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雪之丞

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海蓝之钻(II)
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太陽の少女

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- 16 -



 ロプトウスの消滅によって、解放戦争は幕を閉じた。
 グランベルの王位に就いたセリスに挨拶を済ませると、戦士達はそれぞれの故郷へと帰って行く。レスターはパティと共に、父の祖国ヴェルダンへと旅立った。

 二人がヴェルダンを訪れてから、半年が過ぎた。
 かつて暗黒\魔道士の手から国を救った、英雄ジャムカ王子の子が帰還したという知らせを聞いて、各地に身を潜めていた兵士達や、多くの若者達がレスターの元に集った。それは瞬く間に大きな軍隊となり、エバンス城を取り戻したのを手始めに、ヴェルダンを荒し回っている盗賊\団を次々に制圧していった。
 そして今は、マーファ城を拠点として、首都ヴェルダン奪回の機会を窺っている。

 その日レスターは、パティを伴って湖が見おろせる小高い丘に来ていた。
「うわー、きれい!」
 目の前に広がる湖面を見ながら、パティが歓声を上げる。
「レスター、よくこんな場所知ってたわね。あたし、初めてよ。こんなきれいな景色見るの」
「俺は母上から何度も聞かされていたから、初めて見る気がしないな」
「エーディン叔母様から?」
「ああ、父と母はこの国で出会ったんだ。マーファ城に捕らえられた母上を、父上が助け出したそうだ」
「そうだったの…」
 湖を見つめていたパティは、やがてぽつりと呟いた。
「エーディン叔母様って、あたしの母さんと双子だったのよね…」
「そうだよ」
「じゃあ、あたしの母さんとも似てるかしら」
「ああ、二人は見分けるのがむずかしいくらい、そっくりだったって聞いたよ」
「ほんと? ああ、早くお会いしたいわ」
「ヴェルダンに平和が戻ったら、二人で母を迎えにいこう」
「うん!」

 その時、後ろの茂みが揺れ、一人の兵士が姿を現した。
「レスター様、パティ様、こちらでしたか」
 それは、城からの報告を携えた侍従だった。近頃、西の村を荒し回っていた山賊\達の本拠地がわかったという。
「それで、レスター様の指示を仰ぎたいと…」
「わかった、すぐに戻る」

 この国に巣喰う山賊\や盗賊\を一掃するまで、休息は許されない。城へ戻るレスターとパティの顔は、すでに戦士のそれに戻っていた。

 その後、半年を待たずして首都奪回は達成され、これをもって統一戦争は終了する。
 森と湖の国ヴェルダン。その歴史に名を残す英雄王レスターと王妃パティによる長い平和の時代が、ここに始まろうとしていた。





太陽の少女  -完- 



[20 楼] | Posted:2004-05-22 15:51| 顶端
雪之丞

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海蓝之钻(II)
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約 束 の 丘

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- 1 -



 メルゲンからアルスターへと続く、広大な平原を疾駆する二つの騎馬の姿があった。あたりにはだいぶ緑の草原が多くなってきたが、大地を駆け抜ける二人の騎兵の目にはその美しい風景も映ってはいない。

「おい、デルムッド。このあたりはもうアルスター領内だ。もう少し周囲に気を付けろ」
 弓を背にした騎兵が、前を行くもう一騎に声をかけた。しかし、デルムッドと呼ばれた騎兵のスピードは全く衰える様子がない。

「そんなこと言ってられるか。リーフ王子の軍が壊滅に近い打撃を受けたとの報告もあった。ぐずぐずして間に合わなかったらどうするんだ、レスター」
「おまえの気持ちはわかる。だが、ここで焦って万が一のことがあったら、妹を救うどころじゃなくなるんだぞ」
 その言葉を聞いたとたん、デルムッドの表情に陰りがさした。やがて考え込むような顔つきになり、それに合わせて騎馬の足も徐々に弱まっていく。
 速度が落ちたデルムッドの横に並ぶようにしながら、レスターは話し掛けた。

「自分から偵察を申し出たのは、フィン殿の元にいるという妹のことが心配だったからだろう? 今のおまえはそのことで頭がいっぱいだ。周りが全然見えていない。そんなことじゃ戦えないぞ」
「ああ…。おまえの言うとおりかもしれない、レスター」
「幼い時に別れたきりの妹にようやく会えるんだから、急ぎたい気持ちもわかるけどな」
「…無事でいるだろうか」
「フィン殿は歴戦の勇者だと聞く。その元にいるのなら、心配はないさ」
「そうだといいが……」

 なおも心配そうに、デルムッドが表情を曇らせたその時、隣を駆けるレスターの目が前方に小さな人影を見つけた。緑の草原の中に一頭の馬に乗\った騎兵の姿がある。かなり距離はあったが、優秀な弓兵に不可欠の飛び抜けた視力をもつレスターは、確実にその姿を捕らえていた。

「デルムッド、気を付けろ。あそこに誰かいるぞ」
「なんだと。敵か!?」
「逆光で紋章まではよくわからない。女騎士のようだが…」
「女騎士…」
 そう言うなり、デルムッドは馬に鞭を当て、再び速度を上げて走り始めた。

「おい! 待て、デルムッド!!」
 レスターの制止も聞かず、一気に騎士に向かって駆けていく。
「やれやれ、ほんとに血の気の多いやつだ」
 苦笑すると、レスターも後に続いて馬を走らせた。



[21 楼] | Posted:2004-05-22 15:55| 顶端
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約 束 の 丘

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- 2 -


 自分に向かってまっすぐに駆けてくる騎馬を見つめたまま、ナンナは動くことができなかった。敵だったらという不安と、味方かもしれないという期待と、相反する気持ちが彼女の足をその場に釘付けにしている。

 ブルーム軍の前に大敗をきっしたリーフ王子は、彼を守るわずかな兵と共に西の教会に落ち延びた。レンスター軍のトルバドール、ナンナは偵察を兼ねて周囲を見回っているところだった。

 メルゲンもアルスターも、フリージ家の軍はほとんどが魔道士を中心とした歩兵部隊で構成され、騎馬はめったに見かけない。それを考えると、こちらに向かってくるあの騎馬は解放軍の兵かもしれないとの思いが高まってくる。もしそうであれば、リーフ王子への助力を依頼できるかもしれない。
 だが、もし敵だったとしたらここから先に進ませるわけにはいかない。レンスター軍の騎士として、リーフ王子に近づく危険は事前に消し去らなければならないのだ。どちらにしろあの騎兵との接触は避けられない。そう覚悟を決め、ナンナは今までに幾度となく戦場で彼女の命を救ってくれた祈りの剣に手をかけた。

 目の前に現れたのは、意外にも若い青年だった。ナンナとそれほど歳も変わらないように見える。初めて見る顔なのに、なぜか不思議ななつかしさを感じた。

「もしかして君は、レンスターの騎士か?」
 肩で息をしながら、青年が問いかけた。
 彼が身に付けているものに、フリージ家の紋章は見当たらない。だが、傭兵ということもあるので、それだけで敵ではないと判断は下せない。ナンナは慎重に答えた。

「……あなたの所属部隊を先に教えて頂けないかしら?」
 だが青年は、その答えに気を悪くした様子もなく軽く微笑んだ。そして敵意のないことを示すかのように、自ら馬を降りた。一陣の風が舞い、青年の髪が風にゆれる。それは、ナンナの髪と同じ色をしていた。

「いきなり悪かった。俺は、セリス皇子率いる解放軍の兵だ」
「解放軍の! では、セリス皇子は近くまで進軍されているのですか!?」
 思わずナンナも馬を降り、青年の側に駆け寄った。
「ああ。つい先ほど、メルゲン城を制圧された。そしてこれから、アルスターで孤立しているというリーフ王子を救出に向かう予定だ。俺は、その先鋒として来たんだ」
 その言葉に、ナンナは安堵の息をついた。青年の言葉は、なぜだかすんなりと信じることができた。

「よかった…。リーフ様は無事です。兵の大半を失ってしまいましたけど、フィンの部隊に守られて近くの教会に身を隠しておいでです」
「そうか。それを聞けば、セリス様も安心されるだろう」
「セリス様によろしくお伝え下さい。わたしは戻って、このことをリーフ様にお知らせします」
「あ、待ってくれ!!」
 今にも身を翻して走り出しそうなナンナを、あわてて青年は引き止めた。

「ナンナという女の子を知らないか? フィン殿の元にいるはずなんだ」
「えっ…」
 初めて見る相手から、いきなり自分の名前を呼ばれナンナはとまどった。
「ナンナはわたしですけど…。なぜ、あなたはわたしの名前をご存じなの?」
「君が…ナンナ!」
 青年はまじまじとナンナを見つめた。やがてその顔に、ゆっくりと喜びの表情が浮かびあがって来る。

「俺はデルムッド。君の兄だ」
「デルムッド…兄さま……? あなたが…」
「会いたかった。レンスターに君がいると聞いてから、会える日をどんなに待ったことか…」
 そう言って見つめる瞳には、嘘はなかった。それでは初めて見たときに感じたなつかしさは、兄妹だったからなのか…。

「わたしも兄さまのことは、お母さまから聞いていました。でも、まさかこんなところでお会いできるなんて…」
「ああ。無事でいてくれて本当によかった」
「それで、お母さまは? ラケシス母さまはお元気ですか?」
「母上…?」
 ナンナが母のことを聞いたとたん、デルムッドの笑顔が急に曇った。
「どういうことだ、ナンナ。母上は、君と一緒にいるんじゃないのか?」
「えっ? いいえ。お母さまは、わたしが子供の頃に兄さまを迎えに行くとおっしゃって、イザークに旅立たれました。それきり戻っては来られなかったから、兄さまとイザークにいらっしゃるものとばかり……」
 しだいにナンナの胸に、真っ黒\な不安が広がってゆく。

「………いや…、母上はイザークには来られていない…」
「そんな! それじゃ、お母さまは」
「イードはロプト教団が支配する魔の砂漠だった…。まさかとは思うが…」
「ああ…ラケシス母さま!!」
 そう小さく叫ぶなり、両手で顔を覆ってしまった妹をデルムッドは静かに見つめた。母ラケシスのことは彼にとっても悲痛なできごとには違いなかったが、こうして冷静さを保っていられるのは、守るべき存在ができたからなのかもしれない。

「ずっと一人で、つらかっただろう。でもこれからは俺が側にいる」
 言葉とともにそっと肩に置かれた手…。そのあたたかさに、ナンナは少しずつ心が癒されるのを感じた。
「ありがとう、兄さま」
 涙をぬぐい笑顔を見せる。
「でも、わたしは一人ではありませんでした。フィンやレンスターの騎士達と共に、リーフ王子をお守りしてきたのです」
「そうか。ナンナは強いんだな」
 二人は微笑んだまま、それぞれの過ごしてきた日々に思いを馳せた。

 やがてナンナはちらっと後ろに視線を走らせると、名残惜しそうな表情を見せる。
「もっとお話ししていたいのですけれど、リーフ様のところへ戻らなくては…」
「そうだな…。俺もセリス様に報告しなくてはならないし…」
 そうデルムッドが言いかけた時、ふいに後ろから声がした。

「セリス様への報告は俺がしておくよ」
「レスター」
 振り返った先には、後からやってきたレスターの姿があった。少し離れた場所に馬を止めている。二人の様子から事情を察し、今まで声をかけるのを待っていてくれたのだろう。

「俺のことなんかすっかり忘れていたんだろう。薄情なやつだ」
 そう言いながらも、顔は笑っている。
「おまえはナンナ殿に付いていてやれ。どこに敵兵が潜んでいるかもわからないんだからな」
「すまない、レスター」
 そう言うと、デルムッドは妹を振り返った。
「行こう、ナンナ。リーフ王子のところへ案内してくれ」
「はい、兄さま」
 やがて二つの騎馬の姿は、草原へと消えていった。



[22 楼] | Posted:2004-05-22 15:55| 顶端
雪之丞

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約 束 の 丘

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- 3 -



 リーフ王子とレンスターの騎士団が解放軍に加わり、いよいよアルスターへ向けての本格的な進撃が開始されることとなった。
 魔法戦士トードを祖とするフリージ家の軍は、魔道士を中心に構成されている。戦場では重厚なアーマーが守りを固め、その間隙を縫うように魔道士達の雷魔法が容赦なく襲い掛かってくる。ほとんどが歩兵のため機動力には欠けるが、その破壊力は驚異的だった。

 メルゲンに拠点を置いた解放軍は、魔道士部隊への対策として魔法に対する防御力の高い者を中心に軍を再編成した。後方のダーナの動きに注意しながらも、着々とアルスターへ向けて兵を進めていく。
 ナンナはリーフ王子の部隊に組み込まれ、レンスターを再び取り戻すための戦いへと向かった。
 激しい戦闘が予想される中、回復魔法が使える者の存在は重要だった。しかもナンナは機動力もあるため、さらに貴重な存在といえる。


「落着かないな。そんなにナンナのことが心配か?」
 先ほどから浮かない表情のデルムッドに、レスターが声をかけた。彼らの騎馬隊は、ダーナの動きに備えてメルゲンに駐留している。

「当然だろう。リーフ王子は自分の手でレンスターを奪回するため、最も危険な先発隊として出撃されたんだ。ナンナもその部隊にいる。せめて俺も側にいられれば…」
「しかし俺達の役目は、ダーナ軍からこのメルゲンを守ることだ。セリス様とも、そう約束したじゃないか」
「それはそうだが…。おまえだって、ラナがアルスター攻略の軍に加わっているんだから、気持ちはわかるだろう? レスター」
「ああ、俺だってラナのことは心配だ。しかし、ここでダーナ軍を食い止めて後顧の憂いをなくすことが、結局はラナを守ることにつながるんだ」

 その言葉に、デルムッドは黙り込んだ。彼も理屈ではわかっている。ただ気持ちがついていかないのだ。
 だがこうして言葉にしたことで、デルムッドも少し不安がまぎれたようだった。ようやくその顔にかすかな笑みが浮かぶ。
「そうだな。今はダーナに対する守りを怠らないことが重要だな」
 落ち着きを取り戻した友人に、レスターも安心した表情を浮かべる。

 その時、西の方角から一騎の兵がこちらに向かって馬を飛ばしてくるのが見えた。砂塵をあげて駆けてくるのは、ダーナへ向けた偵察隊の一人だった。
 兵は、デルムッド達の前まで来ると、転がり落ちるように馬を降りた。

「大変です。ダーナから傭兵部隊が出撃しました。このままではアルスター軍との挟み撃ちになります!」
 その報告に、二人の顔に緊張が走る。
「やはりダーナが動いたか」
「セリス様が案じられた通りだな」
「手はず通りだ。行くぞ、レスター」
「ああ」
 すでに出撃の準備は整っていた。デルムッド率いるフリーナイト部隊と、レスターが率いるアーチナイト部隊は共に機動力では他の追随を許さなかった。だからこそセリスは、ダーナに備えて彼らを残したのだ。

 今まさに出撃しようとした時、レスターの前に小柄な少女が現れた。
「レスター。ダーナ城に行くんでしょ。あたしも連れてってくれない?」
 それは、少し前に解放軍に加わったパティだった。彼女はどんな鍵も開けることができたし、品物の価値を見分ける優れた目を持っているため、軍資金の調達にはずいぶん役にたっている。
 しかし、レスターは応じなかった。

「だめだよ、パティ。遊びにいくわけじゃない。危険なんだ。」
「大丈夫、戦いが始まったら離れてるから。あたしが用があるのはダーナ城の宝物庫なの。きっと、連れてってよかったと思うわよ」
「だったら、ダーナ城が制圧されてから来ればいい。君を危ない目にあわせるわけにいかないよ」
 あくまでも承知しないレスターに、パティは少し頬を膨らませた。

「わかった。じゃあ、一人で行くわ」
「パティ!」
 一瞬、睨み合いが続いたが、すぐにレスターはあきらめたようにため息をついた。なぜかこの少女にはいつも甘くなってしまう。
「わかったよ、後ろに乗\って。でも、絶対に無茶はだめだよ」
「うん! ありがとう、レスター」
 パティが身軽な動作で馬に飛び乗\ると、レスターは遅れを取り戻すかのように馬を走らせた。

 安全な場所でパティを降ろしたレスターが先行した部隊に合流した時、前方にかなりの数の騎馬の群れを発見した。ダーナから出撃した傭兵部隊だろうとの予想はついたが、少し様子がおかしい。すでにお互いの姿を認識できる距離にあるというのに、相手がこちらに向かってくる気配はなかった。そして、砂煙のむこうに、馬のいななきや剣の交わる激しい音が聞こえてくる。

 レスターは、前方で指揮をとっているデルムッドのところへ走りよった。
「デルムッド。どうしたんだ、これは。もう、戦闘が始まっているのか?」
「わからん。仲間割れだろうか? どうも、あの一騎を狙い撃ちにしているようだが…」
 二人の視線の先では、見事な黒\馬に乗\った一人の男が、それを取り囲む何十騎もの騎兵を相手に獅子奮迅の戦いを見せていた。自らもかなりの傷を負いながら、全くひるむ様子もない。手にした長剣が一閃するたび、確実に相手は地に伏していた。

「あれは…! ミストルティン!!」
 光を放つその剣を目にするなり、デルムッドが叫んだ。
「何だって」
「まちがいない。かつて黒\騎士ヘズルが手にしていたという、ノディオン王家に伝わる伝説の魔剣だ」
 その名はレスターも、オイフェ達から聞いて知っていた。アグストリア動乱の際には、デルムッドの伯父にあたるエルトシャン王が身につけていたはずだった。それを今手にできる者といえば、ただ一人しかいない…。

「それじゃ、あの騎士は…」
「助けにいくぞ、レスター!」
「わかった」
 言葉と同時に二人は馬を走らせた。彼らの部隊もそれに続く。たちまち辺りは激しい戦場と化した。

 黒\馬の騎士は、突然割り込んできた騎馬隊に一瞬とまどったようだったが、自分に危害を加える様子がないことを判断して、すぐに目の前の敵に集中した。
 ダーナ城から敵の援軍が押し寄せさらに激しい戦闘が続いたが、数刻の後にはほぼ勝敗は決していた。隊長らしい一騎が黒\騎士によって討ち取られると、元々金で雇われた傭兵達は、潮時と見たのか次第に戦列を離れ散り散りに去っていく。
 そしてその場には、デルムッド達解放軍の兵と、ミストルティンを手にした黒\騎士だけが残った。



[23 楼] | Posted:2004-05-22 15:56| 顶端
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約 束 の 丘

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- 4 -



 ダーナの傭兵達がいなくなると、黒\騎士は油断なく身構えながらデルムッド達に視線を走らせた。ダーナ軍を倒したからといって自分の味方とは限らない…。その目はそう言っている。

「俺達は、セリス皇子率いる解放軍の部隊だ。君に危害を加えるつもりはない。剣を引いてくれ」
 デルムッドは一歩進み出ると、黒\騎士に向かってそう言った。
「解放軍だと……!」
 黒\騎士の視線がデルムッド一人に集中する。一瞬、怒りを込めた目でデルムッドを睨み付けたが、やがて思い直したように剣を鞘に納めた。
「助けてくれたことには礼を言う。だが、二度と俺の前に現れるな」
 そう言い残すと、黒\馬を翻しダーナ城の方へ向かって走りだそうとする。あわててデルムッドは、彼の前に廻り込んだ。

「待ってくれ!」
「どけ! 俺はダーナ城に行かなければならん」
「ミストルティンを手にしているということは、君はアレス王子なのか」
「だったらどうだというのだ。どういうつもりか知らんが、邪魔をするなら容赦はしない。ミストルティンの露と消えたくなければ、俺の前から立ち去れ!」
「いや、どくわけにはいかない」
「……貴様」

 黒\騎士アレスは、再び剣の柄に手をかけた。周囲に緊張が走る。レスターが二人を止めるべく間に入ろうとしたが、デルムッドはそれを制止した。
「同じヘズルの血を引く者として、俺の話を聞いてくれ。アレス!」
「何だと? ヘズルの…。では、まさかおまえはノディオン王家の者なのか?」
「俺の母は、エルトシャン王の妹ラケシスだ」
「おまえが、叔母上の子だと!?」
 アレスは半信半疑のまなざしでデルムッドを見た。しばらくの間、無言のまま視線のぶつかり合いが続く。

 突然、鞘に納められていたアレスの剣が輝いた。まるで自分の主に何かを伝えたがっているかのように、断続的に光を放つ。その様子をアレスはじっと見つめていた。他の者には聞こえないミストルティンの声を、この時アレスは聞いていたのかもしれない。
「確かに…、嘘ではないようだな。この剣は自分の同族を知っている」
 幼い頃からミストルティンと共に生きてきたアレスは、この剣の不思議な力を何度も目の当たりにしていた。

 デルムッドの言葉を受け入れ、アレスの態度はいくぶん和らいだ。しかし、その視線は相変わらず厳しいままだ。

「だが、それならなぜおまえはシグルドの息子の軍にいる。我が父を殺した仇の下に!」
「何だって!? シグルド様がエルトシャン王を殺した!?」
 思わずデルムッドは、レスターと顔を見合わせた。
「それは誤解だ、アレス。エルトシャン王はシグルド様に殺されたのではない。お二人は親友だったんだ」
「なんだと!?」
「とにかく、俺達と一緒に来てくれ。そしてセリス様に会ってほしい。そうすれば誤解もとけるはずだ」

 再び無言の睨み合いが始まったが、今度もアレスの方から先に折れた。デルムッドの真剣な眼差しは、簡単に嘘と切り捨てられない何かを含んでいた。
「…わかった。おまえの言葉を信じよう。しかし、セリスを信用したわけではないからな」
 その言葉を聞いて、ようやくデルムッドもほっとした表情を見せる。何か大きな誤解があるようだが、とりあえずセリス皇子に会うことを承知してくれたのだ。

 だが、アレスはすぐにはメルゲンへ向かおうとはしなかった。
「その前に、俺はダーナ城へ行く。大切な人が囚われているんだ。助けに行かなくてはならない」
「じゃあ、俺達も手を貸そう。どちらにしろ、ブラムセルはこのままにはしておけないからな」
 デルムッドがそう言うと、アレスは驚いたような顔を見せた。一瞬、言葉に詰まったが、やがて低い声で一言だけつぶやく。
「すまない……」
 短くそれだけ言うと、ダーナ城に向かって馬を飛ばした。


 ダーナ城には、まだブラムセル配下の剣士の部隊が残っていた。元々、商人あがりのブラムセルが用心棒がわりに雇った者達がほとんどで、いわばならず者の集団のようなものだ。統制の取れた解放軍の兵士達の前に、彼らはもはや敵ではなかった。
 城門を守っていた一隊が突破されると、ダーナ兵達は次々と持ち場を離れ逃走を始める。
 最後のあがきをみせていたブラムセルも討ち取られ、ダーナはついに陥落した。

「リーン、どこだ! どこにいる!!」
 地下牢へと続く階段を駆け降りながら、アレスが大声で叫ぶ。さきほど言っていた「囚われている大切な人」を探しているのだろう。
 やがて、アレスの足が止まった。その視線の先には、緑の髪の美しい少女が少し疲れた表情を浮かべてたたずんでいた。

「アレス…」
「リーン、無事だったのか!」
 走り寄ったアレスに、かすかに少女は微笑んだ。
「ええ、彼女が牢の鍵を開けて、助けてくれたの」
 そこには、ダーナ城から奪った宝で袋をいっぱいにしたパティが立っていた。城を落ち延びた兵達に宝物庫を荒らされる前に間に合ったようだ。
 アレスに続いて降りてきたデルムッドとレスターを見つけ、パティが軽く手を振った。
「あぶなかったのよ。もう少しで彼女、ブラムセルの部下達に連れ出されるところだったんだから」
 レスターの隣に来ると、いたずらっぽく見上げて言う。
「ね、連れてきてよかったでしょ?」
「今度だけは、大目に見るよ」
 レスターも笑顔で返す。
「あら……」
 その時パティが急に頬を赤く染めて、まばたきをした。レスターが視線を追うと、アレスが先ほど助けだされた少女を抱きしめている。
「お邪魔みたい。行こっか、レスター」
「そうだね」
 彼らがそっとその場を離れた後も、アレスは緑の髪の少女を抱きしめたままだった。



[24 楼] | Posted:2004-05-22 15:56| 顶端
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- 5 -



 城から逃れ城下の街を荒らしていた敗残兵達を片づけ、ダーナの街が自治を回復するのを見届けてから、デルムッド達はメルゲンに戻った。その後間もなくして、アルスター制圧とレンスター奪回の報がもたらされた。手傷を負ったブルーム王はコノートへと逃れ、これでレンスター地方のおよそ半分の解放がなされたことになる。
 セリス皇子はメルゲンからアルスターへと拠点を移し、今後はコノート攻略へ向けての準備を始めることになった。

 レンスターを奪回したリーフ王子は、そのまま城にとどまって城下の整備にあたっていた。いずれ、このレンスターがコノート攻略の前線基地として機能することになるだろう。それまでに、さまざまな情報を把握しておく必要がある。
 ナンナもまた、リーフの側で多忙な日々を送っていた。城内の事情にもくわしいナンナは、フィンと共に何かと頼りにされることが多い。てきぱきと指示を出しながら、自らも先頭にたって動き回った。

 その夜も、解放軍への参加を希望する者達の名簿をまとめ、ようやく一息ついた時には月がだいぶ傾いていた。ベランダに出ると、ひんやりとした夜風が髪を揺らして通り過ぎる。
 そのままほんやりと庭をながめていると、ふいに母ラケシスの事が思い起こされた。ここレンスター城には、幼い頃を母と共に過ごした思い出があった。ブルームによって占領されるまでのわずかな間だったが、今となってはかけがえのない日々だった。

 ナンナは胸のペンダントを手に取った。イザークへ旅立った母から託されたものだ。中には一人の美しい青年の肖像画がある。ラケシスの兄エルトシャン王の肖像画だと、母から聞いていた。
 ノディオンの王であった兄のエルトシャンのことを、ラケシスはよくナンナに話して聞かせた。遠くを見るようなまなざしでエルトシャンのことを語る時、母は本当に幸せそうだった。あまりに何度も聞かされるため、幼いナンナはエルトシャン王が自分の父親なのかと勘違いしていたこともある。

 その母がイザークへ旅立つ朝、それまで肌身はなさず身につけていたペンダントを自らはずずと、ナンナの首にそっとかけたのだ。ラケシスはひざを折り、ナンナと視線を合わせると静かな声で語り掛けた。
「ナンナ。お母さまはこれからナンナの兄さまを迎えにイザークへ向かいます。でも、イザークは遠いわ。すぐには帰って来られないかもしれない。だからこれからは、あなたがお母さまのかわりにアレスを探してね」
 そう言って、ペンダントと共に一通の封書をナンナに託した。エルトシャン王からその息子アレスに宛てた手紙だという。ラケシスはこれをアレスに渡すために、ずっとレンスターにとどまっていたのだ。
 母の言葉をナンナは心に刻み込んだ。それ以来、母との約束を果たすためナンナはアレスの行方を捜し続けた。しかし帝国軍の追求の目を逃れながらのことでもあり、とうとう現在に至るまでアレスを見つけることはできなかった。

 どうして母はあれほどまでにアレスの事を気にかけていたのか、ナンナはずっと不思議に思っていた。自分の甥だからというよりも、エルトシャン王の子だからというふうにナンナには感じられた。
 ラケシスはナンナの父のことはあまり語ろうとしなかった。話してくれるようせがんだこともあったが、悲しそうな母の顔を見て以来聞くことができなくなってしまった。
 母が本当に愛していたのは、もしかして兄であるエルトシャン王なのではないだろうか…。いつの頃からか、ナンナの心にそんな疑惑が芽生えるようになった。
 母を異にするとはいえ、血のつながった兄と妹が結ばれることは許されない。その苦しさから逃れるために、母は父と結婚したのではないだろうか…。

 ありえないと何度も否定しながら、いつのまにかその考えは次第にナンナの中で大きくふくらんでいった。
 しかし、もうその答えを聞くこともできない。ラケシスはイードの砂漠に消え、イザークにたどり着くことはなかったのである。

「お母さま………」
 ふいに目頭が熱くなり、涙がひとすじ頬を伝った。
 その時、部屋の扉を叩く控えめな音がした。もう夜も遅い。不審に思いながらもあわてて涙をぬぐうと、扉の方へ向かった。

「デルムッド兄さま…」
 そこには、数日前に再会した兄のデルムッドが立っていた。
「いつこちらに? 兄さまはアルスターにいらっしゃるはずじゃ…」
「どうしてもおまえの無事な顔が見たくて、馬を飛ばしてきたんだ」
「兄さま…」
 自分を気遣ってくれる優しい瞳に、ナンナは胸がいっぱいになった。母と別れてからは、誰かに頼ったり甘えたりすることなく生きてきた。一番身近にいた大人であるフィンは、やはりリーフ王子を中心に行動していたし、どうしても遠慮があった。こうして真っ先に自分のことを思ってくれる存在に、心が暖かくなる思いがする。

「嬉しい…。わたしも兄さまとゆっくりお話がしたいと思っていたの」
 ナンナはデルムッドを部屋に招き入れた。妹と向かい合ったデルムッドは、その瞳に涙のあとを見つけた。

「もしかして泣いていたのか? 何があったんだ、ナンナ」
「なんでもないの。少し、お母さまのことを思い出しちゃって…」
「母上のことを?」
「兄さまは、ラケシス母さまのこと覚えてる?」
 しかし、デルムッドは残念そうに首を振った。
「いや、ほとんど覚えていない。俺達がイザークに来たのは、ものごころつくかつかないかの頃だったからな」
「そうよね…。 わたし、お母さまはイザークにいらっしゃると思っていたから、きっとまたお会いできると思っていたの。そうしたら、聞きたいことがたくさんあったのに」
「聞きたいこと?」
「ええ。一番聞きたかったのは、お父さまのこと…。ラケシス母さまは、お父さまのことはあまり話してくださらなかったの。お父さまがシグルド様の軍の戦士だったことや、エルトシャン王の友人だったということはフィンから聞いたことがあるけど…」
「父上のことならほんの少しだけ覚えてるよ。顔ははっきり思い出せないけど、とても大きくて力強い存在だった」
「そう……」
「俺も、父上のことはオイフェ様やレヴィン様から聞いたんだ。オイフェ様の話では俺はかなりの父親っ子だったらしくて、いつも父上の側を離れなかったそうだ。父上も、まだ満足に歩けない俺を馬に乗\せてよく遠出をしたりしたらしい。おかげで歩くより先に乗\馬を覚えたという話だ」
「まあ…。でも、兄さまはほんとに乗\馬が巧みでいらっしゃるものね」
 ナンナの顔に、微笑が浮かぶ。
「元々は傭兵としていろいろな部隊を渡り歩いていた父上がシグルド様の軍にとどまったのは、母上と出会ったからなんだ。父上は、エルトシャン王から母上のことを頼まれていたそうだ。何かあったら、自分のかわりに守ってほしいと」
「そうだったの」
 それは初めて聞く話だった。それでは、二人の出会いにもエルトシャン王が係っていたのだろうか。

「じゃあ、お父さまもアレスのことはご存知だったのかしら…」
「アレス?」
 独り言のようにつぶやいたナンナの言葉をデルムッドは聞き逃さなかった。
「ナンナはアレスを知っているのか?」
「会ったことはないわ。でも、ずっと探し続けていたの。元々、お母さまがレンスターに来たのは、アレスを探すためだったのよ。そしてイザークに旅立たれる時に、これからはわたしにアレスを探すようにと言い残していかれたの」
 デルムッドは言うべきかどうか迷っているような顔をしたが、やがて決心したように話しはじめた。

「実は数日前、アレスに会ったんだ」
「えっ!! どこで会ったんですか!?」
「ダーナ軍の傭兵部隊の中に彼はいた。事情があって隊を抜けようとして、追手と戦っているところを偶然俺達が助けたんだ」
「まあ……!」
 ナンナは息をのんだ。あんなに探しても見つからなかったアレスの情報が、こんなところで聞けるとは。

「今は解放軍と共にアルスターにいる。セリス様ともお会いになったはずだ」
「わたしもアレスに会わせて下さい。わたし、どうしても彼に渡さなければならないものがあるんです」
 しかし、デルムッドはゆっくりと首を横に振った。
「いや。会うのはもう少し待ったほうがいい。自分の父をシグルド様に殺されたと誤解していて、我々にもあまりいい感情を持っていないようなんだ」
「そんな!」
「今会っても、辛い思いをするだけかもしれない。いずれ分かってくれるだろうが、それまで時間を置いた方がいいと思う」

 自分を気遣ってそう言う兄に、ナンナはそれ以上強く言えなかった。
 結局、アレスの話はそれきりになった。その夜二人は、お互いが過ごしてきた日々のことについて長いこと語り合い、遅くまでナンナの部屋の明かりは消えなかった。
 そして明け方近く、再びアルスターへと引き返していくデルムッドの姿があった。



[25 楼] | Posted:2004-05-22 15:57| 顶端
雪之丞

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約 束 の 丘

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- 6 -



 デルムッドにああ言われたもののナンナは、アレスに会わなければという思いをどうしても抑えることができなかった。まして、アレスがシグルド公子に対してそのような誤解を抱いているのなら、ますます会って話をしなければとの考えが強まってくる。
 エルトシャン王が母ラケシスに託した手紙。あの手紙はアレスの誤解を解く鍵になる。そんな気がしていた。

 それから三日後、どうにか時間を作りリーフ王子の許可を得たナンナは、一人アルスターへと向かった。
 休むことなく馬を飛ばし続け、ようやく遠方にアルスター城が見える場所までやって来た。道の横には小さな川がさらさらと音をたてて流れている。走り詰めだった馬に水をやろうかと思い、少し馬足をゆるめた。その時、ふと気になる光景を目にとめて、思わずナンナは手綱を引いた。
 小高い丘の上に大きな枝振りの楡の木が一本立っている。見晴らしのよさそうなその場所に、ナンナは見覚えがあった。

 その丘は、遠い子供の日に母を見送った場所だった。あの日、兄を迎えにイザークへ旅立った母の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとここにたたずんでいた。護衛として付いてきてくれたフィンの部下が帰るよう促しても、なかなかその場を離れることができなかった。

 ―――お母様のかわりにアレスを探してね

 別れ際にそう母は言った。
 あれから十年以上が過ぎた。あの約束は、まだ果たされないでいる。

 懐かしさを感じ近付いた時、木陰に一頭の黒\い馬を見つけた。
 騎士として育てられたナンナは、馬に関しては厳しい観察眼を持っている。その彼女から見ても、ほれぼれするくらいそれは見事な馬だった。興味を引かれさらに近づくと、その影に隠れるように一人の青年の姿があった。
 木の根元に背中を預け目を閉じている。眠っているようだった。黒\く輝く大きな剣を大事そうに抱えたままの姿勢だ。
 その青年を見たとたん、ナンナの目は彼の顔にくぎ付けとなった。心臓が高鳴り、思わず胸のペンダントを握り締める。

 ――――アレス!

 一目でわかった。今は形見となってしまった母のペンダント。その中に描かれた小さな肖像画。今、目の前にいる青年の顔は、その肖像画の顔にうりふたつだった。

 ナンナが硬直したように立ちすくんでいると、ふいに青年が目を開けた。と、同時に右手がすばやい動作で剣を鞘から引き抜き、ナンナの目の前に突き付ける。全てが一瞬の出来事だった。
 その鋭い眼の光に、ナンナは思わず身をすくめる。
 だが青年は、目の前にいるのが年若い少女であることを確認すると、すぐに剣を納めた。先ほどナンナを射すくめた瞳の光も消えている。そうすると獣のような猛々しさが消え、彼が本来持っている美しい部分が強調された。

「あなたは……アレス?」
 震える声で、ナンナは問いかけた。
 神々の彫像のように整った顔立ち、光の雫を集めたような黄金の髪。すべてが、母ラケシスから聞かされ思い描いていたエルトシャン王の姿そのものだった。
 自分を見つめるナンナを、不思議そうに青年は見た。

「ああ、そうだが。おまえは?」
「わたしは、ナンナ。エルトシャン王の妹ラケシスの娘です」
「叔母上の? では、デルムッドとは?」
「デルムッドは私の兄です」
 青年―――アレスは、納得したように頷くと改めてナンナを見た。

「そうか……。それで、俺に何か用か?」
「わたしの母は…ずっとあなたの事を心配していました。バーハラの戦いの後レンスターに来たのも、あなたを探すためでした。その母から、あなたに渡すようにと預かったものがあるの」
 ナンナは遠い昔、母から託された手紙をアレスに手渡した。
「これは?」
「エルトシャン王からあなたへ宛てた手紙です。ご自分の死を覚悟されていたエルトシャン王は、戦いの前にこの手紙をわたしの母に託していたの。それを読んでもらえれば、あの戦いの真相も、王のお気持ちもわかるはずだわ」
 信じられないというような表情で、渡された手紙とナンナの顔とを見比べていたアレスだったが、やがてその封を切り中身に目を走らせた。
 ノディオン王家の紋章の入った便箋の最後には、流麗な王のサインがしたためられている。しかし、それがなかったとしても、アレスにはこの手紙が父から自分にあてた真実であることが確信できた。

「なんてことだ…」
 手紙を読み終えて、アレスは深いため息をついた。
「…………。俺は……間違っていたのか…」
「わかってもらえたのね? アレス」
「ああ。ありがとう、ナンナ。…感謝する」
 そう言うと、アレスはまっすぐにナンナを見つめた。そのまなざしに、なぜかナンナはほんの少し頬が熱くなるのを感じた。
 突然わきおこった不可解な感情にとまどっていると、ふいになにか柔らかいものが背中に当たった。驚いて振り向くと、アレスの愛馬がその頭をナンナの背中にすり寄せている。どうやら親愛の情を示しているらしい。ナンナが頚のあたりを撫でてやると、うれしそうに目を細めた。

「ずいぶん、人なつこい馬なのね」
「驚いたな。そいつは俺以外の人間には馴れないんだ」
「え、本当?」
 その言葉に、改めて馬の様子を見てみたが、友好的な態度は相変わらずだった。今度はナンナの肩に顎を乗\せ、甘えるようなしぐさを見せている。
「おまえのことを気に入ったらしい」
「そうなのかしら…。なんだか、嬉しいわ」
 黒\馬の一件が二人の間の空気をずいぶんと和やかなものにした。アレスの顔にも笑みが浮かんでいる。

「ナンナ。もしよかったら…、叔母上やおまえのことを話してくれないか」
「ええ、喜んで。わたしもあなたのことを聞きたいと思っていたの」
 ナンナも笑顔で返した。やがて二人は、どちらからともなく木の下に腰を降ろし、語りはじめた。



[26 楼] | Posted:2004-05-22 15:58| 顶端
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- 7 -



 コノートに逃れたブルーム王が、アルスター及びレンスターの奪回をねらって兵を集めているとの情報が伝わった。解放軍は兵を二手に分け、応戦の準備に忙しかった。
 ナンナはレンスターにとどまったまま、リーフを助けて働いている。そんな中、レンスターを訪れたセリスがナンナを執務室へと呼んだ。

「お呼びでしょうか? セリス様」
 扉を開けると、中にはセリスの他にアレスとリーフの姿があった。父達が親友同士だったというこの三人は、すでに解放軍の中で中心的な存在となりつつある。そんな彼らを前にして、ナンナの顔にも少し緊張の色が走る。
 それを察したのか、ナンナを安心させるかのように穏やかな声でセリスは切り出した。

「わざわざ出向いてもらってすまなかったね。実は君に頼みたいことがあるんだ」
「はい、何なりとお申しつけ下さい」
 ナンナがそう答えると、セリスはアレスのほうに視線を向けながら話しはじめた。
「ここにいるアレスが、正式に解放軍の一員として協力してくれることになった。これからアレスには、いろいろと重要な任務を頼むことが多くなると思う。そこでナンナ、できれば君にはアレスの部隊で彼を補助してもらいたいんだ。君は剣だけでなく回復の魔法が使える。君が側にいてくれれば、アレスの戦いもずいぶん楽になるはずだ」
「はい。わたしに異存はありませんが、リーフ様はご承知なのでしょうか?」
 セリスの隣に立っているリーフを見る。ナンナにとって彼は、直属の上官と言うべき存在だった。

「私のことなら心配いらないよ、ナンナ。セリス様のおっしゃるように、アレスを助けてあげてほしい」
 笑顔で答えるリーフに、ナンナも安心したような表情を見せた。
「わかりました。では、よろしくお願いします、アレス」
「こちらこそ、よろしく頼む」
 あくまで戦略的な話なのに、ナンナはなぜか心が軽く浮き立つような感じがした。アレスの側にいることができる…。 いつのまにかそんなふうに考えている自分に驚いていた。


 ブルーム王は軍を二手に分け、アルスターとレンスターに同時攻撃を仕掛けた。それを受けて、解放軍も隊を二分して応戦する。
 アレス達騎馬隊はレンスターへ援軍として駆けつけ、セリスやシャナンをはじめとする歩兵部隊はアルスターの守備にあたっていた。いずれ合流して、ともにコノートへ進軍する手はずになっている。

 槍騎士を中心とするコノートからの第一陣を、解放軍の騎馬隊は撃破した。
 やがて夜になり、敵の攻撃がやんだのを確認して野営地に天幕を張る。偵察隊の報告では、ブルームはコノート城の周囲に厳重な防衛陣を敷いたまま動く様子はないという。

 周囲を一回りして敵が潜んでいないことを確認してから、アレスは自分の天幕に戻った。ちょうどそこにデルムッドが訪れ、手にした酒瓶を軽く振ってみせる。
「よかったら一緒にやらないか?」
「いいのか。夜襲があるかもしれんぞ」
 そう言いながらも、アレスの顔は笑っていた。
「飲みすぎなければ大丈夫さ」
 デルムッドも笑いながら持参した携帯用のグラスに酒を注ぐ。
 従兄弟同士になるこの二人は、ダーナで出会ってからともにアルスターで過ごしていたが、それぞれに忙しい日々を送っていたため、今までゆっくり話す時間がとれなかったのだ。

「アレス、君がセリス様と和解してくれて本当によかった。君もセリス様も、俺にとっては大切な存在だからな」
「ナンナのおかげだ。彼女が届けてくれた父上の手紙で、俺は真実を知ることができたんだ」
「母上の思いも、ようやく果たされたわけだ」
「ああ。俺のことをずっと気にかけていて下さったそうだな。叔母上にはどんなに感謝しても足りない。お会いできなかったことだけが残念だ…」
 しみじみとした口調でアレスが言う。

「叔母上は父上とはとても仲の良い兄妹だったそうだ。まるで恋人同士のようだったと、母上から聞かされたことがある」
「その話なら、俺もオイフェ様から聞いたことがあるよ」
 しばし、両親の話に花が咲いた。平和な時代であれば、ともにノディオンの城で兄弟のように育っていたかもしれない二人だった。

「いい酒だな」
 手にしたグラスを傾けながらアレスが言う。
「そうだろう? レスターに無理を言って譲ってもらったんだ」
「そういえばレスターといるのをよく見かけるな。付き合いは長いのか?」
「ああ、子供のころからずっと一緒に育ったからな。生死を共にすると誓った親友だ」
「親友…か」
 ふいに遠くを見るような目で、アレスがつぶやく。
「アレス?」
「いや、少しうらやましいと思ってな。母上が亡くなられ傭兵隊長に拾われてから俺は、裏切りや騙しあいばかり見て育ってきた。人を信じる心など忘れかけていた」
「シグルド様とエルトシャン王は親友だった。君とセリス様も、そうなれるさ」
「ああ。…だが、俺に人を信じる心を思い出させてくれたのはおまえだ、デルムッド。ミストルティンを怖れもせず俺の前に立ちはだかったおまえの目を見た時、おまえの言っていることは嘘ではないと確信できた」
「アレス…」
 ふだん自分の感情を口にすることの少ないアレスの言葉だけに、それはデルムッドの心にも深く伝わってくる。
 戦場の夜は静かに更けていった。



[27 楼] | Posted:2004-05-22 15:58| 顶端
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- 8 -





「おまえはファバル! 裏切ったのか!?」
「黙れ! おまえに手を貸すなんて、俺はどうかしてたんだ!!」
 敵将ブルームに向かってファバルが弓を引き絞る。聖弓イチイバルが光を放ち、飛び立った矢は正確にブルームの胸を射抜いていた。致命傷を負いながらもトローンの魔道書を振りかざすブルームに、アレスのミストルティンが一閃する。

 王が討ち取られたのを見て、最後の抵抗を続けていた敵兵も次々と降伏を始めた。
 帝国による長い支配から解放され、市民達は歓呼をもってセリス達を迎える。城門が開け放たれ、市民も解放軍の兵士達も共に喜びを分かち合う。少なくとも今日一日は、このお祭り騒ぎは納まりそうになかった。

 ナンナは武器の修理のためにアレスと共に街に出掛けた。その帰り道、街の中心部に大勢の人が集まっているのが見える。
 広場の真ん中で、一人の美しい少女が踊っていた。緑色の髪を揺らし、軽やかなステップで勝利の喜びを舞っている。それは、ダーナで解放軍に加わった踊り子のリーンだった。
 道ゆく人誰もがその踊りに目を奪われ立ち止まる。ナンナも思わず足を止め、その動きに見とれてしまっていた。

 踊り子というと、酒場で男達の相手をするといったイメージがあったため、ナンナは最初あまりいい印象を持っていなかった。しかし、リーンに出会ってその考えは変わった。リーンは、明るく思いやりのある優しい少女で、すれたところも悪びれたところも全くない。
 そして何より、リーンの踊りには不思議な力が宿っていた。出陣前の勝利を祈願した踊りは兵士達の戦意を高揚させたし、夕闇の中で静かな笛の音と共に舞う幻想的な姿は、戦いに傷付いた者達に癒しを与えるのだった。
「素敵な踊りね…」
 ナンナはため息をついて、隣にいるアレスを見た。しかしアレスはなぜか暗い表情でリーンの方を見つめている。不審に思ったナンナだったが、その時わきおこった歓声にその考えも中断された。

 リーンの踊りが終わった。彼女を取り囲んでいた観客達が一斉に拍手し、歓声を上げ、アンコールを呼びかけている。しかし、リーンはその外側にアレスの姿を発見すると、人ごみをかき分けまっすぐにアレスに向かって走ってきた。
「アレス!」
 笑顔を浮かべたまま、飛びつくようにアレスに走りよる。
「もう、どこに行ってたの? ずいぶん探しちゃったのよ」
 そう言ってアレスの腕に手を回そうとした時、初めて隣に立つナンナに気が付いた。びっくりしたような目でナンナを見て、あわててアレスから離れる。
「ごめんなさい。気が付かなかったわ」
「ううん、いいのよ」
 ナンナは微笑んだ。
 リーンはダーナにいる頃からアレスとは知り合いだった。解放軍に入って、見知らぬ人々の中でアレスを頼りにしているのだろう。
「アレス、わたし先に行ってるわね」
 ナンナがそう言うと、アレスも黙って肯いた。



[28 楼] | Posted:2004-05-22 15:59| 顶端
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- 9 -



 コノートの城内に入ると、見なれた顔が多くなった。共に戦った解放軍の戦士達が、あちこちで勝利の喜びに酔っている。
 アーサーと立ち話をしていたフィーがナンナに気づいて声をかけた。

「あら、アレスと一緒じゃなかったの? ナンナ」
「ええ、途中でリーンに会ったの。リーンがアレスに話があるようだったので…」
 ナンナが言い終える前に、納得したような表情でフィーが肯く。
「そうか、気をきかせたってわけね。恋人同士だもんね、あの二人」
「…えっ……」

 ―――――コイビトドウシ……

 フィーの言ったその言葉が、知らない単語のようにぐるぐるとナンナの頭の中を駆け巡った。

「なに? まさか、知らなかったの? ナンナ」
 ナンナの表情に、逆にフィーの方が驚いた顔をする。
「…………知らなかった…わ……」
「ええ!? だって有名な話よ。元々、アレスが雇い主を裏切ったのは、リーンのためだったらしいから」
「そ、そう………」
「ナンナらしいわね。そういうことには疎いんだ」
 親しみを込めてくすっと笑うと、フィーは言葉を続けた。
「悪い意味で言ったんじゃないのよ。ナンナってほんとに生真面目っていうか、騎士の鏡って感じだもんね。フィン殿に育てられたせいかしら」
「おしゃべりがすぎるよ、フィー」
 ナンナの様子に気づいたアーサーがフィーを遮った。フィーはわけが分からず、きょとんとした顔でアーサーを見る。
「ごめんね、ナンナ。気にしないで。フィーも悪気はないんだ」
「ええ、気にしてないわ、アーサー。わたし…ちょっと急ぐから…」
 ぎこちなく笑うと、ナンナは足早にその場を離れた。

「ねえ、アーサー。いったいどういうことよ」
 状況を把握できないフィーが、アーサーに詰め寄った。アーサーはフィーを見つめると、軽くため息をつく。
「だから君は誤解されやすいっていうんだ…」


 人ごみを避けるように、ナンナは城内の奥まった場所へと入っていった。誰もいない一室を見つけ、扉を閉じる。街の人々の歓声が遠くに聞こえたが、このあたりは静寂に満ちていた。

 ナンナは深く息を吸い、気持ちを落ち着けようとした。
 リーンとアレスはダーナで自分の知らない時間を共有している。その二人が恋人同士だったとしても、何の不思議もない。なのに、いったい自分は何に対してこんなに動揺しているのだろう…。

 ――――恋人同士だもんね、あの二人

 フィーのその言葉を聞いた瞬間、ナンナの胸に衝撃が走った。
 普段は厳しい表情を崩さないアレスが、時折見せてくれる笑顔がナンナは嬉しかった。それは自分だけに向けられたものだと、無意識のうちに思い込んでいた。
 しかしあれは、血縁の者に対する親愛の情にすぎなかったのだろうか。リーンには、もっと心からの微笑みを見せるのだろうか…。
 そう思った時、ナンナの胸を苛んだのは明らかに嫉妬だった。アレスを愛している自分を認めないわけにいかなかった。

 いつからそんなふうにアレスを想うようになったのだろう…。
 初めて会った時、アレスに見つめられて頬が熱くなった、あの時からだろうか。それとも、アレスの側近くで戦えることを嬉しいと思ったあの日からだろうか。
 だがもっとずっと昔、アレスを探すことを母ラケシスと約束した時から、それは始まっていたような気がする。

 唯一の手掛かりであるエルトシャン王の肖像画を、何度も繰り返しナンナは見た。いつしか、目を閉じればはっきりとその顔が浮かぶほど、強く脳裏に焼き付けた。
 そして次第にナンナの中で、肖像画の顔はアレスの顔へと変化していったのだ。その時すでに、まだ見ぬアレスという存在に恋をしていたのかもしれない。

 ―――――こんなことになって、気付くなんて…

 いっそ気が付かなければよかったと思った。そうすればこんな苦しい思いをしないですんだのに…。

「ナンナ、こんなところにいたのか」
 突然扉が開いて、デルムッドが顔を見せる。彼は少し慌てているように見えた。
「探したよ。さっき、外でアーサーに言われたんだ。おまえの様子がおかしいから、見に行ったほうがいいって…」
「アーサーが?」
 他人にはあまり関心のなさそうなアーサーが、そんなことを言うとは少し意外だった。

「ナンナ、いったい何があったんだ?」
「なんでもないわ、兄さま」
 兄に心配をかけないように、ナンナは軽く微笑んだ。
 だが、言うつもりのなかった言葉がつい口をついた。
「…兄さまは、アレスとリーンが恋人同士だって知ってた?」
 はっとしたようにデルムッドが息を呑む。その問いかけだけで、彼はすべての事情を察したようだった。

「…ああ……」
 少しの沈黙の後、デルムッドが目を伏せて答える。二人の親密な様子を、彼はダーナでまのあたりにしていたのだ。
「そう…。やっぱり、知らないのはわたしだけだったのね」
「アレスと、何かあったのか?」
「ううん、なんでもない。ただ、わたしが勝手に思い違いをしてただけなの」
 ナンナはデルムッドの側に来ると、兄の胸にそっと頭をもたせかけた。
「わたしには、こうして心配してくれる兄さまがいるもの。寂しくないわ」
「ナンナ…」
 デルムッドの腕がナンナの肩をそっと抱きしめる。そうしているとナンナは、さっきまでの辛い気持ちがほんの少し癒されるような、そんな気がした。



[29 楼] | Posted:2004-05-22 16:00| 顶端
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- 10 -



 その夜、祝勝会を兼ねた晩餐会が城の大広間で行われた。
 連戦で疲れている兵士達をねぎらうためのささやかなものにするはずだったが、街の人々がそれぞれに酒や食料を持ち寄り、盛大に執り行われることになった。
 宴もたけなわになったころ、ナンナはリーフ王子に声をかけられ広間を離れた。誘われるまま、月明かりが照らす森の小道を散歩する。

「なんだかひさしぶりだな。ナンナとこうして話をするのは」
「そうですね。部隊が離れて、あまりお会いする機会がなくなってしまいましたから…。今までリーフ様のお側を離れた事がなかったので、やはり少し心細い時があります」
「私もだよ、ナンナ。君がいない事に慣れるのは時間がかかった。でも、戦略のためだから仕方がないと自分に言い聞かせてきたんだ」
「はい。後は、マンスターの解放がなされれば、北トラキア半島を帝国の手から取り戻したことになります。リーフ様のお父上の悲願が達成される日も近いはずです」
「そういった口調はフィンにそっくりだな、ナンナは」
「リーフ様!」
 怒ってみせるナンナに、リーフは声をあげて笑う。幼い頃に戻ったような気がして、ナンナの気持ちもなごんだ。

 やがてリーフは真面目な表情になると、ナンナの方に向き直った。
「ナンナ、まだ先の話だけど、この戦いが終わって平和が戻ったら、私と一緒にレンスターに来てほしい」
「はい、もちろんです。国の復興のために力をつくすことが、わたしを育ててくれたレンスターへの恩返しになると思っています」
 ナンナのその返事を聞くと、リーフは苦笑いのような表情を浮かべた。だが、すぐに真剣な顔を取り戻すと、言葉を選びながらゆっくりと言う。

「そうじゃないんだ、ナンナ。君には……レンスター王妃として来てほしいんだ」
「リーフ様………!」
 息を呑むナンナに、リーフは続ける。
「驚いたかい? でも、私は子供の頃からずっと君のことを見ていた。どんなに辛い時も、いつも君がそばにいて力づけてくれたからここまで来ることができたんだ」
「……でも…わたし…。突然で……」
 大きく瞳を見開いたまま、ナンナは身動きできなかった。
 そんな彼女を安心させるかのように、リーフは優しく微笑んだ。
「返事は急がない。ゆっくり考えてくれ。私はいつまでも待っているから」
 そう言ってリーフが立ち去った後も、しばらくナンナはその場に立ち尽くしていた。

 元々ナンナはノディオン王家の血を引く者であり、レンスター王家に忠誠\を誓う所以はなかった。しかし、リーフを唯一の王として敬い仕えるフィンの姿を間近に見て育ってきたため、いつしか自分の中でリーフを主として位置づけるようになっていたのだ。
 リーフの事を考えるとき、敬愛の情で胸がいっぱいになる。だが、それはあくまで主君に対する騎士としての感情であって、一人の男性として彼を意識したことはなかった。
 とはいえ、リーフからのプロポーズはナンナを驚かせはしたが、嫌な印象は与えなかった。むしろ、アレスの一件で傷付いていたナンナの心に、暖かくしみわたった。
「リーフ様…」
 彼の去った方を見て、そっとナンナはつぶやいた。


 同じ頃、ナンナの兄デルムッドが、アレスに声をかけていた。今までアレスはセリスと共に話し込んでいたため、こうして一人になるのを待っていたのだ。
「アレス、聞きたいことがある」
 いつになく真剣な表情でそう言われ、アレスは手にしたグラスを置いた。人の輪を離れ、静かな場所まで黙ってデルムッドの後を付いてゆく。

「何だ? 聞きたいことというのは」
「君はナンナのことをどう思っているんだ」
 いきなりそう切り出され、一瞬アレスの表情が硬直する。
 だが、目の前の真剣なまなざしに、おおよその察しはついたらしい。真っ直ぐにデルムッドの目を見据えて、アレスは答えた。

「愛している。命にかえても守りたいと思っている」
 質問も、言い訳も、よけいなことは何も口にしなかった。
「そうか、わかった。それなら俺は何も言わない。ただ…」
 言葉を切ると、軽く息を吸う。
「もしナンナを悲しませたりしたら、たとえ君でも許せない」
 さらに真剣に見つめるデルムッドの視線をアレスはしっかりと受け止め、負けないくらい真剣な表情で答えた。
「おまえの信頼を裏切るようなことは決してしない。約束する、デルムッド」
 その言葉に、ようやくデルムッドの顔に笑みがうかぶ。
「ああ、信じるよ、アレス」
 それを聞いたアレスの顔にも、ほっとしたような表情がうかんでいた。



[30 楼] | Posted:2004-05-22 16:00| 顶端
雪之丞

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約 束 の 丘

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- 11 -



 ミーズ城のドラゴンナイト部隊がマンスターを狙っているとの報を受け、セリス皇子はマンスター救援に向けて進撃することを決定した。明日の早朝には出陣するため、その日の午後は最後の休日となった。
「ナンナ、街へ出掛けないか?」
 アレスは自由時間をナンナと共に過ごそうと声をかけた。今後はまた連戦続きで、しばらくはこういった時間はとれなくなるだろう。
 しかし、あれ以来意識的にアレスを避けていたナンナは、その誘いを断った。

「ごめんなさい。わたし、リーフ様のところへ行くところなの」
「今でなくてはいけないのか?」
「ええ、ご報告しなくてはならないことがあるから…」
 目をそらしたまま答えるナンナに、アレスは探るような視線を向けた。
「ここのところ、リーフと一緒にいることが多いな」
「そうかしら…。それよりあなたこそ、リーンのところへ行かなくていいの?」
「何?」
「戦場では一緒にいられないんだから、普段は側にいてあげた方がいいと思うわ」
「なぜ、そんなことを言う?」
「だって、リーンはあなたの恋人なんでしょう!」
 思わずそう言い返し、ナンナは顔を背けた。まるで八つ当たりのように感情をむき出しにしてしまった。そんな自分が情けなかった。

「ナンナ、こっちを向け」
「離して」
「いいから、ちゃんと俺の方を見ろ!」
 ナンナの肩に手をかけると、強引に自分の方を向かせた。

「…俺は、リーンよりおまえの側にいたい」
「アレス!!」
 その言葉に、思わずナンナは声を荒らげる。
「なんてこと言うの。あなた、そんな人だったの!?」
「俺は、自分の気持ちを正直に言ったまでだ」
 悪びれもせずアレスは言った。

「リーンのことは否定しない。確かにダーナで俺は彼女に救われた。誰も信じられず、憎しみで凝り固まっていた俺が、どうにか人間らしい心を失わずにすんだのはリーンのおかげだった。だから、俺のせいでリーンがブラムセルに捕らえられた時、彼女を守るのが自分の使命だと思ったんだ」

「でも、それが愛じゃないことに気づくのにそんなに時間はかからなかった。彼女と一緒にいても、いつも心のどこかに満たされないものを感じていた。俺が求めているのは彼女じゃない。漠然とそう思っていた…」

「ナンナ。おまえと最初に出会った時、なぜか初めて会うような気がしなかった。ずっと昔から探し続けていた相手にようやく巡り合えたような、そんな気がした」

 ナンナの肩をつかんだアレスの手に、力がこもる。
「おまえも同じ気持ちだと思っていたのは、俺の思い違いか?」
 アレスの告白に、ナンナはあふれる涙を抑えることができなかった。
 しかし、そのまま抱き寄せようとするアレスの手を、ナンナは拒んだ。
「やめて!」
 コノート制圧の日、広場でアレスに駆け寄ったリーンの嬉しそうな表情が脳裏をよぎる。
「それじゃリーンはどうなるの。自分のせいで誰かが悲しむなんて、わたしには耐えられないわ」
「気持ちを隠して愛しているふりをすることは、思い遣りじゃない!」
「でも…」
「リーンのことは俺だけの責任だ。おまえは何も気にすることはないんだ」
「……アレス…」
「俺を信じろ、ナンナ」
 ナンナの気持ちが大きく揺れる。この瞳に見つめられて、拒み続けることなど最初から不可能だったのだ。

「ええ、アレス。あなたを信じるわ。リーンの事はわたしも一緒に受け止めます」
 アレスの目をまっすぐ見つめ返すと、きっぱりとした口調でそう言った。
「自分の気持ちに嘘はつかない。たとえ誰かを傷つけることになっても、あなたを失いたくない…」

 ―――――わたしは、お母さまと同じ間違いはしない

 結ばれることが許されないからといって、他の人に逃げたりしない。
 アレスの腕に抱きしめられながら、ナンナはそう決意していた。



[31 楼] | Posted:2004-05-22 16:01| 顶端
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約 束 の 丘

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- 12 -



 アレスがリーンに何か話をしたのだろうか。このところ、以前のような笑顔でリーンがアレスに話し掛けてくることはなくなった。そのかわり、遠くからそっと二人の姿を見つめているリーンの視線に気付くことが多くなった。
 恨むでもなく、責めるでもなく、ただ哀しげな眼差しで見つめている。諦めることを覚えてしまったかのようなその瞳を見るたび、ナンナの胸は痛んだ。彼女にそんな表情をさせているのが自分だと思うと、辛かった。

 リーンの生い立ちは、ナンナも聞いて知っていた。子供の頃に修道院に預けられ、両親の顔も名前も知らずに育ったという。
 母やフィンやレンスターの騎士達に守られ、リーフ王子と共に育ってきたナンナと違って、リーンは幼い時からたった一人で生きてきたのだ。その彼女が見つけた唯一の光がアレスだったのだろう。
 その光を自分が奪い去ろうとしている…。
 一度決意したこととはいえ、その事実はナンナの心に重くのしかかっていた。

 たとえリーンを傷つけることになってもアレスを愛すると決心したのに、ともすれば気持ちが揺れ動いてしまう。自分の存在が他人を苦しめている事実から、逃れたくなってしまう。

 ――――お母さまも、こんな思いをしたのかしら…

 もし、母がエルトシャン王に許されぬ想いを抱いていたとしたら、その辛さから逃れたくて父を愛したふりをしたのだろうか…。
 それは、ナンナが以前から漠然と感じていた疑惑だった。もしそうだとしたら、そんな間違った愛から生まれた自分に、はたして人を愛する資格があるのだろうか。
 結局いつも、そんな自己否定的な考えに行き着いてしまう。


「どうした? 元気がないな」
 デルムッドがナンナの肩をたたいた。彼はいつもこうしてナンナのことを気遣ってくれる。
「もしかして、リーンとのことを気にしているのか? それなら心配する必要はない。アレスは信頼できる男だ」
「ええ、わかっているわ。問題なのはアレスじゃないの。わたし自身のことなの」
「ナンナの?」
「わたし、お母さまがお父さまを本当に愛していたのか、ずっと疑問に思って生きてきたの。お母さまが愛していたのは、本当はエルトシャン王なのじゃないかって…」
「何を言うんだ! 二人は兄妹じゃないか」
 思いもかけなかった妹の言葉に、デルムッドは目を見張った。

「わたしも何度もそう思ったわ。でも、エルトシャン王のことを話す時のお母さまの幸せそうな顔を思い出すと、どうしてもそう思えてしまうの。それにお母さまは、お父さまのことはほとんど聞かせてくださらなかった。兄さまにお話を聞くまで、お父さまがどんな方だったのか、わたしほとんど知らなかったのよ」
「確かに、母上とエルトシャン王がとても仲の良い兄妹だったということは俺も聞いている。お二人は異母兄妹で、幼い頃は別々に育ったという話しだし…。しかし、だからといって…」
「もし、お母さまが本当はエルトシャン王を愛していたのにお父さまと結婚したのだとしたら、それは偽りの愛だわ。わたしは望まれずに生まれてきたということよ。そんなわたしに、アレスを愛する資格があるのかしら。いつか、お母さまと同じような事をしてしまうのじゃないかしら。そう思うと…」
「望まれずに生まれたなんて、そんなことは絶対にない! 俺はそう信じている」
 きっぱりとデルムッドは言いきった。

「兄さま…」
「俺には、父上の思い出が少しあると以前話しただろう? 父上は本当に俺をかわいがってくれた。もし母上が父上を愛していなかったなら、あんなに父上が俺を大切にしてくれたはずがない」

 その時、クロノス城の魔道士部隊がこちらに向かって進撃を開始したとの知らせが城内を駆けめぐった。予定より出撃が早まることになる。
「ナンナ、後でもう一度話そう。でも俺は、父上と母上を信じているよ」
 そう言い残し、デルムッドは去っていった。

 兄の後姿を見ながら、ナンナはひとつの決意をしていた。

 ―――フィンに、お母さまのことを聞いてみよう

 かつてシグルド軍で行動を共にし、レンスターに落ち延びてからも何年かを一緒に過ごしたフィンならば、母から何かを聞いているかもしれない。そう思った。
 実を言えば、フィンに両親のことを聞こうと考えたのはこれが始めてではない。だが、何かと多忙なフィンをこんな個人的なことでわずらわせてはいけないという思いが、ナンナをためらわせていた。事実を知って傷つくのが怖いという弱い心がそれに拍車をかけた。

 だが、デルムッドの言葉は彼女にわずかな希望を与えてくれた。それになにより、これくらいのことに立ち向かえなくては、アレスとの愛を貫くことはできない。ナンナは気持ちを固めた。



[32 楼] | Posted:2004-05-22 16:02| 顶端
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- 13 -



 その夜ナンナは一人でフィンの天幕を尋ねた。デルムッドが一緒に行こうかと言ってくれたが、いつまでも兄に甘えているわけにはいかない。これは自分自身の問題なのだ。
 リーフはセリスの天幕に行っているらしく、中にはフィンがひとりきりだった。

「フィン、教えて。ラケシスお母さまが本当に愛していたのは、エルトシャン王だったのではないの?」
 思いつめた表情で天幕を訪れたナンナが突然発した問いに、フィンは目を見張った。
「フィンは知っているのでしょう? お母さまはお父さまを愛してはいなかったの? わたしは、間違った愛から生まれてきたの!?」
「バカなことを言うな。君のご両親は、本当に愛し合っていた。だからこそ、君達が生まれたんだ」
 強い口調でフィンが答えた。その瞳に嘘はないように思える。しかしナンナはどうしても信じきることができない。

「でも、お母さまはお父さまのことはほとんど話してくださらなかったわ。わたしの前では、いつもエルトシャン王のことばかり口にされてた…。そして、お母さまが最後まで気にかけていたのはアレスの事。レンスターにとどまったのもアレスを探すためだったし、最後にはわたしに彼の事を託して旅立たれたのよ。お母さまにとっては、実の子よりもエルトシャン王の子の方が大切だったということだわ」
「ナンナ、それは違う」
 フィンはナンナを見つめたまま、諭すように言った。

「君の母上ラケシス様が父上のことをあまり口にされなかったのは、思い出すのが辛かったからだ。君の父上ベオウルフ殿は、バーハラの戦いで最後までラケシス様を守り抜いて戦われたそうだ。その後消息が途絶えた彼を、ラケシス様は必ず生きていると信じて待ちつづけた。だが、その可能性が低いことは、ラケシス様自身もわかっていたはずだ」
「そんな…」
「そして、アレス王子のことは君の父上の最後の言葉でもあった」
 フィンは言葉を続けた。

「ベオウルフ殿は、エルトシャン王とは古い友人だったそうだ。アレス王子のことも、母上同様気にかけていた。バーハラの戦いで一緒に戦おうとしたラケシス様に、アレス王子の行く末を見届けるまでは死んではならないと言い諭し、落ち延びさせたのは君の父上だったんだ」
「それじゃ、お母さまはエルトシャン王のためではなく、お父さまと約束したからアレスを探していたの?」
「そうだ。あるいは父上がアレス王子のことを持ち出したのは、ラケシス様に戦場を離れさせるための方便だったのかもしれない。だが母上にとっては、どんなことをしても守らなければならない、大切な父上との約束だったんだ」
 始めて知る事実だった。ナンナは目の前の霧が、少しずつ晴れていくような思いがした。

「ラケシス様がイザークに旅立とうとした当時はまだ、イード砂漠はロプト教団によって完全に支配されていたわけではなかった。だがそれでも、一人で砂漠を渡るのは危険だと、私はお止めした。しかしラケシス様は、どうしてもデルムッドを自分の手元で育てたいのだと聞かなかった。ラケシス様が命をかけてイザークに旅立ったのは、愛する人の子に会いたい一心だったのじゃないのか?」
 父ベオウルフはデルムッドをとても大切にしていたという。そのデルムッドを他人の手に預けたままにしておくのは、母にとって耐えられないことだったのかもしれない。

「お母さまは、お父さまを愛していたのね…」
 知らぬ間に、ナンナの瞳からは涙があふれていた。頬を伝う涙をぬぐいもせず、ナンナはフィンの言葉に耳を傾けている。
「そうだよ、ナンナ。エルトシャン王はラケシス様の中ですでに思い出になっていたんだ。でもベオウルフ殿は、まだラケシス様の心の中で生きていた。だから君にもあまり話せなかったんだ。話そうとすればどうしても最後のことを思い出さずにはいられないからね」
 それに…と、フィンは言った。
「ラケシス様は本当に誇り高い方だった。報われない想いから逃れるために他の人を愛したふりをするような、そんな心の弱い方では決してなかったよ」

 ―――母の愛は間違いではなかった。本当に愛する人と結ばれたんだ

 まだ涙は止まらなかったが、ナンナは心の中が暖かいもので満たされていくのを感じた。

「でも、ナンナがそんなに悩んでいたなんて少しも気づかなかったよ。君は子供の頃から手のかからないしっかりした子で、私もずいぶん助けられた。そのせいか、つい君に対する気配りが欠けてしまったようだ。すまなかったね…」
「そんな、フィン…」
 ラケシスがいなくなった後、どんなにフィンが自分に気を遣ってくれていたか、ナンナはよく知っていた。

 その後、天幕に戻ってきたリーフにナンナは自分の気持ちを正直に告げた。
「ごめんなさい、リーフ様。わたし、リーフ様とレンスターに帰ることはできません」
「……アグストリアに行くのか。アレスと共に…」
「はい…」
「そうか……」
 しばらくの沈黙の後、リーフは少し寂しげな微笑を浮かべた。
「どこにいても君の幸せを祈っているよ、ナンナ」
「リーフ様…」
 こみあげそうになる涙を抑え、ナンナは深く一礼すると天幕を去った。
 振り返らなかった。



[33 楼] | Posted:2004-05-22 16:02| 顶端
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約 束 の 丘

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- 14 -



 解放軍の勝利により、世界中が暗黒\の闇から解き放たれた。長く辛い戦いを共に耐え抜いた戦士たちは、それぞれの国に帰り荒れた大地の復興に努めた。
 そして一年が過ぎた。

 アレスはナンナと共に、レンスター城からアルスターへと向かう街道を馬を飛ばしていた。かつてブルームが支配していたアルスターも、今は新トラキア王国の一地方である。
 二人は新トラキアのリーフ王の招きを受け、数日前からレンスター城に滞在していた。リーフ王からはグランベルで開かれた新年の祝賀祭で会った時に、ぜひ一度遊びに来てほしいと言われていたのだが、今までなかなか時間がとれなかったのだ。
 ようやくアグストリアも落ち着きを見せ、デルムッドに留守を託して二人はレンスターを訪れることができた。
 今朝になってナンナから一緒に行ってほしい場所があると言われ、アレスは供を連れずにこうして二人だけで馬を飛ばしている。

 やがて遠くにアルスター城が見え始めた頃、ナンナは馬の速度を落とした。向かう方向には、大きな楡の木が立つ小高い丘がある。
「ここは…」
 見覚えのある木を見上げ、アレスがつぶやいた。

「ええ、ここは初めてわたし達が出会った場所。そして、わたしがラケシス母さまを見送った場所…」
「叔母上を?」
「子供の頃、兄さまを迎えにイザークへ旅立ったお母さまを、ずっとここで見送ったの。あの時は、これが最後のお別れになるなんて思ってもみなかったけど…」
「ナンナ…」
「ここでお母さまと約束したの。お母さまの代わりにアレスを探しますって。そしてこの場所であなたと出会えた…」
 ナンナは傍らに立つアレスを見上げた。

「戦いが終わったら、もう一度この場所に来たいと思ってた…。約束を果たせたことをお母さまに報告に」
 一陣の風が舞い、木々の梢をざわめかせる。

 ―――この丘で母と別れ、この丘で運\命の人と出会った

 かつて母が去った草原をナンナは見つめた。

 ―――お母さま、わたし幸せになります。そして、お母さまがお父さま
    を愛したように、アレスを愛していきます

 アレスがそっとナンナの肩を抱き寄せる。二人は寄り添ったまま、ずっと草原の彼方を見つめていた。





約束の丘  -完- 



[34 楼] | Posted:2004-05-22 16:03| 顶端
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緑 の 剣 士

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― 1 ―



 ラクチェは村の長老に手を引かれて、地下室へと伸びる階段を駆け下りていた。
 外からは、逃げまどう村人の悲鳴が聞こえてくる。それに時折まじるのは、彼らを追う帝国兵の乗\る馬のいななきや蹄の音、剣や鎧のぶつかりあう音だった。

 二日前、ラクチェはスカサハと共に、シャナン王子に伴われてこの村にやって来た。ティルナノグを中心に、イザークの各地に解放軍のアジトがある。そのうちのひとつがこの近くにもあり、シャナンはそこで仲間との連絡をとるために、この村に滞在していたのだった。
 ラクチェとスカサハは、解放軍の一員というにはまだ幼すぎたが、最近はこうしてシャナン王子が出かける際、同行を許されるようになってきた。11才になったばかりとはいえ、この双子の剣の腕は同年代の少年はもちろんのこと、並みの大人さえもはるかに凌駕していた。

 数刻前、シャナンはスカサハと共にアジトに向かって出発した。まるでその留守を狙ったかのように、帝国兵の一部隊がこの村を急襲したのである。
 彼らの言い分はこうだった。この村に反乱軍の一味が紛れ込んでいるとの情報があった。今からその捜索を行う、と。
 しかしそれが口実であることは、そこにいる全ての人が知っていた。帝国兵の目的はただの略奪だったのだ。そういった狼藉は、各地で頻繁に行われていた。
 村の男達はほとんどが城の警備や強制労働などに狩り出されており、残っているのは文字通り、老人と女子供だけである。誰一人抵抗する者のないこの村で、帝国兵は我が物顔に家々に押し入り、村人のわずかな蓄えを奪い、美しい女を見ては追い回した。
 帝国軍が村に押し入って来た時、長老はいち早くラクチェを連れ地下室へと逃れた。シャナン王子と同様に、王家の血を引くこの少女はイザークの人々に残された希望なのだ。

「ねえ、みんなを助けなくていいの?」
 地上へと続く階段を見上げながら、ラクチェが言う。気がかりそうに、何度も外の様子をうかがっている。
「やっぱりわたし、外へ行くわ。留守中この村を守るって、シャナン様と約束したんだもの」
 今にも飛び出しそうなラクチェを、長老は必死で押さえた。
「いけません、ラクチェ様!」
「だって、このままじゃみんな殺されちゃうわ」
「今、出ていったら、ラクチェ様のお命も危険です。あなたはシャナン王子同様、この国にとって大切な方なのです。こんなところで死んではなりません」
 そう言ってラクチェをとどめている長老。だが彼の孫娘も今、外で帝国兵に追い回されているはずだ。ラクチェにとっても、一緒に遊んだ友達だった。
 助けを求める悲鳴が、この地下室にも聞こえてくる。
「ラクチェ様!!」
 思わずラクチェは、制止する長老の手を振り切って階段を駆け上がった。走りながら、腰に帯びた母の形見の勇者の剣を手にする。

 目の前で、数人の帝国兵が逃げまどう子供達に向かって、馬上から剣を振りかざしていた。まるで狩りで獲物を追い詰めるかのように、笑いながら…。

 ―――許せない!

 ラクチェの瞳が煌く。鞘から抜いた剣を、そのまま一番近くにいた兵に向かって斬り上げた。自分に何が起きたのか把握する間もなく、兵は仰向けに馬から落ちた。
 息つく間もなく続けざまに剣を振るう。緑の流星が、ラクチェの全身を覆っている。オードの血を受け継ぐ者にのみ会得することの出来る伝説の技、流星剣。わずか11才のラクチェは、すでにそれを身に付けていた。
 立て続けに二人の兵がその剣の前に倒れた。それは一瞬の出来事だった。

 呼吸ひとつ乱さずに、ラクチェは再び剣を構える。剣を向けられた帝国兵の顔から、初めて笑いが消えた。ラクチェを見る目は、彼女をただの子供とはもう思っていなかった。
 兵士達が集まってくる。次第にラクチェを取り囲む包囲網が出来あがっていく。地下室からラクチェを追ってきた長老が、その様子を見て絶望的な表情を浮かべた。その時―――



[35 楼] | Posted:2004-05-22 16:03| 顶端
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― 2 ―



「何やってるんだ、おまえら!」
 背後から聞こえてきたよく通るその声に、ラクチェを取り囲んでいた兵が一斉に振り向いた。見ると、斧を手にした一隊がこちらに向かって走ってくる。声を発したのは先頭をきって走っている、まだ少年といっていい年若い戦士だった。
「反乱軍の鎮圧だというから来てみれば、なんだこれは。どこに反乱軍の兵がいる!? 丸腰の女子供を追い掛け回すのが、おまえらの仕事か!」
 たどり着くなり、少年は兵士達をねめつけた。自分よりはるかに年少の彼に叱責され、隊長らしき兵があわてて言い訳を始める。
「し、しかし、王子もご覧になったでしょう。この娘に我々の部下が三人殺されました。捕らえて、お父上にご報告しなければなりません」
 王子と呼ばれた少年は、軽蔑をこめた目で隊長を見る。
「それで? 親父になんて報告するつもりだ? こんな子供に、それも女の子に大の男が三人も、たった一太刀で倒されましたって言うのか?」
「そ…それは……」
「恥って言葉を知ってるなら、今すぐにこの場から消えろ!」
 その剣幕に、帝国兵達はすごすごと退散し始めた。

 その様子を、あっけにとられてラクチェは見ていた。あれだけ横暴の限りをつくしていた兵達が、この少年の一言で羊のように大人しく引き下がっていったのだ。
 目の前の少年は、ラクチェよりは年上に見えたがそれでもまだ子供といってもいい年齢だ。さらりとした栗色の髪を、緑のバンダナで押さえている。そして腕組みしたまま、憤慨した表情で帝国兵の去って行った方を見ていた。

 帝国兵と入れ違う形で、規則正しい馬の蹄の音が聞こえて来た。斧を手にした騎馬の一隊がこちらに向かってくるのが見える。
「ひどいありさまだな」
 村の惨状を目にして、隊を率いる先頭の斧騎士がつぶやく。彼を目にして、さきほどの少年が声をかけた。
「兄貴、来てたのか」
「ああ、今着いたところだ」
 二人は兄弟のようだった。若き二人の指揮官は、改めて村の様子に目をやった。

「それにしても、帝国から派遣された兵達の横暴ぶりは目に余るな。反乱軍の制圧と称して、無抵抗の市民や村人にまで危害を加えるとは」
 そう言ってあたりを見渡した斧騎士の視線が、ラクチェの顔の上で止まった。しばし見つめていたが、やがて馬を下りると、剣を手にしたまま呆然と立っていたラクチェの前までやって来る。
「かわいそうに、恐かっただろう?」
 微笑みかけられて、ラクチェはとまどった。
「だが、君のその美しい手に剣は似合わないよ」
 斧騎士は、そっとラクチェの手をとった。
「家はどこだ? 送ってあげよう」
 そう言われても、ラクチェは答えるわけにいかない。どうしようかと思案していた時、長老の落ち着いた声が背後から聞こえて来た。

「ヨハン様、ヨハルヴァ様。助けていただき、ありがとうございます」
 長老は、二人の兄弟に向かって深々と頭を下げた。
 ヨハンとヨハルヴァ。それはこのイザークを支配しているダナン王の二人の息子の名前だった。
 長老は続けた。
「この娘は、戦争で両親を亡くしましてな。わたくしの元で引き取り育てております。少々おてんばがすぎて手をやいておりますが、なにぶん子供のすることゆえ、どうか大目に見て下さいますよう」
 後からきたヨハンはともかく、ラクチェの剣技の一部始終を目にしていたヨハルヴァにとっては、とても「子供のすること」で片付けられることではなかっただろう。しかし、彼は何も言わなかった。
 ヨハルヴァはもう一度村を見回した。
「ここにいるのは、女子供ばかりだ。放っておいてもかまわないだろ、兄貴」
「ああ、そのようだな」
「じゃあ、俺はもう引き上げるぜ」
 二、三歩行きかけて、彼はふと立ち止まった。おもむろに振り返り、ラクチェの方を見る。そして近くまで来ると、無遠慮にじろりと彼女を見下ろした。
「名前はなんていうんだ?」
 兄のヨハンとは違って傲岸不遜なその態度に、ラクチェは大いに気を悪くした。この少年のおかげで危ないところを助けられたのは確かだが、もともと彼らの方がイザークの人々の土地に土足で踏み込んできたのだ。答える必要なんかない。ラクチェは目の前のヨハルヴァを睨み付けた。
 ヨハルヴァはその様子を面白そうに見ていたが、やがて自分から先に名のりを上げる。
「俺はドズル家の三男でヨハルヴァだ。そこのソファラ城にいる」
 ラクチェの瞳にほんの少し戸惑いが走った。敵といえど礼をもって名のられたら返さないのは非礼にあたる。
「…………ラクチェ」
 それだけ言うと、これ以上は決して口をきくもんかというように、きつく唇をかんだ。
「ラクチェ…か」
 心に刻み付けるかのように繰り返すと、ヨハルヴァは満足したようにふっと笑う。そして自分の部隊を率いると、もう振り返ることなく去って行った。
 その姿が消えるまで、ラクチェはずっと彼の背中を睨みつけていた。
 ドズルのヨハルヴァ――。それはその日以来、ラクチェにとって忘れられない名前となった。



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― 3 ―



 ソファラ城の自室で、ヨハルヴァは今日の出来事を思い返していた。帝国から派遣されている兵達の勝手な行動は、彼にとっても頭の痛い問題だった。
 ヨハルヴァは元々、力づくで弱い者を押さえつけるのが好きではなかった。自分がドズル家の中では第三子という『弱者』の立場にあり、父親や長兄といった『強者』に押さえつけられているのも、理由の一つかもしれない。
 自分の部隊には厳しく規律を守らせ、たとえ敵でも無抵抗の者に非道なまねをするようなことは、絶対に許さなかった。しかし、父ダナンの直属の部隊や、帝国から直接送り込まれてくる兵達には、どうしようもない。

 今日、自分を睨み付けていた少女のことを思い出す。黒\目がちの瞳が印象的だった。そして、一瞬のうちに三人の兵を斬り伏せた剣の腕。ただの村娘ではないかもしれない。

 ―――確か、ラクチェといったっけ…。

 ヨハルヴァは心の中で、もう一度その名前を繰り返した。

 もう会うこともないかもしれない。しかし、できればもう一度会ってみたい――。
 そう思っていたその少女の名を、やがてヨハルヴァは繰り返し耳にすることになる。


 シャナン王子率いる反乱軍(彼らは自らを解放軍と呼んでいたが)は、年々その勢力を拡大させていった。まだゲリラ的な活動が中心ではあったが、イザークの各地で帝国軍の駐留する城が攻撃され、武器の貯蔵基地が破壊された。
 まさに風のように神出鬼没な反乱軍の行動を支えているのは軍師オイフェの策であり、シャナン王子の実行力だった。しかし、シャナン王子の両隣で鬼神のごとき戦い振りをみせる兄妹の名が、帝国軍の間でも次第に警戒の念を持って囁かれるようになっていった。
 剣聖オードの血を引く流星の剣士、スカサハとラクチェ。それを聞いた時、ヨハルヴァはそれがあの時の少女であることを確信した。

 あの少女に会えるかもしれない。そう思うと、ヨハルヴァは反乱軍との戦いにもようやく意味を見出せるような気がした。正直彼は、嫌気がさしていたのだ。
 ドズルで過ごした幼い頃、周囲の人間から口うるさく言われていた。ヨハルヴァ様はヨハン様と共に、いずれイザークのお父上の元で手助けをなさらなければなりません。あの地には、畏れ多くも皇帝陛下に仇なす反逆者どもが大勢巣食っており、ダナン様はそれを征伐するために日夜働いていらしゃるのです。
 そんなことを繰り返し聞かされていたため、ヨハルヴァもすっかりそのつもりでいた。ドズルにいても、長兄のブリアンを中心に動く毎日は退屈なだけだ。イザークで反乱軍とやらの相手をしていたほうが、よほど楽しめそうだ。
 そう意気込んで来たイザークは、聞いていた話とはまるで違っていた。反乱軍の討伐に励んでいるはずの父は、リボーの王宮で大勢の美女を侍らせ酒宴におぼれる毎日だった。
 我が物顔で国内を練り歩く帝国軍の兵、彼らに虐げられ奴隷のような生活を余儀なくされるイザークの民。そしてその民衆\から救世主のように崇められているのが、解放軍と呼ばれる組織だった。ヨハルヴァがさんざんドズルで聞かされた反乱軍の正体は実はそんなものだったのである。
 ヨハルヴァもグランベル帝国の貴族であり皇帝に忠誠\を誓った身である以上、反乱軍の討伐には手を抜かなかったが、本心ではむしろ帝国から送り込まれてくる兵達を取り締まりたい気分だった。

 ヨハルヴァがラクチェの姿を再び目にしたのは、その後間もなくだった。例によって付近の村で略奪を行っていた帝国軍の部隊を、反乱軍の兵が襲撃した。シャナン王子はいなかったが、代わりに兵を率いていた若い二人の剣士は、ほとんど彼らだけで帝国兵を全滅させてしまった。その一方がラクチェだったのだ。
 数年振りに見たラクチェの剣技に、不覚にもヨハルヴァは状況も忘れ見とれてしまった。流れるような一連の動作は、まるで舞を舞うように優雅で華麗だった。人を斬っているという事実を一瞬忘れさせてしまう。そして彼女が剣を振るうたび、周囲を取り巻くように舞い散る緑の流星。イザーク王家の血を引く証でもあるその光は、初めて見た時と同じようにヨハルヴァを魅了した。
 ヨハルヴァの部隊を見て、反乱軍はすばやく撤退した。目的を達成した以上、無駄な戦いはしない。
 去り際に、ラクチェが自分の方を見たような気がヨハルヴァはした。

 ちょうどその頃、イザーク城の主である兄ヨハンが、ラクチェの後を追いかけ回しているとの噂を耳にした。ヨハンは捕らえるために彼女を追っているのではない。あろうことか敵であるラクチェに心を奪われ、求愛のためにその姿を追い求めているというのだ。
 その話を部下の一人から聞いた時、ヨハルヴァは苦笑を禁じえなかった。ヨハンと自分とは性格はまるで違うのに、なぜか昔から欲しがるものや、やろうとすることは一緒だった。
 いつかあの少女をめぐって、兄と対決する日が来るかもしれない――。
 そんな予感がした。もちろんその時は、単なる予感にすぎなかったのだが…。



[37 楼] | Posted:2004-05-22 16:05| 顶端
雪之丞

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― 4 ―



 北方にある古都ティルナノグ。建国当時は首都として栄えたその街も、イザーク城に王宮が移ってからはしだいにさびれ、今ではすっかり廃墟と化していた。しかし、その隠れ里ティルナノグに解放軍の本拠地がある。
 ティルナノグ城の中庭で、ラクチェは日課である剣の稽古に励んでいた。白く輝く刃先だけを見つめてただ無心に剣を振るう。しだいに心が研ぎ澄まされていくようなその瞬間が、彼女は好きだった。
 やがてその手を止め、顔を上げる。双子の兄のスカサハが、こちらに向かって歩いてくるところだった。

「どうしたの、スカサハ。浮かない顔して。なにか気になることでも?」
「変な噂を聞いたんだけど」
「どんな?」
「ドズルの王子が二人とも、おまえに惚れて争ってるって…」
「は?」
 ラクチェは声が出なかった。全く身に覚えがない。どこをどう押したら、そんな噂が出てくるのだろう。
「何それ? わたしあの二人とまともに話したこともないのに? つくづく噂っていい加減ね」
「噂ならいいけど…」
「なあに、スカサハ。まさか本気にしてるの? そんなバカバカしい話」
「とにかく、気を付けるにこしたことはないよ。おまえになにかあったら、俺は父上や母上に申し訳がたたない」
 そう言って自分を見つめる兄の瞳。
「心配症ね、スカサハ。…でも、ありがと」
 くすっと笑うと、ラクチェはスカサハの顔を見つめ返した。いつも兄はこうして自分を見守ってくれている。スカサハがいるから、自分は思うように行動することが出来るのだ。
 それを再認識して心が暖かくなる。今聞いた不愉快な噂のことも、すでに頭から消えてしまっていた。


 ラクチェは一隊を率いて帝国軍の駐留する城の一つを襲撃していた。城門から攻撃を仕掛けるラクチェの部隊は、実は囮だった。敵の注意が正面に集中している隙に、もう一隊が裏手から城の武器庫を攻撃する手はずになっている。
 しかし、あと一歩というところで、計画は中止を余儀なくされた。こちらの動きが察知されていたのだろうか。予定外に早く、ソファラの軍隊が現れたのだ。

 ―――またあいつだ!

 ラクチェは、敵の部隊の先頭で指揮をとっている斧戦士を睨みつけた。初めて出会った時、まだ少年だった面差しはすっかり大人びて、体つきもたくましい青年のそれに変わってはいたが、強気で自信家の生意気そうな表情はあの時と少しも変わっていない。
 ここ数年の間、解放軍にとって一番やっかいな存在が、ダナンの二人の息子ヨハンとヨハルヴァだった。彼らの部隊は、このイザークで最もまともな軍隊と言えた。
 堕落しきった帝国軍の兵達は、数の多さに問題はあるにせよ解放軍にとってそれほど恐るべき相手ではない。しかし、ヨハンとヨハルヴァの指揮の元、一糸乱れぬ攻撃を展開する部隊はさすがの解放軍にとっても脅威だった。だから、イザーク城とソファラ城に正面から攻撃をしかけることはしていない。
 救いは、彼らが協力して行動することがなかったことだ。兄弟でありながら、なぜか彼らは手を組もうとしなかった。

 斧を片手に向かってくるヨハルヴァを、いまいましい思いでラクチェは見ていた。今まで何度、この男に作戦を邪魔されたことだろう。解放軍による帝国軍襲撃がうまくいかない場合、大抵この男が原因だった。

 ―――あの時助けてもらったからって、彼が敵であることに
    変わりはない!

 戦場でヨハルヴァを目にするたび、ラクチェの中で彼に対する敵対心が強くなっていった。

 ラクチェは先に逃げた仲間達とは反対の方向に走っていた。襲撃の際に、仲間の一人が傷を負ったため、彼を連れてラクチェは別行動をとっているのだ。
 街中まで逃げたところで、突然道が行き止まりになった。仕方なく引き返そうとしたところ、背後から大勢の追っ手の声が聞こえてくる。とっさに道端に重ねてある酒樽の陰に身を隠したが、いつまで見つからずにいられるかは疑問だった。
 自分一人ならなんとか切り抜けられる。しかし、ケガをした仲間が一緒だ。彼をかばいながらこれだけの敵を相手にするとなると、自信がない。

 ―――自分がおとりになって、相手を引き付けるか…

 そう考えて周囲をうかがった時、こちらに向かって近づいてくる一人の兵と視線が合った。
 ヨハルヴァだった。よりによって、敵の将であるドズルの王子に見つかってしまった。ヨハルヴァは立ち止まったまま、じっとラクチェを見つめている。思わずラクチェが勇者の剣を握り締めた時、ふいにヨハルヴァは後ろを振り返った。
「おい、もうこのあたりに敵はいない。引き上げるぞ」
 まだ、残兵の捜索を続けている部下達に声をかけると、ラクチェの隠れている場所から遠ざかって行く。

 ―――――助かった……

 ラクチェは大きく息をついた。

 ―――――助けて、くれた?

 あの時、確かにヨハルヴァは自分に気が付いたはずだ。どう考えても、見逃してくれたとしか思えない。
 帝国兵と違ってドズルの二人の王子は、女子供や無抵抗の市民に非道なまねをしないという話はラクチェも聞いていた。実際、何度か自分の目でもそういった事実を目撃している。
 しかし、ラクチェはただの女子供ではない。すでに反乱軍の一戦士として、帝国側に認識されていることを知っている。なにより当のヨハルヴァが、その事実を一番よく知っているはずだ。そんな自分を、女だからといって見逃すとは思えなかった。

 いったいどういうつもりなんだろう…。ラクチェの脳裏を、初めて出会った時のヨハルヴァの面影がよぎる。それを振り払うように、ラクチェは首を振った。

 ―――あの男はドズルの王子。倒さなければならない、敵!

 そう自分に言い聞かせた。



[38 楼] | Posted:2004-05-22 16:06| 顶端
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― 5 ―



「おお、ラクチェ。愛しの人よ。君の美しさの前には、咲き誇る薔薇も色褪せる」
 背後から聞こえて来た聞き覚えのある声に、ラクチェは嫌な予感がした。おそるおそる振り返ると、思ったとおりそこにはドズルの王子の一人、イザーク城主のヨハンが両手を広げ立っていた。数名の部下をその場に待たせ、馬を降りてこちらに向かって歩いてくる。

 剣の修理などのためにラクチェがこうして街に出た時、頻繁にヨハンに出会うようになったのは、スカサハから例の噂話を聞いた直後だった。身構えるラクチェにヨハンは盛大な賛辞の言葉を浴びせかけ、花だの宝石だのを贈ろうとする。もちろん、ラクチェがそれを受け取ることはなかったが…。

 つくづく暇な王子だと思う。ラクチェが街へ出かけるのはそう多くはない。なのにほとんど毎回といっていいほどヨハンと出会うということは、彼は毎日のようにこうして街へ繰り出しているのだろう。
 最初ラクチェは彼のことを、周囲から甘やかされて育った無能なわがまま王子と思っていた。しかしひとたび戦闘になると、馬上から次々と的確な指示を飛ばし、見事な指揮官振りを見せるのだから、人間はわからないものだ。

「ラクチェ、今日は大切な話があるのだ」
 いつになく真剣な表情でヨハンが切り出した。しかし次に発した彼の言葉に、ラクチェは耳を疑った。
「私と結婚してほしい」
「……今、何と言ったの? ヨハン」
「何度でも言おう。私と結婚してほしいのだ、ラクチェ」
 ラクチェは言葉が出なかった。いったいこの王子は何を考えているのだ。
「気でも違ったの、ヨハン。わたしは解放軍の戦士。敵であるわたしに結婚を申し込むなんて、正気の沙汰とは思えない」
「私も悩んだのだ。そして考えた末に出した結論だ」
 ヨハンはいったん言葉を切り、そして再び続けた。
「私は父上を裏切ることはできない。しかし、君と戦うこともまた不可能だ。だからどうか、私の妻としてイザーク城へ来てほしい。君が私の愛を受け入れてくれるなら、私は命をかけて君を守ると誓う」
 次第にラクチェの全身に怒りが広がって行く。ヨハンが言っているのは、自分に解放軍を捨てろということではないか。そんなことができるわけがない。

「ヨハン、今あなたは父を裏切れないと言ったわ。ダナンの側にいる限り、あなたは永遠にわたしの敵よ!」
「ラクチェ!」
 呼び止めるヨハンの声を振りきって、ラクチェはその場を走り去った。走りながら思わず涙がにじんできた。

 初めて彼を見た幼い日。三人の兵を斬り今度は自分が殺されるかもしれない状況に陥り、緊張と不安でいっぱいだったラクチェ。その彼女にヨハンは微笑みかけてきた。送ってあげようと手を差し伸べられ、彼が敵であることを一瞬忘れた。成長してからも会うたびに求愛の言葉を囁かれ、うっとおしいと思いながらもそれほど悪い気はしなかった。いつのまにか彼に好意に近い気持ちを抱いていたのだ。
 そのヨハンから、たった今自分の覚悟を否定されるようなことを言われた。彼が父親を裏切れないように、自分にも兄や仲間達を捨てることなどできるはずがない。それに気づいてくれないことが悲しかったのだ。


 夢中で走っていたため、曲がり角から現れた人物にラクチェは気がつかなかった。ぶつかりそうになり、あわてて立ち止まり相手に向かって頭を下げる。そして顔を上げたとき、今日は厄日かもしれないとラクチェは思った。立て続けにドズルの二人の王子に出会ってしまうとは、今日は何という日なんだろう。
 目の前には、斧を肩に担いだまま自分を見下ろしているヨハルヴァがいた。

「よう」
 まるで知り合いに挨拶でもするように、気軽にラクチェに声をかける。しかしラクチェはそれには答えず、勇者の剣に手をかけたままヨハルヴァを睨みつけた。その様子に、ヨハルヴァがちょっと肩をすくめる。
「こんな往来で斬り合いを始める気か? やめとけよ。周りが迷惑する」
 のんびりと言われ、ラクチェはあたりを見回した。道沿いにいくつかの露店が軒を並べている。確かにここで戦闘が始まったら、彼らにも影響が及ぶだろう。
 ヨハルヴァが斧を肩から下ろしたのを見て、ラクチェも腰の剣から手を離した。

「王子のくせに供の一人も付けないの?」
「群れをなすのは性に合わないんだ」
「ずいぶん不用心ね。このあたりには、ドズルを憎んでいる人たちが大勢いるわ。今、あなたの目の前にもね」
 突き刺すようなラクチェの視線を受け、ヨハルヴァの顔にふっと笑みが浮かぶ。
「あの時と同じ目だな」
「え?」
「7年前、初めておまえを見た時、やっぱりおまえはそういう目をして俺を睨み付けていた」
「……覚えてたの」
「ってことは、おまえも覚えててくれたわけだ」
 思わず言葉に詰まったラクチェに向かって、ヨハルヴァは続けた。
「あの時から、ずっとおまえの事が忘れられなかった」
「え?」
 その言葉の意味を問いかけようとした時、ヨハルヴァはラクチェの背後に視線を走らせた。
「おっと、やっかいなやつが来たようだ。それじゃ、またな。ラクチェ」
 それだけ言うと、元来た方へ再び走り去って行く。
「どういう意味なの!? ヨハルヴァ」
 背中に向かって叫んだラクチェの声は、ヨハルヴァには届かなかった。

 反対方向から足音が近づいてきた。ラクチェの兄スカサハが、息をきらして走ってくる。
「大丈夫か、ラクチェ。あいつ、おまえに何もしなかったか」
「何でもないわ。ちょっと立ち話をしていただけよ」
「立ち話って…。おまえなあ……」
 呆れたように妹を見るが、すぐに表情を引き締める。ラクチェを探していた理由を思い出したようだ。
「それどころじゃない。どうやらティルナノグの情報が敵に知られてしまったようなんだ」
「何ですって!」
「ガネーシャから討伐隊が派遣されたとの報告もある。すぐに戻ってセリス様と相談しなければ。今、ティルナノグにはシャナン様もオイフェ様もいない。俺達だけでセリス様を守らなければならないんだ」
「わかったわ。すぐに戻りましょう」
 ヨハンのこともヨハルヴァのことも、いったん頭から閉め出した。戦士の表情に戻ったラクチェは、スカサハと共にティルナノグへと急いだ。



[39 楼] | Posted:2004-05-22 16:06| 顶端
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