。だが、すぐにそれは笑顔に変わる。彼が何かを言う前に、まるで遮るようにイシュタルは口を開いた。

「ファバル、話があるの」
 思いつめたようなその表情を見て、ファバルがはじめて怪訝そうな顔をする。それにはかまわずにイシュタルは言葉を続けた。
「わたしの部屋に来てもらえないかしら」
「…?ああ、わかった」
 ただならぬイシュタルの様子を少し不審に思いながらも、ファバルは彼女と共に部屋に向かう。長い廊下を歩いている間中、イシュタルは一言も口をきかなかった。


 
◆ Blue Rose ◆



--------------------------------------------------------------------------------


-2-



「話って?」
 扉を閉じながらファバルが声をかけた。先に部屋の中に入ったイシュタルは、背を向けたままこちらを見ようともしない。
「イシュタル、どうした? 何かあったのか?」
 彼女の肩に手をかけてこちらを向かせる。室内のほの暗い灯りの中に、イシュタルの白い顔が浮かび上がる。暗がりの中でもそれとわかる彼女の蒼白な顔色に、ファバルは息をのんだ。

「イシュタル。おまえ、真っ青だぞ。具合が悪いんじゃないのか?」
 よく見れば、イシュタルの額には冷たい汗が浮かんでいた。つかんだ腕からも、かすかな震えが伝わってくる。
「今夜は早く眠ったほうがいい。話は明日にしよう。今、誰か呼んでくるから」
「待って!」
 イシュタルが悲鳴のような声を上げる。扉の取っ手に手をかけようとしていたファバルは思わず振り向いた。
「行かないで、ファバル。ここにいて!」
 彼の腕にすがりつくようにしてイシュタルが引きとめる。
「お願い……」
 訴えるようなまなざしで見上げる彼女に、ファバルがとまどったような表情を見せた。
 やがて、彼の腕はためらいがちにイシュタルの肩に回された。ファバルを引きとめようとするイシュタルは、無意識のうちに彼の背中に腕を伸ばす。それに応えるかのように、イシュタルの肩を抱くファバルの腕に力がこもった。

 ファバルがこの場にとどまってくれたことにとりあえず安堵しながらも、イシュタルはこの後どうするべきか考えていた。
 いっそファバルに全て打ち明けてしまおうか…そうも思った。しかし、どうしてもそれを口にする勇気がない。
 メングの言葉に…ひいてはその背後にいる幻に、いまだ囚われている自分の弱い心をファバルには知られたくなかった。

「イシュタル…?」
 問いかけるような声に、イシュタルは顔を上げた。すぐ目の前にファバルの顔がある。その瞳を見た時、彼が自分の行動を違ったふうに受け止めていることにようやく気付いた。
 確かに誤解されても無理のない状況だった。
 夜中に女が男を自分の部屋に招き入れ、そして引きとめる。それがどんな意味を持つのか…。そう思ったとたん、羞恥で頬が熱くなる。それを見られたくなくて俯いた。

 だが、顎にファバルの手がかけられ、そっと上を向かされる。さっきよりも強い光を帯びた瞳がイシュタルを見つめていた。
 そのままファバルの顔が近づいてくる。唇に柔らかい感触を感じても、イシュタルは身動きできなかった。今は、とにかくファバルをこの場に繋ぎとめておくこと。刺客の待つ彼の部屋へ帰してはならないこと。それしか考えられなかった。
 ファバルはいったん唇を離し、イシュタルの表情をうかがう様子を見せた。抵抗するそぶりを見せないイシュタルに確信を深めたように、もう一度唇を重ねてくる。軽くふれるだけだったさきほどとは違う、深く熱いくちづけ。息が苦しくなって離れようとしても、ファバルの腕に引き戻され、さらに強く抱きしめられてしまう。
 ようやく解放された時、イシュタルはファバルの胸の中で大きく息をついた。

 やがてイシュタルは、彼の背中にそっと腕を回した。
「帰らないで、ファバル…」
 消え入るような声でそう囁いた。顔はファバルの胸に埋めたまま…。彼の目を見たら、とてもこんな言葉は言えそうになかった。

「俺を好きになってくれたのか? イシュタル」
 ほんの少しだけ上ずったようなファバルの問いかけに、イシュタルは黙って頷いた。少なくとも、それは嘘ではない。わずかに後ろめたい自分の心にそう言い聞かせた。
 イシュタルを抱くファバルの腕に力がこもる。額に、頬に、ファバルの唇が触れていく。耳たぶにかすかな息を感じた。

「イシュタル、愛してる…」
 耳元でそう囁かれた時、イシュタルの身体を戦慄が走りぬけた。
 それまでは比較的平静な気持ちを保っていられたのに、ファバルが囁いたその一言が全身の血を逆流させる。壊れるくらい音を立てて心臓が鼓動を打ちはじめる。
 身体が震えて立っていられない。崩れ落ちそうになるイシュタルをファバルが受けとめた。見かけによらぬ膂力を持つファバルは、そのまま彼女の身体を軽々と抱き上げる。そして、硝子細工を扱うようにそっと寝台に横たえた。
 寝台の端に腰を下ろしたまま、ファバルはイシュタルの顔を見下ろしている。ためらいがちに手を伸ばし、イシュタルの額にかかる髪をかきあげた。そしてそのまま、銀の髪に指を絡ませ梳き流す。月の雫をあつめたような髪が、さらさらとした感触をファバルの手に残していった。名残惜しそうに、何度も何度も髪に触れる。

「ファバル…」
 イシュタルは手を伸ばし、ファバルの頬に触れた。すぐに彼の手がイシュタルの手に重ねられる。
 少し心配そうにのぞき込むファバルの首に腕を回し、イシュタルは自分から彼の身体を引き寄せた。






--------------------------------------------------------------------------------




 耳元にかすかな寝息が聞こえてくる。イシュタルの視線の横に、ファバルの安らかな寝顔がある。
 パティ達と飲んでいた酒の影響もあるのだろう。イシュタルを抱いた後しばらくして、ファバルは深い眠りにおちていった。それでも彼の腕は、しっかりとイシュタルの肩に回されたままだった。
 イシュタルはファバルの胸に耳を寄せ、その鼓動を聞いた。素肌の触れ合う感触が暖かさと共に、不思議な安らぎをもたらしてくれる。
 このままずっとこのぬくもりの中でまどろんでいたい…。その誘惑を断ち切って、ファバルの腕からそっと抜け出し身体を起こした。寝台から降り、散らばっていた服を集めて静かに身に着ける。

 もう一度、寝台の側に寄りファバルの顔を見つめた。
 愛しさが胸の奥からあふれてくる。自分にこんな感情が残っていたのかと思うと、自然と涙がこぼれそうになる。手を伸ばして彼に触れたい衝動にかられたが、目を覚ますことを恐れて思いとどまった。

 ―――絶対に失いたくない…

 そんな強い想いが今のイシュタルを支えていた。
 これから自分のすべきことはわかっている。どんなことをしてもメングを説得し、ファバルへの復讐を思いとどまらせるつもりだった。
 彼女は誰よりも忠実なイシュタルの部下だった。心を尽くして話せばきっとわかってくれる。そう信じたかった。

 そしてもし―――どうしてもそれが聞き入れられなかった時は…。

 イシュタルは、テーブルの上からエルサンダーの魔道書を手に取った。まるで祈りを捧げるかのように、一瞬だけそれを抱きしめる。再び顔を上げた彼女の瞳には、強い意志が宿っていた。
 やがてイシュタルの姿は、扉の外へと消えて行った。




- End -  



[88 楼] | Posted:2004-05-22 16:57| 顶端
雪之丞

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思いは永久(とわ)に


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-1-




 さわやかに澄みきった秋の空がどこまでも広がってる。
 窓から見える風景を眺めながら、公爵夫妻はふと息をついた。収穫の時期を迎えたドズル公国では、昨年に続き豊作の報がもたらされている。天災とは無縁の恵まれた土地柄が、国の復興に果たした役割は大きい。詳細な報告書類を前に、共同統治者である公爵と公妃は今後の政策の再調整を行っているところである。
 突然の報を携えた侍従が執務室の扉を叩いたのは、そんな政務の合間のひとときだった。




「倒れていた?西の森に?」
 侍従の連絡を受け、ドズル公爵ヨハルヴァは思わず聞き返した。隣で聞いていた公妃ラクチェも、同じように問いかけるような視線を向けている。
 報告によると、巡回中の兵の一人が、城の西にある森の入り口で倒れている女性を発見し、城内に保護しているという。

「で、何だってそんな報告を、わざわざ俺のところに持ってくるんだ?」
 ヨハルヴァの疑問ももっともなことだ。身元不明人の詮索に、公爵自らが当たることは普通はありえない。

「それが……。その女性の顔が、公妃様にそっくりなのです」
「何だと?」
「うりふたつと言ってもいいほど酷似していらっしゃいます。お召しになっている服も、イザーク風のものでした。それで、もしや公妃様に縁の方ではないかと思いまして、念のためにご報告を」
 ヨハルヴァとラクチェは思わず顔を見合わせた。
 ラクチェの血縁と呼べる女性は、現在この世に存在しない。イザーク王家に連なる遠縁の者なら若干名心当たりがあるが、いずれもとりたててラクチェと似ているとは言えない者ばかりだった。

「わかった。すぐに行く。案内してくれ」

 問題の女性が保護されているという部屋は、城内でも賓客の接待に使われることの多い客間だった。万一、公妃の縁者だったらという配慮の結果だろう。

 奥の間にある寝台の上に、長い黒\髪の女性が眠っていた。
 窓から舞い込んだ秋の風が、その女性の髪をふわりと撫でて去っていく。
 ラクチェは真っ先に寝台の側に近づいて、彼女の顔をのぞき込んだ。まだ若く、年もラクチェ自身とさほど違わないように見える。そしてその容貌は、侍従の報告が少しも誇張ではなかったことを証明していた。瞳を閉じているとはいえ、顔の輪郭から、眉や鼻や唇の形まで、その女性はラクチェにそっくりだったのだ。

 彼女の顔を見た瞬間、ラクチェの中に何か言いようのない感情が沸き起こった。ひどく懐かしいような切ないような…それでていてとても暖かい何かがラクチェの胸の中に渦巻いている。
 それは、理屈で説明できる類のものではなかった。

「これは、その女性が身につけていたものです」
 案内した侍従が、一振りの剣をヨハルヴァに差し出した。

「これは……勇者の剣か?」
 受け取ったヨハルヴァの呟きを耳に留めて、ラクチェが思わず振り返る。そして、ヨハルヴァから奪い取るように剣を掴むと、すかさず鞘から抜き放った。白刃が光を受けて煌く様を、ラクチェはじっと見つめている。

「これは勇者の剣だわ。それもわたしが持っているものと同じ。この感触、この輝き。間違うはずがないわ」
「同じ種類のものだってことか?」
「そうじゃない……まったく同じものよ。この剣とずっと一緒に生きてきたわたしにはよくわかるの」
 もどかしそうにラクチェが言う。
「だけど、おまえの剣はそこにあるじゃないか」
 ヨハルヴァの視線は、今現在もラクチェの腰から下げられた一振りの剣に向けられている。平和と呼べる時代になっても、彼女が手放すことができないでいる、大切な思い出の剣だった。そしてそれは、ラクチェが手にしている剣と、確かに寸分の違いもないといっていい外観をしている。
 ラクチェは、ニ本の剣の柄の部分をヨハルヴァに向かって指し示した。

「でも、これを見て、ヨハルヴァ。この柄のところに嵌め込んである石。これは父さまが自ら探し出して母さまに贈ったと聞いたわ。そんなものが、この世に二つもあると思う?」
 そう言ったラクチェの表情には、すでにある確信が浮かんでいた。それはおそらく、寝台に横たわる女性を目にした時から、すでに漠然と抱いていた思いだったのだろう。

「この人はアイラ母さまよ。理由なんかわからないけど、母さまに間違いないわ」

 ヨハルヴァの目を見つめて、ラクチェはきっぱりと言いきった。


思いは永久(とわ)に


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-2-




「…………ん……」

 その時かすかな声を聞いて、二人は同時に振り返った。
 寝台の上の女性が、わずかに身じろぎしている。ラクチェが慌てて飛んでいくと、ゆっくりと女性の瞳が開いた。

 星の瞬きを閉じ込めた黒\曜石の瞳。夜空を思わせる二つの輝きが、じっとラクチェを見つめていた。髪の長さ以外は、まるで鏡でも見ているかのようによく似た顔がそこにある。
 ラクチェの胸の鼓動がますます早くなっていく。どう言葉をかけようか考えていると、女性が身動きし、寝台の上に身体を起こそうとした。ラクチェはすぐに背中を支え、それを助ける。
 同じ高さになった視線が、すぐ目の前にあった。




「ラク…チェ?」

 女性の口から、初めて言葉がもれた。ラクチェよりはいくぶん低い、だが泣きたくなるくらい懐かしい優しい声。それを聞いた瞬間、もうラクチェはあふれそうな自分の感情を抑えることができなくなった。

「母さま…! アイラ母さま!」

 そう呼びながら、女性に抱き付いた。すぐにやわらかな腕が、ふわりとラクチェを包み込んでくれる。それが母の腕であるとわかった時、ラクチェの瞳からは自然と涙が零れ落ちていた。

「ラクチェ。よく顔を見せてくれ」

 アイラは、ラクチェの顔を両手で包み込むようにして正面を向かせると、頬を伝う涙をそっと拭う。

「レックスによく似ている」

 そう言ってアイラは微笑んだ。
 オイフェやシャナンから、母親に似ているといつも聞かされていたラクチェは、母の言葉に一瞬戸惑った。だが、すぐにそれも嬉しさにとって変わる。
 母が自分を否定しなかったこと、優しく抱きしめてくれたこと、父に似ていると言ってくれたこと。その一つ一つが暖かな喜びとなってラクチェの全身を満たしていた。

「ところで、ラクチェ。わたしは、どうやってここに来たのだ?」
「母さまは、森の近くで倒れていたんですって。巡回の兵が見つけてここに連れてきてくれたの」
「そこには、わたしの他に誰かいなかったか?」
「いいえ。母さまだけよ」
 ラクチェの返事を受け、アイラはふと考え込むようなしぐさをした。
「あいつ……迷子にでもなっているのか」
「え?」
「ラクチェ。わたしを見付けた場所に連れて行ってくれないか」
「だめよ、母さま。まだ寝てなきゃ」
「わたしは大丈夫だ。それより……」

 アイラが言いかけた時、ふいに部屋の外が騒がしくなった。こちらに向かって走ってくる足音が聞こえる。と、同時に、扉を叩く音と入室の許可を求める声がした。

「何だ、騒がしいな」

 ヨハルヴァ自らが扉を開けると、向こう側に立っていた兵が恐縮したように最敬礼する。

「お騒がせして申し訳ございません。実は……」
 兵は一旦言葉を切ると、右手の壁際に視線を走らせた。

「城門前で騎士姿の男が一人、閣下に目通りを願い出ています。そ…その姿が、あの肖像画にそっくりなのです」

 兵士が指差した先には、大きな額縁に飾られた姿絵がある。愛馬に跨って、手にした斧を颯爽と振りかざした青い髪の斧騎士。それは、かつて反乱軍に与したとしてドズル家から存在を抹消されたものの、解放戦争の後に名誉を回復され、公国の英雄として崇められている第二公子の肖像画だった。
 というよりも、現在のドズル公妃ラクチェの父であるレックス公子……といったほうが早いかもしれない。
 肖像画を見つめながら兵士は言葉を続けた。

「し、しかも、その騎士が手にしている斧が…」
「これと同じなんだな」

 ヨハルヴァは肩から下ろした勇者の斧を兵士の方に向けた。その先は、聞かずとも想像がつくような気がした。

「その騎士をすぐにこちらに案内しろ。丁重にな。……いや、それよりも俺が迎えに行く」

 驚く兵士を押し退けるように進み出すと、ヨハルヴァはそのまま部屋を後にした。



思いは永久(とわ)に


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-3-




 扉の開く音に、ラクチェは振り返った。
 ヨハルヴァと共に、背の高い青い髪の騎士が部屋の中に入ってくる。彼の姿を見たとたん、ラクチェの心臓がとくんと音をたてた。
 緊張するラクチェとは対照的に、アイラの瞳がふっと和む。

「遅かったな。どこで迷子になっていたんだ?」
「何言ってるんだ、アイラ。おまえの姿が見えないから、探してたんじゃないか」

 騎士は寝台の側に歩み寄ると、アイラの顔をのぞき込んだ。

「少し、顔色が悪いな。大丈夫か?」
「たいしたことはない…」




 言葉を交わす二人を、少し離れた場所からラクチェは見つめていた。アイラに話しかけているため、騎士はラクチェに背を向ける格好になっている。その広い背中を見ていたら、初めてアイラを目にした時と同じような感情がラクチェの中に浮かび上がってきた。

「レックス父さま…?」

 無意識のうちに唇から言葉がもれる。それは囁くような声だった。しかし、騎士の耳には届いたらしい。ゆっくりと彼が振り返る。ラクチェの姿を認めた瞬間、その瞳には笑みが浮かんでいた。

「ああ。……美人になったな、ラクチェ」

 海のように青く深いまなざしがまっすぐラクチェに向けられている。初めて見るはずなのに、せつないまでに懐かしい。ラクチェの記憶よりももっと奥深い部分が、この瞳を覚えていた。

 立ちつくすラクチェに歩み寄ると、レックスは彼女の頭に軽く手を乗\せた。暖かく大きな手の感触。まるで小さな子供に対するようなそのしぐさが、ラクチェの心を解きほぐしていく。

「元気そうで安心したよ、ラクチェ。スカサハもここにいるのか?」
「いいえ。スカサハはフリージを治めているの」
「え?」
「あ、そうだ。紹介するわね」
 ふいに思い出したようにラクチェは振り返った。その先には、壁際に寄りかかったまま成り行きを見守っていたヨハルヴァがいる。
 それまで傍観者に徹していたヨハルヴァは、いきなり自分に集中した視線に少々面食らった表情を見せた。それには構わずに、ラクチェはヨハルヴァの腕をとって両親の前に連れていく。

「ヨハルヴァです。父さまにとっては甥にあたるのよね?わたし、ヨハルヴァと結婚したの。今は二人でドズルの再建にあたっているの」

 終始、笑みを絶やさなかったレックスの瞳が、はじめて驚きに見開かれた。

「ヨハルヴァ?おまえがあの小さかったヨハルヴァか!?」

 自分をここまで案内してくれた青年が、自分の甥であり、このドズルを率いる公爵であるとは、さすがにレックスも気づかなかったらしい。ヴェルダンによるユングヴィ侵攻の報を受け、レックスが親友アゼルと共に国を飛び出した時、ヨハルヴァはまだ生まれたばかりの赤ん坊だったのだ。

「ダナン兄貴の息子にしては、いい面構えをしているな」

 大声で泣いては義姉に手を焼かせていた元気な赤ん坊が、目の前の青年の姿と重なっていく。

「ここにこうしているってことは、家よりもラクチェを選んだんだな。その根性は誉めてやる」
「叔父貴の真似をしただけだぜ。自分の心に従って、信じる道を選んだだけだ」
「俺の場合はそんな大層なものじゃない。成り行きみたいなもんだ」
 そして、ふいに真面目な顔になると、ぽつりとレックスが言った。

「だけど、正直、複雑な気分だな。久しぶりに会った娘がいきなり他の男のものになってるのは、あんまり面白くない」
 思わずラクチェとヨハルヴァが絶句した。代わりにそれまで黙っていたアイラが、苦笑を浮かべる。
「子供のようなことを言うな、レックス。ラクチェが幸せならば、何も言うことはないだろう」

 それをきっかけのように、ラクチェとアイラとレックスが、仲睦まじげに会話を始めた。
 和やかな親子三人の様子を見ながら、ヨハルヴァはある質問をすべきなのか否か、判断しかねていた。
 誰も何の疑問を呈することなく、素直にこの状況を受け入れている。だが、どう考えてもこれは尋常な状態ではない。

 ラクチェが両親と呼ぶこの二人。たとえば彼らの外見が、経過した時間の分だけ年令を重ねていれば、まだ理解ができたかもしれない。バーハラの悲劇の現場(二人はここで行方不明になったと聞いている)からどうにかして脱出し、何かの理由があって今までどこかに身を隠していたと推察することもできる。
 だが、二人はどう見ても、現在のヨハルヴァ達とほとんど変わらない年令に見えた。今のアイラとラクチェを見たら、誰もがよく似た姉妹だと思うことだろう。母娘だなどと信じる者はおそらくいない。

 今更、間の抜けた質問だとも思うが、やはり聞かないわけにもいくまい。そう結論を出し、半ば義務のような気持ちでヨハルヴァは問いかけた。

「え……っと。話し中のところ悪いんだが、一応聞いてもいいか?叔父貴達は、なんでここにいるんだ?」

 三人が一斉に視線を向けた。
 そして訪れるしばしの沈黙…。
 やがて、少しばかりおどけた表情でレックスが答える。

「俺達は、どうやら時間を飛び越えてここに来ちまったらしい」

 それは、ヨハルヴァが想像していたのと、ほとんど変わらない答だった。


 後にバーハラの虐殺とも呼ばれる、悪名高い謀\略劇。野心にかられたヴェルトマー公アルヴィスが、己の所業を隠蔽するためにシグルド公子を罠に陥れ無差別に殺戮した―――現在ではそう評価が下されている戦いの場に、つい先ほどまでレックス達はいたと言う。
 背中合わせに戦いながら、脱出する道を探していた二人の周囲を炎の渦が取り囲んだ。絶望的なその状況で、共に思いを馳せたのは、イザークに残してきた子供達のこと。そして、彼らと共に迎えるはずだった幸福な未来。
 迫り来る炎の中で意識を失い、気づいた時には、森の中に倒れていたとレックスは言った。

「ネールかオードの神が、俺達の願いを聞き届けてくれたのかもしれないな」

 俄かには信じがたい話である。それに、目を覚ました時のアイラが、ほとんど動揺することなく目の前の現実を受け入れたことも、ヨハルヴァには少し腑に落ちない点だった。成長したラクチェにすぐに気づいたことといい、ここが彼らにとっては未来の世界であることを、最初からわかっていたような印象も受ける。
 だが、仮に彼らの言うことが真実ではないにしろ、二人がまぎれもなくラクチェの両親だということは、ヨハルヴァにも受け入れることができた。同じネールの血を引くレックスの存在が、より強くそれを感じさせる。

 ラクチェに至っては、レックスの言葉を無条件に信じたようだった。彼女にとってはどんな真実よりも、両親が今自分の側にいるという事実のほうが、何よりも重要だったのだ。

「父さまも母さまも、ずっとここにいてくれるんでしょ?スカサハにも連絡するわ。きっと、すぐに飛んでくるわよ」

 宮廷魔道士によるワープの杖の力を借りて、フリージ公爵夫妻がドズル城を訪れたのは、翌日の午後のことだった。



[89 楼] | Posted:2004-05-22 16:58| 顶端
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-4-




 突然の報を受けてドズルにやって来たスカサハは、その足で両親との対面を果たした。半信半疑だった彼も、二人に出会うなり、ラクチェと同様、無条件に彼らの存在を受け入れたのだった。

 今は、レックスと二人、ベランダから中庭を眺めながら、父と子の会話を交わしている。
 話題は、アイラの甥であり、スカサハとラクチェの育ての親でもあるシャナンのことに移っていた。

「あの悪ガキが、そんなに立派になったのか。信じられんな」
 王として現在もイザークを率いているシャナンの事を熱心に語るスカサハに、レックスが返した言葉がこれだった。
「悪ガキ…って………あの…もしかしてシャナン様のことですか?」
 恐る恐るといったふうに、スカサハが尋ねる。
「もちろんだ。あいつは年中俺に悪さばかりしていた。もっとも、そんなとこも甘えの裏返しだと思えばかわいいもんだったがな」

 自分にとっては、敬愛と崇拝の対象でもある存在、イザーク王シャナン。その彼を、こうもあっさりと「悪ガキ」よばわりする父に、スカサハは一種尊敬にも似た気持ちを抱いた。
 今まで自分の周囲にいた人間の、誰とも違う存在感。そして、側にいるだけでなぜか心が落ち着くような安心感が彼にはある。
 それが肉親の絆によるものなのか、レックス個人の人間性なのかはわからなかったが、スカサハの胸の内を喜びの感情が満たしているのは確かだった。




「あの…。お義父様、スカサハ、お茶がはいりました」

 その時、背後から控えめな声が聞こえてきた。二人が振り返ると、長い銀の髪の少女が微笑みを浮かべて立っている。

 お義父様―――。
 それが、自分のことであるとレックスが気づくまでに、しばらくの時間が必要だった。ラクチェ以外に自分を父と呼ぶこの少女に、レックスは心当たりがない。

「よろしければ、こちらへどうぞ」
 促されるまま室内に戻り、椅子に腰をおろしたレックスは、お茶の入ったカップを渡してくれた少女に改めて視線を向けた。
 慣れた手つきでお茶を淹れるその姿には、気品と落ち着きが備わっている。アイラやラクチェ夫婦と親しげに言葉を交わしているところから見ても、使用人の類でないことは確かだ。

「ティルテュ……? いや、アゼル…?」

 無意識のうちに、幼なじみの名前がレックスの口に浮かんだ。
 目の前の少女の、銀の髪と淡い紫の瞳はティルテュを思い起こさせたが、その顔立ちや雰囲気は、彼の親友アゼルを彷彿とさせる。

 父の様子に気づいたスカサハが、慌てて立ち上がった。
「すみません、父上。紹介が遅れました。彼女は、私の妻のティニーです」
「ティニーと申します。わたしの両親は、お義父様とは幼なじみとうかがいました。どうぞ、よろしくお願い致します」
 そう言って、スカサハの隣で少女が深々と頭を下げる。一瞬にしてレックスは少女の正体に思い当たった。

「そうか、アゼルの娘と結婚したのか。スカサハ、おまえは見る目があるな。さすがは俺の息子だ」

 変なことを誉められて、喜んでいいものかと、スカサハが複雑な表情を浮かべる。

「そういや、ティルテュが言ってたことがあったな。まだ赤ん坊のスカサハを見ながら、そのうち自分たちに女の子が生まれたら、スカサハと婚約させるんだって。なあ、アイラ?」
 レックスは、隣に座っている妻に同意を求めた。
「ああ、そんなこともあったな。アゼルは、親が勝手に決めるのはよくないと言って、最後には喧嘩になったんだ」
「喧嘩する必要なんかなかったんじゃないか」

 しばし、レックスの幼なじみの話題に花が咲く。
 自分の両親でもある二人の話を、ティニーは懐かしい思いで聞き入っていた。
 だが、ふと隣に視線を走らせた時、横で浮かない表情を見せている夫に気づいた。ついさっきまで、あんなに嬉しそうにしていたのに…そう思い、スカサハの肩にそっと手を伸ばす。

「どうかしたの?スカサハ」
 小さく問い掛けると、スカサハがはっとしたような顔をする。
「いや…。ラクチェは母上にうりふたつなのに、俺はあまり父上に似ていないなと思って…」
 ほんの少し、寂しそうな色がその口調に混じっている。
「そんなことないわ。さっきお二人が並んでいた後ろ姿、背中がそっくりでした」
「え?」
「ふとした時に見せるしぐさもよく似ているわ。やっぱり親子なんだなって、わたし何度も思いましたもの」
「……そうか」
 自然とスカサハの口元に笑みが浮かんでくる。

「スカサハ。顔が嬉しそうよ」
「わかるかい?」
 額を寄せ合うようにして、二人はこっそりと笑いあった。


 やがて、母親と話を始めたスカサハと交換するような形で、今度はラクチェがレックスと共にベランダに足を運\んだ。

「ヨハルヴァはおまえを大事にしてくれるか?」
 レックスの第一声がそれだった。やはり父親にとって、娘の結婚相手は気になる存在なのだろう。
「ええ。もちろんよ」
 ラクチェの表情を見て、聞くまでもないことを聞いてしまったとレックスは悟る。

「わたしね、なんとなく父さまってヨハルヴァみたいな人なんじゃないかって思ってたの。二人とも、家を捨ててまでも自分の信念を貫いた強い人でしょう」
「それでどうだった。似ていたか?」
「うん。なんだか父さまと一緒にいると、ヨハルヴァと一緒にいるみたいな安心感があるの。あ……逆かしらね」

 ラクチェはレックスを見つめると、ためらいがちに彼の腕に手を伸ばした。そして思い切ったように両手を父の腕に絡ませて、頬を寄せる。
「でも、嬉しい。これからは、ずっと一緒にいられるのね」
 答の代わりに、大きく暖かな手がラクチェの肩を抱き寄せてくれた。
「ずっとずっと夢だったの。いつかきっと父さまと母さまがわたし達を迎えに来てくれる。そして、四人で一緒に暮らす。それが、子供の頃からのスカサハとわたしの夢だった…」
「だけど、おまえにはもうヨハルヴァという家族がいるだろう? スカサハだって今ではティニーが一番大切な存在になっているはずだ」
「それでも、父さまと母さまは特別よ。他の誰とも比べることなんかできないわ」
 むきになったように言うラクチェを、愛おしそうに青い瞳が見つめている。その瞳に、ほんの少しの寂しさが浮かんでいることを、この時のラクチェはまだ気づかなかった。


思いは永久(とわ)に


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-5-




 フリージ公爵夫妻がドズル城に滞在して6日目の朝こと。廊下ですれ違おうとしたスカサハを、ヨハルヴァが呼び止めた。

「フリージにはいつ帰るんだ?」
 いきなりそんな言葉を向けられて、スカサハはとっさに答えることができなかった。
「こんなに国を空けていて大丈夫なのか? 責任感の強いおまえらしくないな」
 続けて言われた言葉に、さすがにスカサハも不審な表情を浮かべる。




「何が言いたいんだ、ヨハルヴァ。俺達がここにいるのが迷惑なのか?」
「自分の事情よりも責務を果たすことを常に優先するおまえがフリージに帰ろうとしないのは、おまえの両親がいつまでここにいられるのか心配だからじゃないのか?」
 スカサハの顔から表情が消える。それにはかまわずに、ヨハルヴァは言葉を続けた。

「あの話を信じているのか? バーハラの戦場から20年近い時を超えてここに来たという話を」
「信じるも何も、現に父上と母上はここにいるじゃないか」
「話の通りだとすると、二人は戦場からここに飛ばされたことになる。バーハラの戦いは、炎が渦巻く凄惨な殺戮の場だったと聞いた。だが、あの二人は傷ひとつ負っていない。衣服もどこも破れていないし、汚れすらなかった。とても、ついさっきまで戦場にいた人間とは思えない」
「ヨハルヴァ…」
 恐ろしいほどに真剣なスカサハの表情がある。

「ヨハルヴァ。そのことを、ラクチェには絶対に言うな」
「当たり前だ。ラクチェを悲しませるようなことを俺が言うわけないだろう」
 二人の視線がぶつかった。

「ただ俺は、おまえの考えを確認したかっただけだ。それはもうわかった。だから、この話は終わりだ」
 それだけ言うと、ヨハルヴァはそのまま去って行く。後には沈鬱な面持ちのスカサハが一人取り残されていた。




 ベランダに置いた椅子に腰掛けて、アイラは秋の木洩れ日の中で目を閉じていた。
 ここに来て以来、ずっと身体の調子が優れない彼女は、床に臥せってはいないものの、こうして体を休めていることが多かった。

 やがて人の気配を感じてふと目を開くと、傍らにレックスが立っている。
「レックス…」
「起こしちまったか? もっと休んでいていいぞ」
「いや。もう大丈夫だ」
 気遣うような夫の顔に、アイラは微笑みを返した。そして、そのまま言葉を続ける。

「こんな日々が訪れるとは思ってもいなかった」
「そうだな」
「この平和な世界を手に入れるために、あの子達がどんな辛い思いをしたのかと思うと、その時側にいてやれなかった自分がとても悔しい」
「アイラ…」
「だが、二人とも、まっすぐで心の優しい人間に成長してくれた。シャナンとオイフェに感謝しなければいけないな」
「その通りだな。それにしても、俺は、ラクチェがドズルの男と結婚しているとは思わなかったぞ」
「わたしの娘だからな。別に驚くことはないだろう?」
「そういう問題か?」
「ラクチェもスカサハも幸せそうだ」
「ああ」
「レックス……」
「何だ?」
「わたし達は、いつまでここにいられるのだろう」

 少しの沈黙が流れる。
 レックスは何も言わずに、背中からアイラの肩を抱きしめた。



「ねえ、母さま。いつか、わたしと手合わせをお願いできるかしら」
 ラクチェがそんな願い事をしにやってきたのは、それから少し経った時だった。

「シャナン様がいつもおっしゃってたの。シグルド様の軍の中でも、母さまは一番腕の立つ剣士だったって」
 無邪気な表情で話すラクチェに、レックス何か言いかけた。だが、それを遮るように、アイラが立ち上がる。

「わかった。では、今からではどうだ?ラクチェ」
「えっ。でも、母さま。まだ身体が本調子ではないんでしょう」
「大丈夫。今日は特別気分がいいんだ」

 すでにアイラは側に置いてあった剣を手にしている。そのしっかりした足取りからは、確かに身体の不調はうかがえない。ラクチェも安心して、腰の剣に手を伸ばした。

 庭の中ほどに進み、二人向かい合わせに剣を構える。
 イザーク流のその構えは、アイラからシャナンへ、そしてシャナンからラクチェへと受け継がれたものだ。

 先に動いたのはラクチェだった。素早く繰り出されたその剣を、アイラは軽く受け流す。
 全く同じ輝きを持つ二本の剣が、激しく交わる音があたりに響いた。一見押しているのはラクチェだが、決め手となる突きは一度も入らない。無防備にさえ見えるのに、アイラには全く隙が見つからなかった。
 膠着状態を破るため、ラクチェは一旦引いて間合いをとる。

 その時、アイラが思いもよらない行動をとった。
 構えていた剣を、すっと下におろしたのだ。

「母さま?」
 戸惑うラクチェに向かって、アイラは静かな微笑を浮かべる。
「強くなったな、ラクチェ」
 ラクチェが言葉を返そうとした次の瞬間―――アイラの身体がぐらりと傾いた。
「母さま!」
 思わず駆け寄ったラクチェの腕の中に、力を失ったアイラの身体が倒れこんできた。



 その後、レックスによって部屋の中に運\び込まれたアイラは、ほどなく意識を取り戻した。
 しかし、その顔色は優れない。

 部屋の中には、レックスとラクチェの他に、スカサハとティニー、そしてヨハルヴァの姿も見える。
 寝台の横でアイラの手を握りしめたまま泣いているラクチェ。その隣では、リライブの杖を手にしたティニーが、途方にくれたような表情をしている。さっきから何度も治癒の呪文を詠唱しているのに、全く効果が現れないのだ。

「ごめんなさい。ごめんなさい、母さま。具合が悪いのに、稽古の相手なんかさせたから」
 泣きじゃくるラクチェの頬に、アイラの手が優しく触れる。

「おまえのせいではない、ラクチェ。これは、しかたのないことなんだ」
 アイラは夫の手を借りて寝台の上に身を起こすと、ラクチェに向かって寂しそうに微笑みかけた。

「わたし達は帰らなければならないようだ」
 思いもしなかったアイラの言葉に、ラクチェが驚きの声を上げる。
「帰るって、どこに!?ずっとここにいればいいじゃない。……だって、帰ったりしたら、母さま達は……」

 二人が帰るというのは、あの凄惨なバーハラの戦場以外にない。そんなところに帰ったりしたら、待っているのが死であるのは明かだ。
 訴えるような表情のラクチェに、レックスが穏やかな視線を向ける。

「悪かったな、ラクチェ。俺達は少しだけおまえに嘘を言ったんだ」
「え…?」
「俺達の肉体は、あのバーハラの地ですでに滅びている。この姿は幻にすぎない」

 父の言葉にラクチェが絶句する。瞳を見開いたまま、声もなく二人の顔をただ見つめていた。

「最後の瞬間、わたしとレックスは強く願った。イザークに残してきた子供達の元へ帰りたいと。そして、四人で幸せに暮らしたいと」
「今の俺達は、その願いが形をとっただけのもの。この姿は現実のものじゃないんだ」
「そんな……!」
 ラクチェが悲鳴のような声をあげる。
 隣でティニーも驚きに言葉を失っている。そして、スカサハとヨハルヴァが、そっと視線を下にそらした。

「願いがかなえば思いも薄らぐ。おまえ達の成長した姿を見て、平穏な時を共にすごせて、わたし達は幸せだった。だが、心が満たされていくにつれ、この姿を維持するのは難しくなっていく」
「どうやら、このへんが限界らしい。残念だがな」
「嘘よ!どうしてそんなことを言うの。また離れ離れになるなんて嫌!」
 寝台の上にラクチェが泣き崩れた。その髪を、アイラが優しく撫でる。

「ラクチェ、スカサハ」
 静かなアイラの声が聞こえた。
 ラクチェとスカサハは同時に顔を上げ、両親を見つめる。

「愛している。これからもずっと、おまえ達を見守っている…」
 そう告げた瞬間、ふいにアイラとレックスを形作るその輪郭がぼやけた。
 子供たちの目の前で、二人の姿はまるで周囲の空気と同化するかのように次第に色素を失っていく。

「母さま! 父さま…!!」
「父上、母上!」

 必死で伸ばしたラクチェの手は、虚しく空を掴んだ。さっきまで、確かにそこにいたのに、もう二人の姿はどこにも見えない。
 寝台の上は、今まで人がいたぬくもりがまだ残っている。だが、そこにはただ何もない空間が広がっているだけだった。



思いは永久(とわ)に


--------------------------------------------------------------------------------



-6-




 それから二ヶ月余りが過ぎ、ドズルもすっかり冬支度に入った。
 ここのところ天候はずっと穏やかで、季節のわりに暖かな日が続いている。
 相変わらず多忙な日々を送っているヨハルヴァの執務室をラクチェが訪れたのは、そんなある日の午後のことだった。




「ラクチェ。起きたりして大丈夫なのか?」

 突然現れたラクチェの姿を見て、思わずヨハルヴァは椅子から立ち上がった。彼女は今朝、体調が悪くて床を離れることができず、侍医を呼んでいたはずなのだ。

 ラクチェが両親との束の間の再会と別れを経験した秋の日。あれからしばらくの間、彼女はずっとふさぎ込んだままで、見ているのが辛いほどの傷悴ぶりだった。
 だが、元々責任感の強いラクチェは、公妃としての責務を放棄したままでいることに耐えられず、すぐに政務に復帰した。自分を心配する周囲を気遣って、明るく振舞ってもいた。だが、その顔に本当の笑顔が浮かぶことはなかった。

 しかし、今目の前にいるラクチェの表情は少しばかり印象が違う。無理をして作った笑みではなく、心の内側から零れてくるような微笑だった。久しぶりに見るラクチェの本物の笑顔に、ヨハルヴァも気持ちが明るくなるのを感じた。

「あんまり無理するなよ。俺一人でも、なんとかなるから」

 正直言って、ラクチェがいないのは辛い。単純に計算しても、仕事が倍になるわけだから。だが、そんなことをおくびにも出さず、ヨハルヴァは妻に笑いかけた。

「ううん、ほんとにもう大丈夫。だって、病気じゃなかったし」
 ラクチェは思い出したように、くすりと小さく笑った。

「それに、いつまでも悲しんでもいられないしね」
「何かあったのか?」
 どこかふっきれたようなラクチェの表情に、ヨハルヴァが問いかける。

「うん、あのね。…子供ができたみたいなの」
「えっ!」
 思わず固まったヨハルヴァの顔は、次の瞬間には喜びに溢れていた。

「本当か、ラクチェ!」
 言葉と共に力いっぱい抱きしめて、はっとしたように慌てて腕を離し、それから改めてラクチェの身体にそうっと腕を回す。

「そんな壊れ物みたいに扱わなくて大丈夫よ。何だと思ってるの?人のこと」
「いや、それはそうだけど…でも…」

 昨日までと何も変わらなく見えても、その身体の中にもう一つの生命が宿っているのかと思うと、何やら厳かな気持ちがこみ上げてくる。
 神妙な顔で自分を見つめるヨハルヴァに、ラクチェは笑顔を返した。

「母さまと父さまが授けてくれたのかしらね」
「ああ、きっとそうだな」
 ヨハルヴァの瞳が優しい色を帯びる。ラクチェは彼の胸にそっと頬を寄せた。

「わたし……本当は少し怖かったの。両親に愛された思い出を持たない自分が、ちゃんと母親になれるのかって」
「ラクチェ…」
「でも、今はきっと大丈夫。母さまと父さまが、ちゃんとわたし達を愛していてくれたことがわかったから。そして、いつでも二人が見守ってくれているから」

 ラクチェは、窓から見える風景に視線を移した。
 このドズルの大地に、大気の中に、森の木々の一つ一つに、二人の魂が融け込んでいる。その思いは永遠に、自分から子供へと伝えられていく。

 ―――ずっと、おまえたちを見守っている……

 風に乗\って二人の声が、ラクチェの心に届いたような気がした―――。



<END> 



[90 楼] | Posted:2004-05-22 17:00| 顶端
雪之丞

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夜 想 曲


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 遠くから、宴のざわめきが聞こえてくる。
 まるでそれから逃れるかのように、月明かりの下ひっそりと身を寄せ合う恋人達の姿があった。

 アルヴィス皇帝が討たれ、解放軍がシアルフィに入城してから数日が経過したある晩のこと。警戒態勢は続けながらも、城内の広間ではささやかな祝の宴が開かれていた。
 それは兵達の慰労というよりも、むしろ国民の要望に応える形で催されたものだった。長い時を耐え続けてきた旧臣達は、祖国がようやく正当な主を迎え入れたことを、ひとつの形として確認したかったのかもしれない。

 軍の主だった者達が参加する中、アレスはナンナを伴って、早々に宴の席を抜け出していた。元々こういった場があまり好きではないアレスである。この機に二人だけの時間を過ごそうと、ナンナを夜の庭へと誘ったのだ。
 この時、彼女と談笑していたリーフが、当然の権利を行使するがごとき態度のアレスに、ナンナを横から攫われる形となったのは余談である。


 淡い月の光だけをたよりに、薔薇の庭園を二人歩いた。
 中庭を散策している途中で見付けたあずまやで小休止し、とりとめのない会話を交わす。普段は必要以上のことを口にしないアレスも、ナンナと二人きりの時はほんの少し饒舌だった。

 その時、ふいに人の話し声が聞こえてきた。
 あずまやの中の長椅子に腰掛けていた二人は、反射的に身を潜める。見つかって都合が悪いわけではないが、せっかくの二人の時間を邪魔されたくはない。そのまま通り過ぎるのを待つつもりだった。

 どうやら彼らはレンスターの兵士のようであった。会話の中に「リーフ様」「ナンナ様」という言葉が聞き取れる。ナンナにとっても、聞き覚えのある声だ。
 近づいてくるにつれ、彼らの会話がだんだんと鮮明になっていく。

「やはりナンナ様は、この戦いが終わったらあの王子の元に行かれるおつもりなのだろうか」
「傭兵に身を落としていた王子などに、どうしてナンナ様が…。リーフ様と共に、レンスターに帰って下さるものとばかり思っていたのに」
「ナンナ様はお優しいから、従兄の王子の境遇に同情されたのだろう」
「それにしても……」

 
 彼らの声と足音が遠ざかり、聞こえなくなっても、身を潜めていた二人はしばらく身動きできなかった。

 同情―――その言葉が、アレスの胸を意外なほどに深く抉っている。

 自分の育った環境について何を言われようと、今までアレスはさほど気にすることはなかった。
 高潔な騎士でもあり、獅子王と呼ばれた父エルトシャン。その噂は、この軍に入ってからも何かにつけて耳に入ってきた。自分が父のようになれるとは思っていなかったし、なろうとも思っていない。
 いずれアグストリアに還り、かの地に平和と繁栄を取り戻すべく力を尽くす事が、定められた己の運\命だとしても、自分のやり方で自分自身の国を造り上げるつもりだった。だから、偉大な父と比較されても、ほとんど気に留めることはない。
 言わせておけばいい―――。そう思うだけだった。
 しかし、ナンナとのことに言及されると、心の奥にさざなみが立つのをどうしても抑えることができない。
 ただこうして闇夜を見つめながら、胸の奥の嵐が収まるのを待つしかなかった。

 一方で、今の会話はナンナの心にも衝撃を与えていた。
 アレスをそのように言う者がいるという事実は、ナンナにとっては思いも寄らないことだった。彼女の目に映るアレスは、いつも先頭を駆ける光り輝く軍神だったから…。

 だが、慰めの言葉など、この誇り高い従兄には、かえって屈辱と受けとめられることだろう。そう思い、あえてナンナは何も口にしなかった。

 しばしの沈黙の後、先に声を発したのはナンナだった。

「アレス、そろそろ戻りましょう。何も言わずに出てきたから、きっと兄さまが心配しているわ」

 普段とかわらない口調で、まだ固い表情のアレスにそっと手を伸ばす。
 自分の肩に掛けられたその手を、ふいにアレスは掴んで引き寄せた。そして、自分の胸に倒れ込んで来たナンナの顎に手を掛け、上向かせる。驚いた表情を見せる彼女には構わずに、そのまま唇を重ねた。
 突然の行為に、ナンナは一瞬だけ瞳を見開いたが、すぐに静かに目を閉じる。少々乱暴ではあるが、ナンナが本気で嫌がることは絶対にしない恋人を信じていた。
 だから、くちづけから解放され、代わりに身体ごとアレスの腕に抱きしめられた時も、逆らうことなく素直に身を任せていた。

 その柔らかなぬくもりを感じている時だけ、アレスは彼女が自分のものだということを確信できる。
 それで充分だったはずだった。だが今は、もっと深い絆への、かつえるような欲望が胸の内を焦がしている。
 こんな形でしかそれを確かめられない自分が悔しかった。

「アレス…。どうしたの?」

 やがて、自分を抱きしめる腕の強さにいつもとは違う何かを感じて、不安そうにナンナが問いかける。アレスは無言のまま、彼女の首すじに唇を這わせた。
 はっきりとナンナが身体を強張らせるのがわかる。だが、アレスは構わずにそのまま彼女の身体を長椅子の上に押し倒した。

「アレス……!」
 抗議の声を無視して、さらに強く唇を押し当てる。ナンナの服の胸の部分をとめている邪魔な飾り釦をはずそうと手を掛けた。

「いやっ!」
 声と共に、ナンナが渾身の力で押し返す。
 その意外なほどの抵抗に、思わずアレスは我に返った。

「ナンナ…」
 一瞬にして熱が引き、自分の身体の下で震えている恋人の姿が視界に入る。
 襟の釦がはじけ飛び、首から胸にかけて彼女の白い肌があらわになっていた。驚いたように見開いた瞳が涙で潤んでいる。
 かすかに震える唇を見ているうちに、どうしようもない罪悪感が胸の底から湧き上がってきた。
 今、目の前にいるのは、これまで自分が相手にしたことのある経験豊富な女達とは違うのだということを、今更ながらに思い出す。

 だが、簡単に自分の非を認めるには、彼の性質は素直という言葉から程遠かった。
 そして、今までにも多少なりと諍いを起した場合、最終的に譲歩するのはいつもナンナであったことも、少しばかり彼を強気にさせた。
 結果、アレスはまるで開き直りとも思える言葉をナンナに突きつけたのだった。

「俺はこういう男だ。所詮は傭兵あがり。おまえの周囲にいた騎士達とは違う」

 その言葉を聞いたとたん、それまで怯えた瞳でアレスを見上げていたナンナの表情が一変した。
 アレスを押しのけるように身を起すと、怒りを帯びた強い視線で真っ直ぐに従兄の目を見据える。

「自分を貶めるようなことを言うのはやめて。そんなアレスは嫌い!」

 そしてそのまま立ちあがり、無言でアレスに背を向けた。
 かける言葉が見つからず、アレスはそのまま彼女の後ろ姿を見つめることしかできない。
 しばらくの静寂の後、怒りの引いた静かな声でナンナが言葉を紡いだ。

「わたしの父も傭兵だったわ。あなたが自分を卑下するのは、わたしの父を侮辱するのと同じよ」

 アレスの中で、今までわだかまっていたものが急速に消えて行くのがわかる。同時に、自分の大切な少女の心を傷つけてしまった罪の意識が、改めて重く胸の中に蘇る。

 自分のマントをはずしてナンナの身体をくるんだ。裂けた襟元を押さえ、まだ身を固くしていたが、彼女は抵抗することもなく、大人しく腕の中に納まった。
 そのまま抱きかかえるようにして、再びナンナを長椅子に座らせる。

「おまえの父親の話は、まだ聞いたことがなかったな」
「だって、わたしはお父様の顔も覚えていないんですもの。すべてはフィンとお兄様から聞いたことよ」
 自嘲するような声に、ナンナが泣いているのではないかとアレスは思った。だが、のぞき込んだその顔は、色こそ少しばかり青ざめてはいたが、いつものナンナのものだった。

「わたしのお父様は、十八年前のバーハラの戦いで行方知れずになったのですって」

 かすかに語尾が震える。あの戦いにおいて行方知れずというのは、ほとんど死と同義語だった。アレスは黙って、ナンナを抱きしめる腕に力を込めた。

 それからナンナは、父について知っているかぎりのことを、ぽつりぽつりと話し始めた。それらが全て伝聞形であることが、哀しさを誘う。

「父は傭兵を職業としていたけど、お金で魂を売り渡すようなことはしなかったと聞いているわ。そして、最後まで母を守るために命を懸けられたそうよ。そんな父をわたしは誇らしく思っているの」

 そしてナンナは、ようやく視線をアレスへと戻した。その表情に、かすかな微笑が浮かんでいる。

「あなたのお父様とは、古いお友達だったそうだけど、お二人が健在だったら、どんな話をされたのかしらね」
「さしずめ俺は、おまえの父親から娘に近づくなと釘を刺されていることだろうな」
「そんなことないわよ。きっとお父様もアレスのことを気に入るに決まっているわ。だって私が愛した人なんだもの」

 はっとしたようにナンナを見つめるアレス。その恋人の目をじっと見つめたまま、ナンナは想いを言葉に乗\せる。

「だから自分に負けないで。誰が何と言おうと、わたしはアレスを誇りに思っているから」

「…すまなかった」

 ようやく素直な気持ちで謝罪の言葉を口にすることができる。自分にこんなことをさせられるのは、この年下の従妹だけであることを、アレス自身が一番よく知っていた。

 ナンナの人目を引く華やかな容姿も、愛らしい笑顔も、他人を思いやる優しい心も、すべてアレスが愛しく思う美点だった。だが何よりも、彼女のこの真っ直ぐな気高い魂に惹かれたのだということが、痛いほど身にしみて感じられる。

 もし自分が誤った道に踏み込みそうになっても、必ず彼女が正してくれるだろう。その信頼こそが、自分をナンナへと惹きつけてやまないのだ。

 ―――俺はおまえにふさわしい男になれるだろうか

 言葉には出さず、胸のうちだけでそっと自分に問い掛ける。答はこれから自分で出していかなければならない。

 ナンナの額にくちづけて、静かに肩を抱き寄せた。言葉もなく寄り添っているだけで、満たされていく心を不思議な思いで見つめていた。

 ―――もう少しだけ、こうしていよう…

 肩を寄せ合う二つの影を、傾きつつある銀月が見守っている。




<END> 



[91 楼] | Posted:2004-05-22 17:00| 顶端
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緋色の夜

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-1-



 天馬がその地に降り立った時、すでにあたりには夕闇が押し迫っていた。

 グランベル王の宣言をしたセリスから、ヴェルトマーの統治を任命されたアーサーとその婚約者フィー。二人が城門をくぐると、そこにはそれまで城の管理を任されていた主だった者達が、新しい主を迎えるべく整列していた。
 二人に先立ってこの地に赴き、準備を整えていた解放軍の兵。代々のヴェルトマー公爵に仕えていた旧臣達。単純に分類すると、その二種類の人間がいるわけだが、それぞれの思惑はともかく、とりあえず全員が銀の髪の公爵に向かって膝を折った。

「お待ち申し上げておりました、公爵閣下」
 侍従長が進み出て、深く頭を垂れる。前公爵でもあったアルヴィス卿がバーハラへと移ってからは、城内の管理を一切任されていた者だった。
 その顔に特別な歓迎の色は表れていないが、これといった敵意も感じられない。仕える主が変わろうと、自分の仕事を成し遂げることに喜びを見出す種類の人間なのだろう。そういう人間の方が、今のアーサーたちにはありがたかった。

 彼に案内され、とりあえず夕食の用意された部屋へと向かう。
 世界の惨状など知らぬとでも言いたげな豪勢な夕餉を、感激よりも戸惑いの思いで二人は口にした。そして、食後のお茶を飲みながら、今後のことを話し合う。
 その時、先ほどの侍従長が再び現れた。入浴の準備が整ったという。先に入るよう勧められたアーサーだったが、一瞬考えた後、傍らのフィーに視線を向けた。

「二人で別々に入るのも面倒だ。一緒に入ろう、フィー」
「えっ……」

 思わずフィーは硬直した。
 今、アーサーは何を口走った? 自分の聞き違いでなければ、一緒に入浴しようと言われたような気がする…。

 椅子の上で固まったまま、フィーは思わずアーサーの顔をまじまじと見返した。
 これでもし、邪な下心がほんのわずかでも彼の顔に表れていれば、即座に張り飛ばしているところだが、アーサーの表情からは何の感情も読み取れない。
 むしろ、そんなふうに深読みしてしまう自分のほうが、よほど卑しい人間に思えてくる。

「さ、行こう」
 肩に手を回され促されると、フィーは逆らうすべを知らなかった。


 熱気と湯気が部屋中に立ち込める。
 入浴用の薄手の貫頭衣を纏ったまま、二人は蒸気で充満した小部屋で向かい合っていた。作り付けの長椅子に腰掛けて、とりとめのない会話を交わしながら、汗と共に身体の汚れを落としている。

 フィーは、すっかり水分を含んでしまった自分の浴衣に目をやった。濡れた服地が肌に貼り付いて、身体の線がくっきりと浮かび上がる感じがする。考えようによっては裸でいるより恥ずかしい気がしないでもない。
 アーサーも、時々気持ち悪そうに身体に貼りついた服を引っ張っている。それでも、脱ごうとしないのは一応自分への気遣いなのかもしれない。そう思って、フィーはなんとなく嬉しかった。

「シレジアは自然の鉱泉が多かったから、あたしはよく温泉のお湯を引いたお風呂に入ってたけど、これって人工的にお湯を沸かしているのよね?」
「そうだろうね」
「これだけの水と燃料を、公爵家の人間のためだけに使うなんて、すごい贅沢だと思わない?」
「それと人手もね。一定の温度に保つのは、かなり大変なんじゃないかな」
「あの湯船なんて、何人の人が一緒に入れるのかしら」

 ガラス越しに隣に見える広い浴室には、大きな湯船が三つ並んでいる。火照った身体を冷ますための冷水。温まるための熱い湯。その中間のぬるめのお湯と、三種類の温度の浴槽が用意されているのだ。
 それを維持するための費用と労力を思い、二人は同時にため息をついた。

 蒸気の部屋で汗を出し、湯船のある部屋で身体を洗い流す。そんなことを何度か繰り返しているうちに、旅の疲れも汗と一緒に流れていくような気がした。

 ぬるめのお湯に二人で浸かっていた時に、ふとフィーはアーサーの髪に目がいった。自分はさっき髪を洗ったけれど、アーサーはお湯で流しただけで洗料は使っていなかったはずだ。

「ねえ、アーサー。髪洗ってあげようか」
「え?いや、いいよ」
「あたし、子供の頃よくお母様の髪を洗ってあげたことがあるから大丈夫よ。まかしといて」
 そう言うと、返事も待たずに湯船から上がった。浴槽の中で淵に背をもたせかけているアーサーの髪を湯船の外へと出すと、少し顔を仰向かせるよう彼に指示する。
 そして、さっき自分が髪を洗う時に使った瓶の蓋を開け、中身を手に注いだ。
 解放戦争の間中、自分たちが主に使っていた実用一辺倒の石鹸とは違う、香料入りの専用の液体が中に詰まっている。
 これ一本でいくらくらいするんだろう…。一瞬胸をよぎったそんな思いをとりあえず隅に押しやって、しっとりと濡れているアーサーの髪に洗料をなじませる。
 次第に泡立つ髪を、丁寧に指で梳いた。

「ねえ。一度聞こうと思ってたんだけど、アーサーはどうして髪を伸ばしてるの? 手入れだって大変よね?」
「手入れなんてしたことないよ。洗って自然に乾くのを待つだけだ」
「でも、シレジアでは目立ったでしょ、この髪の色。それに、戦闘の時だって結構邪魔になったんじゃない?」
「そうだけど、これは母さんの形見みたいなものだから…」
「形見?」
 意外な返事に、思わずフィーの手が止まる。アーサーは湯気の渦巻く天上に目を向けたまま、淡々と言葉を発していった。
「元々はね、切るのが面倒で伸ばしてたんだけど、そうしていると僕は母さんによく似ているらしい。母のことを覚えていてくれた村の人が、そう言ってた。それを聞いて、切るのはやめようと思ったんだ。ティニーに会った時、ペンダントの他に自分の出自を証明できるのは、この髪くらいしかないからね」
「そうなんだ…」
 再び手を動かしながら、フィーが呟く。
 この髪にそんな思いが込められていたなんて知らなかった。そう思うと、今自分が手にしているものが、ますます愛しく思えてくる。

 だが、そんな彼女の気持ちなどアーサーは知らない。
「でも、そうだな。もうその必要もなくなったわけだし、切ってみようかな」
 あっさりとそんなことを口にする。

「だめよ!絶対だめ。あたし、アーサーのこの髪好きだもの」
 今すぐにでも切りかねない未練のない口調に、フィーはあわてて口を挟んだ。
「だから、絶対切っちゃだめよ。いい?」
 必死の思いで訴える。その様子に、アーサーが苦笑を浮かべた。

「じゃあ、時々こうして洗ってくれるなら、伸ばしていてもいいよ」
「うーん…しょうがないわね」
 なんとなく上手く言いくるめられた気がしないでもないが、とりあえず笑顔でフィーはそう答えた。



--------------------------------------------------------------------------------

緋色の夜

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-2-



 湯から上がると、二人はそれぞれの部屋に案内された。
 フィーは、寝室としてあてがわれた広い部屋の中で、なかなか寝付けずにいた。何度も寝返りを打ち、再び目を開く。

 炎の聖戦士ファラを祖としているためなのか、ヴェルトマーの宮殿の装飾品は赤系統が多く使われていた。それがフィーを、何となく落ち付かない感じにさせる。
 シレジアで育ったフィーの周りは、いつも寒色系の静かな色調が取り囲んでいた。大地を覆う雪の白。初夏の若葉と人々の髪の緑。涼やかなその色が懐かしく思い起こされた。郷愁の想いがふと胸をよぎる。
 今自分がくるまっている毛布も掛け布団も、寝台の周囲を覆う厚手の布も、皆くすんだ緋色をしていた。それは炎と血とを連想させる。ただでさえ刺激の強い赤を、心を休めるべき寝室にまで使う神経が、フィーにはわからなかった。

 ―――ファラの血を引く人なら、この色も落ち着けるのかしら…

 そんなことを思いながら、もう一度目を閉じる。

 その時、扉を叩くかすかな音がした。初めは寂しさが聞かせたそら耳かと思ったが、その音は繰り返し聞こえてくる。
 フィーは飛び起きるなり、扉に向かって駆けだした。

 扉を開けると、そこには予感通りアーサーが立っている。勢いよく飛び出したフィーに少し驚いた表情を見せるが、すぐに笑顔が取って代わった。

「侍従長が僕の部屋に冷たい飲み物を用意してくれたんだ。君もおいでよ」
「ほんと? うん、行く!」

 湯上りの身体に冷たいものは確かに欲しかったが、それよりも、もう少しアーサーと話ができることのほうが嬉しかった。
 初めての見知らぬ場所で、フィーもほんの少し心細かったのだ。

 招き入れられたアーサーの部屋は、フィーの部屋よりもさらに広い。調度品も一段と豪華な物がしつらえてあるようだ。そして、やはり赤い色彩が部屋全体を覆っている。
 部屋の中央にある丸いテーブルの上に、赤い液体の入った瓶とグラスが二つ、それに果物の盛られた器が用意されていた。

「果実酒だって。よく冷えてるよ」
 フィーに椅子を勧めると、アーサーは両方のグラスに瓶の中身を注ぎ分ける。受け取ったそれに口を付けたフィーから「おいしい」という言葉がもれる。
 そのままフィーは、一気にグラスの半分ほども空けてしまった。

「軽いといっても一応酒なんだから、あんまり飲みすぎるのはよくないよ、フィー」
「だって、喉渇いてたんだもん。それに、すごく飲みやすくておいしいのね、これ。なんのお酒なのかしら」
「さあ。その果物から造られたとか何とか、侍従長が口上を言ってたけど聞いてなかったから」

 アーサーは、テーブルの上を目で指した。そこには、クリスタルの器に盛られた紅い果実がある。フィーは器の中身に改めて視線を移した。

「ねえ、これってライカの実よね?」

 紅い果皮の中から乳白色の小さな実が顔を覗かせている。その柔らかくみずみずしい果肉。それが、ミレトスの一地方でしか作られていない、果実の女王とも呼ばれる高価な品であることを、フィーは知っていた。

「ふうん。そういう名前なんだ」
「庶民にはとても手の届かない貴重品よ。南国でしか採れないから、シレジアでは馬鹿みたいに高い値段がついてたわ」

 複雑な表情で、フィーは器の中の小さな果実を見つめた。

「ミレトスがあんな状態でも、どこかでは生産されてたんだ。あるところにはあるっていうか、ほんと富って一箇所に集中するのね」
「庶民が食べる麦の生産を制限しても、金持ちの嗜好品の栽培は優先する。そんなものだよ、どこも」
「ねえ、アーサー。あたし達、まず身近な無駄遣いからなくしていこうね」
「うん、そうだね。こんな贅沢に慣れたら、一気に堕落しそうだよ」

 アーサーは、その贅沢の象徴でもある果実を手に取った。これ一粒で、どれだけの飢えた民が救われるのだろう。そう思うと、口にすることに罪悪感を覚える。だが、自分たちが食べなくても、これはただ捨てられるだけなのだ。とりあえず一つを口に放り込む。

 甘く口当たりのよい果肉は、確かに高価格で取引されるだけのことはあるかもしれない。だが、柔らかく滑らかな舌触りにも、アーサーはただそれだけの価値しか見出せなかった。自分はこんなものに溺れることはないだろう。そんな確信を得て、ほんの少し安堵する。
 そして、あいかわらず果実酒のグラスを手にしているフィーに向かって微笑んだ。

「ほら。酒はそのくらいにして、こっちを食べてごらん」

 器の中身を一つ手にすると、皮をむいてフィーの口許に持っていった。フィーが嬉しそうに、唇を差し出す。
 果実を口に含んだ時、フィーの唇がアーサーの指先に触れた。そのとたん、痺れるような衝撃が彼の身体を走り抜ける。フィーの唇が触れた指の部分が、疼いたように熱を持っていた。
 もっとも、アーサーの表情からは、彼の内面の葛藤を読み取ることは難しかったが。

 だから、アーサーが立ち上がり自分の側に来た時も、フィーは全く警戒していなかった。彼が身をかがめてフィーの顔を両手で包んだ時、ようやく彼女はアーサーの様子が少しばかり違うことに気づく。その時にはもう、フィーの唇はアーサーのそれによってふさがれていた。

「…………!」

 無防備な唇を割って、アーサーの舌が侵入してくる。二人が口にしていたライカの実の甘酸っぱい味が広がっていく。
 アーサーの長い銀の髪がさらさらとフィーの頬をくすぐった。ほのかな髪の香りが鼻孔を突いて、フィーは眩暈がするようなうっとりとした感覚に囚われる。
 長いくちづけの後、ようやく唇が離れ、フィーはゆっくりとまぶたを開いた。すぐ目の前で、紅玉石のような澄んだ二つの瞳が自分を見つめている。

「アーサー…」

 くちづけを交わしたのはこれが初めてではなかったが、こんな真剣な表情のアーサーを間近で見たのは初めてのような気がする。そして、自分の胸がこんなに音を立ててときめくのも。

 アーサーは、フィーの手を取って彼女を椅子から立ち上がらせると、背を向けて歩き出した。ニ、三歩行きかけて立ち止まり、付いて来ようとしないフィーを振り返る。
 そして、戸惑いを顔いっぱいに浮かべたフィーを、不思議そうな顔で見つめた。

「おいで」

 立ち尽くすフィーに向かってアーサーが手を差し伸べた。
 彼の向かおうとする先には、豪奢な天蓋付きの寝台がある。
 アーサーの顔はあいかわらずの無表情に見えたが、彼の意図するところがわからないほど、フィーも鈍くはない。じわじわと頬に血が昇っていくのを感じた。

 そんなつもりじゃなかったとか、まだ心の準備ができてないとか、頭の中ではそんな否定的な言葉が渦を巻いている。
 にも関わらず、まるで魔法でもかけられたかのように、ふわふわとした足取りで、アーサーに手を引かれるまま、フィーは彼の導く方へと歩いて行った―――。




<END>  



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雪之丞

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籠\の中の月


--------------------------------------------------------------------------------



-1-



 ものごろこついた時には、母と二人、この塔の中にいた。
 この部屋と、窓から見える風景と、ここを訪れる限られた人々。それだけがティニーにとって世界の全てだった。
 ある日、太陽の光のような髪を持つ少年が、彼女の元を訪れるまで。


「ユングヴィ公スコピオが、今夜ここに来るよ」

 伯母がそう告げた時、ティニーにはとっさに意味が掴めなかった。

「滞在中に、おまえのことを聞いて興味を持ったらしい。あの男も、あまり趣味がいいとは言えないねえ」

 未だ充分に美しい伯母は、ティニーに向かって蔑むような視線を見せた。流れる褐色の髪、紅をつけなくても鮮やかに赤いその唇。大輪の紅薔薇のように華やかな印象を与える伯母の前に出ると、いつもティニーは萎縮してしまい、言いたいことの半分も口に出来ない。
 ようやくの思いで、目の前の伯母に小さく問いかける。

「あの……伯母様。スコピオ様は、なぜこちらにいらっしゃるのですか?」
「そんなこともわからないほど馬鹿なのかい、おまえは!」

 強い叱咤に思わず身をすくめるティニー。その彼女の耳元に口を寄せると、ヒルダは今夜ティニーが務めなければならない役目を囁いた。それを聞いて、ティニーの顔が蒼白になる。
 血の気が引いた姪の顔を満足そうに見下ろすと、ヒルダは楽しげに言葉を続けた。

「上手くやれば、妾妃くらいにはしてもらえるかもしれないよ。謀\反人の血を引くおまえには、もったいないような話じゃないか」

 謀\反人―――。その言葉を聞いた時だけ、かすかにティニーの肩が震えた。それが、両親のことを指しているとわかったからだ。自分のことはどう言われてもかまわない。しかし、優しかった母のことを悪し様に言われるのだけは許せなかった。

「スコピオはまだまだ利用価値のある男だ。せいぜい気に入られるようにがんばっておくれ。やっかい者のおまえがようやくフリージのために役にたてるんだからね」

 高い笑い声を残し伯母が去った後、ティニーは崩れるように床に座り込んだ。
 いずれ、自分の意志とは関係なく、フリージ家のために、どこかの貴族か領主に嫁がされることになるのはわかっていた。だが、このような形でその日を迎えることになるとは思わなかった。

 とっくの昔にあきらめたはずなのに、どうすることもできない自分の運\命が今更ながらに悲しかった。知らず知らずのうちに、涙が頬を伝う。




「―――ファバル…」

 無意識のうちに、その名前を口にしていた。
 それは、ティニーにとって唯一の光。彼のことを考えている時だけは、ティニーは何もかも忘れて夢を見ることができる。

 数ヶ月前、偶然塔の下を通りかかった少年が、窓から外を見ていたティニーに声をかけた。翌日も彼は同じ時間にやってきて、ティニーに話しかけてくれた。
 そして、ティニーがそこから出られないことを知ると、自分がそこへ行くと言い出したのだ。驚くティニーにはかまわず、壁のくぼみに手をかけ、あっという間に窓のところまで登って来た。ゆうに三階分はある高さをものともしないその腕力と運\動神経は、ティニーにとっては考えられないものだった。

 太陽のように輝く髪のその少年はファバルと名乗\った。
 ブルームに雇われた傭兵だという。職業から受けるイメージとはほど遠い邪気のない笑顔を、ティニーはまぶしいような思いで見つめた。

 それ以来、時折彼はティニーの元を訪れて、いろいろなことを話してくれるようになった。この城の外のこと、彼の妹のこと、面倒を見ている大勢の子供達のこと。ティニーにとって全てが目新しく、新鮮な驚きに満ちた世界だった。
 ファバルの話を聞いている時だけ、ティニーの心は翼に乗\って自由な空の下を彼と共に翔けていた。



「ティニー、どうしたんだ?」

 突然、背後から聞こえてきた声に、ティニーは顔を上げた。
 あまりに強く彼のことを考えていたから、幻の声を聞いたのだろうか…。そう思うと、恐くてそちらを見ることができない。
 だが、窓のほうから続けて聞こえてきた、誰かが床に飛び降りたような物音に、ティニーはたまらずに振り向いた。

 たった今思い描いていた、金の髪の少年がそこに立っていた。窓からのぞく青い空を背に、まるで彼自身が太陽であるかのように輝いて見える。
 少年は走り寄って、涙の跡の残るティニーの顔をのぞきこんだ。

「泣いてたのか? また、伯母さんにいじめられたのか?」
「ファバル……」

 ティニーの瞳から、再び涙が零れ落ちる。目の前の胸にすがり付いて、声を殺して彼女は泣き始めた。


「何だって!」
 ようやく少し落ち付いたティニーから事情を聞くなり、ファバルは絶句した。そのまま呆然とティニーの顔を見つめている。
 だが、次の瞬間には、すでに彼は決意を固めていた。

「ティニー、ここを出るんだ。俺と一緒に逃げよう」
「え……?そんな…」

 ファバルの言葉に、今度はティニーが言葉を失った。運\命を受け入れる以外の道を、これまで一度たりとも想像したことすらなかったのだ。

「だめよ。だって、そんなことしたら、伯母様達に迷惑がかかるわ」
「そんなこと言ってる場合か。だいたい、その伯母さんって人は、おまえの母さんをさんざんいじめて死なせてしまったようなやつなんだろう。義理立てする必要なんか、ないじゃないか!」
「でも……」
「人身御供にされちまってもいいっていうのか。俺は嫌だ。ティニーがそんな目に遭うのを黙って見てなんかいられない」

 まだ、硬直したままのティニーをよそに、ファバルは窓から城門の方角に目をやった。

「今は人目に付く。ここを抜け出す準備をして、暗くなったらもう一度俺は戻って来る。必ず来るから待っててくれ、ティニー」
「ファバル!」

 再び窓から外に向かおうとしたファバルに、必死の思いでティニーは呼びかけた。今離れてしまったら、もう二度と会えないような気がした。
 窓枠に足をかけたままファバルが振り返る。
 貫くような強い視線が、ティニーの双眸にぴたりと合わされる。

「絶対に早まったまねはするんじゃないぞ、いいな!」

 自分の運\命を悲観して、ティニーが自害をするのではないかと案じたのだろう。ファバルがそんなことを口にした。事実、そのことも考えないではなかったティニーは、ファバルの言葉にほんの少しの勇気を得た。

 ―――彼を信じて待ってみよう

 かすかに頷いたティニーに、安心するかのような笑顔を見せると、ファバルは再び窓の外へと消えていった。



籠\の中の月


--------------------------------------------------------------------------------



-2-



 過ぎてほしくないと思う時間ほど早く流れ去って行く。
 すっかり夜の帳が降りた頃、塔を警備する衛兵が扉越しに来訪者の存在を告げた。

「ティニー殿ですね」

 細めに開けた扉の影から、衛兵のものではない低く静かな声が聞こえてきた。

「はじめまして。私はユングヴィ公爵スコピオと申します。お目にかかれて、光栄に存じます」

 ティニーの手をとり、その甲に軽くくちづける。貴婦人に対する完璧な紳士の作法だった。

 公爵という肩書きから、年配の男性を想像していたティニーは、目の前に現れた線の細い青年の姿にほんの少しの驚きを感じていた。落ち着いて見えるが、おそらく年は自分とさほど変わらないだろう。よく手入れされた真っ直ぐな美しい金の髪が、肩まで流れ落ちている。
 伯母のヒルダはユングヴィを、中央から離れた辺境の地と蔑んでいたが、礼儀正しく優雅なその物腰は、アルスター宮廷の騎士達と比べても全く遜色がなかった。

「ようこそ。お待ち申し上げておりました、スコピオ様」

 心にもない言葉を乗\せ、ティニーも作法にかなった礼を返す。
 スコピオを部屋に招き入れ、先に立って奥の部屋へと向かった。

 ―――ファバルは来なかったのね…

 窓の側を通り過ぎながら、ちらりと外へ目をやった。
 でも、そのほうがいい。自分のために、彼に危険を冒してほしくなどなかった。





「どうぞ。こちらへ」

 奥への扉を開き、スコピオに中に入るよう促した。
 勧められるまま歩み入ったスコピオの足が止まる。そして振り返った彼の顔には、明らかな戸惑いが浮かんでいた。

「ここは…寝室ではありませんか。ティニー殿、どういうことです?」

 ほんの少し咎めるかのような口調に、ティニーは自分が何か失敗をしてしまったのかとひどく狼狽した。スコピオの機嫌を損ねるということは、フリージとユングヴィの間にも亀裂を生じることになる。

「あ…あの……わたしは…ヒルダ伯母様から、スコピオ様の夜伽を努めるよう、仰せつかりました」

 その言葉を聞くなり、スコピオは額に手を当てて天をあおいだ。

「あの人は……何てことを…」

 小さな声でそうつぶやくと、改めてティニーのほうを振り返る。

「このような時間に招かれた理由がわかりました。
 ヒルダ殿は誤解なさっているようだ。確かに私はあなたと話がしたいとヒルダ殿に申し入れました。だがそれは、文字通り、ただ話をしたかっただけなのです」

 そして、ティニーを思いやるような視線を向けた。

「辛い思いをさせましたね。お詫び致します」
「いえ…そんな……」
「さあ、あちらの部屋へ戻りましょう」

 緊張が一気に解け、代わりに安堵と困惑がティニーの胸に渦巻いた。先に立って歩くスコピオの背中を見ながら、突然訪れた幸運\を、まだ信じ切れないでいる自分を感じていた。


 部屋の中に薔薇の茶の香りが漂っている。
 母ティルテュが好んで飲んでいたお茶だった。淹れ方も、母から直々に教えてもらったものだ。

「ティニー殿は、お茶を淹れるのがお上手ですね。とてもおいしい」
「ありがとうございます」

 ティニーの顔に、思わず笑みがこぼれた。こんなに素直な賛辞の言葉は、母が亡くなって以来、久しく聞いたことがない。伯母からは、いつも役たたずだのろまだと蔑まれて続けてきた。そんなティニーの心に、スコピオの何気ない一言が温かく染み渡る。

 やがてスコピオは茶器を置くと、真剣な表情でティニーのほうに向き直った。
「実は、ティニー殿にお聞きしたいことがあったのです」
「なんでしょう?」
「あなたの母上は、シグルド公子の軍に身を置いていたと伺いました。私の伯母ブリギッドもあの軍にいたそうです。あなたの母上から、伯母について何か聞いたことはありませんか?」
「まあ。スコピオ様は、ブリギッド様に縁の方なのですか」

 懐かしい名前を聞いて、ティニーの表情がぱっと明るくなる。
 母ティルテュは、シグルド公子の軍の人々のことを子守唄代わりに話してくれたが、その中でもブリギッドはよく名前を聞いた一人だった。

「はい。ブリギッド様と母は仲がよかったそうで、よくお話を聞きました。ブリギッド様は太陽のような輝きを持つ方だったと、いつも母は言っていました」
「太陽のような…」
「ええ。子供の頃に海賊\に攫われて、その中で育ったそうですが、誇り高いその心は少しも汚れていなかったそうです。イチイバルと呼ばれる弓を引く姿は、神々しいようだったと何度も聞かされましたわ」

 それからティニーは、母から聞いたブリギッドについて覚えている限りのことを話した。
 母が初めてブリギッドに出会った時の事。二人とも海賊\に追われているうちに合流したのだが、彼女といると少しも恐くはなかったと言っていた。それからシレジアで過ごした短くも平和な時。さっぱりとした性格のブリギッドは、家や父のことで悩みがちだった母を、いつも励まして元気付けてくれた。母が彼女だけに打ち明けた秘密はとても多かったという……。

 ティニーの言葉を、スコピオは黙って聞いていた。その瞳が昏い陰りを帯びていることに、ティニーは気づかない。夢中になって母とブリギッドの思い出を語り続けた。
 やがて話も尽き、沈黙が訪れるようになった頃、スコピオの口からぽつりと言葉が漏れた。

「…………私の父は、ブリギッド伯母の手にかかって亡くなりました」

 瞬間、ティニーは背中から冷水を浴びせられたような気がした。全身から血の気が引いていくのがわかる。

「ご…ごめんなさい…。わたし、何も知らなくて……」

 どうして自分はこう考えなしなのだろう……。そう思って、消え入りたい気持ちになった。
 てっきりスコピオが自分の伯母を懐かしんで話を聞きにきたものだと、頭から思い込んでしまった。母やブリギッドのいた軍が反乱軍と呼ばれていたこと、そしてスコピオがそれを討伐したグランベル帝国の貴族であることまで、考えが及ばなかったのだ。

「あ、いえ。どうか、気になさらないで下さい。決して、あなたを責めているのではありません」

 あまりにも悄然としたティニーの姿に、慌てた様子でスコピオは取り成した。

「ティニー殿。少し…話を聞いていただけますか?」

 スコピオの言葉に、ティニーは恐る恐る顔を上げた。
 目の前には、静かな彼の表情がある。その瞳に、怒りの色は微塵もうかがえない。

「私は幼い頃、父の忠実な臣下だった者から、父の最期の言葉を聞かされました。『スコピオ、父の仇を討ってくれ…』そう、父は言い残したそうです。父の無念を晴らすこと……長い間、それを支えに私は生きてきました」

 穏やかといってもいい、落ち着いたその外見からは想像もできなかったスコピオの過去に、ティニーは驚きを隠せなかった。全ての感情をその胸のうちに抑え込むまで、彼はどれだけの葛藤を繰り返したのだろうか。

「だが、私も成長し、側近以外の者の言葉も耳に入ってくるようになると、幼い頃から聞かされ続けた事がはたして真実なのかどうか、確信が持てなくなっていったのです。私は父を尊敬しています。信じたいと思っています。だから、自分自身で納得するためにも、伯母のことを知っている人から、少しでも話を聞くように務めてきました」

「アルスターにいらっしゃったのも、そのためなのですか?」

「いえ、それはまた別の話です。わがユングヴィとフリージは同盟を結んでいます。このたびヒルダ殿から援軍の要請があり、その件で参りました。なんでも旧レンスター王家の遺児が反乱軍を組織しているとの噂があり、ブルーム殿がひどく気にされているようなのです。あの方も気の小さい人だから」

 自分の前では常に堂々とした威厳あふれる態度で振舞っていた伯父。その彼を『気の小さい人』と評され、意外な思いがする。

「私はユングヴィの当主ではありますが、この身に聖痕を持っておりません。ご存知ですか?」

 ティニーは黙ってかぶりを振った。

「グランベルの六公家は、聖痕を持ち神器を受け継ぐ者のみが統治する。それが建国以来の習わしです。だから、隙を見せれば、それを口実に私は国の統治権を奪われるかもしれません。現に、神器の継承者を失ったシアルフィやエッダは、皇家の直轄領になっています。だが私は、父が守ろうとしたユングヴィを愛している。他の者の好きなようにはさせません」

 ―――そのため、なるべく隣国とは友好的な関係を維持するよう、常に心を砕いているのですよ

 スコピオが苦笑を浮かべる。ユングヴィがフリージと同盟を結び、援軍の要請にも応えているのはそのためなのかと、ティニーは初めて理解した。

「それでなくても私は若輩です。その上、聖痕も神器も持たないとあっては、他の公爵家の方々から軽んじられてもしかたのないことでしょう」

「そんなことありません。スコピオ様は立派な方だと思います」

 思わず椅子から立ちあがってしまった自分に気づき、ティニーは我に返った。ひどく無作法なことをしてしまった。頬に血が上り、恥ずかしい思いでいっぱいになる。

「申し訳ありません。スコピオ様のことを何も知らないのに……」

 さぞ生意気な娘だと思われたことだろう。自己嫌悪が胸に広がっていく。

 その時、ふいに手の甲に暖かい感触があった。俯いた顔を上げると、すぐ目の前にスコピオが立っている。そして、両手でそっとティニーの手をとって笑顔を浮かべた。

「いいえ。そのようにおっしゃって頂いて嬉しく思います。ありがとう」

 それは、今まで見せていた社交辞令的な笑みとは違い、ティニーの心すらも暖かくさせるような微笑だった。
 その笑顔が、ふいに記憶の中のファバルの笑顔と重なっていく。
 なぜだろう…。顔立ちも印象も、全く違う二人なのに。

 ティニーがそんな考えにとらわれていた、その時だった―――。



[93 楼] | Posted:2004-05-22 17:02| 顶端
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籠\の中の月


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-3-



 音をたてて窓が開き、一陣の風が部屋の中へと舞い込んだ。

「ティニーから離れろ!」

 鋭い声が放たれる。スコピオとティニーは、同時にその方角へ目を向けた。
 窓を背に、一人の男が立っていた。矢をつがえた弓弦を引き絞り、まっすぐにスコピオに狙いを定めている。

「貴様!何者だ!」

 スコピオは、ティニーを背後にかばうように、前に進み出た。

「ファバル!」

 弓を構えた男を目にして、ほぼ同時にティニーが声を上げる。そこに立っているのは、ティニーを救い出すためにこの塔に侵入したファバルだったのだ。

「ティニー。こっちへ来るんだ」

 視線はスコピオから逸らさずに、ティニーに向かってファバルが呼びかける。だが、ティニーの足はその場から動かなかった。

「待って、ファバル」

 スコピオの背中越しにティニーが細い声で訴える。




「ファバル、違うの。この方は悪い人ではないの。お願い、弓を降ろして」
「弓……?」

 ティニーの言葉に反応したのは、ファバルではなくスコピオのほうだった。それまで不審な侵入者であるファバルの顔に向けられていた視線が、彼が手にする弓のほうへと向かう。

「おまえ、その弓は……」

 燭台の明かりも届かないほの暗い窓際でも、ファバルが手にしたその弓だけは自己の存在を主張していた。それが、月の明かりを反射しているのではなく、弓自らが光を放っているのだと気づく。

「それは…もしやイチイバルなのか? ユングヴィの至宝を、なぜおまえが持っているのだ!!」
「イチイバル?何だそれは? この弓は母さんが俺に残してくれた大切なものだ」
「母親だと……。では、まさか、おまえは…!」

 その時、にわかに部屋の外が騒がしくなった。

「スコピオ様、ティニー様、何かございましたか!」

 扉の向こうから、この塔を警備する衛兵の声がする。声と物音から、中の異変を察したらしい。
 反射的にそちらへ向かおうとしたスコピオの背中を、ファバルの弓が追う。思わずティニーはスコピオの横をすり抜け、ファバルに駆け寄った。

「やめて、ファバル!」

 ファバルに抱き付くようにして、スコピオを狙う彼を止めた。

「本当に大丈夫なの。あの方はとてもお優しい方なのよ。わたしに何もなさらないわ。伯母様の勘違いだったの」

 思いも寄らないティニーの言葉に、ファバルの瞳が動揺する。

「だけど…! ここにいる限り、いつまたそんな目に遭うかもわからないんだ。今、俺とここを出よう、ティニー」

 その言葉に、ティニーが大きく瞳を見開いた。密かに憧れ続けた外の世界への扉が、今目の前に開かれているのだ。

 だが、やがてティニーは力なく肩を落とした。

「だめ……できない…」

 そして、悲しそうに目を伏せる。
 幼い頃からずっと、この塔とここで出会った人々だけがティニーの知る全てだった。
 いつも自分に優しくしてくれる従兄妹たち。時折顔を見せては、一言二言ではあるが、気遣いの言葉をかけてくれる伯父。そして、良い思い出のひとつもないあの伯母ですら、憎みきれないでいる自分をティニーは知っていた。
 それらを全て振りきって、見知らぬ世界に飛び出す勇気は、今のティニーにはまだなかった。

「ごめんなさい、今は行けない……。だから、ファバルは逃げて。あなたにもしものことがあったら、わたしだって生きていられないわ」

 涙の浮かんだ瞳がファバルを見つめる。

「逃げて。そして、きっとまた会いに来て」

 あなたと一緒にここを出ていく勇気を手に入れるために―――

「来てくれて、すごく嬉しかった……」

 かすかな微笑を浮かべたティニーの頬を、ひとすじの涙が伝う。それを見たファバルの顔に、ようやく決意の表情が浮かぶ。

「わかった」
 ティニーの両肩に手を置いて、ファバルは頷いた。

「何度でもここへ来る。そして、必ずおまえをここから救い出してみせる」
 力強くそう言った。


 扉の前で、ファバルとティニーのやりとりを、黙ってスコピオは見ていた。
 この闖入者がティニーの知り合いであるらしいこと、彼女の身を案じて乗\り込んできたことも、なんとなく理解できた。
 その時、再び扉の向こう側から衛兵の声がした。

「スコピオ様……?中に入ってもよろしいですか?」

 スコピオがなぜこの部屋を訪れているのかヒルダから聞かされている衛兵は、ためらいがちに声をかけた。

「何でもない。夜中に騒ぎ立てるな。無粋な」
「は!申し訳ございません」

 スコピオの一言で、勝手に納得した衛兵達が去って行く気配がする。それを確認し、スコピオが振り返った時、すでにファバルの姿はなかった。


 窓際に、崩れるように座り込み、両手で顔を覆っているティニーがいる。スコピオは静かに近づくと、彼女に向かって声をかけた。

「ティニー殿。あの男はいったい何者なのです」

 自ら光を放つ黄金の弓。そんなものがこの世に二つとあるとは思えない。父と自分が憧れ続け、探し続けた聖なる弓を持つ男のことを、スコピオは知りたかった。

「教えて下さい!」

 反応しないティニーの両腕を掴み、やや乱暴に揺さぶった。ようやくティニーが顔を上げ、かすかな声で答を返す。

「あ、あの人はファバルといって、時々ここを訪れてわたしを元気付けてくれるんです。でも、どこの誰なのか、素性は何も知りません。…ごめんなさい、スコピオ様」

 怯えたような瞳で自分を見上げるティニーを、それ以上追求することは、スコピオにはできなかった。

「すみませんでした。手荒なまねを…」

 ティニーの腕を掴んだ手を、そっとはずす。

「お願いです、スコピオ様。ファバルのことを、伯母様には…」
「あなたが望まないのであれば、私は何も言いません」
「……ありがとうございます…」

 ティニーが再び手で顔を覆った。声を押し殺して泣いているのがわかる。
 しばらくそのまま彼女を見つめていたスコピオは、やがてティニーの側にひざまづいた。

「ティニー殿は、ここを出たいと思ったことはありませんか?」
「え?」
「私の国ユングヴィは、とても美しいところです。空と海の青と、大地の緑がどこまでも広がっています。あの明るい太陽の下に立つあなたの姿を私は見てみたい」

 スコピオの真意を測り兼ねて、ティニーが戸惑った表情を見せる。そんな彼女に、スコピオは静かな笑みを返した。

「私は明日には国に戻らなければなりませんが、いずれまたアルスターに来ることになると思います。その時には、またお会いしましょう」

 再び立ち上がると深く頭を下げ、淑女に対する最大限の敬意をもってスコピオは一礼した。そして、そのままティニーの部屋を後にする。
 見送ったティニーの目に映ったのは、最後まで完璧な紳士の姿だった。



 翌日、ティニーの元に、上機嫌のヒルダがやってきた。
 ティニーを最も傷つける存在であると同時に、最も多くこの部屋を訪れてくれる人間が、この伯母である。もし、ヒルダがいなくなったら、自分はこの世から見捨てられたも同然になってしまうのかもしれない…。そんなふうにティニーは時々思う。

「今朝、スコピオから、おまえを公妃としてユングヴィに迎えたいと、正式な申し込みがあったよ。どうやら首尾良くやったようだね」

 意味ありげな視線を寄越す。だが、ティニーは伯母の誤解をあえて解く気にはならなかった。
 反応しないティニーに、面白くなさそうにヒルダは眉をひそめた。

「それにしても、スコピオも物好きなことだ。まあ、神器すら持つことのできないあの男には、おまえくらいがちょうどいいのかもしれないねえ」

 ―――他の公爵家の方々から軽んじられてもしかたのないことでしょう

 スコピオの言葉が蘇った。
 だが、それでもスコピオは、伯父のブルームに負けない立派な統治者だとティニーは思った。

 そして、ユングヴィの太陽の下に立つ自分を見たいと言っていた、彼の言葉をふと思い出した。

 ―――わたしをかわいそうに思って下さったのかしら…

 おそらく、公妃というのは口実で、自分をここから助け出そうとしてくれているのではないだろうか。なぜかティニーはそんな気がした。


 ファバルとスコピオ―――。

 ティニーをその運\命から救い出そうとする二人が、同じ血を引く従兄弟同士であることなど、今の彼女には知る由もない。


 それは、解放軍と呼ばれる軍隊によってアルスターが陥落する、一月前の出来事であった。




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Spring Field


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-1-



 土煙と血しぶきを舞い上げて、自由と平和を勝取るための戦いが始まった。
 ティルナノグから出陣した解放軍の戦士たちは、ほどなくガネーシャからの討伐軍と合間見えることとなった。
 混乱の中、戦況は一進一退を繰り返している。
 消耗した仲間たちのためにリブローの杖を振るうラナを狙って、一人の敵兵が戦列を移動した。それに気づいたスカサハが、兵を追ってその場を去って行く。
 ずっと背中合わせで戦ってきたスカサハが離れた瞬間、数人の兵がラクチェのほうへ向かってきた。たちまちのうちに四方を囲まれてしまう。背後を守る兄はいない。
 この戦いに身を投じてから、初めて死への恐怖がラクチェの脳裏をかすめた。

 その時、ふいに背後で剣の交わる音と苦悶の声が立て続けに起こった。
 思わず振り返ったラクチェの目に、地に倒れ伏す何人かの敵兵の姿と共に、一人の騎兵の姿が映る。

「大丈夫か、ラクチェ!」

「デルムッド……」

 今ここにいるはずのない人の姿を目にして、ラクチェは呆然と瞳を見開いた。
 デルムッドが、オイフェやレスターと共にティルナノグを発ってから、すでに半年以上の月日が流れている。その間、何度も夢に見たその姿。それが今目の前にあることが、ラクチェはすぐには信じられなかった。

 ここが戦場であることも忘れて、剣を放り出しそうになった。そしてそのまま彼のところへ駆けていきたい衝動にかられた。
 だが、熟練の戦士としての理性がそれを押しとどめる。瞬時に意識を切り替えると、目の前の敵に集中した。次々と向かってくる敵兵を斬りながら、徐々に二人の距離が離れて行く。

 二人が再び互いの姿を目にすることができたのは、あらかた戦闘が片付いた後だった。


 ガネーシャからの第一陣を退けた解放軍は、進軍途中にある村の一つに仮の陣を構えていた。敵の逃亡兵達の略奪を受けていた村の人々は、それを撃退してくれた解放軍に宿と食料を提供したのだ。
 再度の襲撃に備えて、非戦闘員である村人達を礼拝堂を中心とした区画に集めることになり、怪我をして逃げ遅れた人々がいないかどうか、手分けして確認することとなった。


「じゃあ、わたし、むこうの方を見まわってくるわ」
「待って、ラクチェ。単独行動は控えたほうがいい」

 すぐにも走り出そうとしたラクチェを、レスターの冷静な声が呼びとめる。そして、彼は傍らの親友を振り返った。

「デルムッド。おまえがラクチェに付いていってやれよ」
「「レスター」」

 同時に声を出して、ラクチェとデルムッドは思わず互いの顔を見つめた。
 レスターがこんなことを言い出した理由が、二人にはなんとなくわかる。全ての事情を知っているレスターが、二人きりの時間を作ってくれようとしたのだろう。
 結局、オイフェもそれに賛同し、二人は村の西区画の確認に向かうこととなった。


「この家で最後ね」
「ああ。残っている村人はいないようだな」

 がらんとした室内を見渡しながらデルムッドが答える。念の為、全ての部屋を見まわってから、二人は最後の民家の扉を閉めた。

「じゃあ、戻ろうか」
 短く言うと、デルムッドはラクチェに背を向ける。
 ずっと感じていた違和感が、ラクチェの中で確信に変わった。デルムッドはさっきから自分の方を見ようともしない。口数も少なく、必要な言葉しか発していない。
 明らかに避けられている。ラクチェにもはっきりとそれがわかった。


Spring Field


--------------------------------------------------------------------------------



-2-



「待って、デルムッド」
 強い口調で呼びとめると、ラクチェはデルムッドの正面に立った。
 反射的に目をそらそうとする彼の顔に両手を伸ばす。手のひらでそっと頬を挟むようにして、彼に自分のほうを向かせた。

「会いたかった……」
「ラクチェ…」
 デルムッドの顔に、ほんの少しの動揺が走る。

「ねえ、どうしてちゃんとわたしを見てくれないの? わたしのことなんかもう忘れた?」
「そんなこと、できるわけないだろう!」
 怒ったような声が即座に返ってくる。ラクチェは思わずデルムッドの頬から手を離した。だが、彼の視線はまだ逸らされたままだ。




「諸国を巡っている間中、ラクチェのことばかり考えていた。ラクチェはずっと俺の支えだった。おまえにもう一度会うまでは絶対に死ねないと思ったから、俺はあの危険な旅を生きぬいてこれたんだ」
「じゃあ、どうして?」

 一瞬の間があいて、ようやく心を決めたようにデルムッドが声を絞り出す。

「俺がおまえにしたことは、許されることじゃなかった」

 ラクチェがはっとしたような顔を見せた。彼が言っているのは、旅立つ前の夜のことだとわかったからだ。
 固い表情のまま、デルムッドは言葉を続ける。

「おまえの意志を無視して、力で押さえ付けた。それは、帝国のやり方と少しも違わない」
「そんなことないわ。そんなの…全然違う…!」

 デルムッドにそんなふうに言ってほしくなかった。たとえどんな形であれ、自分たちが結ばれた初めての時のことを。

「それに、わたしのほうがずっと酷いことをしていたんだもの…」

 そもそも彼がそんな行動に出る原因を作ったのは、自分の優柔不断な態度だった。デルムッドをこんなに恋しく思っている今、もし彼にあいまいな態度ではぐらかされたりしたら、自分だって何をするかわからない。
 そう思ったら、とてもデルムッドを責める気にはなれなかった。

「だから…お互い様ってことで、許すことにするっていうのはだめ?」

 おずおずとした…という表現がふさわしい、上目使いのラクチェの申し出に、一瞬デルムッドが表情を失くす。
 その直後、彼は肩を震わせて笑い出した。ラクチェがそう出るとは思わなかった。抑えようとしても、体の底から笑いがあふれてくる。おそらくそれが、安堵の思いからきていることを、彼自身はわかっていた。

 真剣な申し出を笑いで返されて、憮然としたラクチェだったが、デルムッドの顔を見ているうちに、そんなことはどうでもいいような気がしてきた。彼がこうして感情を表してくれただけで嬉しかった。
 そして思い出す。
 そう、自分はデルムッドの笑顔がとても好きだった。そこにいるだけで、周囲の人達をも明るい気持ちにさせてくれるこの笑顔が。

「ああ。じゃあ、そういうことにしようか」

 ようやく笑いを抑えたデルムッドが、ラクチェの目をまっすぐ見つめて答えた。
 それは、ティルナノグを旅立った朝と同じ、強く暖かい瞳――。

「ラクチェ」
「なに?」
「抱きしめてもいいか?」

 どうしてそんなことをわざわざ聞くのかと思ったラクチェだったが、すぐにその意味を悟った。デルムッドは、今後ラクチェの気持ちを必ず尊重することを、この言葉で宣言したのだ。

「うん」
 それがわかったからラクチェは頷いた。
 そして、これは自分の意志でもあることを示すかのように、自らデルムッドの首に腕を回して寄り添った。すぐにデルムッドの腕がラクチェの肩に回される。そのまま強い力で抱きしめられて、ラクチェは自分でも信じられないくらい幸福な思いに包まれた。
 そして、自分がずっとずっとこの腕を待っていたことに、ようやく気づいたのだった。

 どのくらいそうして抱き合っていただろう。
 ラクチェの耳元で、ふと囁くようなデルムッドの声がした。

「……だけど、よかった」
「え?」
「自分のしたことを自覚するにつれて、どんどん怖くなっていった。口もきいてもらえなかったらどうしようと不安だったんだ、本当は」
「いつからそんな殊勝な性格になったの?」
「俺は元々こういう性格なんだよ。おまえが知らないだけだ」

 ラクチェが忍び笑いをもらす。それが喉元をくすぐって、デルムッドは思わず身体が熱くなるのを感じた。

「デルムッドだからよ。あなたじゃなかったら、許してないわ」
 その言葉に、デルムッドの胸が疼くような痛みを覚える。

「ごめん……ラクチェ」
 自分でも気づかぬうちに、彼女を抱きしめる腕に力がこもった。
 ラクチェはふと顔をあげ、そして気づいた違和感にほんの少しだけ眉をひそめた。

「デルムッド。もしかして、また背が伸びた?」
「え? ああ…おまえが縮んだんじゃなければな」

 子供の頃からデルムッドとレスターは、同い年の少年達より頭一つ背が高かった。二人がオイフェの身長を追い越したのは、もうずいぶんと前になる。

「スカサハがっかりするわね、きっと」

 双子の兄の心中を思って、ラクチェは同情のため息をついた。スカサハも決して背が低いわけではないが、彼らと並ぶとどうしても小柄に見えてしまう。そのことが、兄の密かなコンプレックスになっていることを、ラクチェは鋭く見抜いていた。
 彼の背も伸びてはいたが、結局差は縮まらなかったのだ。

「…それはまあいいんだけど、これじゃ背伸びしないととどかないのよね」
「何が?」

 デルムッドの問いに、ラクチェは行動で答える。
 両方のかかとを上げ、ついでに彼の頭を抱き寄せて距離を縮めると、その唇にくちづけた。
 デルムッドの戸惑いは一瞬のことで、すぐに彼もラクチェに応えてきた。それは、離れていた間中、ラクチェが思い描いていたどんなくちづけよりも優しかった。

 やがて唇が離れ、ふいにラクチェは何かを思い出したような表情を見せる。
「そうだ、いろいろあって言うのを忘れてたわ」
「何を?」
「うん。あなたが帰ってきたら、最初に言おうと思ってたの」
 ラクチェはデルムッドの顔を見上げ、微笑を浮かべた。

「お帰りなさい、デルムッド」

 一瞬だけ驚きの色を見せて、デルムッドの顔にも微笑みが広がっていく。

「ただいま」

 たぶん、それを言うために自分は帰ってきたのだろう。


 早春のイザークの平原は、まだひんやりとした風が通り過ぎる。だが寄り添った二人には、その冷たさも届かない。
 繋いだ手から伝わる互いのぬくもりを感じながら、二人は仲間たちの待つ場所へと帰って行った。



<END>  



[95 楼] | Posted:2004-05-22 17:03| 顶端
雪之丞

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銀の螺旋


--------------------------------------------------------------------------------



-1-



 幾多の兵の血にまみれた剣を手に、二人がメルゲン城の屋上にたどり着いた時、銀の髪の城主は、まるで彼らを待っていたかのようにゆっくりと振り返った。
 その瞳に宿る、昏く深い憎しみの影。それが、ほんの一瞬だけ、スカサハとラクチェの歩みを止めた。

「貴様ら、よくもライザを……。許さん!」
 押し殺した声と共に、彼は魔道書を胸の前にかざす。

 この男が言っているのは、さっき自分達が倒した女将軍のことなのだろう。そう予想はついた。おそらく彼にとって大切な人だったのだろうということも。
 だが、今はそんな感傷にとらわれることは許されていなかった。胸の痛みも罪の意識も、全て心の奥底に追いやって、スカサハは手の中の大剣を握り直す。

 魔法に対する、彼の防御力は決して高くはない。だが、自分の隣には、常に共に戦ってきた双子の妹ラクチェがいる。二人一緒にいれば、恐れるものは何もなかった。

 呪文の詠唱と共に、閃光が二人に襲い掛かる。
 だがスカサハは、その軌跡をはっきりと捉えることができた。次の攻撃が手に取るように予測できる。
 ラクチェと共に行動している時は、いつもそんな不思議な力がスカサハに宿る。そしてそれはラクチェにとっても同じことだった。
 自分達の間にだけ存在する、言葉では説明のつかない特別な絆。それは二人の間で、すでに確信になっている。

 流星と呼ばれる秘剣が発動した時、敵将の身体は冷たい石の床に崩れ落ちていた。



「何をしてるんだ?」
 スカサハは、傍らの妹を振り返った。
 自らの剣で倒した城主の目を閉じさせ、胸の上で手を組ませた後のことだった。
 さっきまで兄の側で共に敵の遺体を弔っていたラクチェは、少し離れた場所に立って何かを見つめている。その視線の先には、今倒した城主の手から放り出された、一冊の魔道書があった。

「これ、かなり高度な魔道書よね…」
 やがてラクチェは歩を進めると、その魔道書を拾い上げた。

「死者の持ち物だよ。ちゃんと返すんだ、ラクチェ」
「この人にはもう使えないわ。それより解放軍のために役立てるべきよ」
「ラクチェ!」
「それにね、何代にも渡って使われた古い魔道書には魂が宿るっていうわ。それを捨てたりしたらばちがあたるわよ」
「捨てるわけじゃない。持ち主と一緒に埋葬するだけだ」
「同じ事よ。使ってもらえなかったら意味ないじゃない。この魔道書だって悲しむわ」

 ラクチェは兄に向かってつかつかと歩み寄ると、その胸に黄色い皮の魔道書を押し付けた。

「はい、この指揮官を討ったのはスカサハなんだから、これも責任持って役にたててね」

 そう言って、強引に兄に手渡した次の瞬間には、もう背を向けてさっさと階段のほうへ歩いて行ってしまう。あいかわらず言い出したらきかない妹にちょっとため息をつき、スカサハは改めて手の中の魔道書に目をやった。

 黄色い皮の表紙の中央に、黄水晶が象嵌された、典型的な雷系の魔道書だった。かなり使い込まれている様子もうかがえるが、丁寧に扱われていたらしく、傷みは特にない。

 ―――どうしたものかな…

 剣士であるスカサハにはもちろん魔法は使えない。武器を扱う店に売って軍資金にしてもいいが、ラクチェに何と言われるかと思うとそれもためらわれる。まさしく宝の持ち腐れだった。
 やっかいな戦利品に、スカサハは軽くため息をついた。



 アルスター城の中庭の片隅で、スカサハは魔道書を手に、再びため息をついていた。
 ラクチェに押し付けられた例のものは、アルスターを攻略した今になってもいまだに効果的な処分を決めることができず、こうして彼が持ち歩いている。
 この魔道書が、トローンと呼ばれる雷系の上級魔法だということは、あの後すぐにわかった。しかし、解放軍には魔道士の数がそれほど多くはない。その上、見習レベルの者がほとんどなので、この魔法を扱える者が見つからないのだ。
 剣の稽古の合間を縫って心当たりに声をかけているが、そろそろ諦めかけているのが正直なところだった。


「どうしたんだい、浮かない顔して」

 ふいにかけられた声に振り返ると、静かな表情でアーサーがこちらを見ている。
 自分からはあまり他人に関わろうとしない彼だが、父親同士が親友だったことを知って以来、スカサハに対してはほんの少しだけ態度が柔らかい。
 長い銀の髪がさらさらと風になびく様は、何度見てもスカサハの目には少々現実離れした光景に映る。つい目で追いそうになった時、彼が少し前にマージナイトに昇格したことを思い出した。

「そうだ。アーサー、よかったらこれをもらってくれないか?」
 すかさず、手にしたトローンの魔道書をアーサーに向かって差し出してみる。

「これは?」
「メルゲン軍の指揮官が持っていたものなんだ。かなり高度な魔道書らしいけど、君なら使えるだろう? アーサー」
「使えることは使えるけど……」
 検分するように見ていたが、やがてアーサーはいったん受け取ったその魔道書を返してよこした。

「でも、遠慮しておくよ」
「どうしてだい? 雷の魔道書なら、君の持っている炎の魔道書より軽いし、命中率も高いはずだ」

 アーサーはかすかに微笑むと、自分の懐から取り出した赤い魔道書に目を落とした。

「このエルファイアーは父の形見なんだ。それに子供の頃からずっと使っているから愛着がある。他の魔法を使う気にはなれないな」
「でも……」
「君にはわからないかもしれないけど、使いこまれた魔道書にはその持ち主の思いが宿っているんだ。これを持っていると、僕はいつも父と一緒にいるような気がする。…もう、顔もはっきりとは覚えていない父だけど」
「アーサー…」
 言葉を失うスカサハを見て、アーサーはとりなすように言った。

「とりあえず、セリス皇子に相談してみたらどうかな。彼ならきっとその魔道書にふさわしい持ち主を見つけてくれるよ」
「ああ…、そうだな」

 表情を取り繕ってはみたものの、どうやってその場を離れたのか覚えていないくらいスカサハは動揺していた。
 一冊の魔道書に込められたアーサーと父親との思い出。それに少しも気づかずに、不用意な言葉を口にしてしまった自分。
 スカサハ自身にとっても、まだ見ぬ両親は、心の中の最も神聖な部分に棲んでいる大切な存在であった。自分の言葉はアーサーを傷つけたのかもしれない。そう思うと、苦い後悔がよぎる。
 アーサーが感情を表に出さない分、よけいにそれはスカサハの胸を苛んでいた。



銀の螺旋


--------------------------------------------------------------------------------



-2-



 そんな考えにとらわれたまま城内に向かって歩いていた時、ふいに誰かの視線を感じてスカサハは立ち止まった。
 木の影からこちらを見て立っている、小柄な少女の姿が視界に入る。ほっそりと華奢な、儚げな風情の銀の髪の少女がそこにはいた。
 見覚えのない顔だったが、同じ色の髪のせいだろうか。さっき別れたばかりのアーサーと、なんとなくイメージが重なって見える。

「俺に何か用?」
 声をかけると、少女はひどく驚いた表情をした。一瞬、その場から逃げ出してしまうのではないかと思ったほどに。
 実際、少女は一旦後ずさりかけたのだ。だが、思い直したように表情を固めると、スカサハのほうに近づいてきた。おずおずと…。

「あ、あの…、その魔道書は……」
 ようやくの思いで…といったふうに、少女がかすれた声を絞り出した。その視線は、スカサハが手にしてるトローンの魔道書に釘付けになっている。

「ああ、これかい。メルゲンの指揮官が持っていたものなんだ。これから、セリス様のところに預けに行くところなんだけど」
「やっぱり…イシュトー兄さまの…」

 その一言に、スカサハの表情が凍りついた。
 自分が討った城主の銀の髪と、目の前の少女の髪の色。少し紫がかった特徴のある銀の色が、スカサハの頭の中に一つの答えを導き出す。だが、そんな彼の様子に気づかない少女は、顔色をうかがうように上目遣いで小さく問い掛けてくる。

「見せていただいても…よろしいでしょうか」
「ああ…」

 震える手で、少女は魔道書を受け取った。やがて、そのまま胸に抱きしめると、耐え切れなくなったように嗚咽を漏らした。

「すまない…。君の兄さんを殺したのは、俺だ」
 静かな声で、そう告白した。
 後になって、兄ではなく従兄だということが判ったのだが、彼女にとって大切な人であることに何らかわりはない。
 もしかしたら、この少女に自分の罪を糾弾してほしかったのかもしれない。人を斬るたび、いつも無理やり心の奥底に押さえ込んでいる罪の意識が、ふいに頭をもたげた瞬間だった。
 だが、少女は驚いたような瞳でスカサハを見上げると、ゆっくりと首を横に振った。

「いえ、違うんです。もちろん兄さまのことは悲しかったけど、仕方がなかったのだということもわかっています。だから、それで泣いているんじゃありません。この魔道書は…わたしの母の形見なんです」
「形見?」
「はい。ティルテュ母さまが亡くなられる時、この魔道書をわたしに下さいました。でも伯母さまに、分不相応だって取り上げられてしまって」

 少女は、魔道書にそっと頬を寄せる。

「やっと母さまがわたしのところに戻ってきたみたい……」

 少女の言葉に、さっきのアーサーの言葉が重なった。

 ―――いつも父と一緒にいるような気がする

 アーサーも確かにそう言っていた。

「じゃあ、それは君が持っているといいよ」
「えっ。でも、セリス様にお届けするものなのでしょう?」
「別にセリス様と約束をしていたわけじゃないんだ。それに、元々それは君のものだったんだろう?」
「でも…、わたしまだこの魔道書を使えないんです」

 そう言って、哀しそうな表情をする。諦めることを覚えてしまったような、せつない瞳の色だった。

「だったら使えるように努力すればいいさ」

 瞬間、少女の瞳が驚きに見開かれた。徐々に、喜びの色がその頬に浮かんでくる。

「はい! ありがとうございます」

 思いを身体中で表すかのように、深々と頭を下げる。そして再び顔を上げた時、その表情は初めて見た時とは別人のように、生き生きとした輝きに満ちていた。

 少しだけ、肩の荷を下ろしたような気持ちになる。スカサハは、軽く会釈を返すと再び城内に向かって歩き始めた。振り返りはしなかったけれど、城の中に入るまで、ずっと少女の視線を背中に感じていた。

 ふと、いつの間にか心が軽くなっている自分に気づく。
 厄介事が片付いたから……というわけではないような気がする。別れ際の、あの少女の輝くような笑顔が、胸に残って消えなかった。

 ―――そういえば、名前をきかなかったな…。

 でも、この解放軍にいるのなら、いずれ会うこともあるだろう。そう思い直すと、なんとなく気持ちが明るくなった。それがなぜなのかは、まだスカサハにはわからなかったけれど。



 銀の髪の少女ティニーは、与えられた自室に飛び込んだ後、腕の中のトローンをもう一度抱きしめた。こうして再びこの魔道書を手にすることができるとは、思っていなかった。

 ―――お母様がいなくなっても、悲しまないでね、ティニー

 苦しい息の下でも、最後まで母は微笑みかけようとしてくれていた。

 ―――これをお母様だと思って、寂しくなったら話し掛けてごらんなさい

 そう言って手渡されたこの魔道書。あの時の母のぬくもりが蘇ってくるような気がする。

 ふいに、これを渡してくれた黒\髪の青年が脳裏に浮かんだ。
 魔法戦士であることに誇りを持つフリージの人間は、概して武器のみを手に戦う者を一段下にみなす傾向にある。特に伯母のヒルダは、あからさまに彼らを蔑んでいた。
 ティニーもその影響を少なからず受けたのか、剣を手にする人間には無意識のうちに恐怖感を抱いてしまう。彼らは、自分とは別種の人間に感じられるのだ。
 しかし、さっき自分にこの魔道書を渡してくれた人は、不思議と怖くはなかった。腰に剣を帯びていたから、おそらく剣士なのだろう。だが、伯母達が言うような「野蛮」な人間には少しも見えない。

 黒\い髪と黒\い瞳。ティニーが今まであまり見たことのない外見をしていた彼。でも、とても優しい瞳をしていた。初対面の相手とはろくに口もきけない自分が、すらすらと普通に会話していたことを思い出し、今更ながらに驚いている。

「お母様…。わたし今日、とても優しい方に会いました」

 夢見るような瞳で、そっと言葉に乗\せる。

 ―――よかったわね、ティニー

 まぶたの裏に、懐かしい母の微笑が浮かんだ。



 この後、セリス皇子の元で再び二人は出会うことになる。
 運\命の日は、そう遠くはない―――。




<END> 



[96 楼] | Posted:2004-05-22 17:04| 顶端
雪之丞

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Blue Eyes


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-1-



 ヴェルトマー公爵は、扉を叩く音にふと我に返った。
 ついさきほど午前中の謁見を終え、ようやく自室で一息ついたところである。とりあえず返事はしたものの、内心では緊急の用事でないことを願っていた。
 しかし、扉を開けて入ってきた人物の顔を見たとたん、憂い顔は心からの笑顔に変わる。そこに立っていたのは、彼の最愛の妻フィーだった。

「レスター、ちょっといいかしら?」
 愛らしい笑顔と共にフィーが部屋の中に入ってくる。彼女の微笑みが、どれほどレスターの力になっているか、おそらく本人は知らないだろう。

「今度のバーハラでの記念式典のことなんだけど」
 そう言いながら、フィーは手にした書類の束をレスターに見せた。
 ヴェルトマー公妃であると同時に、公爵の最も有能な秘書官でもあるフィーは、自ら日程の調整と予算の編成に当たっている。

「こちらが随行の人員名簿と日程表。こちらは大まかな費用の概算。それとこっちが献上品の目録」
 書類を一つ一つレスターに手渡しながら、簡単な説明を付け加えていく。

「一応、目を通してもらえるかしら。陛下は大げさなことを好まないから、献上の品は最小限に抑えたつもりなんだけど。もし、足りないようなら追加するわ」
「そうだね……」
 しばし思案した後、レスターは削除すべきものと追加すべきものを一つずつ挙げた。彼の指示に従って、フィーが目録の余白に項目を書き足していく。

「そういえば、フィー」
 まだ羽根ペンを走らせているフィーに向かって、ふいにレスターが声をかけた。

「その式典に、トラキアからはフィン殿が大使として見えるそうだよ」
 その瞬間、滑らかに動いていたフィーの手が止まる。
 心なしか部屋の温度が下がったような気がした。

「…そう。それがどうかしたの?」
 冷ややかな声が返ってくる。再びペンを動かし始めたフィーは、顔を上げようともしない。

「解放戦争が終ってから、一度も会ってないんだろう? 時間を作って父上とゆっくり話すといい」
「あの人は、あたしの父親なんかじゃないわ!」
 突然、両手を机に叩きつけるようにしてフィーは立ち上がった。弾みで傾いたインク壷からこぼれた液体が、机の上に黒\い染みを作っていく。

「お母様やあたしを捨ててレンスターに行ったきり、とうとう一度も帰って来なかったのよ。十何年ぶりに会った時だって、何の言葉もかけてくれなかったわ。あの人は、あたしのことを娘だなんて思っていないのよ」
 強い拒絶の意志を秘めた翡翠の瞳が、まっすぐにレスターに向けられる。

「ヴェルトマー公妃としての務めだって言うんなら、トラキアからの大使に挨拶だって何だってするわ。でも、娘としてあの人に声をかけるなんて絶対お断りよ」
「フィー…」
「だいたいね、あの人はリーフ様の側にいられれば幸せなんだから。あたし達のことなんて、かけらほども考えていないのよ」
 ふいに背を向けると、まるで独り言でも呟くようにフィーは言葉を続けた。

「だから、お兄様にまで見離されてるじゃない。セティ兄様は、あんな薄情な父親よりも、コープル様をお助けするためにシレジアに帰ったわ。当然のことよね」
「セティがシレジアに行ったのは、コープルにぜひにと懇願されてのことだよ。彼が自主的に行ったのとは少し違う」
「でも、断らなかったってことは、結局あの人を見限ったってことでしょ」
「家族よりも主君を選ぶなんて、君の兄上は本当に父親そっくりだね」
「レスター!!」

 振り返るなり、フィーはきっとした表情で夫を睨みつけた。

「あなたね、いったいどっちの味方なの!」
「どっちの味方でもない。俺は、ただ嫉妬してるだけだよ、フィー」
 嫉妬などというほの昏い感情とは全く無縁の穏やかな表情でレスターが微笑む。

「君の心の一部をいつも独占しているフィン殿に、俺はとても嫉妬心を感じているんだ。だから、さっさと二人が仲直りをして、彼に対する君の関心が薄らいでくれればいいと思ってる。それだけだよ」
「レスター…」
 毒気を抜かれたような表情で、フィーが呟いた。そして次の瞬間には、頬を薔薇色に輝かせて夫の首に抱きついている彼女の姿があった。

「あたしが一番好きなのは、いつだってレスターに決まってるじゃない。あんな人と比べられるわけないわ」
 レスターの胸に頬を寄せたまま、夢見るような表情でフィーが囁く。やがて顔を上げると、さっきまでの苛立ちが嘘のような微笑を浮かべた。

「でも、嬉しい。今まであなたの方から、そんなこと言ってくれたことなかったでしょ」
「それは心外だ。俺はいつだって君への気持ちをちゃんと態度で表しているつもりだけど?」
「たまには言葉でも言ってほしいの」
「よく覚えておくよ」
 レスターは微笑みと共に、そっとフィーの額にくちづけた。




Blue Eyes


--------------------------------------------------------------------------------




-2-



 解放戦争が終結してから二年。グランベル王国の首都バーハラで、大陸の平和を祈念し各国間の同盟を再締結するための記念式典が執り行われた。だが、その本来の目的が、かつて共に戦った仲間達との再会にあることは、参列した者たちの間では暗黙の了解となっていた。
 調印による誓約の儀式が終了すると、舞台は城内の大広間に設けられた宴の席へと移動する。各国の要人たちが一同に会するこの催物のために、近衛を中心とした警備の規模も大変なものだった。

 ヴェルトマー公爵夫妻が広間に到着したのは、比較的早いほうだったらしい。シアルフィ公爵オイフェと、アグストリア国王夫妻アレスとティニーの他には、あまり見知った顔は見当たらない。その彼らも、出席を許されたバーハラの貴族達に取り囲まれ、しばらくは近づけそうになかった。人当たりのよい穏やかな笑顔で応対するオイフェと、苦虫を噛み潰したようなアレスの表情が対照的だった。
 いずれ自分たちの周囲も同じような事になるのだろう。そう思いながら、レスターは傍らに立つ妻の姿を見つめた。
 淡いクリーム色のドレスが、フィーの新緑の髪によく映えている。シンプルなデザインが、ほっそりとした彼女の美しさを引き立てていた。
 どんな時も決して物怖じしないフィーは、こういった場では実に見事な応対を見せる。外交官としての彼女にも、レスターは全幅の信頼を寄せていた。

「よく似合ってるよ。君を見せびらかすのが楽しみだ」
 そっとフィーの耳元に囁くと、彼女の白い肌がうっすらと色づいた。

 そうしている間にも次々と来賓の入場を告げる声が挙がり、そのたびに広間の大扉が開かれる。

 ドズル公ヨハンと公妃リーン。エッダ公スカサハと公妃ラナ。フリージ公アーサーと公妃ナンナ。ユングヴィ公ファバルと公妹パティ。ヴェルダン王デルムッドと王妃ラクチェ。そして、イザーク王シャナン―――。

 読み上げの声に伴って、かつて共に戦った仲間達が続々と広間に現れた。フィーも懐かしい思いでその様子を見守っている。
 こうした場に身を置いていると、いつもふと思い出すことがあった。姿を見せた各国の王妃や公妃達はみな聖戦士の血を引いていたが、フィーの両親はどちらも騎士の身分であったため、彼女の身体に貴い神の血は流れていない。フィー自身は、そのことに引け目を感じることはないが、もしかしたらレスターがこういう席で肩身の狭い思いをしているのかもしれない。ふと、そう思う時もある。
 しかし、レスターは彼女にそんなことを微塵も感じさせなかった。公式の場には必ず彼女を伴い、いつも堂々と自分の妻を紹介する。そのことがフィーの密かな誇りだった。

 やがて、今回の式典の主催者でもあるグランベル王セリスが妹姫を伴って入場する。彼の挨拶が終わると宮廷楽士による円舞曲が奏でられ、楽の音に合わせて踊る人々で広間の中央はいっぱいになった。
 その一方で、久々に顔をあわせた仲間達が旧交を温める場面も、あちこちで展開されている。フィーも、レスターと一曲踊った後は、かつての友人達との会話を楽しんだ。中でも、ヴェルダン王妃となったラクチェとは一番会話が弾んだように思う。自分にとってはかつての恋敵というべき相手が、今では一番の親友になっている。そう思うとなんだか不思議な気がした。

 何人かの旧友達との再会を楽しんだ後、再びレスターの姿を探して歩いていた時、人込みの中に間違えようのない緑の髪を見つけた。
「お兄様……」
 自分と同じ新緑の髪、翡翠の瞳。落ち着いた聡明な横顔を久しぶりに目にして、懐かしい思いが込み上げてくる。兄のセティとは、解放戦争が終わってから数えるほどしか会っていなかった。シレジアの若き宰相である彼は、国王コープルの名代として、この式典に出席しているのだ。

 兄の方に向かって歩き出そうとして、思わず足が止まった。
 セティは誰かと歓談している。その相手の顔に視線が釘付けになったまま、フィーは動けなかった。視線の先には、彼女の父親であるトラキアからの大使フィンの姿がある。
 会話の内容は聞こえないが、二人の顔に浮かぶ微笑が、和やかな雰囲気を伝えてくる。

 ―――どうして…。どうして、そんなに楽しそうに笑ってるの……。

 兄も自分と同様に、父を恨んでいたのではなかったのか…。
 「父上は冷たい方だ…」
 以前、確かに兄はそう言っていた。父に捨てられたという共通の思いが、兄妹の絆を深めていた部分もあったのだ。なのに、同志であるはずの兄が、なぜ父とあのように親しげに会話を交わしているのか。フィーには理解できなかった。
 まるで、自分だけが輪の中からはじき出されたような気がする。信じていたものに裏切られたような、言いようのない寂しさと疎外感が彼女の胸を押しつぶしていく。

「フィー、ここにいたのか。探したよ」
 その時、突然掛けられた声に、フィーは反射的に振り返った。すぐ横にレスターが立っている。だが、今受けた衝撃から立ち直っていない彼女は、ぼんやりとレスターの顔を見返すだけだった。

「大丈夫かい?真っ青だよ」
 レスターは、側を通りかかった給仕からシャンパングラスを受け取り、フィーに手渡した。それを受け取るなり、フィーはグラスの中身を一気に飲み干してしまった。
「フィー…」
 目を見張るレスターには構わずに、フィーは再び視線を元に戻す。

「お兄様ったら、あんな人に声かけることなんかないのに」
 グラスを握り締めるフィーの指がかすかに震えている。
 彼女の視線の先を確認し、レスターはほぼ事情を飲み込んだようだった。

「羨ましいなら、君も行って話しておいで」
「誰が羨ましいなんて言ったのよ!」
 そう言いながらもフィーは視線を逸らさない。レスターが小さくため息をつく。

「俺はフィン殿に挨拶してくるよ。君はいいのかい?」
「好きにすればいいわ」
 気遣わしげな表情でレスターがその場を離れる時も、フィーは振り返ることすらしなかった。その視線は、遠くに見えるフィンの横顔から、ほんのわずかも離れることはない。

 ―――なんなのよ、あの、落ち着き払った穏やかな目は

 後ろめたいことなど何もないようなあの瞳。家族を捨てて、主君の忘れ形見を守り通したことが、それほどに誇らしいのだろうか。それでは、母や兄や自分の存在は、いったい何なのだろう。

 ―――お父様は、いつもあなた達のことを思っているわ

 最後までそう言いながら、亡くなった母。彼女は、自分達を捨てたも同然の夫に恨み言の一つも言わず、いつか再び会える日をずっと信じ続けていた。だから、フィーも父との再会に彼女なりの夢を抱いていたのだ。
 イザークで蜂起したセリス皇子の軍に参加した時も、もしかしたらこの戦いの中で父とめぐり会える日が来るかもしれない…。そんな、淡い期待が心のどこかにあったことを、認めないわけにはいかない。

 レンスターで孤立していたリーフ王子の元にたどり着いた時も、フィーは真っ先に父の姿を探した。主君を守るように寄り添った空色の髪の騎士。上空から彼を見つけた時の胸の高鳴りを、今でもフィーは覚えている。
 思わず側に降り立って、思いの全てを込めてその広い背中を見つめた。視線に気づいたのだろうか。彼は振り返り、そしてフィーの姿を認めた。
 フィーが手にしていた、母の形見でもある細身の槍。それを見て、彼は一瞬だけ表情を変える。その瞬間、彼はその少女が自分にとってどんな存在なのか気づいたはずだった。なのに、彼は何の言葉もかけてくれなかった。わずかな怪我を負った主君の身を案じて、抱きかかえるようにして救護用の天幕へと去っていった。立ち尽くすフィーを振り返ることもなく。

 あれ以来、フィーは意図的に彼の存在を意識から追い出した。そして、決して自分から彼に近づくことはしなかった。それを察したのだろう。彼のほうからフィーに言葉をかけることもなく、解放戦争の間中も、ただ遠くから見つめることしかしない。

 それがフィーには許せなかった。
 もし、自分を見て少しでもすまなそうな顔をして、そして一言でいいから謝罪の言葉を聞くことが出来たなら、そうしたら自分はためらわずにあの胸に飛び込んでいけたのに…。

 フィーの視界に、談笑する父と兄の姿が再び映る。思いを振り切るように、そっと視線をそらした。

 ―――でも、もういい。あたしにはレスターがいるもの

 今ではもう、自分にとって全てといってもいい存在になっているレスター。
 初めて出会った頃、あの蒼穹の瞳を見ているだけで、熱くせつない想いで胸がいっぱいになった。だから、彼の心に別の少女が棲んでいることを知っていても、どうしても手に入れたくて強引に自分の方を振り向かせた。

 あの瞳が自分を映す時、この上ない幸福に包まれるような気がする。子供の頃からずっと満たされることのなかった心の奥の寂しさも何もかも、彼の優しさが充分に埋めてくれた。

 ―――レスターがいれば、お父様なんかいらない

 フィーは瞳を閉じた。そうしていると、レスターの蒼く穏やかな瞳が胸に浮かんでくる。自分の全てをわかってくれているかのように、どこまでも暖かく包み込んでくれるあの瞳……。

 その時、ふいにフィーの胸の中で、その瞳がもうひとつの瞳と重なった。
 自分はこれと同じ瞳を知っている…。そう気づいた瞬間、記憶の底から浮かび上がってきたもの。それは、いつも遠くから、ただ静かに自分を見つめていた父のまなざしだった。
 それもまた、レスターと同じ空の蒼だったことを思い出す。

 ―――あたしったら、一瞬でもあんな冷血漢をレスターと似ていると思うなんて……。

 そう思いかけてはっとした。

 ―――……レスターが…あの人に似てた…の…?

 突然湧き起こった疑問に愕然とする。それを認めるのは、自分のこれまでのレスターへの気持ちを、ひいては現在の自分そのものをも否定するのと同じ事だった。

 ―――そんなことない。あたしはレスターを、彼自身を好きになったんだもの。

 すがるような思いでレスターの姿を探した。
 遠くに、フィンと会話を交わしているレスターの姿が見える。やがて、二人はバルコニーのほうへ歩いていくようだった。
 フィーは無意識のうちにその後を追った。



[97 楼] | Posted:2004-05-22 17:05| 顶端
雪之丞

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Blue Eyes


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-3-



 レスターは、目の前で微笑む騎士の穏やかな表情を見つめた。
 バルコニーには他に人影もなく、室内の喧騒も遠くに聞こえる。
 考えてみれば、フィンとまともに言葉を交わすのは、これが初めてかもしれない。解放戦争の間中は、部隊が別ということもあり、ほとんど接触らしいものがなかった。「歴戦の勇者」「忠臣の鑑」そういった彼を形容する言葉のイメージが先行して、その実像についてじっくり考えたこともない。

 戦争終結後、ヴェルトマーでフィーと婚姻の式を挙げた時も、彼が参列することはなかった。もっともこれは、フィーが知らせる必要はないと、頑として譲らなかったからなのだが。
 いずれにせよ、今目の前にいる人が、フィーが言うような「妻と子供を見捨てた人でなし」には、レスターの目には見えなかった。

「公爵閣下には、いつも娘がご迷惑をおかけしております」

 遥かに年下のレスターに向かって、フィンが丁寧に頭を下げる。解放軍で共に戦いの場に身を置いていた頃は、もう少し砕けた言葉づかいをしていたはずだった。おそらく、ヴェルトマー公爵とトラキア王国の一家臣という現在の立場を考慮してのことなのだろう。その遠慮が、レスターには少々もどかしく感じられる。

「どうか、そのような他人行儀な呼び方はおやめ下さい。私はあなたの義理の息子でもあるのですから」
 そして、ひと呼吸おいてから、以前から伝えたかった言葉を口にした。
「義父上と、お呼びしてもよろしいでしょうか」
 一瞬、この堅物な騎士は、その申し出を断るのではないかと思ったが、返ってきたのは受諾の笑みだった。
「畏れ多いことですが、喜んでお受け致します」
 その一言と微笑みに深い安堵を覚えている自分に、レスター自身が驚いていた。考えてみればレスターは、フィーとの結婚の承諾を、いまだ父であるフィンから受けてはいないのだ。相手の身分の上下に関わらず、本来ならこれは大変な無礼にあたる。それを咎めもせずに当然のことのように受け入れている彼は、想像以上に懐の深い人物に、レスターの目には映った。

 その時、前方の柱の影に見え隠れする、緑の髪と淡いクリーム色のドレスの裾が目に入った。だが、こちらを向いているフィンが気づいていないため、レスターもあえてそちらに視線を向けないようにする。

「義父上。立ち入ったことをお聞きするようで恐縮なのですが、ぜひ教えて頂きたいことがあります」
「何でしょう」
「義父上が、フィーやフュリー殿の元にとうとう帰らなかった理由です」
「え…っ?」
 初めてフィンの表情に戸惑いの色が浮かぶ。レスターは、フィンの目をまっすぐに見つめたまま、言葉を続けた。

「私が義父上の立場だったら、おそらくどんな犠牲を払ってでもフィーを迎えに参ります。彼女がそれを望むことがわかっているからです。ですから、義父上がレンスターを離れなかったのは、もしかしてフュリー殿の意志ではなかったのかと考えました」
 フィンの顔から表情が消える。
「やはり…そうなのですか?」
 レスターの問いかけに、フィンはすぐには答えなかった。やがて視線をレスターからはずすと、その背後に広がる夜の闇を遠く見つめた。

「……フュリーもまた、守るべき国と主君を持った騎士でした。だから私達は、誰よりもお互いの気持ちがよくわかったのです」
 レスターの問いに否定も肯定も返さずに、フィンは静かに言葉を紡ぎ始めた。

「自分達のなすべきことをやり遂げ、そして再び世界に光が戻った時、その時こそ家族みんなで共に暮らそう…。はっきりと言葉にはしなくても、私達はそう誓い合って別れました」

 帝国の侵攻により、シレジアの王府は北方のトーヴェに居を移した。めったに姿を見せない王に変わらぬ忠誠\を誓い、行方のわからなくなった王女と王子の探索を続け、形骸化した王家を守り通したのがフュリーを始めとする天馬騎士の生き残り達であることをレスターもフィーから聞いて知っていた。そしてその存在が、シレジアの人々の唯一の希望となっていたことも。

「結局、新しい世界を見ることなく、彼女は逝ってしまいましたが……」
 そう口にした時、一瞬だけフィンの瞳に影がよぎる。

「どんな時も、フュリーの存在が私の心の支えでした。きっとフュリーも同じように苦しい時を耐えている。そう思うと、どんな苦難も乗\り切ることができました。
 私がレンスターを見捨ててフュリーの元へ行ったら、きっと彼女は私に失望したでしょう。私は最愛の女性に軽蔑されることだけはしたくなかった。自分の責務を果たして、胸をはって再び彼女に会いたかった」

 やがてフィンは、視線をレスターの元に戻した。

「だから、フィーにも自分の生き方を詫びることはできません。それはフュリーを否定することになるからです」
「なぜ…それをフィーに話してあげないのですか? 彼女は、道理のわからない子供ではありません」
 その問いには答えず、フィンは静かに微笑んだ。

「閣下のような方に想われて、娘は幸せです」
 返答に詰まるレスターに向かって、さらにフィンは言葉を続けた。
「どうか、これからも娘をよろしくお願い致します」
 言葉とともにフィンが深く腰を折る。

 その背後に、静かに去って行くフィーの後ろ姿が見えた。



 帰国途中の馬車の中で、フィーはぼんやりと窓の外に視線を走らせていた。いつもなら、自分から何かと話題を切り出して、会話が途絶えるほうが少ないくらいなのだが、今日はバーハラを出立した時からずっとこの調子だった。
 向かい合わせに座ったレスターも、あえて声をかけることもなく黙って彼女を見つめている。

 やがてフィーが、ふと視線をレスターのほうに向けた。一瞬、もの言いたげな表情を見せたが、すぐに思い直したようにうつむいてしまう。

「結局、義父上とは一言も交わさなかったんだね」
「うん…」
 静かな声で問いかけたレスターに、フィーはうつむいたまま返事をする。

「いいの。いずれまた会う機会もあるでしょうし…」
「悠長にかまえて、義父上に万一のことでもあったらどうするんだい?」
「大丈夫よ。殺したって死なないわ。悪運\だけは強いんだから、あの人」
 そして、独り言のようにぽつりと付け加えた。
「…そう簡単に死なれてたまるもんですか」

 フィーはふいに席を立ち、レスターの隣に移った。

「ねえ、レスター」
「何?」

 すぐには答えずに、フィーはレスターの手に指を絡め、その肩にそっと頬を寄せた。
 あの時レスターは、自分が二人の会話をうかがっていたことに気づいて、父の本当の気持ちを聞き出してくれたのだ。そのことは、フィーにもよくわかっている。

 父が、自分の父である以前に、母の夫であったことに今更ながらに気づいたように思う。子供にも入り込めない二人だけの絆があることに、思いも至らなかった自分の幼さがやるせない。母が、あれほどまでに父を信じていた理由を、どうしてもう少し考えなかったのか。
 父の瞳が映しているのは、おそらく今でも母の姿なのだろう。それがわかればもういい。自分を映してほしいとあがく必要もたぶんない。

 顔を上げ、もう一度レスターの瞳を見つめた。何もかもをわかってくれているような、深い蒼の瞳。そこに確かに自分が映っていることを認めて、少しほっとする。自分には、この瞳だけで充分なのだということを、改めて心に刻み込んだ。

「やっぱりあたし、レスターが好き。この世で一番大好き」
「ちゃんと知ってるよ」
「うん」

 自分を見つめる蒼の瞳。それはもうフィーの中で、父の瞳とは重ならなかった。



<END>  



[98 楼] | Posted:2004-05-22 17:06| 顶端
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月の夜


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 ふいに、誰かに呼ばれたような気がした―――。

 目を覚ましたヨハルヴァがあたりを見回すと、まだ時刻は真夜中らしい。厚手のカーテンの隙間からもれる月の明かりが、そのことを告げていた。
 隣からは、かすかな寝息が聞こえてくる。目を向けると、子猫のように身体を丸くして眠っている妻の姿があった。安心しきったような安らかな寝顔が愛しくて、ふと口元に笑みが浮かぶ。

 気配には敏感なラクチェだが、目を覚ます様子はなかった。おそらく、公務の合間を縫った慣れない育児に疲れているのだろう。
 ラクチェは可能な限り、息子の世話は自分の手で行っている。公妃が自らの手で子供を育てることを良く思わない、昔気質な女官長に口うるさく言われても、少しも意に介することはない。だが、そんな些細なことも、結局は気苦労となって彼女の身体に積み重なってくるのだ。
 妻を起こさないように気を遣いながら、ヨハルヴァはそっと寝台を降りた。



 すぐ横に、四方を囲いで覆った小さな子供用の寝台がある。側に立ち中を見下ろすと、一人の赤ん坊が、目を開けたまま身じろぎもせず横たわっていた。

「おまえが呼んだのか? ヨハン」

 ヨハルヴァは、寝台の上の小さな赤ん坊の名を呼んだ。妻にそっくりな黒\曜石の瞳がじっとヨハルヴァを見つめている。
 彼の息子のヨハンは、驚くほど大人しい子供だった。夜泣きをして困らせることもほとんどない。泣き声を上げること自体、他の赤ん坊から比べると少ないらしい。

 ―――こんなに手のかからないお子様は初めてです

 乳母の一人がそう言っていた。

「ヨハン…」

 もう一度その名を口にした。
 それは、息子の名であると同時に、ヨハルヴァの兄の名前でもあった。その兄はもういない。イザーク解放の戦いの中で、ヨハルヴァが自らその手にかけたのだ。
 兄のヨハンのことを考える時、ヨハルヴァの胸の中で、小さな、だが、深い傷が口を開ける。

 ヨハルヴァもヨハンも、共に帝国による支配体制に疑問を持っていた。現状打破を考えていたのは、どちらも同じである。
 しかし、ヨハンはあくまでも現体制の中での変革を目指していた。確かにその考えは、地に足のついた現実的なものだったと言えるだろう。
 だが、それはヨハルヴァの目指すものとは違っていた。一度、全てを壊して再生しなければどうにもならないほど世界は病んでいる。そう、ヨハルヴァは感じていた。
 それを理解してくれない以上、兄とは別の道を行くしかない。そう思ったのだ。

 だが、それは正しかったのだろうか。自分の勝手な思い込みではなかったのか。
 その思いは、時が経つにつれ、ヨハルヴァの胸の中に少しずつ澱のように溜まっていった。
 本当に、それ以外の道がなかったのか。共に手を取り合っていくことは、どうしてもできなかったのか。そのための努力を、自分は最初から放棄してはいなかったか……。
 父を完全に見捨てることが出来なかった兄と、すでに胸の内で父を切り捨てる決意をしていた自分。人として、はたしてどちらがあるべき姿だったのか。
 考えれば考えるほど、何が最善の道だったのかわからなくなるような気がした。

 だからこそ、兄のことを決して忘れてはならないと思った。それを忘れた時、自分は父と同じ心の闇に迷い込むことになるだろう。
 これから先、息子の顔を見るたびに、その名前を呼ぶたびに、自分が殺した兄のことを思い出す。そして、己の心の奥底に潜むものと向き合うことになる。
 それが、ヨハルヴァが自分に課した罰であり、生き方でもあった。

 その時、ふいに部屋に射し込む明かりが閉ざされた。おそらく、月が雲間に入ったのだろう。
 暗がりの中、寝台の上に手を伸ばし、ヨハルヴァは小さな息子の身体を抱き上げた。底の知れない闇のような、夜の色の瞳が自分を見つめている。

「そこで見ててくれ、兄貴」

 ―――俺が、自分の中の闇に呑み込まれることのないように

「頼む……」

 彼の言葉を聞き届けたかのように、ヨハンの瞳がゆっくりと閉じる。


 ふと視線を感じて、ヨハルヴァは振り返った。
 寝台の上に身を起こしたラクチェが、心配そうな顔でこちらを見ている。

「ヨハルヴァ…」
「悪いな。起こしちまったか」
「どうかしたの? ヨハンに何かあったの?」
「いや、なんでもない。よく眠ってる」

 腕の中のヨハンは、すでに眠りに落ちていた。
 ラクチェは寝台を降り、ヨハルヴァの隣に並んだ。夫の腕の中ですやすやと眠っている息子の顔を見て、ようやく安心したような笑みを浮かべる。

「この子は本当にヨハルヴァのことが好きよね。泣いていても、あなたがあやすとすぐに機嫌を直すんだもの。ちょっと自信なくすな、わたし」
「そんなことねえよ」

 苦笑を浮かべながら、ヨハンを再び寝台の上にそっと横たえた。そこにいるのは、安らかな眠りについている、小さく愛らしい一人の赤ん坊に過ぎない。

「あなたがこの子にヨハンと名付けた時は驚いた。だって、あなたとヨハンとはあまり仲が良くないって聞いていたし、彼のこと話してくれたこともなかったでしょう」

 何気ない様子で口にされたラクチェの言葉に、ヨハルヴァの表情が固まった。

「ラクチェ…」

 そう呼ぶ声が、かすれているのが自分でもわかる。動揺を抑えることができなかった。まるで自分の胸の内を見抜かれたような気がした。
 だが、ラクチェは何も言わず、ただヨハンを見つめている。その横顔を、ヨハルヴァも黙って見つめるしかできない。

 ふとした瞬間に迷いそうになる時、それを断ち切ってくれるのがラクチェの存在だった。彼女自身が、ヨハルヴァにとっての正義であり光だった。
 心の中にわだかまる苦しい思いを、ラクチェに打ち明けたくなったことがないわけではない。
 だが、ラクチェに告げることは決してできなかった。それは、彼女の心にさらなる負担をかけることになる。
 ラクチェがヨハンではなくヨハルヴァを選んだこと。それが、兄弟の運\命を分けたという事実を、何よりもラクチェ自身が一番気にかけていたのだから。


「ねえ、ヨハルヴァ」
 やがて、ゆっくりとラクチェがこちらを向いた。決意を秘めた静かなまなざしが、まっすぐにヨハルヴァを見ている。

「わたしはね、自分のこと全部あなたに見せてるわ。だからヨハルヴァにもそうしてほしい…」
「ラクチェ……」
「一人で抱え込まないで。あなたの背負っているもの、わたしにも分けて」

 ―――気付いていたのか……

 そう思った瞬間、ふいに熱い感情が胸に押し寄せてきた。
 隠し通せる自信はあったのに、ラクチェは自分の心の内側など、とうに見通していたのだ。
 ずっと自分を繋いでいた枷が緩むのを感じた。全てをラクチェに打ち明けたい、抗いがたい誘惑にかられる。

「何のためにわたしがいると思ってるのよ、ヨハルヴァ!」

 答えようとしないヨハルヴァに、焦れたようにラクチェが叫ぶ。
 共に歩いていくと誓った時の、変わらぬ強いまなざしが貫くようにヨハルヴァに向けられている。それは、彼に目を逸らすことを許さなかった。

 ずっと、自分がラクチェを守るのだと思っていた。
 弱い部分を見せることは、自分に負けることだと思っていた。
 だが、ラクチェになら、この重荷を半分預けても許されるのだろうか。

 まだ、心を決めかねていたヨハルヴァの胸に、飛び込むようにラクチェが身体を寄せた。剣を軽々と操るとはとても思えないしなやかな腕が、支えるかのようにヨハルヴァの背中に回される。
 その確かなぬくもりを感じた時、ヨハルヴァもラクチェの肩を抱きしめていた。

「聞いてくれるか。兄貴のことを…」
「うん」
 腕の中で、力強くラクチェが頷く。

 隠れていた月が、雲間から再びその姿を現した。部屋の中に射し込む月の明かりが、二人の姿を照らし出していく。
 次第に満ちていく淡い光の中で、ヨハルヴァは今、静かに語り始めた。




<END>  



[99 楼] | Posted:2004-05-22 17:07| 顶端
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