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雪之丞

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海蓝之钻(II)
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蜘蛛の糸


--------------------------------------------------------------------------------



-1-





夕方の冷たい風が平原を吹き抜けていく。
つい先刻まで矢と刃の飛び交う戦場だったこの地も、今はすでに人影もまばらだった。
ほとんどの者は仮の陣を構えた野営地へと引き上げ、残っているのは後処理を任された者たちと、物言わぬ骸のみである。

「わたしは間違ってない…!」
戦場跡に、押し殺したような少女の声が響いた。
「帝国の奴等なんて殺されて当然なのよ。あいつらはそれだけのことをしてきたんだもの。あの時とどめを刺さずに見逃したら、スカサハが殺されていたかもしれない。だから、わたしのしたことは間違ってないわ」
両手の拳を握り締め、憤りに肩を震わせるようにして言葉を続ける黒\髪の少女。
だがその叫びに耳を傾ける者は誰もいない。ただ一人を除いて。



「ラクチェは間違っていないよ」
少女のすぐ側に、青い髪の長身の青年が立っている。静かだが深みのあるその声に、少女は彼を振り返った。
「レスター…」
「俺だって、もしラクチェが危険な目に遭っていたら、その相手を殺すことを躊躇ったりしない」
穏やかな表情とは対照的に、はっとするほど冷ややかな声音で彼は言う。だが次の瞬間には、すでに元の落ち着いた声に戻っていた。
「ラクチェは大切なものを守っただけなんだ。だから君は正しいよ。間違ってなんかいない」
その言葉を受けて、見る間にラクチェの表情から苛立ちの色が消えていく。
代わりに浮かんできたのは、悲嘆の色だった。
「じゃあ、どうして……」
自分の両腕を抱きしめるようにして、ラクチェは声を詰まらせた。
「どうしてスカサハは、あの子のところに行ってしまったの…?」
訴えるようなまなざしが、レスターに向けられた。
「どうしてわたしの側にいてくれないの? どうしてなの?」

初めて実戦を経験して、初めてこの手で人を斬って…。それからまだ幾日も経っていない。
剣を振るうたびに悲鳴を上げ続ける心と折り合いをつけるには、敵兵を人間だと思ってはならなかった。帝国の兵は、一人残らず殺されて当然の悪魔。そう自分に言い聞かせることで、かろうじて精神の均衡を保つしかない。それでも傷だらけの心は、時折人知れず血を流す。

だから側にいてほしかった。生まれた時から決して離れず一緒にいた兄に。心も身体も分け合って生まれてきた、自分に最も近い存在に。
なのにその兄は、血を見て気を失ってしまった銀の髪の少女を抱き上げると、救護用の天幕へと行ってしまった。
すがりつく妹を置きざりにして。



「……スカサハ………スカサハ!」
思わず両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。
だが彼女の肩は、すぐにふわりと抱きしめられる。その腕の暖かさに、ラクチェは涙に濡れた瞳を上げた。すぐ目の前に、自分を見つめる蒼の双眸がある。同時に唇に柔らかい感触があった。それが何であるか理解したのは、すでにレスターの唇が離れた後だった。
もう一人の兄とも思っていた幼なじみの行動の意味がわからず、ラクチェはただ呆然とその蒼い瞳を見上げている。彼女が何か口にしようとするより早く、レスターは再びラクチェの身体を自分の腕の中に包み込んだ。

「俺では駄目?」
耳元で囁くようにレスターの声がする。
「俺はいつでもラクチェの側にいるよ」
「レスター?」
「好きなんだ、ラクチェ。子供の頃からずっと…。いつも君だけを見つめてきた」
その言葉に、ラクチェの瞳が大きく見開かれる。
「う…そ…」
ふいに身体が震えてきた。
思いも寄らぬ告白に、ラクチェは頭の中が真っ白になったような感覚に襲われる。
兄として、幼なじみとして以外に、彼のことを考えたことはなかったから。
やがてゆっくりと腕が解かれた。代わりにラクチェの両肩に手を乗\せて、レスターは彼女の顔をのぞき込んだ。このイザークの空と同じ蒼の瞳が、ラクチェの黒\曜石の瞳を真っ直ぐに捉える。



「ラクチェは、俺が嫌い?」
レスターの言葉に、ラクチェは激しく首を横に振る。
「嫌いじゃない! レスターを嫌いな人なんて、いるわけがないわ」
幼い頃からティルナノグの長兄の役割を与えられたレスターは、同い年の子供たちよりもずっと大人びて思慮深く、思いやりに満ち、誰にでも分け隔てなく接していた。彼のことを悪く言う声を、ラクチェは聞いたことがない。
だがレスターは、その答に少しだけ複雑な表情を見せた。
「じゃあ、好き?」
続けて問われた言葉に、ラクチェは即答することができない。

好きなのだろうか?
自分自身に問い掛けてみる。だが、よくわからなかった。そんなことを考えたことは、今までに一度もなかった。
でも、嫌いじゃないのだから、たぶん好きなのだろうと思う。
きっとそうだ。それなら自分の今の行動も理解できる。
突然くちづけされて嫌じゃなかったのも、こうして抱きすくめられても腕を振り解かないのも、きっと自分がレスターを好きだからなのだ…。

「…うん、好き」
レスターの目を見つめながらそう答えた。
「わたしもレスターが好き」
言葉に出してそう言ったら、それが真実のような気がしてきた。
自分からレスターの背中に腕を回し、彼の胸に頬を寄せる。そうすると、なぜかとても安らかで落ち着いた気持ちになった。優しく髪を撫でてくれるレスターの手が心地よい。

いつも自分を肯定してくれる言葉。どこまでも自分を受け入れて癒してくれる腕。そして他の誰でもなく、自分だけを見つめてくれる瞳。
子供の頃からずっとずっと欲しくてたまらなかったものが、突然目の前に差し出された。だからラクチェはそれに手を伸ばすことに、躊躇いを感じたりしなかった。

それは蝶の羽が、見えない糸に触れた瞬間――。





「蜘蛛の糸」2ページ目に関する注意書き




「蜘蛛の糸」の2ページ目は、性描写を含む内容となっております。
そういった内容が苦手な方や、18歳未満の方は、直接3ページへお進み下さい。
2ページ目を読まなくても、ストーリー的には重大な問題はないと思います。



蜘蛛の糸


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-3-





ドズル公妃ラナが幼なじみであり親友でもあるエッダ公妃ラクチェの元を訪れたのは、まだ冷たい風が吹くある春先のことだった。

「本当に久しぶりね、ラナ」
茶器に香茶を注ぎながら再びラクチェはそう口にした。
ドズルとエッダは距離的にも近く、今までにも二人は機会を見つけては行き来を繰り返していた。しかし、ラナが初めての子を身篭\ってからはそれも途絶えがちで、無事に出産を終えた彼女がこうしてエッダを訪れたのは一年ぶりのことである。
ラクチェは来客の接待用の部屋ではなく私室にラナを招き入れ、こうして手ずからお茶を淹れているのだった。



「子供も連れてくればよかったのに。今頃、デルムッドが大変な思いをしてるんじゃない?」
会話を続けながら、ラクチェは慣れた手つきで香茶の器をラナの前に差し出した。そういったしぐさも、今やすっかり板についている。
「乳母たちにしっかりと頼んできたから大丈夫よ。それにデルムッドは子供の面倒を見るのが嫌いじゃないし。執務室にだって連れて行きかねないのよ」
「昔っから子供好きだったものね」
「そうね、わたしとしては助かるけど。ところで、こちらの様子はどう? 母様や兄様は変わりない?」
「ええ。エーディン義母様は今日は城下の孤児院を回っているの。夕刻には戻るから、ラナもゆっくりしていってね」
手製のプラムのケーキを切り分けながらラクチェが答える。ティルナノグにいた頃も、解放戦争の間中も、ラクチェがお菓子作りなどする姿をラナは見たことがなかった。ということは、彼女も随分と心に余裕が出てきたのだろう。そう考えると、親友としては喜ばしく思う。

「レスターは今、大聖堂で午後のお務め中よ。公爵としての執務も、司祭としての務めも、相変わらずきちんとこなしてるわ。わたしが言うのもおかしいけど、レスターは本当に立派よね。彼があんなにブラギの教理について深く理解しているなんて、わたしここに来るまで知らなかったもの。信徒を前に教えを説く姿を見ていると、やっぱりエーディン義母様の息子なんだなって思うわ」
「でも兄様は、ラクチェが政務を助けてくれるから、自分は司祭の仕事のほうに力を入れることができるんだって言ってたわよ」
「わたしなんて大して役に立ってないわ。それにこうなっちゃったから、これからはもっと手伝えなくなるだろうし」
ラナの前にケーキの小皿を置いた後、ラクチェはふと視線を下に向けた。彼女は今、身体を締め付けない、ゆったりとしたドレスを身に纏っている。その腹部だけがほんの少し盛り上がって見えた。
「月数のわりには小さいほうなんだって。ちゃんと食べてるのにね」
彼女のお腹の中には、レスターの子が宿っていた。少し膨らみの目立ち始めた腹部に手を当てながら、ラクチェは幸せそうな表情を見せる。その目に浮かぶ微笑は嘘ではなかった。心の奥から自然に溢れてくる本物の笑み。



―――よかった…

ラナは思う。
ラクチェにとっても、そして自分の兄にとっても本当に喜ばしいことだ。子供の存在は二人の絆を深め、きっと全てが良い方向に向かうだろう。

幼い頃から片時も離れず共に育ってきた彼女は、ラクチェの心の中に兄のレスター以外の存在がずっと昔から棲んでいたことを知っている。だがその相手とラクチェが結ばれることは決してない。だからラクチェが兄と結婚したのは、叶うことのないその想いを封印する意味もあったのだと気づいていた。
しかしエッダで過ごした三年余りの年月は、二人の間に真実の愛と信頼を築き上げたのだろう。
ラナはそう確信し、目の前のラクチェに微笑みかけた。

「でも小さく生まれてきたほうが、大きく育つとも言うわよ。お産の時にも楽だし、そのほうがいいんじゃない?」
すでに一人の子の母となったラナは、そんな余裕の表情を浮かべる。
「無事に生まれてさえくれれば、どちらでもいいんだけどね」
ラクチェは視線を自らの腹部に向けたまま言葉を続けた。
「城のみんなも領内の人達も、この子の誕生を楽しみにしてくれているの。それが一番嬉しいわ。この国に来ることになった時、本当は少し心配だったから」
「え?」
「わたしは解放戦争において、多くの人の命を奪った。この手は血にまみれている。そんなわたしが、聖なる国エッダの公妃として認めてもらえるのかって」
「何言ってるのよ、ラクチェ。そんな言い方しないで。あなたの手は、たくさんの人の命と平和を守ったのよ」
しかしラクチェは、静かに首を横に振った。
「エッダに来てからね、毎朝、聖堂でレスターと一緒に祈りを捧げているの。そうしていると、罪に汚れた手が少しずつ清められていくような気がする。わたし、レスターとこの国に来てよかったって思う」
そして再び自らの腹部にそっと手を伸ばす。その表情は慈しみに満ちていた。
「この子を授かった時、初めてブラギの神に許してもらえたような気がしたの。レスターに似た、優しい子だといいな」
「あら、ラクチェに似たって、優しい子になるに決まってるじゃない」

―――本当によかった

ラナは確信を深めた。もう大丈夫。ラクチェは心からの信頼を兄に寄せてくれている。今では二人の間には、本物の愛情が流れているに違いない。もう誰もそれを割く事はできないだろう。
親友と兄の関係にずっと心を砕いてきたラナは、ようやく安堵の息をついた。





その時、扉の外から入室の許可を求める声が聞こえてきた。ラクチェの返事を待って扉が開かれ、書状を携えた侍従が入ってくる。
「失礼致します。公妃殿下にヴェルトマー公爵からの親書が届いております」
「スカサハから!?」
侍従の口上が終わるより早く、ラクチェは椅子から立ち上がった。そして待ちきれないように、自分から侍従のほうへ向かって歩き出す。銀の盆に乗\せられた封書が、ラクチェの目の前に恭しく差し出された。
受け取った封書を胸に椅子に戻ったラクチェは、ラナの存在さえ忘れたかのように早速それを開きにかかる。ヴェルトマーの紋章の封蝋を剥がし、あわただしいしぐさで中身を取り出した。
まるで、待ち焦がれた愛しい人からの恋文を開くようなラクチェの様子に、ラナの胸にかすかな不安が広がっていく。
そんなことはない。ラクチェはただ兄からの手紙を妹として喜んでいるだけなのだ。そう自分に言い聞かせる。
頬を上気させ瞳を輝かせて書面に見入っていたラクチェの表情が、ふいに曇った。歓喜の表情が悲嘆に、そして絶望へと変化していく。同じ箇所に何度も何度も目を通していたラクチェは、やがてふらりと立ち上がった。その表情は、封書を受け取った時とはまるで別人のように見える。視線は空を彷徨い、何ものをも映し出していない。

「ラクチェ…? どうかしたの?」
心配を隠せないラナの声に、緩慢なしぐさでラクチェが振り返った。

「スカサハが……結婚する…って…」
虚ろな表情でラクチェが呟く。はらりと音もなく、その手から紙片が床に落ちた。



レスターがラクチェの部屋を訪れた時、室内にはひとつの明かりも灯されていなかった。すでに夕闇が辺りを覆い尽くす時間であるにも関わらず、蜀台の灯心はそのままの形をさらけ出している。
ラクチェの姿を求めて中に進むと、奥の間の寝台の上にうつぶせに横たわっている彼女の姿を見つけた。

「ラクチェ、気分でも悪いのかい?」
「レスター…」
呼びかけに答えて、ラクチェがゆっくりと身体を起こす。振り返った目元が少し赤くなっているのが、暗がりの中でも見て取れた。

「ラナから聞いたよ」
「え?」
「スカサハとユリアの結婚が決まったそうだね」
「ええ…」
それだけ言うと、ラクチェは俯いた。レスターはラクチェの隣に腰を下ろし、静かに彼女の肩を抱き寄せる。ラクチェはされるがままに、レスターの肩に頭をもたせかけた。
スカサハとユリアが将来を誓い合った仲だという事を知っていた者は、仲間内でもそう多くはなかった。戦争終了後はヴェルトマーとバーハラに別れてしまったこともあり、二人の結婚を予想していた者はごくわずかだろう。ラクチェにとってもまさしく晴天の霹靂だったに違いない。
彼女の胸の中でどんな葛藤が渦巻いているのか、レスターには容易にわかってしまう。だから何も言わず、ただ黙ってラクチェの側に寄り添っていた。
やがてラクチェが、ぽつりと言葉を漏らした。
「喜ばなくちゃいけないのよね。こういう時、普通は喜ぶものなのよね。なのに、わたし…」
そこまで言って言葉を詰まらせる。
「駄目だった、喜べなかった。二人を祝福できなかった」
ずっと抑えこんでいたものを一息に吐き出したような悲痛な声だった。
レスターは彼女の身体を自分の腕の中に抱きしめた。強く、深く。まるでそうしていないと、ラクチェがどこかに消えてしまうとでもいうように。
「たとえ君が誰を想っていても…俺は君を手放すつもりはないよ、ラクチェ」
そのとたん、腕の中でラクチェの身体が硬直するのがわかった。
「……気づいてたの」
「君の気持ちは、誰よりもよく知っているから」
レスターは、ゆったりとラクチェの髪を撫でる。
「もし君が、俺と結ばれたことを後悔していたとしても…」
「違う…! そうじゃないの」
言葉を遮るようにして、ラクチェがかぶりを振った。
「スカサハの結婚を知って、ショックを受けたのは本当よ。でも、しばらくするとだんだん気持ちは落ち着いていったわ。喜ぶことはできなかったけれど…自分でも意外なくらいに冷静だった。……だけど、もしこのことをレスターが知ったら…って、ふとそう思ったら、急に怖くなって……」
何かに怯えるかのように、ラクチェの声が消えていく。ひとつ息をつき、そして言葉を続けた。
「レスターは優しい。いつも、わたしの気持ちを一番に考えて、気遣って、大切にしてくれる。わたしはずっとそれに甘えてきた。…でも、わたしがこんな人間だって知ったら、レスターだってもう許してくれないかもしれない。わたしから離れていってしまうかもしれない。そう考えたら、悲しくてたまらなくなって…」
「ラクチェ……」
「お願い、嫌いにならないで。どこにも行かないで、レスター」
ふいに両腕を伸ばし、ラクチェはレスターの首にしがみ付いた。まるで、親から引き離されるのを恐れている幼な子のように、彼女の肩が震えている。

昂ぶる心を抑えるために、レスターは深く息を吸った。そして、頭の中でラクチェの言葉を反芻する。ゆっくりと、何度も。間違えないように、自分に都合のいいように解釈して後で落胆することのないように、慎重に、冷静に…。
やがてそれは、レスターの中で徐々に確信に変わっていく。歓喜の波が密やかに背中を這い登ってくる感覚というものを、彼はこの時初めて知った。

「レスター…?」
返事をしないレスターに不安を感じたのか、微かな声でラクチェが問いかける。レスターは腕を緩め、彼女の身体を少し離した。そして、ラクチェの白い頬を両手で包み込むようにして、まだ不安を宿したままの瞳を見つめる。

「俺がラクチェの側から離れるなんて、そんなことあるわけがないだろう?」
「…本当に?」
「もちろんだよ。たとえ君が嫌だと言ったって、俺はずっと君と一緒に生きていくつもりなんだから」
レスターを見つめるラクチェの顔に、徐々に安堵の色が広がっていく。
「よかった…………」
言葉と共に、ラクチェは再びレスターの胸に頬を寄せた。

―――手に入れた

ラクチェの肩を抱きしめながら、レスターは誰にも聞こえない胸の奥でそう呟いた。
もうラクチェは、自分の側から離れることはないだろう。いつか彼女が自分の元を去っていってしまう時が来るのではないかと、そんな不安に怯える日々は終わりを告げる。
ようやく手に入れた愛しい人を、もう一度確かめるように抱きしめた。

「ずっとわたしの側にいて、レスター」
渇望してやまなかった言葉が、ラクチェの口から紡がれる。それは甘やかな毒のように、レスターの心に染み渡り痺れさせていく。頷いたレスターの口許には、いつもと変わらぬ穏やかな笑みが浮かんでいた。




-END-



[120 楼] | Posted:2004-05-22 17:25| 顶端
雪之丞

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真夜中のお食事


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「水をもらえるか?」
 そんな言葉と共にヨハルヴァが食堂に現れたのは、夜半に近い時刻だった。
 その時食堂内にいたのは、ラクチェとラナの二人きり。それぞれ割り当てられた仕事をようやく終えて、お茶で一息ついていたところだった。
「お茶でよかったら、一緒にどう?」
 ラクチェが声をかけると、ヨハルヴァは頷きながら中に入ってくる。彼が現れたのを見て、ラナは用を思い出したからと席を立った。ひょっとして気を利かせたつもりなのだろうかと、ラクチェは親友の後ろ姿を見送りながら思う。
 もう一つ器を用意してお茶を注いでいる時に、ラクチェはふいに思い出した。
「あ、そうか。警備の交替の時間なのね」
 目の前に腰を下ろしたヨハルヴァに器を渡しながらラクチェが言う。ヨハルヴァは今夜は城の西門の警備についていたはずだった。
「ああ、さっき次の番のやつと交替した。今夜は揉め事が幾つか重なって、あっという間に時間が過ぎたぜ。何もない時は本当に何にもないんだけどな」
「大変だったのね、お疲れ様」
 ねぎらうように、ラクチェが微笑を浮かべる。通常、指揮官クラスの人間に警備が割り当てられることはまずない。しかしヨハルヴァは時間に余裕がある時は、自らそういった役目も引き受けているようだった。そのせいか、彼は下級兵士の知り合いも多い。ヨハルヴァのそういうところが、ラクチェは嫌いではなかった。



「ねえ、それじゃお腹空いてるんじゃない? 何か作ってあげようか?」
「え? おまえが!?」
 ほんの一瞬だが、ヨハルヴァが狼狽の表情を浮かべたのをラクチェは見逃さなかった。思わず半眼になったラクチェの目が、見上げるようにヨハルヴァを睨む。
「…………どういう意味よ、それ」
「い、いや。おまえが厨房にいるところなんか見たことないから…」
 押し殺したようなラクチェの声に、必死でヨハルヴァは釈明の言葉を探す。だが意外なほどあっさりと、ラクチェはその回答に納得してしまったようだった。
「あ、そういえばそうね。旗揚げして軍としての機能が整ってきてから、だんだん役割分担がはっきりしてきたものね」
 従軍している者のうち、戦う術を持たない女性を中心に、賄いを含めた裏方の仕事を専門に引き受ける集団が出来あがっていった。女性でも、ラクチェのように第一線で戦う兵士は、自然とこういった役目からは免除されることになる。だから、厨房に立つラクチェの姿をヨハルヴァが目にしたことがないのも当然だった。

「でも、ティルナノグにいた頃は、わたしも一通りのことはやっていたのよ。自分のことは自分でする。それがオイフェ様の基本方針だったから」
 ラクチェは席を立ち、炊事場のほうへと向かう。
「もしも何不自由のない立場に生まれたとしても、生きる上で必要な基本的なことは一通りできなくてはいけないって。わたし達はみんな、そう教えられてきたの」
 もっともオイフェ様も、セリス様に関しては何かと世話をやいていたけどね――そう言って、ラクチェは笑った。
 オイフェの教えには、民と同じ経験することによって彼らの感情を理解するという目的もあったが、不測の事態が発生した時に生き延びる可能性を少しでも高くする目的も兼ねていた。周囲の者に全てを任せ、それを当たり前と思って生きている人間は、周囲の手を失った時に生きる術も失うことになるからだ。

 ラクチェは勝手知ったるというふうに厨房の中を動いていた。籠\の中から野菜を幾種類か取り出し必要な分量だけ取り分け、桶の中で水洗いする。先に火にかけておいた鍋でその一部を茹で、続いて他の野菜の皮を剥きはじめた。その手馴れた様子に、ラクチェの意外な一面を見たようにヨハルヴァは思った。
「だけど、周りがそうはさせなかったんじゃないのか? イザーク国民のおまえ達に対する崇拝は、俺から見てもただならぬものを感じたぜ」
「そうね。イザークの人々は、わたし達を特別扱いしていたわ。楽とは言えない生活の中でも、常に王家の一員として扱おうとした。他の子供達がする仕事や雑用を、わたし達にはさせたがらなかったし…。でも、本当はそんな余裕があるわけじゃないことは、子供にだってわかったから」

 材料を刻む音がリズミカルに聞こえてきた。何種類かの野菜を均等に切ったり刻んだりしながら、その合間に火加減を調整したり用の済んだ用具を洗って片付けたりと、無駄なく手際よくラクチェは作業を進めていく。
 油を引いた鍋の中で細かく切った燻製肉と玉葱を炒め、続いて他の野菜を入れて再び炒める。油の弾ける小気味良い音が、辺りに広がっていった。



「…懐かしいな」
 いつの間にか、ヨハルヴァが後ろに立って、鍋の中を覗き込んでいた。
「え? ヨハルヴァ、食べたことあるの?」
「ああ、好物でよく作ってもらったぜ」
「でも、これってイザーク料理よね? それも、どちらかというと一般家庭で出てくるものだと思うけど」
 水と香草を加えて煮込んでいる最中のそれは、ティルナノグにいた頃よく食卓に並んだものである。しかし、王侯の食卓を飾るような料理とは思えなかった。
「ソファラにいた頃、兵士達が食べているのを見て美味そうだから厨房に頼んで作ってもらったんだ。司厨長はかなり不服そうだったけどな」
「司厨長……ね」
 ヨハルヴァに気取られないよう、ラクチェはかすかにため息をついた。普段はまったく意識することのないヨハルヴァの育った環境が思い起こされる。口調と態度はこんなでも、彼はもの心ついた頃から『王子様』だったのだ。
「なぁんだ。じゃあ、本物と比べられちゃうわね。違うものを作ればよかったかな」
 独り言のように言いながら、最初に下茹でしておいた豆や野菜を鍋に加えて最後の味付けに取り掛かった。本当は、野菜はもっと大きめに切って時間をかけて煮込むのだが、今は急いでいたため材料を細かく切って火が通りやすくしたのだった。要するに簡易版である。本職が手間と時間と誇りをかけて作ったものには到底及ばないだろう。そう思うと、ラクチェも少し残念な気がする。
 やがて、湯気と共に鼻孔をくすぐる刺激的な香りが厨房の中に広がっていった。何種類かの香辛料を使った独特の風味の、具沢山のスープが出来上がる。ラクチェは取り出した器に、鍋の中身をよそった。

「はい、どうぞ。王子様の口に合うかどうかわからないけど」
 テーブルに戻ったヨハルヴァの前に、湯気の立ちのぼる器を置く。ヨハルヴァは気に入ってくれるだろうか。そう思うと、ほんの少し緊張が走る。
「美味い…」
 ヨハルヴァの第一声に、ラクチェはほっと胸をなでおろした。彼が意外そうな表情を浮かべていることに、ちょっとだけ複雑な気持ちになったりもしたが。
「ほんと?」
 ヨハルヴァのことだから、たとえ口に合わなくてもそう言うのではないかと思い、確認するように彼の顔をのぞき込む。
「ああ。ソファラで食べたものより、ずっと美味い」
 目許に笑みを浮かべてそう言うと、ヨハルヴァは黙々と匙を動かし始めた。
 仮にお世辞だとしても、そう言ってもらえるのはやはり嬉しいとラクチェは思う。まして相手が、誰よりも愛しく思っている人ならば尚更だった。自分以外の人のために食事の用意をしたのはこれが初めてではないのに、今まで感じたことのないような充実感と満足感がある。心の中がほっこりと暖かくなるようなこの気持ちは、たぶん幸せというのだ。
 人が生きていく上で本当に必要なのは、こんなほんのささいな幸せなのかもしれない。きっとそれだけで充分なのだと思う。なのに、それさえも手に入れることができない人達が、今の世界には多すぎる。だから自分達は、これからも進まなくてはならないのだろう。

 ふいにラクチェは立ち上がり、ヨハルヴァの正面から隣へと席を移動した。ヨハルヴァのほうに向かってちょっと身体を傾けてみると、ラクチェの頭が彼の肩にこつんと当たる。そのままヨハルヴァの体温を感じながら寄り添ってみた。
「どうした? ラクチェ」
「ちょっとした幸せをかみしめてるところ」
「は?」
「なんでもない」
 もう少しだけこうしていよう。そんなふうにラクチェは思った。



-END-



[121 楼] | Posted:2004-05-22 17:26| 顶端
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朝 霧


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 ラクチェが目を覚ました時、最初に目に入ってきたのは天井の精緻な模様だった。
 ペルルーク郊外での激しい攻防戦を制した解放軍がこの城に入ったのは、十日ほど前のことである。かつて自由都市として栄えたこの街独特の文化は、長年に渡る帝国の蹂躙\を受けながらも、尚洗練された輝きを誇っていた。
 すでに見慣れつつある天井の模様から視線を外し、ラクチェは寝返りを打つ。その瞬間、違和感に気づいた。隣で寝ているはずのラナの姿が見えないのだ。ラナ本人だけではない、彼女が横になっているはずの寝台そのものが消えている。目の前にあるのは美しい絵柄の一面の壁だけである。
 ラクチェは思わず寝台の上に起き上がった。改めて周囲を見渡してみると、ここは昨日まで自分が使っていた部屋とは違うようである。家具の配置が変わっているし、調度品の種類も少しずつ違う。寝台が一つしかないことも、明らかな相違点だ。
 寝台から降りると、ラクチェはあたりを見回しながら歩を進めた。朝の空気が肌にひんやりと感じられる。南に位置するミレトス地方ではあるが、朝は多少冷え込むらしい。薄手の白い肌着しか身に着けていないラクチェは、思わず両手で自分の腕を抱え込んだ。剥き出しの素足も、ともすれば粟立つほどである。
 衣服を求めて視線を彷徨わせた時、椅子の背に掛けられた一着の上着が目に入った。それを目にしたとたん、昨夜の記憶が少しずつラクチェの脳裏に蘇ってくる。



 ――― ヨハルヴァの部屋だわ、ここ

 見覚えのある緑色の上着を手に取った。少し迷ったが、肌寒さに負けてそれに袖を通す。身に纏ってみると、彼との身体の大きさの違いが明らかになった。丈は腿の半分以上を覆い、袖は何回か折らないと手が出そうにない。
 だが、それは不思議と暖かかった。まるで彼の腕に包み込まれているような心地よさを感じる。
 一息ついたラクチェは、椅子の横のテーブルに視線を移す。封の切られた果実酒の瓶と、琥珀色の液体が半分くらい残っているグラスが置いたままになっていた。

 ――― そう、確かこれを飲んだ記憶がある

 ラクチェは、昨夜の出来事を順序だてて思い出そうとした。
 このペルルーク城に入って以来、制圧時に付き物のさまざまな任務にラクチェも追われ続けていた。それがようやく一段落したのが昨日のこと。今日は、ラクチェに割り当てられた丸一日の休養日だった。(ただし、緊急事態が発生しなければという条件付ではあるが)
 だから昨夜はヨハルヴァの部屋を訪れて、遅くまで話し込んでいたのだ。運\良く彼にも同じ日が休養日として割り当てられていたため、多少遅くなってもさほど迷惑にはならないはずだった。
 二人きりで会うのも久しぶりだったから、ずいぶん話が弾んでしまった。そのうち喉が乾いてきたラクチェは水を飲もうと思ったが、生憎と水差しの水は切れている。果実酒ならあると、ヨハルヴァが琥珀色の液体の入った瓶を取り出し、グラスに注いだそれを三口ほど飲んだあたりで、急に睡魔が襲ってきたのだった。
 部屋まで送っていこうというヨハルヴァに、まだ帰りたくないとラクチェは譲らず、そのうちテーブルに伏してうたた寝をはじめてしまい……。そして、見かねたヨハルヴァがラクチェを抱き上げ寝台まで運\んだのだ。

 ――― なのにわたし、服がしわになるとか何とか、ヨハルヴァにさんざん文句を言って暴れたような…

 その後の記憶は綺麗に消えている。おそらく、すぐに熟睡してしまったのだろう。
 今朝起きた時の自分が肌着しか身に着けていなかったということは、ヨハルヴァが服を脱がせてくれたのだろうか…。そう思ってもう一度あたりを見回すと、向かい側の椅子の上にきちんとたたんで置いてある自分の服を見つけた。とたんにラクチェは、地の底に沈み込みそうな気分になった。少量の酒に酔って、理性をなくしてヨハルヴァに絡んで、相当の迷惑を掛けたであろう自分がとてつもなく情けない。



 その時ふいに重要なことに気づいた。肝心のヨハルヴァはどこにいるのだろう。自分が寝台を占領してしまったということは、彼の寝る場所がなくなってしまったということだ。
 ラクチェは部屋を隅から隅まで見渡した。その視線がある場所で止まる。バルコニーに面した方に一脚の長椅子があった。椅子の背がこちら側を向いているのでわからなかったが、よくよく見ると端のほうから誰かの足の先がはみ出している。そっと前に回ってみると、案の定そこにはラクチェの探し人が横になっていた。
 上着を脱いだだけの恰好で、毛布の一枚も掛けずにヨハルヴァは眠っている。狭い長椅子に大きな身体はいかにも窮屈そうで、見ているだけで節々が痛くなりそうな気がした。
 それよりもこの気温では風邪をひいてしまうのではないかと、そちらのほうが心配になってくる。ラクチェは慌てて、しかし足音は立てないように気を使いながら寝台にとって返し、さっきまで自分がくるまっていた毛布を剥ぎ取ると再び長椅子の前に戻った。静かに毛布を広げ、そうっとヨハルヴァの身体に掛ける。
 隙間ができないように丁寧に掛け直し、再度確認してからようやく安堵の息をついた。ぺたりと床に座り込んで、ほぼ同じ高さになったヨハルヴァの顔を見つめる。今までにも何度か目にしたことがある、ラクチェの前でだけ見せる無防備な寝顔。元々整った顔立ちをしているヨハルヴァだったが、目を閉じていると少しだけ雰囲気が柔らかく感じられた。少しきつめの目許で損をしているのかもしれない。そんなことをラクチェは思う。
 ふと手を伸ばして髪や頬に触れたくなったが、彼の眠りを妨げてはいけないと断念する。

 その時、ふいに背後から冷たい空気が流れ込んできた。ラクチェが振り返ると、バルコニーへと続く扉が少し開いている。錠がきちんと下りていなかったのかもしれない。ラクチェは立ち上がり、バルコニーのほうへと向かった。
 扉の向こうは、辺り一面の真っ白な霧で覆われていた。白い色の扉だと思っていたものは、透明な硝子が外の霧を映し出していたのだった。興味を引かれたラクチェはバルコニーへと足を踏み出した。そして、冷たい空気が室内に入らないよう、扉をきっちりと閉める。とたんに白い水蒸気が髪や身体にまとわりついてきた。朝靄\などという生易しいものではない。隣の部屋のバルコニーさえ見えないほどである。
 湿度の高い地方ならではの現象だろうか。もし戦場でこんな霧が発生したら、敵も味方もわからなくなってしまう…。そんな方向に発想が展開してしまう自分に気づき、ラクチェは少しだけ寂しくなる。
 しばし呆然とその様子を見ていると、背後で扉の開く気配を感じた。

「もう、起きたのか?」
 耳慣れた低い声に振り返ると、そこにはヨハルヴァが立っていた。
「目が覚めたの? ごめんなさい、もしかしてうるさかった?」
「いや、そんなことはねぇよ」
 そう言うなり、ヨハルヴァはラクチェの腕を掴んだ。
「それより、早く中に入れ。そんな恰好、誰かに見られたらどうするんだ」
 ヨハルヴァの言葉に、ラクチェは自分のいでたちを改めて見下ろした。薄手の肌着の上に、大きめの上着を羽織っただけの姿。前がはだけているから、形のよいすらりとした脚はほとんどそのまま見えてしまう。確かに人前に出られるような恰好ではない。ラクチェは思わず上着の前を合わせた。
「……見えるわけないわよ、こんなに霧が深いんだもの。それにまだ誰も起きてないわ」
「いいから、入れ。万が一ってことがある」
 ――― 他のやつに見せてたまるか
 そんなことを呟きながら、ヨハルヴァは抱きかかえるようにしてラクチェを部屋の中に入れる。半ば強制的に引き戻されたラクチェは、部屋に入るとすぐにヨハルヴァの正面に向き直った。
「どうしてあんなところで寝ていたの、寒かったでしょう? 余分な毛布がなかったなら、ヨハルヴァも向こうで寝ればよかったのに」
 ラクチェは自分が寝ていた寝台を指差した。ヨハルヴァとは今までにも何度か一緒に眠ったことがある。今更遠慮するなんて、かえって水くさいような気がした。だが、ヨハルヴァは意外な答を返した。
「ゆっくり眠らせてやりたいと思ったから…」
 少し視線をそらしたまま、ぼそっとした口調で言う。
「え?」
「ここの寝台、あんまり広くないだろ。そこに俺が割り込んだら、ラクチェが窮屈な思いをするじゃねぇか」
「そんなこと…」
「ペルルークの解放からこっち、おまえずっと休みなしで働き詰めだっただろう。それじゃなくたって、城の攻略戦ではいつも先陣を切って誰よりも多く走り回ってる。だからこんな時くらい、ゆっくり休んでほしかったんだ。夕べだって、かなり疲れてる様子だったぜ。普段なら、あのくらいの酒で眠り込まないだろう?」
 一瞬、ラクチェは言葉が出なかった。
「だって………疲れてるのはヨハルヴァも同じじゃない」
「俺は平気だ。丈夫なのが取り柄だからな」
 こともなげにヨハルヴァは言う。再びラクチェは言葉に詰まった。
 今、胸の中にあるものを正直に表現するなら一言ですむ。それはたぶん「嬉しい」という気持ちだった。自分を気遣ってくれるヨハルヴァの思いが胸に染み入ってくる。だが、そういう感情に慣れていないラクチェは、それを素直に表に出すことができない。
 ラクチェは、子供の頃から特別扱いされるのが嫌いだった。特に、女だからという理由で義務を免除されることを嫌う。だから、双子の兄や幼なじみ達に同じ事を言われたら、きっと反発していたような気がする。
 なのに相手がヨハルヴァなら、差別されたなどとは微塵も思わずに、その厚意をそのまま受け入れることが出来る。自分はいつからこんなふうになってしまったんだろう。そう思ったが、それは意外にも嫌なことではなかった。
「ごめんね。………ありがとう」
 ぎこちないながらも、そう言うことができた。今の自分は、きっと嬉しそうな顔をしているに違いない。なんとなくそれを見られたくなくて、ラクチェは窓のほうに顔を向けた。
「…この霧じゃ、外出は無理かしらね」
 あえて話題を変えたが、ヨハルヴァは特に気にする様子もなく、同じように窓の外に目をやった。
「いや、大丈夫だろ。この手の霧は日が昇ればすぐ晴れる。たぶん今日はいい天気になると思うぜ」
「ほんと? じゃあ、霧が晴れたら街に行ってみない? この間、フィーがアーサーと出かけた時に、穴場のお店を見つけたって言ってたから」
「ああ、そうだな」
 ヨハルヴァが目許で笑う。普段は無愛想な表情が多い彼にしては珍しい笑顔だった。
「それより、おまえ寒くないか? 服なら椅子の上に置いてあるぞ」
「あ、そうね。着替えてくるわ。勝手に上着借りちゃってごめんなさい」
 ラクチェは羽織っていた上着をヨハルヴァに返すと、ぱたぱたと部屋の奥へ走っていった。彼女の後ろ姿を見つめるヨハルヴァの口許に苦笑が浮かぶ。大きめの上着を纏ったラクチェは普段にもまして可愛らしく見えて、できればそのままでいてほしいような気もしたのだ。
 少しして、着替えを済ませたラクチェが戻ってくる。ヨハルヴァは、まだ手に持ったままだった上着を差し出した。
「寒ければ、着ててもかまわないぜ」
「ううん、いい。………本物がいるから」
 そう言うと、ラクチェはヨハルヴァの腕に自分の手をそっと絡めた。




-END-


<あとがき>
このお話は、高村諒様(ミミソギchop'S様)が描かれたラクチェのイラストを拝見して浮かんだ妄想から生まれました。
それは、ラクチェが白い肌着(と思われるタンクトップ状の衣服)の上に緑色の上着を羽織っているものです。。当時そのイラストには「ヨハルヴァ&ラクチェ」というタイトルが付けられておりまして、ラクチェが袖を通しているこの上着はヨハルヴァのものであることが推察されます。
これはいったいどういう状況なのでしょう。ヨハラクファンなら妄想せずにはいられません(笑)
次々と浮かんでは消えていった妄想の中の一つが、こんなお話になりました。
イマジネーションをかきたてる素敵なイラストに出会えたことに感謝です(^^)



[122 楼] | Posted:2004-05-22 17:26| 顶端
雪之丞

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海蓝之钻(II)
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王妃様と私


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-1-



 あるうららかな日の午後。イザーク王宮の執務室で、まだ少女のような年頃の王妃が積み上げられた書類の束と向き合っていた。
 さらさらと流れ落ちる銀の髪を時折かき上げながら、真剣な表情で手にした書類に目を通し署名をする。時折、側に控えた書記官に内容の説明を求め、場合によっては担当官を呼び出してさらなる質問を繰り返しながら、的確にそれらを捌いていく。やがて執務机の上には、承認の済んだうず高い書類の山と、未決分の小さな山が出来上がっていった。



「今日の分はこれで終わりかしら、ロドルバン」
 最後の一枚に署名を終えると、王妃ユリアは傍らの書記官を振り仰いだ。決裁済みの書類を纏めながら、黒\髪の青年が頷きを返す。
「はい。とりあえず緊急のものは全て片付きました」
「それでは、こちらの書類は宰相に戻して再度詳細な報告書の提出を依頼して下さい。こちらの分は、陛下がお戻りなってから判断を仰ぎましょう」
「承知致しました」
 保留分の書類を受け取ると、それまで生真面目な表情を崩すことのなかった書記官の目許が少しだけ緩んだ。
「王妃様のおかげで、陛下がご不在でもどうにか事務処理が滞らずに済んでいます。今日もさぞお疲れになったでしょう。どうぞゆっくりとお休みになって下さい」
「ありがとう。これもロドルバンのおかげです。きちんと書類を調えて分類しておいてくれるし、説明もわかりやすいからとても助かっています」
 疲れなど微塵も見せない笑顔でユリアが答える。臣下に対しても、丁寧な口調で語りかける王妃を慕う者は多い。異国人に少々閉鎖的なところがないわけでもないイザーク王宮でも、こうして王の代理を任されるくらいに受け入れられた存在となっていた。

 国王のシャナンは、フィノーラで執り行われるヴェルトマー公爵との会談のために、しばらく前から城を留守にしている。その間、王妃が代理として執務を行なうと決まった時、ロドルバンの胸にはわずかの不安と懐疑が生じないでもなかった。王は王妃を溺愛するあまり、少しばかり公私を混同されてしまったのではないかと。
 しかし、それは杞憂に終わった。予想外に…などという言い方は不敬にあたるかもしれないが、実際、王妃の執務遂行能力はロドルバンの想像を遥かに越えて優秀なものだったのである。バーハラでは、セリス王の傍らで政務を手伝っていたと聞いていたが、ここでの仕事振りを見るとそれも頷ける気がした。王でなければ判断を下せないもの以外は滞りなく進み、おかげで王が不在の今でも、特に大きな問題も停滞も起こってはいない。

 ―――陛下は王妃様ならば間違いないとご存知の上で、代理をお任せになったのだ

 やはり自分の仕える王は、私情で国を危うくするような方ではなかったと、ロドルバンは誇らしい気持ちを新たにする。書類の束を手に退出しようとした時、目の前の扉を叩く音がした。



「王妃様、失礼致します」
 言葉と共に、お茶の用意を乗\せた盆を手押し車に乗\せて、マナが入ってきた。マナは王妃付きの女官として王宮に詰めている。ユリアがイザーク王妃としてこの国に嫁いできた当初、慣れない文化や風習にとまどう彼女をなにかと助けたのがマナだった。控えめで細やかな気遣いをするマナは、今や王妃にとってなくてはならない存在になっている。
 そして一方、ロドルバンにとっては誰よりも大切な、愛しい婚約者でもあった。円卓の上に青磁の茶器を並べるマナの姿を、無意識の内に目で追ってしまう。
 その時、ふいに王妃の涼やかな声が聞こえてきた。
「せっかくだから、ロドルバンも一緒にお茶をいかが? 少しくらいなら遅れても構わないでしょう」
 一旦は辞退しようとしたロドルバンだったが、思いもかけずマナと共に過ごせるひと時はやはり魅力的だった。勧めに従い、椅子に腰を下ろす。本来であればロドルバンの身分では、王妃と同じ卓に着くのは少しばかり畏れ多いことなのだ。しかし、そういうことに頓着しない王妃の性格に加え、かつて共に苦しい戦いに身を投じた仲間という意識もあり、こういったことは日常的に行なわれている。
 マナの淹れてくれたお茶を飲みながら、しばし三人の歓談が続く。こういう時は、主従というよりも気心の知れた友人同士のような会話が繰り広げられる。ユリアもそれを、心から楽しんでいるようだった。

「ねえ、ロドルバン」
 ユリアが、ふいにロドルバンに声をかけた。今までと声の調子が微妙に違う。王妃の瞳には、何かをねだるような色が浮かんでいた。
「明日は、シャナン様がお帰りになる日でしたわね。夕刻にはリボーにご到着の予定と伺っていますけど、お迎えに行ってはだめかしら」
 ロドルバンの顔が、瞬時に王国の忠実な臣下の顔に戻る。
「陛下がご不在の今、王妃様までが王宮を離れるのはいかがなものかと存じますが」
「…どうしても、だめ?」
 訴えるような上目づかいで王妃が見上げてくる。だがロドルバンは心を鬼にして答えた。
「できればご自重頂きたく存じます」
 その瞬間、王妃は見ている者が気の毒になるくらい悄然とうなだれた。さすがのロドルバンも、少しばかり胸が痛む。それを見ていたマナが、憤然とした表情でロドルバンに向き直った。
「ロドルバン、そんな言い方はひどいわ。王妃様は毎日、それはそれは陛下のことをご心配なさっていたのよ。陛下を思う王妃様のお気持ちも、少しは考えてあげて」
 普段はおとなしい恋人の、意外なまでに強い口調にロドルバンは内心たじたじとなる。マナは尚も言い募った。
「それに王妃様は、陛下に代わっていつも朝早くから夜遅くまで、ずっとご政務をがんばっていらしたでしょう。そのおかげで、あなたたちの仕事も滞りなく進んでいるのだもの、少しくらいお休みを差し上げてもばちはあたらないと思うわ」
 すっかり王妃びいきになってしまった恋人を、ロドルバンは少しだけ悲しい思いで見た。
「しかし、今からイザークを発っても、明日中にリボーに着くのはとても無理だぞ。下手をすると、こちらに向かう陛下と行き違いになるおそれもある」
「わたしが、ワープで王妃様をリボーまでお送り致します。それならよろしいでしょう?」
 ロドルバンの正論にも、マナは屈しなかった。そこには、共に過ごす間に培われた、王妃への篤い忠誠\心と友情が見える。
「ありがとう、マナ!」
 マナに飛びつかんばかりに喜ぶ王妃を目の当たりにしては、これ以上反対することはできそうもない。ロドルバンは覚悟を決めた。
「……いたしかたありません。では、宰相には私から何とかお願いしてみましょう。ただし、私も護衛としてお供致します。こればかりは譲るわけには参りません。よろしいですね、王妃様」
「わかりました。では、よろしくお願いしますね、ロドルバン」
 胸の前で手を組んで極上の微笑を浮かべる王妃に、なぜか一抹の不安を覚えるロドルバンだった。




 その翌日、マナの正確なワープによって、ユリア王妃とロドルバンはリボー城の転移の間に到着した。突如現れた王妃への応対に、リボーの城は一時騒然となる。それでなくても、今日はフィノーラでの会談を終えた王が滞在する予定になっていたため、城中が一種独特の空気に包まれていた。
 急遽整えられた一室で、ユリアはさっきからずっと窓の外を見つめている。そこから見えるのは、南に広がる広大な砂漠。そこに王妃が何を見つけようとしているのか、ロドルバンには痛いほどよくわかった。
 ロドルバンの目から見ても、国王夫妻は心からお互いを想い合いう、本当に仲睦まじい夫婦だった。大袈裟な言葉や態度で表すことはなかったが、その分視線で語りあうとでも言うのだろうか。公的な場を離れたところで、ただ寄り添って微笑みを交わしている二人を見かけた時などは、こちらの身の置き所に困ってしまうほどだ。
 王妃がイザークに嫁いできて以来、こんなに長く王と離れていたことはなかっただろう。それだけに、寂しさと不安が募ってしまうのも、無理はないと思われた。

「ねえ、ロドルバン」
 ふいに王妃が振り向いた。その瞳を見れば、王妃が何を言いたいのかは一目瞭然だった。
「砂漠まで陛下をお出迎えに行きたいなどとおっしゃられても、絶対に無理ですからね」
 先手を打たれた王妃は、少しだけ不服そうな表情を見せる。しかし、それで諦めはしなかった。
「さっき警備隊長から聞いたのですけど、近頃国境付近に不審な集団が出没するそうですわね」
「その通りです。だから尚更王妃様をそのような危険な場所にお連れするわけには参りません」
「でも、じきにシャナン様が国境付近をお通りになるのよ。危険があるのなら、その前に取り除かなくては大変なことになるのではありませんか?」
「それは王妃様がご心配なさることではありません。不審者の捜索は、国境警備兵によって現在も続けられております。それに、陛下は近衛の部隊に警護されていらっしゃるのです。みな、イザークの誇る第一級のソードマスターたちです。どうか安心して、ここで陛下のご到着をお待ち下さい」
 しかし、それでも王妃は引き下がらなかった。
「国王が不在の間は、王妃が国を守るものでしょう。ですから、わたしも捜索のお手伝いをすべきではないかしら」

 ―――王妃様が国を守るというのは、そういう意味ではありません

 たしなめようとしたロドルバンの口が、途中で止まる。自分を見つめる王妃の、まるで訴えるような真剣な瞳。要するに理由など、どうでもいいのだ。ただ王妃は、少しでも早く王に会いたいだけなのだ。その気持ちを思うと、ロドルバンもそれ以上強く言うのがためらわれた。
 そもそも王妃は、普段は決して我を押し通すことはない。臣下の忠告を真摯に受け止め、国のために少しでも良い王妃であろうと常に努めている。
「ロドルバン……、せめて、国境の砦まで…」
 ほとんど泣きそうな表情になった王妃に、とうとうロドルバンも根負けした。
「わかりました」
 ロドルバンがため息をつくと同時に、王妃の表情がぱっと明るくなる。
「馬車で砦までお送り致します。そこで陛下をお待ちしましょう。警護のための小隊を貸してくれるよう、城主に頼んで参ります」
「あら、大丈夫よ。いざとなったら、これがありますもの」
 そう言って王妃が取り出したものを見た時、ロドルバンは驚愕の余り顎が外れそうになった。
「こ、これは! ナーガの魔道書ではありませんか! どうしてそんなものがここに!?」
 彼が驚くのも無理はない。本来それは、この場所に存在するはずのないものであった。
 現在この世で、ナーガの魔道書を使えるのはユリア王妃しかいない。しかし同時に、ナーガはグランベル王国バーハラ王家の象徴でもある。そのため、王妃がイザークに嫁ぐことになった時、それを保有する権利も手放したのだ。保持者のいなくなった魔道書は、バーハラの王宮の奥深くに保管されているはずだった。もしそれを無断で持ち出したのだとしたら、グランベルとイザークの間に再び争乱の嵐が吹き荒れかねない。
 またあの悪夢が繰り返されるのか――。そんな恐ろしい想像に捉われ恐慌状態に陥りかけたロドルバンに向かって、王妃は無邪気に微笑んだ。
「この間、シャナン様と一緒にバーハラを訪れたでしょう。その時に、セリス兄さまが預けて下さったの。次の継承者が現れるまで、ユリアが持っていていいよとおっしゃって」

 ―――甘い! セリス様は妹君に甘すぎるっ!

 安堵の気持ちよりも先に、八つ当たりにも近い怒りが込み上げてきた。
 聖戦と呼ばれたかつての戦いを終結させたとも言える一冊の魔道書。そのすさまじいまでの威力は、遠巻きに見守るしか出来なかったロドルバンでさえも、いやと言うほど思い知っている。暗黒\神の消えた世界で普通に所持するのは、むしろ危険のほうが大きいのではないかとロドルバンは思っていた。
 黙り込んでしまったロドルバンを、きょとんとした表情で王妃が見上げる。結局ロドルバンは、懇々と王妃を諭すはめになった。
「よろしいですか。決して無闇にナーガを使わないで下さいね。王妃様の魔力では、下手をすると国土を破壊してしまう恐れがあります。護身のためなら、ライトニングで充分なのですから。それから申し上げるまでもありませんが、その魔道書は国の…いえ、世界の宝です。肌身離さず所持されて、万が一にも紛失なさったりすることのないよう、くれぐれもお気をつけ下さい。ご理解いただけましたね?」
「はい」
 素直にユリアは頷いた。とりあえず今は、少しでも王の近くに行けることのほうが嬉しいのだろう。ロドルバンは心の中でこっそりとため息をつく。
「それはともかく、護衛はやはり必要です。随行をお許しにならないのであれば、砦に向かうことを認めるわけには参りません」
「わかりました、ロドルバンに任せます」
 心なしかうきうきとした表情で答える王妃を前に、ロドルバンは再び深いため息をついた。


王妃様と私


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-2-



 ロドルバンの不安をよそに、特にこれといった出来事もなく、王妃の一行は国境の砦に近づきつつあった。すでに城壁が遠目に見える場所まで来ている。ロドルバンが少し安堵の思いを抱いた時、変事は突然訪れた。

「おい! どうした!」
「しっかりしろ!」
 列の前方から声が上がり、整然と進んでいた隊列は突如足並みを乱した。騒ぎのほうに目をやると、何人かの兵が落馬したり、馬の背にうつ伏せに倒れ込んだりしている。しかも、瞬く間にその数は増えていく。
 神経を研ぎ澄ませて周囲の気配をうかがうロドルバンの耳に、かすかな…そして忌まわしい記憶を呼び起こす振動音が聞こえてきた。



 ―――スリープの魔法か!

 背中から冷水を浴びせられたような気がした。魔法防御の低いイザークの剣士にとっては、最も恐ろしい魔法の一つでもある。そして、その戦法を得意とする集団をロドルバンは知っていた。

「全く、イザークの蛮族どもは、面白いように眠りの魔法にかかりおるわ」
 どこからともなく聞こえてきた、あざ笑うかのような低い声。蜃気楼のように徐々にその姿を現した黒\いローブの影、そして影。ロプト教徒の証でもある特徴的な暗黒\の僧服を纏った影が、いつの間にか周囲を取り囲むように立っていた。
 現在ではロプト教徒への迫害は厳しく禁じられているため、市井に混じって暮らす彼らの姿を見ることも稀にある。しかし、未だ地下に潜って現政権の転覆を目論む集団が数多く存在するのも事実だった。そして、今目の前にいるのがその一派であろうことは容易に想像がつく。

 ―――うかつだった。せめて僧侶の一人も連れてくるのだった…

 次々に倒れていく護衛兵を見ながら、ロドルバンは歯噛みする思いだった。不審な集団の情報を聞いてはいたが、旅の商隊を狙う野盗の類だろうと、それほど重要視してはいなかったのだ。
 護衛部隊は剣士と弓兵のみで構成されている。そのうちの弓兵を眠らされてしまっては、こちらの不利は免れない。ロドルバンは、隊の先頭にいた兵士に向かって大声をあげた。
「全速力で砦に走れ! 援軍を呼んで来るんだ!」
「はっ!」
 砦に向かって馬を走らせ始めた兵に向かって、暗黒\司祭の一人が杖を掲げる。すかさずロドルバンは駆け寄って、その男を斬り伏せた。そうしているうちに、馬はどうにか杖の効力が届かないところまで逃げ切ったらしい。その後ろ姿を、ロドルバンは祈るような思いで見た。
 だが、決して安心できる状況ではなかった。遠巻きに囲んだ黒\衣の司祭達はじりじりと包囲網を狭めてくる。身動きできる状態の兵は、もういくらも残っていない。
 その時――。


「何かあったのですか、ロドルバン」
 外の騒ぎに気づいたのだろう。馬車の扉を開けて、王妃が顔をのぞかせた。
「王妃様、お出にならないで下さい!」
 制止の声も間に合わず、馬車から降り立ったユリア王妃は完全にその姿を襲撃者たちの前に現した。その瞬間、何とも言えぬざわめきが周囲を走った。

「その銀の髪…! やはり王妃の一行だったか」
「間違いない。イザーク広しと言えど、あのような髪の娘は他におらぬ」
「これは運\が良い。わざわざ向こうから出向いて来てくれるとは」
 司祭たちの口から、次々と歓喜の声が上がる。
「ユリウス殿下が身罷られた今、暗黒\神の血を受け継ぐのはバーハラにいる小僧と、この娘のみ」
「身柄さえ確保しておけば、いつか必ずその血筋からロプトウス様が復活される」
 馬車の近くにいた数人が、わらわらと王妃に向かって集まり始めた。

「何をおっしゃっているのですか? あなたちは、いったい…」
 状況が把握できていない王妃に向かって、ロドルバンは必死で声を張り上げる。
「王妃様、お気をつけ下さい! この者たちは、王妃様を誘拐するつもりです」
「何ですって!」
 王妃の顔が恐怖に…そして次の瞬間には怒りに染まった。
「冗談ではありませんわ。わたしはこれから、長旅でお疲れになって帰っていらっしゃるシャナン様を、お迎えしなければならないのです。そのようなことに付き合っている暇などありません」
 微妙に論点がずれている気がしたが、そんなことに構っている場合ではない。ロドルバンは無我夢中で駆けた。しかし、王妃への距離は司祭たちの方が遥かに近かった。

「きゃあ、来ないでっ!」
 司祭に腕をつかまれそうになった王妃は、とっさに馬車の中から何かを取り出した。それを見て、ロドルバンは唖然とする。王妃が取り出したのは、いつも傍らに置いている愛用の杖だった。周囲の司祭たちを追い払うかのように、王妃は杖を振り回し始めた。

 ―――ど、どうして魔道書で応戦しないんだ

 走りながら、ロドルバンの頭の中にそんな疑問が浮かぶ。だが、杖の攻撃は意外にも効果をあげているようだった。一見、滅茶苦茶に振り回しているように見えるが、鋭く振り下ろされた杖の先は、ことごとく司祭たちの身体にヒットしている。
「お、老い先短い善良な老人に何をするっ! このばち当たりな娘が!」
 余りの高打率に、老境にさしかかった司祭は悲鳴を上げる。その憐れな様に、ロドルバンは一瞬だけ同情の念を抱いてしまう。だが、そんな場合ではないとすぐに我に返った。

「何やってるんですか、王妃様っ! 魔道書使って下さい! 魔道書っっ!!!」
 焦る余り、言葉遣いもつい乱暴になってしまう。
「あ、そうでしたわね」
 王妃は思い出したように、懐から黄金に輝く魔道書を取り出した。それを目にした司祭たちの顔に、恐怖と憎悪の色が浮かぶ。暗黒\司祭にとって、光の魔道書は天敵のようなものだった。あわてて取り上げようとする司祭の一人を、王妃は振り向きざま杖で殴りつけ、次の瞬間には高々と掲げた黄金色の魔道書を手に呪文の詠唱を始めた。

 ―――あ、あれは、ナーガ!!!

 ロドルバンのこめかみを冷や汗が伝う。

 ―――ライトニングで充分だって言ったじゃないかぁぁ……

 声にならないロドルバンの叫びをよそに、突如、黄金の巨大な竜の幻影が空に浮かぶ。目も眩むような光が一瞬にしてあたりを覆い、そして気づいた時には、周囲には静寂が満ちていた。

 ロドルバンが目を開いた時、そこに立っていたのは、彼自身と王妃の他にはわずかの護衛兵のみ。黒\衣の司祭たちは全て乾いた土の上に倒れ伏していた。光の魔道書は、術者に敵意を持つ者のみを正確に撃ち抜いたらしい。
 それでも、王妃としては相当に手加減をしたのだろう。地に伏した司祭たちは、とてつもなく恐ろしいものを見たように驚愕に顔が引きつってはいたが、とりあえず全員まだ息があった。
 それを見てロドルバンは改めて思う。単に戦闘能力のことだけを考えれば、この王妃に護衛などいらないのだ。力づくで王妃を攫うことなど不可能に近いだろう。しかし、根が素直な上に、妙なところで世間知らずなところのある王妃は、上手いこと言いくるめられたら、のこのこと相手に付いて行ってしまう危険性が多分にある。だからやはり護衛(というよりお守だろうか)は必要なのだが。
 そんな埒もないことを考えていると、おずおずと王妃が近づいてきた。
「ごめんなさい。イザークに来てから魔道書を使う機会なんてなかったから、つい間違えてしまいました」
 申し訳なさそうな顔で謝る王妃に、ロドルバンは思いっきり脱力した。



 その後、スリープの魔法をかけられた者に王妃がレストを使い、目覚めた兵たちは次々と襲撃者を捕縛していった。警戒を怠ることなく指揮を執っていたロドルバンは、砦の方角からこちらに近づいてくる砂煙に気づいた。どうやら援軍が向かって来ているらしい。少しだけ肩の力が抜ける。
 やがて騎馬の集団の中から、先頭を走っていた一騎が飛び出した。
「ユリア! 無事か!?」
 それは国王シャナンの姿だった。シャナンは馬から飛び降りると、真っ直ぐ王妃に向かって駆けて行く。
「シャナン様!」
 それを目にした王妃は一瞬棒立ちになると、取り落とした杖を拾うのも忘れて走り出した。頬を薔薇色に輝かせて愛する人に走り寄る姿は、さっきまで無慈悲に老人を打ち据えていた人物とはとても思えない変貌ぶりだった。腕の中に駆け込んできた王妃を、シャナンはしっかりと受け止める。そして改めて少し身体を離し、確認するかのように全身に視線を走らせた。
「知らせを受けて、急いで駆けつけてきた。大丈夫か? どこも怪我はないか?」
「はい、ロドルバンが守ってくれましたから。…でも」
 そして言葉を詰まらせる。潤んだ瞳が見上げているだろうことは、遠目にも予想がついた。
「シャナン様、わたし……とっても、とっても怖かった…」

 ―――嘘をつけ~~

 思わずロドルバンは、心の中で叫んだ。
 さっき、あんなに元気いっぱいに杖を振り回していたのは、いったいどこの誰だ! 思わず喉まで出かかった言葉を、すんでのところで呑み下す。
 だが国王は、愛しくてたまらないとでもいうように、まるでとろけるような表情を浮かべ、両手で王妃の頬を優しく包み込んだ。
「これに懲りたら、もう勝手に出かけたりするんじゃないぞ。いいな? ユリア」
「はい。でも、シャナン様もあまりわたしを一人にしないで下さいね」
「そうだな。気をつけよう」
 そして、愛する妻のほっそりとした身体を抱きしめる。もはや二人の視界には、周囲に立ち尽くす兵たちの姿は欠片も入っていない。

 ―――騙されている…。陛下、あなたは騙されていますっ!

 だが、ロドルバンの心の叫びは、誰にも聞こえることなく砂漠の風に消えていった。


 やがて、国王夫妻を交えた一行は、予定通りその日のうちにリボー城に入った。念願の王との再会を果たした王妃は、その後も夫の側を離れようとはせず、晩餐も早々に済ませた二人は用意された部屋へと退出している。めったにない賓客を迎えた城主は少しばかり残念そうな表情を見せたが、自分の領内で起きた今回の事件の後始末に忙殺されていたため、結果的にはそれでよかったのかもしれない。

 ロドルバンは、捕らえた者たちの処分について相談するため、国王の私室を訪れた。部屋でくつろいでいるであろう国王夫妻には申し訳なく思ったが、城主からの依頼を受けたため、とりあえず打診\だけしてみるつもりだった。
「陛下。失礼してもよろしいでしょうか」
「ロドルバンか、入れ」
 声に促され中に入ったロドルバンの目に、最初に飛び込んできたのは、子供のような王妃の寝顔だった。ゆったりとした長椅子に腰を下ろしたシャナン王と、その膝を枕にするように頬を寄せて目を閉じているユリア王妃。ロドルバンは用件を述べるのも忘れ、しばしその寝顔に見入ってしまった。
「さっきまで話し込んでいたのだが、眠ってしまった。疲れていたのだろうな」
 ロドルバンの視線に気づいたのだろう。国王がそんなふうに説明する。
「よくユリアを守ってくれたな、ロドルバン。礼を言う」
「いえ、そのような…」
 実際、守ったと言えるほどの働きをしたかどうか疑問なロドルバンは、少々気まずい思いで立っていた。しかし、当のユリア王妃がそういうことにしておきたいのだから、やはり本当のことを話すのはまずいだろう。そう思い、それ以上は口にしなかった。

 シャナンは、膝の上で眠っている王妃の顔に、再び視線を落とした。
「それにしても、こんなところまで迎えに来るとは、まったく無茶をする」
 そして、その銀の髪にそっと手を滑らせた。
「だから……目が離せない」
 王妃を見つめる王の視線はあまりに優しげで、ロドルバンは少し胸をつかれる思いがした。さきほどの、まさに無敵の王妃を知っているロドルバンから見ても、邪気のないその寝顔はまさに天使というに相応しく、目にしているだけで思わず笑みがこぼれそうになる。
「ああ、すまない。で、用件は何だ」
 気づいたようにシャナンが顔を上げた。
「あ、いえ、緊急の用事ではございませんので、やはり明日にでも出直してまいります」
「よいのか?」
「はい。陛下は王妃様をゆっくりと休ませてあげて下さい」
 目許を和ませた王を背中に、ロドルバンは部屋を退出した。扉に向かって再度一礼すると、踵を返す。

 廊下を歩きながら、ふいに何の脈絡もなく、ある光景がロドルバンの脳裏に浮かんできた。
 それは王妃がイザークに嫁いでしばらくした頃のこと。報告のため王の私室を訪れたロドルバンは、開いた扉の中に、王に向かって杖を振り上げる王妃の姿を見てしまったことがある。なぜか王も王妃も笑顔であったため、騒ぎにもならずそのままになってしまったが、ロドルバンにとってそれは非常に衝撃的な出来事だった。
 もしや王妃は、大国グランベルの王妹であることを嵩にきて、影では夫をないがしろにする裏表のある性格なのではないだろうか――。そんな疑問がわきおこり、僭越かつ無礼であることは重々承知の上で王に問いかけたことがある。しかし、それを聞いた王は、なぜか楽しそうに笑っていた。

 ―――あのことなら気にするな。たわいもない夫婦喧嘩だ

 そう言って、ロドルバンの疑惑を歯牙にもかけなかった。あの時の、何もかもを承知しているような王の笑顔が、今更ながらに思い起こされる。

 ―――そうだ。陛下は全てご存知なのだった

 ユリア王妃が、見かけどおりのただ大人しいだけの少女ではないことも、時にはこちらの想像を遥かに越えた行動力を見せることも、陛下は全てご承知の上でそんな王妃様を愛しておいでなのだ――。

 ロドルバンの脳裏を、この上なく優しいまなざしで王妃を見つめていた、さきほどの王の視線がよぎる。
 陛下にあんな表情をさせることができるのは、あの方しかいない。それだけでも、王妃様はイザークにとって欠くことのできない大切なお方なのだ。
 改めてそんな思いを強くする。

 ふいに、イザーク城で自分たちの帰りを待っている黒\髪の少女の顔が浮かんできた。マナも普段はとても控えめな性格だったが、いざという時の芯の強さには、しばしば驚かされることがある。
 まだ丸一日も離れていないのに、なぜだか急に懐かしく思えてきた。
 早くマナに会いたい――。そんなことを思いながら、ロドルバンは足早に自室へと向かっていった。



-END-



[123 楼] | Posted:2004-05-22 17:27| 顶端
雪之丞

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青の風景


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 野営地の一角に設けられた訓練場に、刃のぶつかる激しい音が響いていた。目の前で繰り広げられている斧戦士たちの訓練風景は、ヨハルヴァの部隊に配属になってからラクチェにとっては見慣れたものとなっている。それでもこうして間近に見ていると、その凄まじい迫力に圧倒されてしまう。

 剣は斧に強いとよく言われているが、所詮は俗説にすぎないのかもしれないと、この訓練風景を見ているとそう思う。斧はその重量と特殊な形状から、命中率が低く扱いにくい武器とされている。しかし、その破壊力は剣や槍の比ではなく、使いこなすことさえできれば最強の武器ともなり得るのだった。その扱いづらい斧を身体の一部のように自在に操る男たちが、今ラクチェの目の前にいる。



「ラクチェ」
 声のしたほうを振り返ると、見慣れた顔が笑っていた。この部隊の指揮官でもあるヨハルヴァが、肩に乗\せた斧を軽く持ち上げてみせる。
「よかったら、やるか?」
「望むところよ」
 ラクチェは訓練用の剣を手に、ヨハルヴァの正面に立つ。次の瞬間、うなりをあげて向かってきた斧を、背後に飛び退って避けた。
 渾身の力を持って振り下ろされる斧をまともに受け止めていたのでは、腕を傷めるか、剣が折れるか、ラクチェ自身が弾き飛ばされるか、いずれにせよ致命的なことになるのは目に見えている。斧の攻撃は徹底的に避け、どうしても受け止めなければならない時は、刃を滑らせて受け流す。そして、大振りをした相手が体勢を整える前に、懐に飛び込み切り崩す。それが基本的な戦法のはずだったが、ヨハルヴァにはなかなかそれが通用しない。
 ヨハルヴァは、まるで腕の一部のように軽々と斧を操った。数ある斧使いの中でも、その技と力は突出している。彼が体勢を崩すのを待っていたら、いつまでたっても切り込めはしない。そうして体力勝負になってしまえば、逆にラクチェが不利になる。
 無理を承知で踏み込もうとしたラクチェは、その瞬間、ほとんど本能ともいえる勘で後ろに下がった。一瞬前に頭があった場所を、軌跡を描いて刃がかすめる。風圧で切れた数本の髪が宙に舞う。ラクチェの背中を冷たい汗が流れた。
 しかし、一方のヨハルヴァも決して余裕があるわけではなかった。これまでの攻撃は全て見切られ、未だ一撃も入ってはいない。
 もはや訓練を越えた、真剣勝負の域に入っていた。卓越した技量とすさまじいまでの気迫のぶつかり合いに、周囲の者たちは手を止めて、その光景に見入っている。
 すでに数え切れないくらいの打ち合いの後、ようやくラクチェの剣先がヨハルヴァの喉元に突きつけられる。しかし、ヨハルヴァの斧の刃は、ラクチェの首の真横で静止していた。完全なる相打ちだった。



「引き分けだな」
 確認するようなヨハルヴァの声を合図に、お互いに武器を収める。そのとたん、周囲の見物人からもほっとしたようなざわめきの声が聞こえてきた。

「あいかわらず、すげぇ試合だな」
 見物していた兵の一人が、汗を拭うための布をヨハルヴァに向かって放り投げる。隊の副官でもあり、ヨハルヴァの乳兄弟でもある、ルドルフという名の青年だった。彼は、上官であり主君でもあるドズルの公子に対等の口をきく。ヨハルヴァ自身がそれを当たり前のように受け入れているため、他の部下たちも黙認している状態だった。
「しかし、自分の女を相手によくそこまで本気を出せるよな」
「本気でやらなきゃ、訓練の意味ねえだろ」
「そりゃまあ、そうだが…」
 ルドルフの言葉は、そこで突然遮られた。
「そこのおまえ!」
 鋭い声と共に、剣の切っ先が目の前に突きつけられたのだ。陽を弾いて煌めく白刃を、ルドルフはぎょっとしたような表情で見る。その先には、一振りの剣のような清冽な印象の女性が立っていた。
「今の暴言、聞き捨てならん。よりによって、ラクチェ様をヨハルヴァ殿の女呼ばわりするとは…。ラクチェ様は、未来のイザーク王妃となられるお方。今すぐ取り消して謝罪してもらおうか」
 凛とした声と表情でそう告げたのは、ラクチェの配下にある女剣士ラドネイだった。彼女は、主筋にあたるラクチェがヨハルヴァの部隊に配属になると知った時、自ら志願してここにきたのだった。
 妥協を許しそうもないラドネイの真剣なまなざしに、ルドルフは無意識の内に二、三歩後ずさる。
「おいおい、そんなの言葉のあやじゃないか。そうむきになるなよ」
「ふざけるな。もしそのような噂でも広がったら、ラクチェ様の名誉に傷がつく」
「そんなに怒るなって。せっかくの美人がもったいない。たまには笑った顔も見せてほしいもんだぜ」
 瞬間、ラドネイの顔が怒りに染まる。
「貴様! わたしを愚弄するつもりか!」
「褒めてるのに、なんで怒るんだよ!」
 かみ合わない怒鳴り合いが続いていく。生真面目なラドネイの目には、砕けた口調のルドルフは浮ついたいい加減な男と映るらしく、ささいなことをきっかけに、すぐに口論に発展してしまう。しかし、ここではすでに見慣れた日常の風景となってしまっているため、本気で止めに入ろうとする者もいなかった。
 すぐ側で見ていたラクチェとヨハルヴァも、少々呆れたように顔を見合わせる。
 ―――あっちに行こうぜ
 ヨハルヴァが目配せすると、苦笑しながらラクチェは頷いた。




 少し離れた草地の上にヨハルヴァは座り込んだ。ラクチェも並んで腰を下ろす。草の上を風がさわさわと撫でて通り過ぎていく。
「なんだか、自信なくしそう…」
 膝の上に顔を乗\せて、ラクチェがため息をついた。
「どうして一度も勝てないのかしら。ティルナノグでは、シャナン王子の他には誰にも負けたことはなかったのに」
「だけど、一度も負けちゃいないだろ」
「相打ちなんて、負けも同じよ」
 勝気なラクチェの発言に、ヨハルヴァはこっそりと苦笑をもらす。彼女の負けず嫌いな性格を、ヨハルヴァはいつも好ましく思っていた。
 笑われたことに気づいたのか、ラクチェは少々むっとした表情で顔を上げた。だが、自分を見つめるヨハルヴァの瞳を見ていると、なんだかそんなことはどうでもいいような気がしてきた。

 訓練で何度も刃を交えていると、少しずつ相手の心がわかってくるような気がする。ドズルの兵の中に混じって、共に過ごすようになって、初めてわかったことは数多い。武を尊ぶドズルの気質は、イザークの民とも通じるものがあった。
 また、ひと口にドズル兵といっても、その生い立ちはさまざまだ。
 以前ラクチェは、ヨハルヴァ配下の少年兵に稽古をつけたことがある。彼は、イザークで生まれたと言っていた。ドズルの特徴である濃い茶色の髪を持っていたが、母親はイザークの女性だったらしい。幼い頃に母を亡くし、父親が彼を正式に引きとって異母兄たちと分け隔てなく育てたため、本人は自分にイザークの血が流れていることを長いこと知らなかったという。そのことを笑って語れるようになるまでに、その少年がどれほどの葛藤を繰り返したのか、ラクチェには想像するしか出来ない。
 ラクチェはその少年兵に、剣を使ってはどうかと勧めてみた。イザークの血を引いているからというわけではなく、まだ成長過程にある少年に、重量のある斧は荷が勝ちすぎているように思えたからだ。しかし彼はきっぱりとした口調で答えた。

 ―――私は、父と同じドズルの人間であることを誇りに思っています。だから、斧以外の武器を手にするつもりはありません

 同じ二つの国の血を引く身でも、ラクチェはイザークの民である自分を誇りに思い、その少年はドズルの人間であることを誇りに思っている。
 結局、何も違わないのだと思った。同じ境遇でも思うことが異なるように、違う境遇でも理解しあうことはできる。ラクチェはそう信じたいと思う。

「おい、どうかしたのか? 急に黙り込んで」
 言葉と共に、ヨハルヴァの手がぱさりとラクチェの頭の上に置かれた。大きくて暖かな手の感触が、ある記憶を呼び覚ます。
「どうした?」
 自分をじっと見つめたままのラクチェの顔を、ヨハルヴァがのぞき込む。
「うん…。父さまが、よくそうしてくれたから…」
 そう言ってから、ヨハルヴァは自分の手で父親を討ったのだということを思い出した。
「あ……ごめん」
「気にすんな」
 ヨハルヴァはわざと大袈裟に、ラクチェの髪をかき回す。
「もう、やめてよ」
 笑いながらラクチェはヨハルヴァの手を押し返した。彼のさりげない優しさが嬉しかった。

「それにしても、ラドネイもすっかりここに慣れたわよね。あの口ゲンカも、一日一回は聞かないと逆に寂しい感じ」
「ルドルフのやつが、いつも迷惑かけて悪いな。あいつも悪気があるわけじゃないんだが」
「わかってるわよ、ラドネイだって。本当に嫌っていたら、口をきいたりしないもの」
 ラドネイがヨハルヴァの部隊への転属を願い出た時、正直言ってラクチェは少々不安を感じたのだった。自分を心配してくれるラドネイの気持ちは、ラクチェにもよくわかる。しかし、ドズルの男に対して特に根強い不信感と憎悪を抱いているラドネイが、その中で上手くやっていけるのだろうか。かえって、その憎しみを増してしまうようなことにはならないかと、そう案じる気持ちが強かった。
 だが同時に、これをきっかけに彼らに対する見方を変えることが出来るのではないかという期待も、少しだけあった。可能性は低くても、それに賭けてみたいとラクチェは思った。そして今のところ、それは良いほうに目が出ているように思う。ドズルの人間を前にした時の、あの刺々しい空気と、相手を切り裂くような鋭い視線は影をひそめている。
 ラドネイの他にも、二十名ほどのイザークの兵がラクチェと共にヨハルヴァの部隊に移ってきていた。それまで敵同士であった者たちと寝起きを共にし、共通の敵を前に死線を潜ってきた彼らの間には、すでに奇妙な連帯感のようなものが生まれつつあった。
 そして、自分の中にもその変化は少しずつ訪れている。ラクチェは、自分の隣に座っている男の横顔を、ふと見上げた。地面の草をちぎっては風に飛ばしている、そんな様子を見ているだけで、わけもなく笑みが浮かんでしまう。
 そのまま見ていると、ヨハルヴァがふいにラクチェのほうを向いた。

「ところで、ラクチェ。……あれは本当なのか?」
「え? 何が?」
「…だから……。さっき、ラドネイが言ってただろ? …その……おまえが、未来のイザーク王妃……って」
「ああ、そのこと」
 彼が何を言いたいのか理解して、くすりと笑う。
「どういうわけか、イザークの人たちはそう思ってるみたいね。わたしが、シャナン様に一番近い血縁の女だからかしら。でも、そういうことにはならないわよ」
「じゃあ、別にあいつと言い交わしてるわけじゃないのか?」
「うん。だって、シャナン様はわたしにとって、一番の目標とする剣の師匠だもの。シャナン様にとっても、わたしは妹以上の存在ではないはずだわ」
「そうか…」
 うって変わって明るい表情になったヨハルヴァに、思わずラクチェは小さく笑う。
「なんだか、ヨハルヴァ、嬉しそう」
「ああ、嬉しいよ、悪いか」
 開き直ったようにヨハルヴァも笑う。彼はこれまで、ずっと自分の想いを真っ直ぐにラクチェに伝え続けてきた。そんなヨハルヴァに、ラクチェはまだはっきりとした答を返してはいない。しかし、こうして彼の隣にいることが、自分に不思議な安心感と心地よさをもたらしていることはとっくに気づいていた。




 その時、草を踏んでこちらに近づいてくる足音に気づき、ラクチェは振り返る。少し離れたところに、彼女の双子の兄が立っていた。
「ラクチェ、ちょっといいか」
 それ以上こちらに来ようとはせず、ラクチェを呼び寄せるしぐさを見せた。
「何? スカサハもこっちにくれば?」
「いや、ちょっと…」
 スカサハの視線が、ちらりとヨハルヴァのほうに向けられる。何かを察したヨハルヴァは、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、俺は先に戻ってるぜ。たまにはゆっくり兄貴の相手をしてやれよ、ラクチェ」
 そのまま手を振って、訓練場のほうに戻っていった。少しだけ残念そうな表情を浮かべるラクチェを見て、スカサハは複雑な思いを抱く。だが何も言わず、ラクチェの隣に腰を下ろした。そして単刀直入に切り出した。

「ラクチェ。おまえ、いつまでここにいるつもりなんだ?」
「え? ここって?」
「ヨハルヴァの部隊だよ」
 思いも寄らない兄の問いかけに、ラクチェは一瞬目を見開いた。
 元々ラクチェがヨハルヴァの部隊に配属されたのは、ラクチェ自身がそれを希望したからだった。ヨハルヴァ率いるソファラの軍は、ラクチェの説得により解放軍への参加を決意した。自分が引き入れた以上、ソファラ軍については自分が責任を持つ。そう言って、ラクチェは自らヨハルヴァの部隊への転属をセリスに申し出たのだ。

「ヨハルヴァが裏切るなんて、もう考えられないだろう? だったら、おまえがここにいる必要もなくなったんじゃないのか? 俺達のところに戻って来い、ラクチェ」
 真剣なまなざしは、妹を心配する思いの強さを映し出している。しかしラクチェは、静かに首を横に振った。
「わたし、ここを離れる気はないわ」
「ラクチェ…」
「ごめんね。ソファラ軍を監視するためっていうの、あれは口実だったの」
「え?」
「わたしね、ずっと思ってた」
 スカサハから視線をはずすと、ラクチェは遠くを見るような目をした。
「ドズルの血を引くわたしたちがイザークの人たちに差別されなかったのも、解放軍が思ったほどの強い反発もなくソファラ軍を受け入れることができたのも、レックス父さまが道を作っておいてくれたからじゃないかと思うの」
「道?」
「うん。父さまは、母さまと一緒にイザークに逃れてきてから、わたしたちはもちろんのこと、イザークの人々を守るためにずっと戦い続けてきたでしょう。それこそ、自らの命をかけて。ドズルの人間の全てが、イザークを虐げていた人たちと同じじゃないってことを、父さまは身をもって示してきたのよね。それを見てきたから、イザークの人たちもわかってくれたんだと思う。だから今度は、わたしがそれを受け継ぎたいって思った」
 呆然と自分を見つめる兄に、ラクチェはかすかに微笑んだ。
「それに、ドズルの人たちにもイザークのことをもっと知ってほしい」

 イザークを支配していた帝国の兵は、その地に住まう人々を、対等な人間として見てはいなかった。奴隷か家畜のように扱い、その命も誇りも虫けらのように踏みにじった。
 それは勝者の驕りによるものだとずっと思っていたが、それだけではないことが少しずつわかってきた。大陸中央の人々は、グランベルと直接の国交がないイザークやヴェルダンを蛮族と呼び、自分達より劣った存在として位置付けている。イザークを発ち、他の国のさまざまな人々との接触が増えるにつれ、そのことを少しずつ、そして否応なく思い知らされてきた。

「戦いが終わった後、セリス様が作ろうとなさっているのは、国や出自で隔てられることのない世界でしょう。それは、わたしの望みでもあるから。だから、今の内から少しずつでも、その種を蒔いておきたいって思ったの」
「おまえ……。まだこの戦いの行く末もわからないのに、そんな先のことを考えているのか?」
 半ば呆れたようにスカサハが言う。
「だって、負けることなんて考えていないもの、わたし」
 真っ直ぐに兄を見つめる、その青い瞳に浮かぶ強い光。
「そうだな」
 少しだけ、先に進んでしまった妹を、スカサハはまぶしそうに見た。
 やがて彼は、すっきりとした表情で立ち上がった。
「わかった。おまえの思うようにやればいい。…がんばれよ」
「うん」

 去っていく兄の背中を見送りながら、ふと視線を宙に向けた。真っ先に目に飛び込んでくる空の青。その色が、故郷で待つ人の瞳をラクチェに思い起こさせた。

 ―――レックス父さま…

 胸の中で呟くと、イザークを発った朝の光景が蘇ってくる。

 ―――これから先は、おまえたちの戦いだ

 そう言って父は送り出してくれた。

 ―――この国は俺たちが守る。だから、安心して行ってこい。そして必ず帰って来い。約束だぞ。

 そして、ラクチェの頭の上にふわりと置かれた大きな手。その暖かさを、ラクチェは今も鮮明に思い出すことができる。
 父には自分たちとは一緒に行けない理由があった。父の傍らで自分を見つめていた母。彼女は、かつて生死の境を潜り抜けた戦いの際に、利き腕に深い傷を負った。以前のように剣をふるうことができなくなった母の分まで、父は母の祖国を自分の祖国から守ってきた。これまでもこれからも、父が母の側を離れることは決してない。

 ―――うん、必ず帰るから…

 ふいに湧き起こった郷愁の念を振り払うように、ラクチェは軽く頭を振る。
 見上げた空は、あの日と同じように青く澄み渡っていた。



-END-



[124 楼] | Posted:2004-05-22 17:27| 顶端
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伯母さまといっしょ

「今日の晩餐はずいぶんと豪華だね」
 食卓に腰を下ろしたフリージ公爵スカサハの、それが第一声だった。
「ごめんなさいね、スカサハ。午後の公務をお休みさせて頂いて」
 それに答えながら、ティニーは大皿に被せられていた丸い蓋を取った。湯気と共に、かぐわしい香気があたりに満ちる。いつも食事の世話をする侍女たちは下げられているらしく、スカサハの妻であり、共にフリージを治める公妃ティニーが自ら給仕を行なうらしい。
「それは構わないけど、何かあったの?」
「だって今日はスカサハの誕生日でしょう。どうしても自分でお料理を作ってお祝いさせて頂きたいって、前々から思っていたの」
「え? じゃあまさか、これ全部ティニーが作ったのかい?」
 テーブルの上に所狭しと並べられた、色とりどりの料理をスカサハは改めて見渡した。
「はい、お口に合うと良いのですけど」
 答えながらもティニーは、香草で蒸し上げた若鶏の肉を小皿に取り分ける。特製のオレンジソースをかけると何とも言えない良い香りがあたりに広がった。差し出されたそれを目にして、スカサハの顔にも思わず笑みが浮かぶ。
「おいしそうだな。じゃあ、遠慮なくいただくよ」
 これまでにもお菓子程度なら作って食べてもらったことはあるが、本格的な料理を夫に披露するのは初めてだった。腕に自信はあっても、ほんの少し緊張が走る。ティニーの脳裏に、初めて厨房に立った幼い頃の思い出が蘇ってきた。




「きゃあっ!」
 厨房の中に、少女の甲高い悲鳴が響き渡った。続いて起こる金属のぶつかるけたたましい騒音。もうもうと立ち込める白い粉塵は、大量の小麦粉をあたりにぶちまけた証拠だった。
 身体中を粉まみれにした幼い少女が、床に手をついて座り込んでいる。その傍らに、少女を見下ろすようにして、すらりとした背の高い女性が立っていた。

「おまえは本当に不器用だね」
 腕組みをした女性は、呆れたようにあたりを見渡す。その長い褐色の髪にも、白い粉が少し降りかかっていた。
「全く…。粉をふるいにかけるだけの簡単な作業で、どうやったらこんな惨状を引き起こすことが出来るんだろうねえ」
 散乱する鍋や籠\、割れた卵に欠けた皿。どこから片付けたらいいのか途方にくれるような状態が周囲に広がっている。

「いいかい、ティニー」
 腰を屈めるとその女性ヒルダは、自分の姪にあたる少女の目を真っ直ぐに見据えた。
「城で催事が行なわれる時、その采配を振るうのは女主人の仕事なんだよ。行なわれる催しの内容や招待客や時節によって、その時その場に最も相応しいもてなしが要求される。それに失敗すれば、たちどころに社交界の笑いものになるんだ。どのような晩餐を用意するか、厨房に指示を出すのも当然女主人の役目。ところがこの料理人たちがまた曲者が多くてね。みんな自分の腕には誇りを持っているから、生半可な指示なんか出したらすぐになめられて好き勝手にされてしまうのさ。書物で得ただけの知識なんか、簡単に看破されてしまう。実戦を通してしっかりと身に付いた経験だけが、彼らを従わせることができるんだ。人生は何事も戦いなんだよ。よく覚えておおき」
「は、はい…」
 幼いティニーには、ヒルダの言っていることの半分も理解できなかったが、とにかく自分が不器用なことと、伯母の期待に応えられなかったことだけはよくわかった。それがとても悲しかった。
 俯いてしまったティニーの頭上で、かすかなため息が聞こえた。

「おまえを見ていると、ティルテュを思い出すよ」
「お母さまを?」
「あの子も本当に不器用で、まともに作れるのは一番簡単な焼き菓子だけだった」
 母の名を聞くなり顔を上げたティニーを見て、ヒルダは唇の端に苦笑を浮かべる。
「だけどティルテュは、おまえと違って気が強くて負けず嫌いでね。ちょっとからかうと、すぐにむきになってかかって来たよ。いつも最後は、魔道書を持ち出しての大騒ぎになったものさ。あの頃は楽しかったね」

 ヒルダの声と瞳には、なぜか懐かしそうな色が浮かんでいる。それがティニーには少し意外だった。
 反逆者の一味という烙印を押された義理の妹を邪魔に思ったヒルダは彼女を苛め抜き、その心労がたたってティルテュ公女は早死にしたのだと、そんなふうに侍女たちがよく噂していたのを耳にしていたから。だが、今目の前にいる伯母の表情からは、ティニーの母に対する憎しみや嫌悪は感じられない。
 やがて回想から我に返ったヒルダは、ティニーに視線を向けた。

「でもまあ、おまえはとりあえず、素直に人の話を聞く耳と前向きな姿勢だけは持っている。それがあれば、なんとかなるだろう」
「は、はい、伯母さま。わたし、がんばります」
 失敗を繰り返しても、見捨てられないことが嬉しかった。母のいない今、たとえ叱られても厳しくされても、ティニーにとってこの伯母が最も近くに感じられる存在だったのだ。


 ティニーが13歳になってしばらくした頃、彼女が初めて社交界に顔見せする日がやってきた。フリージ家の公女として、正式に舞踏会に出席することになる。失敗は許されなかった。
 その日、湯浴みを済ませた後、長い時間をかけてティニーは侍女たちの手によって飾り立てられていった。
「よくお似合いですわ、ティニー様」
 侍女たちが、なまじお世辞ばかりとも思えない感嘆の声を上げる。大きな姿見の中には、白いドレスに身を包んだ雪の精のように可憐な少女の姿があった。
 後見人として付いてきてくれる伯母と向かい合わせに座った馬車の中。緊張のあまり、ティニーは終始無言だった。この日のために練習を繰り返してきた挨拶の口上を、何度も頭の中で反芻する。それでも不安は増すばかりだった。
 馬車を降りる直前、緊張に震えるティニーの手の上に、ふいに伯母の手が重ねられた。思わず顔を上げたティニーの目を、炎を思わせるヒルダの真紅の瞳が捉える。
「よくお聞き、ティニー」
「はい、伯母さま」
「おまえは人目を引くような際立った美貌があるわけじゃないし、周囲を感心させられるような話術の才覚があるわけでもない。取り柄と言えるのは、初々しさと清楚さだけ。だけどそれは、使いようによっては最大の武器にもなるからね。それをよく心得て、しっかりと戦っておいで」
「……はい」

 力強い言葉に背中を押されるように、ティニーは広間に足を踏み入れた。ヒルダによって一通りの紹介を済ませた後、ティニーはたった一人で見も知らぬ人々の中に投げ出された。
 だが、振り返るといつも同じ場所で伯母が見守っていてくれる。それがティニーに深い安心感を与えた。申し込まれるまま、何人かの貴公子と円舞曲を踊り、年長の貴婦人達への挨拶もどうにか無難にこなすことができた。ほっとすると同時に、ほんの少しだけ自信のようなものが胸の内側に芽生えてくる。こんな気持ちは初めてだった。
 一旦、伯母のところに戻ろうと思った時、ティニーはふいに違和感に気づいた。何気なく手をやった耳元に、あるはずの耳飾りがなかったのだ。ティニーの瞳の色に合わせた、淡い紫色の石でできた耳飾り。それは、この日のためにわざわざ伯母が取り寄せてくれた、大切な品だった。
 思わず周囲の床を見渡すが、それらしいものは見あたらない。この人ごみの中、どこかで落としてしまったのだと自覚するのに、そう時間はかからなかった。耳に穴をあけるピアスは怖くて、螺子で留める形式の耳飾りをしていたことが災いしたらしい。そういえば、一度風に当たるために庭に出たことがあった。その際に落としたのかもしれない。そう考えて、ティニーは慌てて中庭に走る。周囲に人がいないのを確かめて、芝生の上に這いつくばるようにして必死であたりを探した。

 ――― どうしよう…。どうしよう……。

 どんなに目を凝らして探しても、小さな耳飾りは見つからない。灯りを抑えてある庭は、元々探し物をするには不向きな場所だった。ティニーの視界が涙で滲む。一度零れた涙は、まるで堰をきったように後から後から溢れては、彼女の頬を濡らしていった。

「こんなところで何をやってるんだい、ティニー」
 ふいに聞こえてきた声に、ティニーは弾かれるように顔を上げた。
「せっかくのドレスが汚れるじゃないか。何か探し物でもしているのかい?」
「お、伯母さま……」
 見上げた先には、伯母のヒルダが立っていた。ティニーは打ちひしがれた表情のまま、ふらりと立ち上がる。
「ごめんなさい、わ、わたし…、大切な耳飾りを……なくしてしまって…」
 どんなに叱られるだろう。今までどんな失敗をした時も見捨てないでいてくれた伯母でも、さすがにもう愛想をつかしてしまうかもしれない。そんな絶望感に、ティニーは身を縮こまらせた。だが彼女の頭上に降ってきたのは、叱咤でも怒声でもなく、少々呆れたような声だった。
「全くしょうがない子だね。落ち着きがないからそういうことになるんだ。だけどそれくらいで泣くんじゃないよ。ほら、あたしのを貸してあげるから、これで我慢おし」
 ティニーは高価な耳飾りをなくしたことを叱られると思って泣いていたのだが、ヒルダはどうやら自分の身を飾るものがなくなってしまったことが悲しくて彼女が泣いていると思ったらしい。
 ヒルダは自分の耳飾りをはずすと、自らの手でティニーの耳に付けてくれた。そして手鏡をかざし、彼女にも見えるように向けてくれる。大粒の紅玉石は、ティニーには少し派手な印象を受けたが、ヒルダは満足そうに微笑んだ。

「なかなか似合うじゃないか。馬子にも衣装だね」
「で、でも、これをわたしが借りてしまったら、伯母さまは…」
「馬鹿だね。あたしは装飾品なんかなくたって、自分の身ひとつで充分なんだよ」
 自信に満ちたヒルダの微笑を見て、まさしくその通りに違いないとティニーは思う。高価な黄金の髪留めも、胸元を飾るひときわ大きな紅玉石も、彼女自身の輝きの前には単なる引き立て役にすぎない。
「さあ、それでこれぞと思う男を篭\絡しておいで。おまえみたいな何の取り柄もない娘には、家柄と財産のある男を捕まえるしか生きる道はないんだから。ここはおまえの戦場なんだよ。負け戦はあたしが許さないからね」
「は、はい。あの…ありがとうございます、伯母さま」
 その場の返答としてはいささか不適切だとは思ったが、それがその時のティニーの素直な気持ちだった。
「別におまえのためじゃないさ。全てはフリージ家のためなんだからね、それを忘れるんじゃないよ」

 ―――フリージ家のためなんだからね

 何か優しい言葉をかけたり、親切にしてくれた後には、ヒルダは必ずそう言った。少し視線を逸らし、わざと厳しい表情を作りながら、まるで……そう、まるで言い訳でもするように――。




 ――― ……ニー、…ティニー

 何度目かの呼びかけに、ティニーははっと我に返った。目の前では、心配そうな表情を浮かべた夫が自分を見つめている。
「どうかしたのかい? 急に黙り込んで」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてしまって」
 慌てて微笑みを返すと、今度は少しばかり不安そうな表情でティニーは問い掛けた。
「いかがですか、スカサハ。お口に合ったかしら?」
「もちろんだよ、とてもおいしいよ。…というより、正直言って驚いているんだ。君がこんなに料理が上手だったなんて、今まで知らなかった」
「まあ、嬉しい…。ありがとうございます」
 率直な夫の賛辞に、ティニーは思わず頬を染める。結婚して一年近く経っても相変わらず初々しい仕草を見せる妻に、スカサハの口許にも笑みが浮かんだ。
「それにしても、いつの間にこういうことを覚えたんだい? 解放軍にいた時…じゃないだろう」
「ええ。アルスターにいた頃に、伯母さまによく教えていただいたの」

 彼女の言う『伯母』というのが、かつての戦いで対峙したこともある、クロノスの魔女とも呼ばれていた女王ヒルダのことであることは、スカサハも知っていた。一瞬だけ目を見開いた彼は、しかし次の瞬間には優しい笑みをそのまなざしに乗\せていた。

「そうか。良い伯母さんだったんだね」
「はい…」

 料理を覚えることは、厨房の支配権を制する戦いの一環でもあると伯母は言っていた。それが正しかったことを、フリージ公妃となった今、ティニーは実感している。だが本当は、こんなふうに愛する人との食卓を囲む楽しさを知っていたから、だから伯母はそれを自分に教えたかったのではないかと、そんな気もするのだ。

 ―――ありがとうございます、伯母さま

 心の中で、ティニーはそっと呟いた。

 ―――おまえのためじゃないさ。フリージ家のためなんだからね。

 そんな懐かしい伯母の声が聞こえたような気がした。


-END-



[125 楼] | Posted:2004-05-22 17:28| 顶端
雪之丞

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君は僕の太陽


--------------------------------------------------------------------------------

-1-




「レスター! 危ない、どいてっ!!」
 突然、頭上から声がした。
 反射的に振り仰いだ上空から、木の葉や小枝の破片と共に小柄な少女が降ってくる。とっさに受け止めようと手を広げたが間に合わず、レスターは少女もろとも仰向けに地面に倒れこんだ。
 したたかに背中を打って、一瞬息が詰まる。それでも、しっかりと護るように少女を抱きかかえた腕は、決して解かれることはなかった。



「ご、ごめんね、レスター。大丈夫?」
 心配そうな声に目を開くと、大きな空色の瞳がのぞき込んでいた。柔らかな明るい金髪に縁取られた小作りな顔は、不安そうな表情に彩られている。少し前に、ようやく想いを通じ合うことができた恋人の顔を間近に見て、思わずレスターは微笑んだ。
「ああ、大丈夫だよ。君こそ怪我はないかい? パティ」
「あたしは全然平気よ。レスターが受け止めてくれたから」
 そう言ってからパティは、自分がまだレスターの身体の上に乗\ったままだということに気づいた。
「きゃあ! ごめんなさいっ!」
 猫のように俊敏な動作であわてて飛びのいた。そのままぺたりと地面に座り込み、改めてレスターの様子を伺う。いくら小柄で軽いとはいえ、人間一人の重みを受け止めたのだ。しかも、速度をつけて木の上から落下してくるそれを、満足に受身をとる暇もなしに。そう思ったら、急に心配になってきた。
「ねえ、本当に大丈夫なの? 骨が折れたりしていない? ラナを呼んで来る?」
「大丈夫だって言っただろう。こう見えても身体は頑丈なほうだから」
「嘘、そんな風に見えないわ」
 レスターは確かに背は高かったが、どちらかというとすらりとした細身の身体で、あまり「頑丈」という印象は受けない。むしろ言葉は悪いが、優男と言ったほうが彼を表現するには近いだろう。だがパティの不安をよそに、レスターは身体を起こすと笑みを浮かべた。
「どこも何ともないから、本当に心配要らないよ。俺の父もとても丈夫な人だったらしくてね、怪我や病気とはほとんど縁がなかったそうだ。その父と俺は体質がよく似ているって、母のお墨付きだから」
「そうなの…?」
 自分を安心させるためにそんなことを言っているのではないかとレスターの顔をのぞき込んだが、その穏やかな笑顔は相変わらずだった。ようやく少しだけほっとする。



「ところで、どうしてあんなところに登っていたんだい?」
 レスターの問いに、パティは頭上を覆う緑の繁みを指差した。
「うん、椋鳥の雛がね、この木の下に落ちてたのよ。だから巣に戻してあげたんだけど、ちょうどそこに親鳥が帰ってきて、あたしは追い払われちゃったわけ」
 小さいながらも鋭い嘴を向けて滑空してくる親鳥を避けようとしてバランスを崩し、枝から足を踏み外したのだった。その下を、たまたまレスターが通りかかったらしい。
「災難だったね。せっかく助けてあげたのに」
「そうね。でも、なんだか嬉しかった。親って子供のためには、あんなに一生懸命になるものなんだなって思って」
 見上げる瞳には、ほんの少しの羨望と憧憬が混じっている。そんなパティに向けるレスターの視線はひどく優しい。彼は一足先に立ち上がると、パティに手を差し伸べた。
「立てるかい?」
「うん、ありがとう」
 レスターの手につかまりながら、パティは立ち上がろうとする。その身体が、急にぐらりと傾いた。
「あ、あれ――」
 地面に膝をついてしまったパティは、もう一度立ち上がろうと試みるがなぜか足に力が入らない。
「パティ!」
 突然レスターが大声を上げる。その視線をたどり自分の足元に目をやったパティは、思わず息を飲んだ。左足のふくらはぎが、血で真っ赤に染まっている。おそらく木から落ちる時に、枝で切り裂いたのだろう。ざっくりと開かれた傷口が目に飛び込んできたとたん、それまで意識しなかった痛みが急激に襲ってきた。すうっと血の気が引く感覚がする。そのまま崩れ落ちそうになるところを、レスターの腕に抱きとめられ、次の瞬間には身体がふわりと浮いていた。
「すぐにラナのところに連れていくから」
 パティを抱き上げたレスターは、足早に城内へと向かう。見た目からは想像できない力強い腕に、パティは不思議な安堵感を覚えていた。レスターの腕にしがみついているだけで、痛みも不安も少しだけ薄らぐような気がする。

「パティ!?」
 ふいに背後から声をかけられた。振り向くと、兄のファバルが呆れたような表情を浮かべてこちらを見ている。
「おまえ何レスターに甘えてるんだ。ちゃんと自分で歩け」
 状況がわからないファバルがそんなことを言う。反論する気力もないパティに代わって、レスターが素早く答えた。
「パティは足を怪我してるんだ、ファバル」
「何だって!」
 瞬時にファバルの表情が変化する。反対側に回ってパティの足の状態を確認した彼は、うって変わって真剣な表情を見せた。
「ラナのところに行くのか?」
「ああ、部屋にいるといいんだが」
 レスターの答を聞くなり、ファバルは先にたって走り出す。一足早くラナの部屋に着いた彼は、少し乱暴に扉を叩いた。
「ラナ! いるか!?」
 そして、返事も待たずに取っ手に手を掛け扉を押し開く。しかし、部屋の中には誰の姿も見えなかった。念のため声をかけながら一通り見て回ったが、やはりラナは不在のようだった。
「いないのか…」
 後からやってきたレスターが、中の様子を見て低い声を漏らす。
「ああ。治療室のほうかもしれない。探してくる」
「待ってくれ、ファバル。その前にとりあえず応急処置をしよう」
 走り出しかけたファバルを制すると、レスターは寝台の上にパティの身体をそっと下ろした。
「傷口を洗う水をもらってくる。ファバルは薬の入っている道具箱を探しておいてくれないか」
「わかった」
 レスターと入れ替わるようにして、ファバルはパティの足元に屈んだ。靴を脱がせて傷の様子をうかがうと、白い脛を染める血の赤が痛々しく映る。
「大丈夫か」
「うん…」
「派手にやったな。痛むか?」
「ちょっとね」
 まだ傷口から血がじわじわと滲んでくる。ファバルは、探し出した道具箱の中から白い布を取り出した。適当な大きさに裂くと、パティの左足にそっと押し当てる。
「レスターが居合わせてよかったな。だけど、あんまり迷惑かけるなよ。あいつは、おまえにはもったいないようなやつなんだから」
「……うん。ほんとにそうね」
 反発すると思っていた妹が素直に頷いて、ファバルは思わず顔を上げた。パティの声音には、なぜか寂しげな色が潜んでいる。
「あたし初めてレスターに会った時にね、なんて優しそうな人だろうって思ったの。そうしたら優しいだけじゃなくて、強くて、頭も良くて、品があって、おまけに何でもできる人だった。あたしが危ない目に遭ってるといつも助けにきてくれて、なんだかお伽話の王子様みたいだなあって思ったこともあったけど、本当に王子様だったなんてね…」
「パティ…」
 ヴェルダン王家の直系であるレスターは、いつか父親の祖国に帰り、混乱の中にある国土を立て直すという夢を抱いている。解放戦争の終結が見え始め、レスターの夢が現実のものとして受け止められるようになってくるにつれ、パティの胸の奥深くに、正体のわからない不安が忍び込むようになった。
 レスターの夢が叶い、ヴェルダンに平和が訪れた暁には、彼は王として国を治めることになるのかもしれない。もしそうなった時、彼の隣に自分の居場所はあるのだろうか…。
 黙りこんだパティの頭を、そっとファバルの手が撫でる。
「何言ってるんだ。おまえだって、世が世ならユングヴィの公女様だろ? 立派なお姫様じゃないか」
「だめよ、あたしなんか…」
 ぽつりと言ったきり、再びパティは口をつぐんだ。
 孤児院の子供たちを守るために、自分にできることは何でもやってきた。生き延びるためには盗賊\まがいのことだってしたが、それを恥じたことなどこれまで一度もなかった。なのに、今はそれが少しだけ辛い。
 もちろん、レスターは自分の過去を気にしたりはしない。それはパティもわかっている。でも、自分と一緒にいるレスターを、周囲の人はどう評価するのか。自分のせいで、レスターまでが悪く言われることはないのか。それを思うと、はたして自分はレスターの側にいてもいいのか、そんな思いが胸を過ぎるのだ。

 ―――あたし、いつの間にこんなに臆病になっちゃったんだろ…

 レスターに告白されて、やがて自分の気持ちに気づいて、互いの想いを確認しあった時は、夢のように幸せだった。彼の側を離れなければならない自分など、想像すらできなかった。なのに――。




君は僕の太陽


--------------------------------------------------------------------------------

-2-




 その時、扉が開く音がして、パティの考えは中断された。水を満たした大きな器を手にして、レスターが顔を見せる。パティの足元に器を置くと、道具箱の中から必要な用具や薬を手際よく取り出した。その様子を見て、今度はファバルが扉のほうに向かう。
「じゃあ、俺はラナを探してくる」
「ああ、頼む」
 ファバルが扉の向こうに消えた後、レスターはこれ以上ないくらい優しく丁寧な手つきでパティの傷口をそっと洗った。
「少ししみるけど、がまんして」
「うん」
 薬を塗り、清潔な布を当てて、手早く包帯を巻く。目の前で瞬く間に終わったそれらの作業を、パティは感嘆の思いで見ていた。
「………魔法みたい」
 左足を覆う包帯は傷口を圧迫することもなく、緩んで解けることもなく、完璧なまでの正確さで巻かれている。
「器用なのね、レスター」
「慣れているだけだよ。母の手伝いで、怪我人の手当ては子供の頃からよくやっていたからね」
 何でもないことのようにレスターは言う。怪我の手当てに限らず、彼は何でも器用に卒なくこなした。そのたびパティは驚かされてきた。
 だが、こんなふうにいつもいつも優しくされて甘やかされて、それが当たり前だと思うようになってしまうのがとても怖い。そうなった後で、もしもレスターを失うようなことがあったら、自分はどうなってしまうのだろう。そんなふうに思ったら、目許がじわりと熱くなって、パティはあわてて指先で涙を拭った。

「どうしたの? パティ。傷が痛むのかい?」
 用具を片付けていたレスターが驚いたように飛んできた。パティの隣に腰を下ろして、顔をのぞき込んでくる。
「ううん、そうじゃない…」
 心配そうに自分を見つめるレスターの視線を感じながら、パティは震える声で呟いた。
「怖いの…」
「え?」
「レスターが優しすぎるから、怖いの」
「パティ……?」
「あたし今まで、お兄ちゃん以外の誰かにこんなに大切にされたことなんかなかったから。それに慣れちゃったら、きっともう元になんか戻れない。もし、レスターがあたしの側からいなくなったらどうしよう、あたしのことを嫌いになったらどうしようって…。そんなことを考えると、すごく怖くなって。自分が、どんどん臆病で弱い人間になっていく気がするの」
 かすかに、レスターが息を呑む気配がした。こんな子供みたいなつまらないことを言い出した自分に、レスターは呆れただろうか。パティは思う。
 でも、もしそうだとしても、レスターは優しいからそれを顔に出したりしない。きっと、なんでもないように微笑んで慰めてくれるだろう。そう思うと、いっそう切ないような気がした。
 しかしレスターは、いつものような穏やかな笑みを見せなかった。何か思いつめたような表情のまま、じっと一点を見つめていた。

「……俺だって、怖いよ」
 そして長い沈黙の後、ぽつりとそんなことを口にする。
「レスター?」
「君は俺を好きだって言ってくれたけど、あれは間違いだった、気の迷いだったって、いつか言い出すんじゃないかと、ずっと怖かった。いや、正直に言うと、今も怖い」
「そんな、ひどい! あたしを信じてくれないの!?」
 掛け値なしの本心を彼に伝えたパティにとって、その言葉はあまりにも理不尽な言い分に思えた。しかしレスターはパティから視線を逸らしたまま、静かに言葉を続けていく。
「信じてるよ、もちろん。でも、君を手に入れることができたのは、俺にとって奇跡みたいな幸運\だと思っているから…。時々ふと不安になるんだ。もしかしたらあれは夢だったんじゃないかって。本当に現実の出来事だったのか、確かめずにいられなくなる」
 呆然とした表情で、パティはただレスターを見つめていた。パティにとって彼の言葉はあまりにも意外で、なかなか意味を持って自分の中に浸透してこない。
 だがやがて、徐々に、少しずつ、パティにも理解できる言葉でそれは心の中に刻み込まれていった。

 ――― 同じなんだ…

 ふいにパティは悟った。
 どんな時も穏やかで冷静で大人の顔を見せる彼は、どこか超越した存在のようにずっと思っていた。自分と同じように、ささいなことで不安になったり苦しんだりすることなどあるわけがないと、無意識の内に思い込んでいた。しかし、今目の前にいるレスターの表情は、これまで迷い悩み続けてきた自分と何も変わらない。
 自分がレスターを必要とするように、レスターも自分を必要としてくれている。それを今初めて実感することができたように思う。自分はレスターにとってそれだけの意味がある人間なのだと、今ならそう認めてもいいような気がした。
 レスターがそれでいいなら、他人が何と言おうともう構わない。自分はレスターの側にいる。これからもずっと。
 パティはレスターの肩に両腕を伸ばした。
「じゃあ、確かめて」
「パティ?」
 レスターは顔を上げ、ようやくその目が正面からパティを捉える。
「あたしがちゃんとレスターのものだって、確かめて」
 一瞬だけ驚きに見開かれる蒼の瞳。
 だがやがて、それはいつものような静けさを湛えてパティを見つめた。自然に唇が重なって、その直後に強い力で抱きしめられる。うっとりと目を閉じたまま、パティは全身を満たしていく幸福感に酔っていた。




 どこか遠くで、扉の開く音が聞こえたような気がした。しかし二人はまるで気にすることもなく、お互いの身体に回した腕を解く様子も見せない。
 しばしの沈黙、そして少しばかりわざとらしい咳払いの後、やがて気まずそうな声が聞こえてきた。
「あー、取り込み中悪いんだけどさ……」
 二人はようやく唇を離し、扉のほうに顔を向ける。困ったような表情のファバルがそこに立っていた。
「ラナは今、手が離せないそうなんだ。歩けるようなら治療室まで来てほしいってことなんだけど」
 ―――どうする?
 問い掛けるようなファバルの視線を受けて、二人は顔を見合わせる。先に口を開いたのはレスターだった。
「じゃあ、行こうか? パティ」
「うん…、でも、あたしこのままでいい」
「どうして」
「だって、せっかくレスターが手当てしてくれたのに、もったいないもん」
「だめだよ、ちゃんと看てもらわないと。小さな傷が命取りになることもあるんだから。それにもし、傷痕でも残ったら大変だろう」
「平気よ、そんなの。それともレスターは、痕が残っちゃったら、あたしのこと嫌いになるの?」
「そんなことあるわけないだろう。傷だって君の一部なんだから、全部丸ごと愛してるよ、パティ」
「レスター……」

 再び見詰め合ったまま二人の世界に入ってしまった彼らに、ファバルは大きくため息をつく。未だ恋人のいない身には、少々目に毒な光景でもあった。
「…………勝手にしてくれ」
 こっそり呟くと、ファバルはそのまま背中越しに扉を閉め、廊下に出た。
 だが歩き始めると、ふいに口許に苦笑が上って来る。一見人懐こく見えて、その実、滅多なことでは他人に心を許すことのなかった妹が、ああやって本心から甘えられる相手を見つけた。それはとても喜ばしいことだと思う。兄としては少々寂しいところがないでもないが、レスターには感謝しなければならないだろう。

「あれ、お兄ちゃんは?」
「いつの間にか、出て行ったみたいだね」
「ふぅん、どうしたのかしら」
 さして気にしたふうでもなく、パティが呟く。今の彼女には、目の前にいる人以外のことはたいした問題ではないらしい。
「それじゃ、ラナのところへ行こうか? パティ」
「うん。でも、もうちょっと後でね」
 そう言って微笑むと、パティは再びレスターの首に両腕を回した。



-END-



[126 楼] | Posted:2004-05-22 17:29| 顶端
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お義姉さまといっしょ
~ 薔薇と雷 ~


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- 1 -



 ヴェルトマー家の紋章を印した六頭立ての馬車から、一人の青年が降り立った。青年というよりも、その容貌はむしろ少年というに相応しい。それでもその身に備わった品格は、彼の血筋と育ちの良さを伺わせる。ずらりと居並ぶ出迎えの者達も、皆一様に恭しく頭を垂れた。

「遅かったじゃない! アゼル」
 深々と腰を折る使用人たちをかき分けて、小柄な少女が飛び出した。長い銀の髪を結い上げたフリージ家の公女ティルテュは、腰に両手を当てるなり仁王立ちになる。遠路はるばるやってきた客に対する容赦ない応対に、アゼルはついついため息をついた。
「せっかくの夏期休暇中にいきなり呼びつけておいて、そういう言い方はないだろ、ティルテュ」
「なによ、どうせ暇を持て余してたんでしょ」
「暇なんかじゃないよ。休暇中といってもこなさなきゃならない課題はあるし、兄さんからだって領内の管理の一部を…」
「そんなこと、どうでもいいの。それよりこっちは一大事なんだから」
 苛立たしげにアゼルの言葉を遮ると、ティルテュは幼なじみの腕をつかんで城の中へと引っ張っていった。大勢の使用人たちがいる中で大声で話すのは、はばかられる内容らしい。ただならぬ様子のティルテュに、アゼルもおとなしく後を付いていく。

「いったい何があったんだい」
「お兄様が今日、婚約者を連れてくるのよ」
「それで?」
「その婚約者っていうのが、あんたのところのヒルダ嬢なのよ」
「へえ、じゃあ噂は本当だったんだ」
 フリージ家の公子が、社交界の花ヒルダにぞっこん惚れ込んで、距離をものともせずに通い詰め、口説きに口説いて、ようやく色よい返事をもらえたらしいという噂は、そういった話題に疎いアゼルの耳にも届いていた。
 納得した顔のアゼルに向かって、ティルテュは彼を呼び寄せた理由を告げる。
「だからヒルダのことを詳しく教えてほしいの。あの人について社交界で聞く噂って、ろくでもないものばかりなんだもの」
 確かにそれは事実だった。どこかの御曹司がヒルダに入れあげて貢いだあげくに手ひどく振られたとか、ヒルダを巡って決闘した騎士が重傷を負ったとか、それを当の本人は笑いながら見物していたとか。そんな噂はアゼルも何度か耳にしたことがある。
「アゼル、あんたあの人の親戚だったわよね」
「うん、確かにヒルダは僕の従姉にあたるけど、別に親しいわけじゃないからあまりよく知らないんだ。親族の集まりの時にも、僕は外させてもらうことが多いしね」
 アゼルはふと考え込むしぐさを見せた。彼の脳裏に、これまで何度か会話を交わした従姉の印象が蘇る。
「でも、彼女はそんなに悪い人じゃないよ。良くない噂のほとんどは、彼女に求愛して断られた男たちや、彼女を妬んだ女性たちが流したものじゃないのかな。良くも悪くもヒルダは目立つからね。話題になることも多いんだ」
「だけど、火の無いところに煙は立たないって言うでしょ。そんな噂が流れるってことは、それなりのことをしてるってことじゃないの」
「どうかなあ。僕にはそうは思えないけど。…で、ティルテュはそれを聞いてどうするつもりなんだい?」
「当たり前でしょ。お兄様との結婚を阻止するのよ。ヒルダがもしお兄様に相応しくない人だったら、あたし絶対に認めるわけにはいかないわ」
「ティルテュ……」
 胸の前で握りこぶしを固め、決意も新たに前を見つめる幼なじみにアゼルは絶句した。

 アゼルの心配をよそに、ティルテュは小さな胸のうちに使命感を燃え上がらせていた。彼女にとって、兄のブルームは唯一の味方であり理解者であり、そして絶対の存在だったのだ。
 グランベルの六公爵家の一つフリージ家の公女として生まれたティルテュは、幼い頃から厳格な父と母、そしてその意を受けた教育係によって厳しくしつけられてきた。ティルテュが持って生まれた自由奔放な性格は、そういった教育方針とは何かにつけて対立したが、そんな彼女を兄だけが理解してくれた。父に叱られ、母にため息をつかれ、どこにも居場所のなくなった妹の話を聞いて、肯定して、慰めて、そして思い切り甘やかしてくれた。
 兄の幸福が自分の幸福。そう思う彼女にとって、兄の一生を左右するかもしれない婚約者がどういう人物であるかは大問題なのだ。もしも、兄を幸せにできそうもない女性だったら、絶対に追い出してやる! そう、決意を固めていた。




 その日の午後になって、フリージ家の嗣子ブルームが婚約者を伴って帰城した。緋色のドレスに身を包んだヴェルトマー公国の伯爵令嬢は、まさしく大輪の紅薔薇のごとき艶やかさで、出迎えたフリージ家の人々を圧倒した。隣に立つブルームが霞んでしまうくらいに、その存在感を周囲に見せ付ける。間近でヒルダを見るのが初めてだったティルテュも、一瞬目が引き付けられて離せなかった。

 兄のブルームがティルテュの部屋を訪れたのは、それからしばらく経った頃だった。彼はどこかに出かけた時には、必ず何かしらのお土産を忘れない。今回は、可愛い髪飾りの他に、一冊の古びた本を兄は手にしていた。
「お兄様! この本は!?」
 一目見るなりティルテュにはわかった。もう何年も前から欲しくてたまらなかった古の十二聖戦士を描いた物語。聖戦士の伝承を記した本は数多く出回っているが、大抵は難しい口伝の形式だったり、ただ事実を連ねたそっけない史書だったり、逆にあまりにも子供向けのお伽話だったりで、彼女が興味を引かれるものはほとんどなかった。しかし、聖戦士の伝説を恋愛と冒険の要素をふんだんに取り入れた読みやすい物語に描き直し、美しい挿絵も豊富に施された本があると耳にして以来、ずっと探し続けていたのだった。しかしその本は、複写されたものを含めてもこの世に数冊しか存在しないらしく、どうしても手に入れることができなかった。
 しかし、今ブルームから手渡された本は、間違いなく探し求めていたものだった。しかも、中に挿絵があることからして、おそらく原本であると思われた。
「ありがとう、お兄様!」
 ティルテュは夢中で兄に飛びついた。しかし、ブルームは少し困ったような表情を見せる。
「いや、実は……それはヒルダからの贈り物なんだ」
「えっ」
「以前、私が何かの折にヒルダに話したことがあったんだが、彼女はそれを覚えていたらしい。手を尽くして探してくれたんだ。彼女には口止めされていたけど、やっぱりティルテュには本当のことを言っておくよ」
「あ…あの人が…」
 ティルテュは複雑な表情で、手の中の本を見つめた。

 兄が去った後、ティルテュは寝台に寝転んで、ずっと皮の表紙と睨めっこを続けていた。
 これが、大金を積んだからといって必ず手に入るものではないことをティルテュは知っている。こういった品の収集家は、それを持つに相応しいと見込んだ相手にしか決して譲りはしないものなのだ。
「まあ、いいわ。本は本だもの。別にこれを貰ったからって、あの人への評価が甘くなるわけじゃないんだから」
 やがて軽くため息をつくと、自分に言い聞かせるようにそっと呟く。
 もしこれが、ありきたりの装飾品や人形だったら、たとえそれがどんなに高価なものでも心を動かされたりはしなかっただろう。そういったものに、ティルテュは慣れていた。
 フリージ家の爵位継承者という立場にあるブルームの周囲には、これまでにも数多くの貴族の令嬢が集まってきた。彼女達は、公子の妹を味方に付けて優位に立とうとでも思っているのか、ティルテュに対し実にさまざまな贈り物をくれた。だが、そういった品にはあからさまに下心が透けて見える。自分の前では猫なで声を出していた女性が、影では手のひらを返したように悪し様に言うのをティルテュは聞いたことがある。
 もしヒルダが同じ思惑でこれを贈ったのだとしたら、当てがはずれてさぞがっかりするだろう。そんなことを思いながら、ティルテュは大切な本を傷めないように、慎重な手つきで頁を繰った。

 それから数日が過ぎたが、ヒルダはティルテュに媚びるような態度は全く見せなかった。かといって、無視したり見下したりしているわけでもない。いわば、ごく自然体でティルテュに接している。それはむしろ拍子抜けするくらいに『普通』だった。

 滞在が長くなるにつれ、フリージ家でのヒルダの存在感が増していく。それをティルテュも肌で感じていた。ティルテュの母であるフリージ公妃は二年前に病で亡くなっているため、現在この城は女主人が不在の状態である。しかしすでに使用人たちは、ヒルダをそれに代わる存在として受け入れ始めている。他人に対する評価が厳しいことで有名な父レプトールでさえも、息子をよろしく頼むと彼女に直接頭を下げたほどだった。
 作法、会話術、立居振舞、どれをとっても完璧なものを彼女は身に付けている。少なくとも、それはティルテュも認めざるを得なかった。


 その日の朝早くから、ティルテュは厨房に篭\って小麦粉と格闘を続けていた。今日はブルームの誕生日。毎年この日は、兄のためにクッキーを焼くのが彼女の習慣となっていた。砂糖とバターと小麦粉をこねて、型を抜いて卵黄を塗って焼くだけの簡単なものだったが、それでもブルームはいつも「ティルテュの作ってくれたクッキーが一番美味しいよ」と言ってくれるのだ。
 竈から取り出したそれは、予想外に良い色合いの焼き上がりだった。一つ味見をしてみたが、これも満足のいく出来だった。早速、用意した可愛い布で包んで、桃色のリボンを結ぶ。兄の姿を探してティルテュは駆け出した。

 ブルームは、中庭のあずまやで見つかった。その傍らにヒルダの姿があるのが少し気になったが、構わずティルテュは走り寄って行く。彼女に気づいたブルームが、こちらに向かって笑顔を見せる。
「やあ、ティルテュ。良いところに来たね。今、ヒルダがお菓子を焼いてくれたんだよ」
 兄の言葉にティルテュは怪訝な顔を見せた。さっき彼女は料理人たちの邪魔にならないように、厨房の隅を借りて作業をしたが、そこにヒルダの姿は無かったはずだ。この城には、それとは別に女主人、つまりは公妃が使用する専用の厨房がある。それではヒルダは、そこを使用したのだろうか。それを、父や兄が認めたということなのだろうか。
 だがそんな疑問は、テーブルの上に乗\ったヒルダの手による幾種類かのお菓子を目にしたとたん、どこかに吹き飛んでしまった。
 フリージ家の厨房にも菓子作り専門の職人が何人もいるが、彼らの作る手の込んだ『作品』にも引けを取らない、いやそれどころかそれを凌ぐとも思える見事な出来栄えの美しい菓子。それはもはや芸術品の域に入っていた。
 自分の焼いたクッキーが、とたんにみすぼらしいものに思えてくる。ティルテュは、手に持ったままだったその包みを後ろ手に隠した。
「よかったら、あなたも一緒にいかが?」
 ヒルダが微笑みかける。それがティルテュには、勝ち誇った笑みに見えた。
「いらない!」
「ティルテュ」
 兄の声を背後に聞きながら、ティルテュは逃げるようにその場を走り去った。

 ――― 悔しい、悔しい!

 あの場所は、いつもあたしがいる場所だったのに!
 走りながら、目じりに涙が滲んでくる。年に一度の兄の誕生日。この日だけは一日中、兄の笑顔を独り占めにできるはずだった。それをあの女が奪ったのだ。部屋に駆け込んだティルテュは、そのまま寝台に突っ伏して涙を零した。

 それからどれくらい経っただろう。気が付くと、誰かが部屋の扉を叩いている。もしかして、兄が心配して様子を見にきてくれたのだろうか。一瞬そんな期待をしたが、それはあっけなく破られた。
「ティルテュ。そろそろ午餐の用意が出来るそうだよ」
 扉を開けて顔をのぞかせたのはアゼルだった。昼食に呼びに来たらしい。まだ寝台に伏したままだったティルテュを見て、彼は驚いて飛んできた。
「どうしたの、ティルテュ。具合でも悪いのかい?」
「平気よ。なんでもないわ」
 ティルテュは寝台の上に起き上がる。あれこれ詮索されるのが煩わしいという思いがあった。
 その時アゼルの目に、寝台の隅に投げ出された可愛い布包みが映る。何気なく、彼はそれを摘み上げた。
「あれ、これは? まだ、お兄さんにあげてなかったの?」
 彼女がブルームのために、はりきって菓子作りにいそしんでいたのを、アゼルも知っていた。
「もういいの。アゼルにあげるわ」
「どうして? せっかく朝早くから、がんばって作ったのに。そんなこと言わずに、今からでも渡しておいでよ。きっと喜ぶよ」
「いいのよ、お兄様はヒルダの作ったお菓子でもうお腹がいっぱいなんだから。あたしのことなんて、忘れてるわ」
「だけど…」
「食べないならいいわよ、捨てるだけだから」
 ティルテュはひったくるようにアゼルの手から布包みを奪うと、窓に向かって歩き始める。
「待って、ティルテュ」
 窓際でようやくティルテュを捕まえることに成功したアゼルは、投げ捨てられる寸前だったクッキーを無事に彼女の手から回収した。大切そうに両手に持つと、寝台の端に腰を下ろし丁寧にリボンを解く。
「じゃあ、ありがたく頂くよ」
 にっこりと微笑むと、アゼルは本当に嬉しそうに包みから取り出したクッキーを口に運\ぶ。
「おいしいよ、とっても。毎年こんな美味しいクッキーを食べられたなんて、君の兄さんが羨ましいな」
「アゼル…」
 それは本当に素直な賛辞の言葉で、そして彼の表情からそれが心からの言葉だということがわかって、ティルテュは逆にいたたまれないような気分になってきた。余り物を押し付けたようなものなのに、アゼルは嫌な顔一つせずに口にして、それどころか自分を気遣って優しい言葉までかけてくれる。同い年の幼なじみが、急に大人びて見えた。
「……ごめんね、アゼル。八つ当たりして」
 恥ずかしさに顔を上げられない。そんな彼女に、アゼルは優しいまなざしを向ける。俯いたティルテュにも、それは感じられた。
「あ、そうだ。お茶を淹れるね。気がつかなくてごめん」
 慌てて扉の外に向かったティルテュは、お湯を持ってきてくれるよう侍女に頼むと、再び部屋に戻ってきた。常備してあるお気に入りの茶器を取り出して準備を始める。とっておきの茶葉を慎重に計量してポットに入れ、侍女が運\んでくれたお湯を注いで少し待つ。そうしているうちに、さっきまでの苛立ちが嘘のように心が穏やかになってきた。

 ――― 不思議…。あんなに悲しくて悔しかったのに…。

 アゼルの優しい声と言葉と笑顔が自分の心にもたらした効果に、まるで他人事のように驚いている。ささくれ立っていた心が、いつのまにか癒されているのをティルテュは実感していた。


お義姉さまといっしょ
~ 薔薇と雷 ~


--------------------------------------------------------------------------------


- 2 -



 それからさらに数日が経過したが、ヒルダが兄に相応しくないという決定的な確証を、ティルテュは未だつかめずにいた。
 それどころか、未来のフリージ公妃として、ヒルダは文句のつけようがない。むしろ、彼女以上の存在は考えられないだろう。そんな確信が深まるばかりだった。
 そうなると問題はヒルダ自身の気持ちということになる。彼女が本当に兄を大切に思っているのか、単に公妃の地位が目当てではないのか。それだけはどうしても確認しなければならない。
 こんなふうに悶々と思い悩んでいるなんて、自分らしくない。正面切って、ヒルダにぶつかってみよう。ティルテュは心を決めた。

「あら、いらっしゃい。どうしたの?」
 部屋を訪ねると、ヒルダはごく普通にティルテュを迎えた。婚約者の妹に媚びる様子も見せなければ、変に気遣う様子もない。極めて自然に、ただ友人が訪ねてきたとでもいうようにティルテュを部屋に招きいれた。
 それまでヒルダが座っていたと思しき椅子の前のテーブルには、刺繍の道具が置いてある。まだ作成途中であるにも関わらず、完成品の見事な出来栄えを予想させるものだった。そういえば、最近兄が襟に巻いているカラーが、どれも非常に趣味の良い刺繍に彩られていたのをふと思い出す。
 ティルテュ自身も教養の一つとして刺繍はたしなんでいたが、水準がまるで違うのは一目瞭然だった。あえてそれから目を逸らし、まるでヒルダを睨み付けるようにティルテュは正面に向き直った。

「聞きたいことがあるの」
 勧められた椅子に座ることもなく、ティルテュは単刀直入に切り出した。
「何かしら」
 ティルテュが腰を下ろさないせいか、ヒルダも立ったままで応対する。
「あなた、お兄様のどこが好きなの? どうしてお兄様と結婚しようと思ったの」
「それを聞いてどうするの?」
「答えて」
 真剣そのもののティルテュの表情に、ヒルダも心なしか表情を引き締めた。
「理由…と言えるかどうかわからないけど、あたしには子供の頃からの夢があるの。国でも領地でもいいから、一国を自分の裁量で動かしてみたいっていう夢。だから、もし結婚するなら、妻を飾り物じゃなくて対等の人間として見てくれて、力量に見合った権限と責任を与えてくれる、そういう理解のある男を選びたいって思っていたわ。ブルームは、その理想通りの男だったの」
 淡々とした…といってもよい静かな声でヒルダが語る。しかしその答は、ティルテュを満足させるものではなかった。聞き終えたティルテュの顔が、怒りで真っ赤に染まっている。
「な、何なの、それ。要するに、自分の好きに国を動かしてみたかったってこと? だったら、お兄様じゃなくてもいいでしょう。たとえば…そうだわ、あなたの国のアルヴィス卿とでも結婚すればいいじゃない!」
「アルヴィスねえ…。ああいう可愛げのない男って、あたし、あまり好みじゃないのよ」
 興味なさそうに遠くを見た後ヒルダは、憤るあまり拳を震わせているティルテュに視線を戻した。そして、くすりと笑う。
「男は、少しくらい頼りないところを見せてくれたほうが、心をくすぐられると思わない?」
「何ですって。お兄様が頼りないって言いたいの!」
「そうじゃないわよ。ブルームはね、無意味な虚勢を張ったりしないの。自分が弱く見られることを怖がってなんかいない。いつも、ありのままの姿をあたしに見せてくれるわ。それだけ誠\実で懐の深い男なんだと、あたしはそう思ってる。だから、あたしも自分にできる限りのことで、彼を支えていきたいって思ったの」
 ティルテュの目を真っ直ぐに見つめ、ヒルダは宣言する。
「誤解しないでちょうだい。あたしはブルームを愛しているわよ」
 その真剣なまなざしには、嘘は感じられなかった。なのに、ティルテュの胸の内には、それを受け入れられない気持ちが溢れている。いや、受け入れられないのではない。受け入れたくないのだ。ティルテュは感情のままに、ヒルダに向かって言葉を投げつけた。
「嘘! お兄様が将来受け継ぐ財力と権力を愛しているんでしょう!」
「そう思いたいのなら、ご自由に」
 ふいに興味を失ったようにヒルダは視線をはずす。ティルテュはそれを、肯定の意味に受け取った。




 ヒルダの部屋を後にしたティルテュは、そのまま兄の私室に駆け込んだ。
「お兄様、ヒルダと結婚するのはやめて!」
 飛び込んでくるなりそう叫んだ妹を、ブルームは戸惑った目で見る。
「ティルテュ、何かあったのかい? どうしてそんなことを?」
「だって…あの人、お兄様自身を愛しているわけじゃないのよ。そんなのあたし許せない!」
 その言葉を聞いたとたん、ブルームは何とも言えない寂しそうな悲しそうな表情を見せた。
「…それは………仕方がないんだよ」
「お兄様?」
「ヒルダはあの通り美しくて聡明で、グランベル中の貴公子が彼女に憧れているだろう? 本当なら、私に手の届くような女性じゃないんだ。私がもし一国の嗣子でなかったら、恐らく彼女には振り向いてもらえなかったはずだから」
「何言ってるの? そんなことないわ。お兄様は誰よりも立派よ。あんな人を選ばなくても、他にも相応しい人はたくさんいるわ」
 思わずティルテュは兄の手を両手で掴んだ。
「お願い。あの人と結婚するのだけはやめて。きっと、お兄様は不幸になるわ」
 そしてすがりつくような目で見上げる。しかしブルームは、妹の目を見つめたまま、きっぱりと答えた。
「おまえの頼みでも、これだけは聞けないよ。ティルテュ」
「お兄様……」
 呆然とした表情で、ティルテュは兄を見上げた。掴んだ手が、力なく離れていく。
 今までなら、自分が本心から頼めば、最後はとうとう根負けして何でも言うことを聞いてくれた兄。でも、もうだめなのだ。兄の心の中心には、すでにヒルダがしっかりと棲み着いてしまっているのだ。そのことを、今はっきりと思い知らされた。
 どうしようもない敗北感に打ちひしがれて、ティルテュはその場に立ち尽くしていた。

 その後、どうやって兄の部屋を出たのかすら覚えていない。気づいたら、アゼルの部屋で彼の寝台を占領して涙にくれていた。
 ティルテュも、もう気づいていた。ヒルダ自身が嫌なわけではなかったのだ。もしヒルダでなかったとしても、自分から兄を奪う女性など誰一人として認めることはできない。そんな自分の本心と、ようやくティルテュは向き合った。
 その瞬間、言いようのない悲しみが胸を襲った。自分のたった一人の味方で、理解者で、保護者でもあった兄。その大きな存在が失われてしまう。そう思ったとたん、とてつもない寂しさと不安を感じた。

「元気を出して、ティルテュ」
 ためらいがちに、アゼルが声をかける。ティルテュが声をあげて泣いている間、彼は何も言わずただ黙って背中を撫でてくれていた。ようやく彼女の様子が落ち着いてきたのを見て、慰めようと言葉をかけたのだろう。
 しかし、今のティルテュには、そんなアゼルの心を思いやる余裕などなかった。

「アゼルにはわからないわ。お兄様の心が離れてしまったら、もう誰もあたしのことを考えてくれる人なんかいないのよ。お父様はとっくの昔にあたしのことなんか見放しているし、お母様も、大好きだったお祖母様も、もういらっしゃらない。あたしは一人ぼっちになるのよ」
「僕がいるよ。僕が兄さんの代わりに、ずっと君の側にいるから」
「え………?」
 思わず顔を上げたティルテュの目に、今までに見たこともないような真剣な表情のアゼルが映る。単なる幼なじみとしか思っていなかった彼の顔が、ふいにそれまでとは全く違ったものに変化したような気がした。胸の奥で何かが小さく音を立て、次の瞬間には急に頬が熱くなる。そのわけのわからない感情を持て余し、ティルテュはつい本心とは正反対のことを口にしてしまう。
「あ、アゼルがお兄様の代わりになんか、なれるわけないじゃない! お兄様はとっても優しくて思いやりがあって頭が良くて、誰よりもあたしのことをわかってくれて…。アゼルに同じことができるとでも言うつもり!?」
 怒らせてしまうことを覚悟の上でそう言った。いくら温厚なアゼルでも、この暴言は許せないだろう。しかしアゼルは、一瞬だけ寂しそうな顔を見せたが、すぐに以前よりももっと真剣なまなざしでティルテュを見つめる。
「すぐには無理だけど、努力する。少しでも、君の兄さんに近づけるようにがんばるから。だから、もう少しだけ待って」
 そうして、ティルテュの正面に座リ直すと、彼女の頬を伝う涙を指先でそっと拭った。
「僕は、笑ったり怒ったりしているティルテュが好きだ。でも、君の泣き顔だけは見たくない」
「アゼル…」

 ――― どうしてアゼルは、あたしの涙の止め方を知っているんだろう…

 まだ涙にぼやけた視界の中で、ティルテュはそんなことを思っていた。



 その日の晩、ブルームから夜の茶会という耳慣れないものに誘われ、まだ足を踏み入れたことのない庭園を訪れたヒルダは、目の前に広がる光景に息を呑んだ。用意されたテーブルの周りを、一面の白い薔薇が取り囲んでいる。月の光を浴びて青白く輝く薔薇の群れと、ところどころに小さく灯された明かりが、あたりを一層幻想的な光景に見せている。

「寒くないかい?」
 夏とはいえ、夜は多少は冷え込むことがある。ブルームは、手にしたレースのショールを婚約者の肩にかけた。ファラの血を引くためか、赤系統を好む彼女に合わせたものだった。そうしているとヒルダは、白薔薇の中に一輪だけ気高く咲き誇る真紅の薔薇のようにも見える。
「ありがとう」
 ヒルダは改めて周囲を見渡した。
「夜に見る薔薇というのも風流なものね」
 彼が自分のため用意した景色を堪能し、そして思う。ブルームが自分にくれるものは、いつもこういった形のないものばかりだった。詩や音楽や風景や、どれ一つをとっても、金銭的な価値に換算できるものではない。
 高価な宝石やドレスといった贈り物に慣れていたヒルダは、彼の差し出すこうした物に最初は戸惑った。一国の公子ともあろう者が、金がないわけでもあるまいに、いったいどういうつもりなのだろうと最初は相手にしなかった。だがそれはいつしか、今度はどんなものを見せてくれるのかという楽しみに変わっていった。そんな自分に、ヒルダ自身が一番驚いていた。
 ブルームが贈ってくれるものは、どんなに財宝を積んでも手に入れられるものではない、彼の心そのものなのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 馥郁たる薔薇の香りに包まれて、ゆったりとした気持ちでお茶を楽しんだ。こんな静かな気分になれるのは、ブルームの側にいる時だけであることを、ヒルダはもう自覚している。たわいもない会話を交わすことを時間の無駄だと思わなくなったのも、彼と出会ってからだった。

「それにしても、本当に可愛らしい妹さんね。あたしが地位目当てであなたと結婚すると思って、烈火のごとく怒っていたわ」
 昼間自室に乗\り込んできた勝気な少女の表情を思い出し、ヒルダは口許を綻ばせる。
「妹が何か失礼なことを言ったのなら許してやってほしい。決して悪い子ではないんだ」
「わかってるわよ。愛されているのね、ブルーム。ちょっと妬けるわ」
 ヒルダの口調に、ブルームも少し苦笑を浮かべた。
「二人きりの兄妹だからね。やはり可愛いし、大切だし、愛しいと思う。私自身も父にとってはあまり出来の良い息子とは言い難いから、ティルテュの寂しさがよくわかるんだ」
 そしてしばし口を噤んだ後、彼は苦しそうな声を洩らした。
「………すまない、ヒルダ」
「何のこと?」
「君が本当はこの結婚を望んでいないことに、私は気づいていた。フリージ本家からの正式な申し込みを、君の父上が断ることが出来ないことも承知していた。それを知っていながら、私は君を自分のものにできるかもしれないという誘惑に、勝つことが出来なかったんだ」
 目を伏せたまま、苦悩に眉を寄せて語るブルームに、ヒルダは深い深いため息をついた。この期に及んでまだそんな思い違いをしている婚約者に、どう真実を伝えたらいいだろう。少時思いを巡らせたが、やがて考えるのも馬鹿馬鹿しくなった彼女は、心のままに自分の気持ちを打ち明けた。
「ブルーム、この際だからはっきり言っておくわね」
 少しばかり怒りを含んだようなその声に、ブルームは思わず顔を上げる。その目をしっかりと捉えて見据えながら、ヒルダはきっぱりと言い切った。
「あたしはね、その気にさえなればクルト王子の妃にだってなってみせるわ。あたしにはそれだけの価値がある。でもね、あたしは自分の意志であなたを選んだの。決して誰かに強制されたわけじゃない。そのことだけは忘れないでちょうだい」
「ヒルダ…」
 ブルームの目に控えめに浮かんだ歓喜の色を確認しながら、ヒルダは言葉を続ける。
「大丈夫よ。あたし、きっとあの子と上手くやっていけると思うから。だって、あたしたち。よく似ているもの」
 そして、真紅の薔薇は嫣然と微笑んだ。



 すっかり出立の用意が整ったヴェルトマー家の馬車は、しかし未だにその場所から一歩も動くことができなかった。帰国するアゼルを見送りに来たティルテュが、なかなか馬車から離れようとしなかったからだ。
「どうしても帰っちゃうの、アゼル」
「うん、これ以上帰りを延ばすと、ほんとに兄さんに殺されそうだから」
「そう……。寂しくなっちゃうな」
 もう一歩馬車に近づくと、ティルテュは神妙な顔でアゼルの目を見つめた。
「アゼル、いろいろありがとう。本当にごめんね、無理させちゃって」
「ティルテュの頼みじゃ、仕方ないよ」
 尚も名残惜しそうな表情を見せる幼なじみに、アゼルも後ろ髪を引かれる思いがする。
「そうだ、今度は君がヴェルトマーへおいでよ。休暇もまだ残ってるし。子供の頃みたいに、またいろんなところを案内してあげるから」
「ほんと!? うん、絶対行くわ」
 窓から半身を中に乗\り入れてアゼルの手を掴むと、ティルテュは強引に自分の小指を彼の小指に絡ませる。子供の頃よくやっていた、約束のおまじないを思い出し、アゼルの顔にも笑みが浮かぶ。子供っぽいしぐさだったと気づいたのか、ティルテュは慌てて手を離し、少しだけ照れたような表情を見せた。
 少しの沈黙の後、再びアゼルを見つめたティルテュの顔には、不安とそしてほんの少しの期待が混じっていた。
「ねえ、アゼル。……あれ、本当?」
「え?」
「いつか、お兄さまみたいになって、その………ずっと側にいてくれる…って」
「もちろんだよ。ただ、君が待っててくれれば、の話だけど」
 とたんにティルテュの顔がぱっと輝いた。しかし次の瞬間には、いつもの勝気な表情がそれにとって変わる。
「あまり待たせないでよね、あたし気が長いほうじゃないんだから」
「うん、がんばるよ」
 つい本心とは反対のことを言ってしまう自分に、アゼルはどこまでも素直な言葉を返す。やっぱり彼には敵いそうもない。そんなことを思いながら、ティルテュは遠ざかる馬車をいつまでも見送った。
 優しい夏の風が、ふわりと頬を撫でて通り過ぎていく。今なら兄の婚約を少しだけ祝福できそうな、そんな気がしていた。



-END-



[127 楼] | Posted:2004-05-22 17:29| 顶端
雪之丞

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傷 痕


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 暖炉の中で、かすかに薪のはぜる音がする。火は小さく落としてあるが、それでも部屋を暖めるには充分だった。闇に閉ざされた空間の中で、炎の灯りだけが側にある寝台を明るく照らし出している。

「これ、どうしたんだ?」
 ヨハルヴァは、隣に横たわるラクチェの左手をとった。手首の上のあたりを、白い包帯が覆っている。
「昼間の戦闘で、ちょっとね。槍の刃先がかすめただけだから、たいしたことはないんだけど」
 苦笑と共にラクチェが答える。怪我は自分の未熟さの証明のように思えて、少し恥ずかしいという気持ちをなかなか消すことができない。だが、ヨハルヴァは違うことを気にしているようだった。
「ライブをかけてもらわなかったのか? ラナなら他の重傷者を放り出しても、おまえの治癒を優先するだろう?」
「それほどの怪我じゃないもの。すぐに回復させないと戦闘の際に支障がでるようなもの以外は、なるべく通常の治療で治すようにしているの。あまり魔法治癒にばかり頼っていると、人間の身体が本来持っている回復力が衰えてしまうから」
「そういうもんなのか? 俺は回復魔法については詳しくないから、そういうことは知らなかったが」
「本当のところはわからないわ。でも、そんな気がする。それに…」
 ふと、ラクチェが言い淀む。
「それに、何だ?」
「うん。斬られたら痛いんだってことを、忘れないようにと思って」
 言葉が不充分だったためか、ヨハルヴァが問い掛けるような視線を向ける。ラクチェはさらに言葉を続けた。
「時々、自分がそれを忘れてしまうんじゃないかと、怖くなることがあるの。戦場で何人も、何十人もの敵兵を斬り続けているうちに、自分が斬っている相手が人間だということすら忘れてしまいそうになる…そんな瞬間があるわ。だから…」
 ラクチェは一旦言葉を切ると、どこか遠くを見つめるような目をする。
「…だから、忘れないように」
 何かの決意を秘めた声。彼女の言いたいことは、ヨハルヴァにも少しだけわかる気がした。



「ここにも小さい傷痕があるな。うっすらとだけど」
 ふいに、ヨハルヴァの手がラクチェの肩のあたりに伸ばされた。そして、ある一点を指し示すように指が止まる。暖炉の灯りに照らされて、ほの白く浮かび上がる肌の上には、注意して見なければ気づかない程度のものではあるが、確かに傷の痕が小さく残っていた。
「え? ああ、たしか子供の頃、訓練中についた傷だったと思うわ。そんなの、たくさんあるわよ」
 ラクチェの言葉が終わるのとほぼ同時に、ヨハルヴァの指が肌の上を滑っていく。彼の手は、そのままラクチェの身体に残る傷痕をたどり始めた。
「やだ、やめてよ。よく見ると、本当に傷だらけなんだから」
 少なくとも、好きな相手に積極的に見せたい代物ではない。少し焦ったように、ラクチェはヨハルヴァの手を押さえる。ヨハルヴァも、それ以上無理に探そうとするつもりはないようだった。ラクチェは、ほっとしたように緊張を解く。そして、独り言のようにぽつりと呟いた。
「だけど、こんなことなら痕が残らないように、ちゃんと魔法で治してもらっておけばよかった…」
「どうして?」
「だ…って……」
 言おうか言うまいか、ラクチェの瞳がしばし逡巡を繰り返す。やがて思い切ったように、いつもより少しばかり早口で、一気にラクチェは言ってのけた。
「………だって、もっと綺麗な身体を見てもらいたかったから…」
 言った瞬間に首まで真っ赤になったラクチェは、そのまま枕に突っ伏してしまう。かなうものなら時間を巻き戻し、今言った言葉を取り消して、なかったことにしたいと思っているのは明白だった。
「ラクチェ……」
 思わずヨハルヴァは、うつ伏せになったままのラクチェの髪をくしゃりと撫でた。可愛くて、愛しくて、たまらなくなって、このまま彼女を強く抱きしめたい衝動にかられてしまう。
 だが、そんな自分を抑えると、むき出しになったラクチェの背中に優しく手を滑らせ、耳元に口を寄せた。
「俺には、今のおまえが一番綺麗に見える」
 そう囁いて、肩の傷痕にそっと唇で触れる。
 ラクチェは枕から顔を上げ、驚いたような表情でヨハルヴァを見つめていた。やがて、おずおずと問い掛ける。
「ほんとに?」
「ああ」
 しばしの沈黙の後、ラクチェは少々困惑した表情を浮かべた。
「…物好きなのね、ヨハルヴァ」
 戸惑ったような視線を送る彼女に、ヨハルヴァは軽く笑っただけで答えなかった。だが、彼の笑みを見ているうちに、ラクチェにも笑顔が戻ってくる。
「でも、ちょっと嬉しい。ありがとう」
 そのまま身体をすり寄せるようにすると、ヨハルヴァの腕を枕にしてラクチェは目を閉じた。
 やがて眠りに落ちたラクチェの肩を、ヨハルヴァは静かに抱き寄せた。安らかな眠りを妨げないように細心の注意を払いながら、大切そうに腕の中にかき抱く。そして、子供のような邪気のない寝顔を、愛おしそうに見つめた。
 彼女が、二度とそんな思いをすることのない世界を作るために――。
 まるで神聖な誓いのように、ヨハルヴァはラクチェの額にそっと唇を寄せた。




-END-



[128 楼] | Posted:2004-05-22 17:30| 顶端
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花の下にて



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-1-


 白い枕の上で、黄金の髪が朝の光を弾いて煌いている。まだ微睡みの中を漂っている青年は、目を覚ます気配を見せない。すでに見慣れたものとなったその光景を、イシュタルは静かな眼差しで見つめていた。その口元には、微かな笑みが浮かんでいる。
 寝台の端に腰を下ろした彼女は、シーツにくるまったまま眠りをむさぼっている青年の肩に、そっと手を伸ばした。
「ファバル、起きて。そろそろ時間よ」
 控えめに両肩を揺さぶっても、ファバルは目を開ける様子がない。二人で迎える朝は、すでに両手の指に余るほどの数になっている。だから彼の寝起きが良くないのを、すでにイシュタルもよく承知していた。少し強めに肩を揺さぶりながら、根気よく声をかける。
「いい加減に起きないと、本当に朝食をとる時間がなくなるわよ」
 ファバルの耳元に唇を寄せ、やや大きめの声で囁いた時、突然手首を掴まれ、そのまま強い力で引き寄せられる。そして気づいた時には、イシュタルの身体はファバルの腕の中に捕らわれていた。



「おはよう、イシュタル」
 まだ眠たげな目のまま、悪びれたふうもなくファバルが朝の挨拶をする。
「ふざけていないで、早く起きて。もうとっくに朝食の用意はできているんだから」
「うん、あともう少しだけ」
 そう言うとファバルは再び目を閉じて、まるで甘えるようにイシュタルの肩口のあたりに顔を埋める。一瞬、抗議しようとしたイシュタルだったが、やがて諦めたようにため息をついた。そして自分の両腕の中にファバルの頭を抱きかかえ、黄金に輝く髪にそっと指を滑らせる。明るい太陽の光を思わせる彼の髪が、イシュタルは好きだった。
「なあ、イシュタル」
 しばらくそのままでいると、ふいにファバルが呟くように声を発した。
「なに?」
「結婚しよう」
 何の前触れもなく、突然告げられたその言葉。
 それを耳にした瞬間、ファバルの髪を梳くイシュタルの手が止まった。まるで硬直したように動かなくなる。手だけではない。腕も身体も表情さえも、硬く凍りついたかのようにその動きを止めてしまった。
 やがてイシュタルは、静かにファバルの身体を押し返す。そして自分を抱きしめる彼の腕をそっとはずし、寝台の上に起き上がった。
「………できるわけがないわ」
 押し殺したように低い、しかしきっぱりとした声が響く。イシュタルの答に、ファバルも思わず身を起こした。
「どうして?」
「当然でしょう。だって、わたしは本来なら生きていないはずの人間なのよ。フリージ公女イシュタルは、公式文書では戦没したことになっていると聞いたわ。幽霊と結婚なんか、できるわけないでしょう」
「そんなこと、たいした問題じゃないさ。バーハラのセリス王は意外に柔軟な考えの持ち主だから、掛け合えば記録を修正してもらうことはたぶん可能だ。それが無理なら、これまで通りフリージ家の遠縁の娘ということで押し通すさ」
 前を見つめたまま視線を合わせようとしないイシュタルに、ファバルは強い口調で訴えかける。それでも、イシュタルの視線は逸らされたままだった。
「俺は本気だ、イシュタル」
 彼女の両腕を掴んで、強引に自分のほうを向かせる。イシュタルの瞳が切ない色を湛えてファバルを見つめ、やがて再び伏せられた。
「…………少し…考えさせて…」
 イシュタルは寝台を降り、ファバルに背を向ける。まるで拒絶するかのような後ろ姿に、ファバルはそれ以上声をかけることができなかった。



 窓から差し込んだ午後の陽射しが、開いた書物の頁に反射する。イシュタルは手にした本を閉じ、テーブルの上に置いた。どちらにしろ、さっきから少しも中身は頭の中に入っていなかった。

 ――― 結婚しよう

 今朝告げられた、ファバルの言葉が甦ってくる。あの時の真剣な彼の声。イシュタルの腕の中に顔を埋めていたため彼の表情は見えなかったが、あの真摯な声からは、戯れではない真実の思いが伝わってきた。
 愛する人からの求婚。本来なら喜ぶべきことなのに、イシュタルの胸を占めているのは戸惑いと不安だった。

 二人はすでに、結婚しているのとほぼ変わらない生活を送っていた。政務以外の時間のほとんどを、ファバルはイシュタルと共に過ごしている。
 だが、司祭の立会いの元で、正式な婚姻の誓約を交わしたわけではない。従ってイシュタルは何らかの肩書きを持つこともなく、公式の場に顔を出すこともなく、いうなれば妾妃のような立場にあった。しかし、イシュタルはそれでいいと思っていた。むしろ、表に出ることのない影の存在であることを、無意識のうちに望んでいたのかもしれない。

 聖戦と呼ばれる戦いが終わった後、抜け殻のようになったイシュタルをこの国に連れてきたのがファバルだった。彼はやがて、全てを失った彼女の心に、生きる喜びと希望の灯を甦らせた。だが人としての感情が戻ってくるにつれ、過去の罪の重さが次第に彼女の胸を苛むようになる。
 かつてのイシュタルは自ら心を凍てつかせ、何も感じることのないよう氷の鎧で覆って守ってきたが、その氷が融けた今、剥き出しの心は喜びも痛みも、全てをありのままに受け止めていく。

 ユングヴィに来て間もない頃に起きたある事件のことを、イシュタルは今でも忘れられない。
「公爵様、なぜこの女を放っておかれるのです!」
 憎しみに目を血走らせた女が、糾弾するように人差し指を突きつける。指の先は、真っ直ぐにイシュタルを指し示していた。
 城の厨房で下働きをしていたその女は、ある日イシュタルの食事に毒を盛った。女はイシュタルの素性に気づいていたのだ。結局は未遂に終わったが、なぜこんなことをしたのかというファバルの問いに、女は憎悪に滾った目を容赦なくイシュタルに向ける。
「あたしの子供は、みんな子供狩りに遭って殺された。あの子たちはもう返ってこないのに、どうしておまえがのうのうと生きているんだ!」
 叫ぶなり、女はイシュタルに飛び掛った。腕に喰いこんだ爪の痛み。それよりも尚いっそう深く胸を抉った女の声。
「魔女! あたしの子供たちを返せぇぇ!!」
 ファバルに取り押さえられた女は、呼び寄せられた衛兵に連れられていった。呆然と立ち尽くすイシュタルの胸に、女の叫びが鋭い刃物のように突き刺さる。

 あの時のことを思い出すと、今でも身体が震え、冷たい汗が背中をつたう。目の前で直接ぶつけられた敵意と怨嗟の声は、想像以上の衝撃をもってイシュタルの心を打ちのめした。
 イシュタルはこれまで、自分に向けられる直接の非難を目にしたことがない。民も貴族たちも、雷神と畏れられていたイシュタルの前には、皆一様にひれ伏した。伏せた顔の下で彼らが何を思っていたのか、本当のところ自分にはわかっていなかったのかもしれない。今になってイシュタルは時折そう思う。

 ファバルと正式に結婚することになれば、これまでのように宮殿の奥深くで彼とだけ過ごす日々を送ることは許されなくなる。公妃として宮廷の貴族の前に姿を現し、公務に携わり、大勢の人々と接することになるだろう。
 それは、再びあのような非難の視線に晒されることを意味した。自分の罪を目の前に突きつけられ糾弾される。それに立ち向かう覚悟を、イシュタルはまだ持てなかった。



花の下にて



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-2-


 ファバルが求婚した日から十日が過ぎた。イシュタルはいつものように、部屋の中で一人時を過ごしている。
 しかし書物に目を落としても、視線は同じところを行き来するばかりだった。あの日から、頁は全くといっていいほど進んでいない。
 あれ以来、ファバルは結婚のことについて何も言ってはこない。待ってほしいといった自分の言葉を尊重してくれているのだろう。彼の誠\実な心を思うと、イシュタルの胸の内は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 何となく落ち着かない気分になり、ふと立ち上がった。そして何気なく部屋の中を見渡してみる。この空間とファバルだけが、今の彼女にとって世界の全てだった。
 明るく真っ直ぐで、何事にも屈しない強い心の持ち主。それが、イシュタルの目に映るファバルの姿である。挫けたり、心が弱くなったり、そんなこととは縁のない人間のように思っていた。だが、本当にそうなのだろうか。ただ自分の前では、弱い部分を見せないようにしているだけなのではないだろうか。そんな疑問が、ふいにイシュタルの胸に浮かんでくる。
 この部屋で過ごす時のファバルしか、イシュタルは知らない。知りたいとすら思わない。そのことに、今さらながらに気づいたような気がする。
 外でのファバルはどんな顔を見せるのだろう。ユングヴィに来てから、初めてイシュタルはそう思った。政務を執るファバルの姿を、遠くからでもいいから垣間見てみたい。ふいに湧き上がったその衝動を、イシュタルは抑えることができなかった。




 長い通路を抜け、公爵の執務室のある一角に向かった。イシュタルが公爵にとって大切な存在であることは、すでに城内で働く者たちにとっては暗黙の了解として受け止められていたため、衛兵に咎められることもない。一人で奥宮を出ることはほとんどなかった彼女にとって、城内の光景自体が目新しく新鮮なものに感じられる。
 執務室に近づくと、扉の前で警備をしていた衛兵たちが敬礼の姿勢をとった。
「公爵は在室かしら」
「はい。しかし、申し訳ございません。ただいま会議が行われております。もしお急ぎの御用でしたら、お取次ぎ致しますが」
「いえ、それなら結構よ。また改めるわ」
 少し残念に思ったが、元々執務室の中にまで入るつもりはなかった。せっかくだから、もう少し城内の様子を見て回ろう…そう思い、イシュタルが踵を返そうとした時、それは聞こえてきた。

 部屋の中で、突然大きな物音がした。何かを床に投げつけたような音が響き、続いて怒声が聞こえてくる。異変を察し、衛兵は扉を開け中に踏み込んだ。扉の隙間から、イシュタルにも中の様子が窺える。数人の男たちが立ち尽くす中、老境に差し掛かった一人の男が、拳を握り肩を震わせながらファバルを睨みつけていた。
「身分卑しき者に、そのような恩賞を与えるなど…。代々公家に仕えてきた我々旧来の家臣を、どこまで軽んじたら気が済むのだ!」
 男は机に拳を叩きつけながら、ファバルに向かって怒鳴り声を上げる。それに対するファバルの声は静かなものだった。
「軽んじたつもりはない。それぞれの功績に応じて報いるだけだ。当然のことだろう?」
 諭すような冷静な声に、男の顔が怒りでさらに赤く染まる。
「い…卑しい傭兵上がりが、何をもっともらしいことを!」
 指先をファバルに突きつけて、尚も男は言い募った。
「スコピオ様は我々の忠節に正しく報いて下さった。あの方こそが、この国の正統な君主だったのだ。それを…! この簒奪者め!」
 あまりの暴言に、周囲にいた者たちが男を取り押さえる。しかし男はさらに口汚く罵り始めた。
 扉の影からその様子を見ていたイシュタルは、硬直したように動けなかった。ファバルは、ただ黙って目の前の男を見ている。ほんの少しだけ哀しみを帯びたようなその表情に、イシュタルの胸が痛みを覚える。
 イシュタルは静かにその場を立ち去った。

 扉を叩く音に気づいたのは、彼女が部屋に戻って少し経ってからだった。この部屋を訪れるのはファバル以外に思い当たらなかったが、まだ彼は執務中のはずである。不審に思っているうちに扉が開き、ファバルが顔をのぞかせた。思わずイシュタルは、かけていた椅子から立ち上がった。
「早かったのね。どうかしたの?」
「うん、会議が一時中断。ちょっと休憩を取ることになった」
 何でもないようにそう言って、ファバルは長椅子に腰を下ろした。しかしその顔色は、あまり芳しくないようにイシュタルには見える。
「今、お茶を淹れるわね」
「イシュタル」
 立ち去りかけたイシュタルの手首を、ファバルが掴んで引き止めた。その顔に一瞬だけ浮かんだ、まるですがるような瞳の色。すぐに消え去ったその表情を目にして、イシュタルは何も言わずファバルの隣に腰を下ろした。
「大丈夫? 疲れているのではない?」
「ああ、平気だ」
 イシュタルがファバルの頬にそっと手を伸ばすと、彼はそのまま頭を傾けて彼女の肩にもたれるようにした。
「悪いな。ちょっと眠ってもいいか? イシュタル」
「ええ」
 身体を倒し横になったファバルは、イシュタルの膝に頭を乗\せて目を閉じる。イシュタルは肩に羽織っていたショールをはずし、ファバルの身体にかけた。
 彼がこんなふうに自分の前でくつろいだ姿を見せる時、イシュタルの心は形容しがたい気持ちで満たされる。何となくほっとするような暖かな思い。胸の奥から湧き上がってくる愛しいと思う気持ち。それは、ファバルと出会って初めて知ったものだった。
 自分が彼にとってどんな存在なのか、正直言ってイシュタルにはわからない。だが、もしほんの少しでも彼の安らぎになっているのなら、それだけで充分だった。

 ファバルは怖れることなく、毎日ああして戦いの場に出かけていく。
 彼は自分を批判する者を罰しようとはしない。それは、ともすれば埋もれがちな忌憚のない率直な意見を、少しでも掬い上げるためだった。それに伴う危険は承知の上で、その方針を現在も貫いている。
 何を言っても罰せられることがないと高を括った者たちから、さきほどのような罵声を浴びせられることは珍しいことではないのかもしれない。なのに彼は、そういったことを自分の前で一度も口にしたことがない。

 イシュタルを妃に迎えることも、本来ならファバルにとってはひどく不利なことであるはずだった。旧帝国の中枢にあった彼女を公妃とすることは、ユングヴィにとっては決して望ましいことではない。それを無理に通せば、現公爵に叛意を持つ者たちにさらに攻撃材料を与えることになる。賢い男ならば、イシュタルの存在はあくまで影に隠しておき、もっと差しさわりのない良家の令嬢を正式な妃として迎えるはずだ。
 だがファバルは、そういうやり方をしない。どこまでも真っ直ぐで、自分の心に嘘のつけない人間なのだ。そのことをイシュタルはよく知っている。だからこそ彼を信頼し、愛するようになったのだから。

 このままずっとユングヴィの宮殿の奥深くファバルに護られて、辛い思い出からも過去の罪業からも逃れ、ひっそりと暮らしていけるような気がしていた。自分がそう望めば、ファバルは叶えてくれるだろう。だがそれは、ただ現実から逃げているだけのように思えた。
 決して目を逸らしてはいけないことから、目を背けようとしている。そんな自分の弱い心と向き合わされた気がする。

 ――― このままでは、以前と何も変わらない…

 自分の膝の上で束の間の休息をとる、ファバルの横顔をじっと見つめた。逃げることも諦めることもしない彼の強さが、イシュタルの目に眩しく映った。



「いつもお心配り頂き、ありがとうございます。公爵様」
 柔和な笑顔を浮かべ、司祭がファバルに向かって頭を下げた。
 ファバルはどんなに忙しくても月に一度は必ず、城下にあるこの修道院を訪れる。ここには孤児院が併設され、戦争で親を失った子供たちが大勢保護されていた。こういった施設は国内の各地にあったが、ファバルはそのための予算を国庫から割り当てている。
 かつてファバルがコノートで世話をしていた子供たちの中にも、ここに移ってきた者が少なくない。子供たちはここで学びながら、生きるための術を身に着けていくのだった。
「何か不自由していることがあったら言ってくれ。出来るだけのことはさせてもらうつもりだ」
「金銭面での援助は充分に頂いております。それよりも公爵様が顔を見せて下さることが、あの子達にとっては一番嬉しいことなのです。皆いつも、首を長くして待っておりますから」
 司祭の答に、ファバルの口元がほころんだ。ついさっきまで、出迎えた子供たちに取り囲まれて、なかなかこの部屋にたどり着けなかったのだ。
 司祭はさらに付け加えた。
「ここの子供たちとコノートの孤児院に残った子供たちとの間で、手紙のやりとりも頻繁に行われているようです。将来、思わぬところから、ユングヴィとトラキアの交流が生まれるかもしれませんよ」
「へえ、それは楽しみだな」
 子供たちを引き取ったのは計算があってのことでは決してなかったが、結果的にそれが実を結ぶのは良いことだと思える。子供たちは、未来を担う若木の芽なのだとファバルは思っていた。それを摘み取らずに、自由に伸ばしてやるのが自分の仕事なのだろう。漠然とではあるがそんなふうに考えている。

 その時、視界の端に何かが映り、ファバルは窓の外に目を向けた。広々とした庭の一角には、たくさんの墓碑が並んでいる。戦争で没した、身寄りのない者たちの墓である。
 そしてその中央に、大きな石碑が立っていた。それは、子供狩りに遭ってバーハラに連れ去られ、とうとう帰ってくることのなかった子供たちの魂を慰めるために建てられた碑だった。その石碑の前に膝をつき、一心に祈りを捧げる女性の姿が目に入る。
 女性の後ろ姿に、ファバルは見覚えがあった。黒\いヴェールで上半身を覆ってはいるが、見慣れた彼女の姿を間違うはずがなかった。

「いかがなさいました?」
 窓の外を凝視するファバルに、司祭が問いかける。
「あ…いや……あの女性は?」
「え? ああ、あのご婦人ですか。よく見かけます。大層信心深い方のようですな」
 ファバルの視線を追って、司祭は窓の外の光景に目を向けた。
「お身内が、子供狩りに遭ったのかもしれませんね。あの慰霊碑の前で、いつも長い時間祈りを捧げていらっしゃいますよ」
 その言葉を聞くなり、ファバルは扉に向かって走り出した。


「イシュタル!」
 自分を呼ぶ声を耳にして、イシュタルは思わず顔を上げた。声の主を探して辺りを見回し、やがてこちらに向かって走ってくるファバルの姿を見つける。
「ファバル…」
 どうして彼がここにいるのかはわからない。しかし、そんなことはどうでもいいような気がした。ここで彼に会えたのも、何かの導きかもしれない。今なら、自分の気持ちを彼に伝えられそうな気がする。
 イシュタルはゆっくりと立ち上がった。
「ちょうどよかったわ、ファバル。あなたに話があるの」
 目の前で、肩を上下させながら呼吸を整えているファバルに向かって、イシュタルは静かに告げた。
「俺もだ」
 ファバルもまた真剣なまなざしを向けてくる。イシュタルはファバルの言葉を待つように顔を上げ、彼の目をじっと見つめた。それを受けるようにして、ファバルが口を開く。
「結婚の話は気にしなくていい。忘れてくれ」
 簡潔な一言だった。
「…人間は欲張りだな」
 ファバルは視線を逸らし、まるで自嘲するかのように笑う。
「初めておまえがユングヴィに来た頃、俺は毎日おまえの顔を見られるだけで心が満たされていた。なのに、いつのまにかおまえの笑顔が見たいと思うようになって、おまえの心が欲しいと思うようになって…。そして今度は、おまえが永遠に俺のものだという証が欲しくなったんだ」
 足下の芝生に視線を落としたまま、ファバルは言葉を続ける。イシュタルは、ただ黙って耳を傾けていた。
「俺はただ、おまえに幸せになってほしかっただけだったのに。それで充分だったはずなのに、肝心なことを忘れかけて、おまえを苦しめて…悪かった」
 それきり口を噤んだファバルは、しばしの時間を置き、ようやく顔を上げる。
「俺の話はそれだけだ。おまえの話は?」
 正面から見つめるファバルの表情には、微かな笑みさえ浮かんでいた。イシュタルは静かに目の前の瞳を見つめ返す。気持ちはすでに決まっていた。

「ファバル。わたしは、あなたの伴侶になりたい」
「イシュタル…?」
「幽霊ではなく、ちゃんと生きた人間として、これからもずっとあなたと一緒に歩んでいきたい」
 呆然とした表情のまま、ファバルはその場に立ち尽くしていた。イシュタルの言葉の意味を理解しても、まだ信じられない思いがする。
「でも……。本当にいいのか、それで」
 もし彼女が無理をしているのなら、その言葉を受けるつもりはなかった。だが、今自分を見つめるイシュタルの表情には、迷いが感じられない。苦悩の末に一つの答を導き出したような、静かな瞳の色がそれを物語っている。
 やがてイシュタルの目許にわずかな笑みが浮かぶ。
「ええ。あなたに支えてもらうだけではなく、あなたの支えとなれることが本当の喜びだと、わたしは思うから」
 普段は冷たいとさえ感じる彼女の美貌が、まるで春の花がほころぶように暖かなものに変じていく。それを見つめるファバルの顔にも、やがて同じような笑みが広がっていった。

 ユングヴィが新しい公妃を迎える喜びに包まれたのは、それから間もない頃。花咲き乱れるある春の日のことだった。



-END-



[129 楼] | Posted:2004-05-22 17:31| 顶端
雪之丞

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ため息の予感



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「ついてこないでっ!」
 スカサハの耳にそんな言葉が聞こえてきたのは、彼が訓練場に向かう早朝のことだった。
 聞き覚えのある声にスカサハが足を止めた時、廊下の曲がり角から突然人影が現れる。前も見ずに走ってきたらしいその人影は、スカサハが予想した通りの人物だった。
「きゃ、ごめんなさい!」
 ぶつかる寸前でどうにか立ち止まった見事な反射神経の持ち主は、スカサハの顔を見上げて驚きの表情を見せる。
「スカサハ…」
「何やってるんだ、ラクチェ」
 前のめりになっている妹の身体を支えながら、そう声をかけた。それに対してラクチェが何か言いかけた時、曲がり角の向こうから近づいてくる誰かの足音が聞こえてきた。そのとたん、ラクチェがはっとした表情を見せる。自分を支える兄の手を振り切るなり、彼女は再び走り出した。
「何でもないの。ごめんね、スカサハ!」
 見る間にラクチェの背中が遠ざかっていく。それとほぼ同時に、曲がり角から足音の主が姿を現す。ラクチェを見た時にすでにスカサハには予想がついていたが、案の定そこに現れたのはヨハルヴァだった。
「スカサハ?」
 慌てて立ち止まったヨハルヴァは、思わぬ人物を目の当たりにして、困惑の表情を浮かべる。
「何かあったのか?」
 スカサハの問いにヨハルヴァは答えない。無言で、ラクチェが走り去った廊下の奥に視線を向ける。しかし、ちょうどその時、彼女の姿は曲がり角の向こう側へと消えていった。
「いや……」
 それだけを口にすると、ヨハルヴァは大きなため息をついた。そして、そのままスカサハに背を向けて、元来た道を戻っていく。その後ろ姿が、やけに小さくスカサハの目には映った。




 全力疾走で廊下を走りぬけたラクチェは、そのまま自分の部屋に飛び込んだ。同室のラナは、すでに怪我人の手当てのため治療室に向かっているらしく、部屋には誰もいない。ラクチェは寝台に腰を下ろすと、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。

 ――― 何やってるんだろう、わたし…

 そんなことを思い、思わずため息がもれる。きっとスカサハだって、変に思ったに違いない。何よりも、自分自身がこんな状態は嫌だ。
 ラクチェの脳裏に、数日前の出来事が甦ってくる。


「え、ほんと!? ほんとに直ったの?」
 ラクチェは信じられない思いで、ヨハルヴァの手の中を覗き込んだ。
 そこには、淡い光を放つ水晶の耳飾が片方だけ乗\っている。動きに合わせて揺れる、小さな水晶の粒が連なった耳飾。それはティルナノグを発つ時に、母代わりのエーディンがラクチェに持たせてくれた品だった。無事の帰還を願うエーディンの祈りが込められた大切なその御守りを、ラクチェはいつも身に着けている。しかしこの間、ふとした弾みに片方の留め金が外れてしまい、水晶がばらばらに散ってしまったのだ。
 その時たまたま近くにいたヨハルヴァは、散乱した小さな粒を全て拾い集め、直してみると言って持ち帰った。しかし、おそらく修理するのは無理だろうと思っていたラクチェは、今すっかり元の形を取り戻した耳飾を、驚きの表情で見つめている。

「留め金のところが壊れていたから、この部分だけは新しいものと交換したけど、他はみんな以前のままだ」
 そう言ってヨハルヴァは、ラクチェの手のひらに耳飾をそっと落とす。まだ信じられない思いのまま、ラクチェはもう一度手の中を見つめた。やがて、左耳のところに持っていったが、鏡がないせいか、どうにも上手く着けることができない。

「着けてやるよ」
 苦笑しながらヨハルヴァが手を伸ばす。普段なら、そうそう素直に従うラクチェではなかったが、この時ばかりはありがたくその申し出を受けた。そして、耳たぶにいつもと同じ軽やかな感触が戻ってきたのを実感する。

「……ありがとう、ヨハルヴァ」
 ごく自然にそんな言葉が口をついた。ヨハルヴァなら、もっと高価な品を容易く手に入れることができただろう。しかし彼は、ラクチェにとってこの耳飾がどんなに大切なものであるか、ちゃんとわかってくれていたのだ。そのことが何よりも嬉しかった。
 だが次の瞬間、思いもよらないことが起こる。突然肩を掴まれ引き寄せられ、気づいた時にはラクチェはヨハルヴァの腕の中にいた。わけがわからなくて思わず見上げると、ふいにヨハルヴァの顔が近づいてきて、そして…。
 自分が何をされたのか理解したのは、ヨハルヴァの唇が離れた後だった。
「ばかっ!」
 何も考えられず、思わずそう言葉を投げつけていた。そして混乱する頭を抱えたまま、彼の前から走り去ったのだった。


 あの時のことを思い出し、ラクチェは寝台の上で再び大きなため息をつく。一旦寝返りを打って仰向けになり、再びうつ伏せになってもう一度ため息をついた。
 突然のことに驚いたのは確かだ。不意打ちなんてずるい…そんな思いが頭を掠めたことも覚えている。その一瞬は少しだけ怒りを感じたかもしれない。でも、そんなものはすぐに消えてしまった。
 自分の気持ちを正直に認めてしまうなら、決して嫌ではなかったのだ。あの時、抱き寄せられた腕が暖かくて、驚くほど心地よくて、そのことで頭がいっぱいになってしまった。唇が触れた瞬間も、少しびっくりしたけれど、嫌悪感はなかった。
 なのに唇が離れ、間近にヨハルヴァの顔を見たとたん、頭に血が上って、頬が熱くて、何も考えられなくなって逃げ出してしまった。そしてそれ以来、ヨハルヴァと顔を合わせられない。別に怒っているわけでも、彼が嫌いになったわけでもない。ただ、どうしていいのかわからないのだ。

 ――― だって、どんな顔して会えっていうのよ…

 あんなことがあった後で、まともにヨハルヴァの顔を見ることなんて、とてもできそうになかった。遠目に彼の姿を見ただけで、あの時の胸の鼓動を思い出し、考えるより早く体が回れ右をしている。
 さっき、自分を呼び止めようとしたヨハルヴァを振り切って逃げ出す瞬間に目に入った、寂しそうな悲しそうな茶色の瞳。それを思い出すと、ラクチェの胸にも針で突かれたような痛みが走る。それでも、正面から彼に向かい合うことがどうしてもできない。

 ふと、左の耳たぶに触れてみる。ヨハルヴァが直してくれた耳飾が、しゃらん…とかすかな音をたてた。ばらばらに飛び散った水晶の粒を、懸命に探してくれた彼の姿が甦ってくる。これを元通りに直すのだって、相当苦労したに違いない。なのに彼は、そんな素振りを少しも見せなかった。
 それに対して、自分のとっている行動は…。そう思うと、罪悪感にも似た気持ちが込み上げてくる。

 ――― どうしよう……

 枕を抱きしめたまま、ラクチェは深い深いため息をついた。





 そして同じ頃。
 やはり部屋に戻ったヨハルヴァが、同じように深いため息をついていた。

 ――― まいったな…

 ラクチェの気持ちを無視して勝手なことは絶対にしないつもりだったのに、あの一瞬は本当に魔がさしたとしか言いようがない。

 ――― ありがとう、ヨハルヴァ

 あの時、そう言って自分を見上げるラクチェの顔を、ヨハルヴァは呆然と見つめていた。こんなにも素直な感謝の思いを込めたラクチェの表情は、これまで見たことがなかった。
 初めてラクチェに出会った時から、ヨハルヴァはずっと自分の想いを真っ直ぐに彼女にぶつけてきた。しかし、それに対するラクチェの反応は、決して芳しいものとは言えない。はっきりと拒絶されたことはなかったが、かといって受け入れてくれることもなく、二人の距離が縮まることはなかったのだ。

 いつも、どちらかというと睨みつけるようなきつい視線を向けてきたラクチェの、思いもよらない柔らかな眼差し。それを見ているうちに、気づいたら勝手に腕が伸び、彼女の身体を抱き寄せていた。
 突然のことで、ラクチェ自身も何が起こったのかわからなかったのかもしれない。戸惑ったような瞳で、ぼんやりと見上げてくる。そのあまりに無防備な表情に、一瞬理性が弾け飛んだ。そしてそのまま身体を屈めて、ラクチェの唇に自分の唇を重ねていた。
 一瞬とも永遠とも思える至福の時。やがて、ゆっくり唇が離れると、目の前で見る間に染まっていくラクチェの頬。次の瞬間、彼女は飛び退くように後ろに下がった。俊敏で軽やかなその動作に、思わず見とれてしまったほどに。
 手の甲で唇を押さえたまま、ラクチェは上目遣いで睨むように見つめている。その瞳が潤んでいることに気づいた時、激しい後悔と罪悪感が胸を襲った。
 謝罪しなければ…。そう思い口を開こうとした瞬間、先を制するようにラクチェが言葉を投げつけた。

「ばかっ!」
 それだけを口にすると、ラクチェは背中を向けて逃げるようにその場を走り去った。
「ラクチェ!」
 叫んでも、彼女は振り返ることすらしない。小さくなるラクチェの後ろ姿を見つめながら、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことを、ヨハルヴァは嫌というほど思い知らされていた。


 うろうろと部屋の中を歩き回っていたヨハルヴァは、やがて諦めたように長椅子にどさりと身体を投げ出した。あの時の、ラクチェの瞳に浮かんでいた涙が胸を抉る。ラクチェのことだから、あれが初めてのくちづけということも充分考えられる。

 ――― まずい、非常にまずい…

 自分は嬉しいが(いや、そんなことはどうでもいい)、彼女の気持ちを考えると、ヨハルヴァは奈落の底に沈み込みそうな気分になった。
 これまで彼女は、迷惑そうな顔をしながらも、ちゃんと自分と向き合ってくれていた。たとえ良い結果でなくとも、必ず何らかの答を返してくれた。怒鳴られようが、ひっぱたかれようが、ラクチェが彼女の瞳の中に自分を映してくれれば、それだけでヨハルヴァは嬉しかった。
 だが今のラクチェは、ただ自分を避けるのみだ。これがヨハルヴァには一番堪える。

 ――― もう、顔も見たくないってことか…

 そこまで嫌われてしまったのかと思うと、絶望のあまり全てを投げ出してしまいそうになる。だが、それも自業自得なのだ。どう考えても非は自分にある。
 両腕で頭を抱えたヨハルヴァは、この日何度目かの特大のため息をついた。




 その日の早朝、訓練場に向かうため廊下を歩いていたラクチェは、角を曲がったところでいきなり誰かに腕を掴まれた。
「何するの!」
 抗議の声を上げた時、相手の顔が目に入り思わず動きを止める。
「ヨハルヴァ……」
 これまで避け続けてきた相手の顔を間近に見て、反射的に逃げ出そうと身を捩る。しかし、強い力で掴まれた手はまるで振り解くことができなかった。
「話がある」
 それだけ言うと、ヨハルヴァはラクチェの手首を掴んだまま、先にたって歩いていく。ラクチェは引きずられるようにして、後を付いていくしかできない。
「どこに行くの、ヨハルヴァ! 手を離してったら!」
 いくら声を上げても、ヨハルヴァはひたすら無言で歩いていく。何度も手を振り解こうと試みたが、元々力ではヨハルヴァに敵うはずもない。彼の意図がわからないだけに、ラクチェの胸に次第に不安が忍び寄る。

 やがて人気の無い一角にたどり着くと、ヨハルヴァはラクチェの背中を壁に押し付けた。そのまま彼女の両側を腕で塞ぎ、退路を断つ。背中には壁、両脇はヨハルヴァの腕に挟まれ、ラクチェはどこにも逃げられなくなった。それでも視線をせわしなく動かし、つい逃げ道を探してしまう。
 そんな時、頭の上でかすかなため息が聞こえた。

「何もしないから、そんな顔するなよ」
 あまりにも思いつめたその声に、ラクチェは一瞬顔を上げた。だが、見上げた目がヨハルヴァの目とぶつかったとたん、思わず視線を逸らしてしまう。
 そんな彼女に、頭上から静かな声が降ってきた。
「おまえに謝りたかったんだ。…悪かった。もう二度と、おまえの気持ちを無視してあんなことはしない」
 真摯な声が、ラクチェの耳に染み入るように聞こえてくる。それでもラクチェは、顔を上げることができない。
「謝って済むことじゃないのは重々承知してる。だけど、頼む。逃げないでくれ。おまえにそんなふうに避けられると、俺はもうどうしていいかわからないんだ」
 その声音には、言葉どおりの苦渋が滲んでいた。ラクチェの胸にも、それは確かに伝わってくる。
「本当に…すまなかった」
 その言葉と同時に、ラクチェの両側を塞いでいた腕が離れた。ラクチェが視線を上げると、目の前で深く腰を折り、頭を下げたヨハルヴァの姿が目に入る。そのまま彼は微動だにせず、謝罪の姿勢を続けた。

「…嫌だったわけじゃないわ」
 ぽつりと、小さくラクチェの声が沈黙を破る。思わず身体を起こしたヨハルヴァの目に、視線を逸らしたまま呟くラクチェの横顔が映る。
「恥ずかしかったの……」
「え?」
「恥ずかしくて顔を見られなかったの! 今だって、心臓が爆発しそうなんだから!!」
「ラクチェ…」
 ようやくラクチェは正面からヨハルヴァを見つめた。
 あの時と同じように、ヨハルヴァの目の前で、見る間にラクチェの頬が赤く染まっていく。だが今度は、ラクチェは逃げなかった。睨みつけるような目で真っ直ぐヨハルヴァを見据えながら、それでもその場に踏みとどまっていた。その肩が、かすかに震えているのがわかる。
 ヨハルヴァは、ためらいがちに手を伸ばした。もしラクチェが少しでも嫌がるそぶりを見せたら、すぐに手を止められるように、静かにゆっくりと。
 ヨハルヴァの予想に反して、ラクチェはこれといって抵抗する様子も見せず、おとなしく彼の腕の中に納まった。だが、その顔は再び逸らされて、ヨハルヴァのほうを見ようとはしない。
 少し身を屈め、ヨハルヴァはラクチェの耳元に低く囁く。
「俺が好きか? ラクチェ」
「……知らない」
「俺は好きだ。ラクチェが好きだ。この世の何よりも、大切に思ってる」
 ラクチェは答えなかったが、下げたままだった腕を上げ、ヨハルヴァの上着の裾をぎゅっと握り締めた。



 その翌朝、食堂には仲睦まじく並んで食事をとっているヨハルヴァとラクチェの姿があった。前日までとはうって変わったその様子に好奇の目を向ける者もいたが、二人はまるで気にする様子もない。
 そんな二人のほうに視線を向けたまま、スカサハは向かい側に座るデルムッドに声をかける。
「で、その結果があれだっていうのか? いったい、何があったんだ?」
 昨日、ヨハルヴァがラクチェを引っ張っていくのを目撃したデルムッドから、その時の様子を聞いたばかりだったのだ。
「さあな。ヨハルヴァが実力行使にでも出たんじゃないのか?」
 デルムッドが冗談半分に物騒なことを口走る。しかしスカサハは、その可能性は皆無であろうと思っていた。なぜならその時、訓練場に向かっていたラクチェは剣を身に着けていたはずなのだ。だから、ラクチェにその気がなければ、どんな男だろうと返り討ちに遭うに決まっている。
 生まれた時からすぐ側で妹の一部始終を見てきたスカサハは、そのことを嫌と言うほどよく知っていた。

 ――― ということは、そうか、やはりそうなのか…

 ヨハルヴァに義兄と呼ばれる日のことをふと想像し、思わずため息をつくスカサハだった。



-END-



[130 楼] | Posted:2004-05-22 17:32| 顶端
雪之丞

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总算贴完了。也许贴到日语学院更好吧。无所谓,都是一些比较早的文章,基本上都是9几年的作品,可见日本人的厉害。反正我识自认不如。还有,这些都是系谱的同人。关于其他的只好等下次了。虽然遥遥无期......


[131 楼] | Posted:2004-05-22 17:36| 顶端
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[132 楼] | Posted:2004-05-22 18:05| 顶端
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看过了,不过还是收藏之。

庄子与惠子游于濠梁之上,庄子曰:条鱼出游从容,是鱼之乐也,惠子曰:子非鱼,安知鱼之乐?庄子曰:子非我,安知我不知鱼之乐?惠子曰:我非子,固不知子矣,子固非鱼也,子之不知鱼之乐,全矣。庄子曰:请循其本,子曰汝安知鱼乐云者,既已知吾知之而问我,我知之濠上也。
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>>君の元へ                                   巡礼者シリーズ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【一章 ・くしゃみ】


「くしゅん!」

と、かわいらしいくしゃみを3日前リーンがしていた。風邪をひいたのだろうか。


そしてその2日後・・・


「へっくしょい!!」

と、でかいくしゃみをアレスがしていた。

だいたい何をしててリ-ンからアレスへと風邪が移ったんだか・・・と、デルムッドは胸中で

あきれていた。

遠まわしののろけのようにすら感じる。

でも、それを口に出すのは負けているようでくやしいのであえて何もいわずジト目でアレス

を見るのみにとどめた。

真顔に戻るとアグスティ城へとやってきた理由をストレートにデルムッドは言った。


「アレス、俺はイザ-クへ行く」


その言葉にアレスは一瞬驚きすぐに目を細めてにや~っと意地悪く笑った。

「ほ~~イザ-クか・・・・デルムッドは何かイザ-クに用事があるのかな?」

本当は理由も知っているのにわざとらしく丁寧な言葉で返す。

どうもこの信頼できる従弟であり、友であるデルムッドにはからかい癖が発動しやすいよう

であった。

デルムッドはうらめしそうな顔をして、そして同時に顔をあからめて

「わかるだろう?」

という。

まだこれくらいで引くアレスではない。

「いや・・・?すまない・・おれは忘れっぽくてな・・」

「・・・・」

意地の悪い対応に不満そうにしながらも真っ赤になって沈黙するデルムッド。

自分の感情に不器用なのは父であるフィン譲りなのだろう。

その様子をアレスは十分に楽しんだのか王座から立ち上がるとデルムッドの肩に手を

がしっとまわした。


「嘘だって。わかっているぞ」

「アレス・・・」

デルムッドは従兄の琥珀色の瞳を見た。

「この3年間、お前には本当に助けられた。おかげでこのアグストリアに平和を取り戻す

ことが出来た、礼を言う。もう待つ必要はない。イザ-クに行って来い。そして絶対ここに

帰って来い。ここはお前の家でもあるのだからな」

「あぁ・・・もちろんだ・・」

アレスの真剣な言葉に胸が熱くなるのを感じた。真摯な言葉は人にあたたかさをくれる。


「必ず帰るさ・・・マリータと一緒に」

デルムッドの答えに満足したのだろう。アレスは微笑みながら深く頷いた。


◇ ◇ ◇


「へっくしゅ!!」

そして今日。

イザ-クへの道中でデルムッドは派手にくしゃみをすることとなった。

(アレスのやつ・・・風邪、うつしたな・・・)

内心、今やアグストリアの統治者となったアレスに毒づいた。

(だが・・・安静にしてる暇なんてあるものか・・!マリータをはやく迎えに行くのだから!)

デルムッドは今、いつになく燃えていた。


3年前に互いの理由から一度傍を離れる事となってしまったデルムッドとマリータ。

デルムッドはアグストリア統一をアレスと共に果たしたら必ず迎えに行くと約束していた。

マリータも自身の修行のために辿り着いたイザ-クでデルムッドをきっと待っているはずだ。

(マリータいきなり行ったら驚くだろうか・・・)

まだ、イザ-クへの道のりは遠いというのにデルムッドの頭は彼女と再会することばかり

だった。

あの黒\い瞳、黒\い髪・・思い描くだけで幸せな気持ちになれる。

デルムッドは空を見上げた。この空はイザ-クへと続いている。

(早く会いたい、マリータ・・・)

胸中で黒\髪の恋人へとささやいた。

この時、自分の身体に起きている異変にこの時デルムッドはまだ、気付いていなかった。


       
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【二章 ・やっと会えた・・・?】


(もうすぐ…もうすぐなんだ…)

デルムッドは必死に前方を見つめながら思った。

彼は今日ついにグランベルを経由して念願のイザークへと足を踏み入れた。

が、アレスからうつされた風邪が体をむしばみ息をするのも苦しい。

そんな今はデルムッドが馬に乗\っているというか馬が彼を乗\してやっているといった状態で

あった。

歩みの一つ一つが頭にガンガンとひびいてたまらなく辛かった。


(アレスの奴…帰ったら覚えてろよ…)


出発のときの感動の会話はどこへ行ってしまったのかデルムッドは心のなかで従兄への

仕返しを誓ったのだった。


剣聖オードの国イザークには大きな町がいくつかとそしてデルムッドらが育ったティルナノグ

という隠れ里がある。

恋人であるマリータはおそらくそのどこかにいるはずだった。

(マリータは前に手紙で闘技場で修業しているといっていた…だとすれば一番大きい

闘技場のある王都イザ-クから探すのがいいか…それにシャナン様たちに会えれば何か

知っているかもしれない…)

デルムッドは体に体調不良からくるほてりを感じながらもそれを無視して王都へと向かった。


◇ ◇ ◇


王都イザ-クについたころには夕暮がやってきていだ。

闘技場はすでに終了になっていてデルムッドはとりあえず城のシャナンを尋ねることにした。


「私はアグストリア統一王国アレス王の臣が一人、デルムッドと申します。シャナン王に

お取りつぎ願いたい」

城門にあらわれていきなりそう名乗\ったデルムッ ドに門番は少なからず驚いたようで

あった。

無理もない。本来デルムッドの身分の人間がなんの連絡もなく王をたずねることなどない

のだから。

風邪の体に鞭打って背筋をのばしなるべく礼を欠かない態度をとろうとする。

だがもう視界がぼんやりとしてきていた。

( …大丈夫か…俺?)

自身が不安になってくる。そう考えているうちに門番が戻ってきて敬礼した。


「お会いになるそうです。どうぞこちらへデルムッド様」

案内についてデルムッドは城門をくぐった。

デルムッドのもはやおぼろげになりつつある視界の先に佇む3人の影―――

「よう!」

幼馴染のスカサハ。

「久しぶりね」

同じく幼馴染でスカサハの恋人のラナ。そして―――


「デルムッド・・!!」


「マリータ・・・!!」


黒\い瞳がこちらを見ていた。

白い肌、生命力に富んだその表情。

歩みを速める。

マリータのほうも待ちきれず駆け寄ってきてデルムッドに飛びついた。

「デルムッド!いきなり来るからビックリしたよ!」

「あぁ・・・約束を守りにきた。迎えにきたよ・・」

「うん・・うん!!会いたかった・・・」

マリータの瞳に涙がたまっている。

そして2人の唇が触れ―――あわなかった。


「・・・?」


キスを待って瞳を閉じていたマリータが目を開けると・・・

「デッ・・デルムッド!?」

やっと会えた恋人はゆっくりと前にのめって倒れてきた。

あわてて抱きとめるがマリータでは支えきれず地面に2人一緒に倒れこんだ。

スカサハとラナもぎょっとして駆け寄ってくる。

「どうしたの?デルムッド!!ねぇ!?」

マリータが必死に話し掛けるが返事がない。体が熱を持って息もぜいぜいと荒かった。

「・・・・!マリータ、デルムッドは体調が悪いんだわ」

「そんな・・・どうしよう?」

オロオロするマリータにラナは笑った。

「大丈夫、きっとほっとして疲れが出たのよ。スカサハ!部屋に運\んであげて」

「あぁ」

スカサハが頷く。


こうしてついにデルムッドはマリータと再会を果たしたのだった。



[134 楼] | Posted:2004-05-24 09:01| 顶端
雪之丞

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【三章 ・プロポーズ】


マリータを迎えにきて風邪に倒れたデルムッドは三日、熱とともに眠り続けている。

マリータはずっとベットの傍で目覚めを待っていた。

ふと部屋に夕暮特有の涼しい風が入ってきて白く透き通ったカーテンを揺らした。


コンコンと部屋をノックする音が聞こえて返事をするとエーディンが水差しを持って入って

きた。

3年前、このイザークでエーディンに出会ったときには本当に驚いた。

義母と瓜二つの顔。その後記憶を取り戻した義母エーヴェル(本名はブリキッドというらしい)

がこのイザークにやってきて、初めて二人が双子の姉妹だったことをマリータは知った。

「デルムッドはまだ起きないかしら?」

「はい・・・まだ・・・心配です」

しゅんとしおれた姿をみてエーディンが微笑んだ。

「大丈夫よ、昔から体の強い子だったから時期に目を覚ますわ」

「そうでしょうか?」

「そうですとも」

エーヴェルによく似た笑顔がマリータを安心させた。

エーディンは水差しを取り替えながらシャナンとラクチェが近いうちにイード砂漠の平定を

終えて帰ってきそうなことを伝えた。

そしてデルムッドの額に手をあててだいぶ熱が下がったことを確認すると部屋から去って

いった。


部屋には再びデルムッドとマリータが残された。

(早く起きてくれないかな・・・いっぱい話をしたいことがあるのにな)

マリータは恋人の寝顔を見た。

こうやってみるデルムッドはフィンにも似ているが父親よりも線が少し細く見える。

もしかするとそのあたりは母親であるラケシスの遺伝が強いのかもしれない。

そっとデルムッドの手を握ってマリータは椅子に座りながらベッドに上半身を伏せて

目を閉じた。

再会した時のデルムッドを思い出す。


迎えにきた、と言っていた。

これからはずっと一緒にいることができるのだ。

そう思うとうれしかった。

そして少し照れ臭かった。

ふ・・・と微笑したところで髪を撫でる感触がしてがばっとマリータは体を起こした。

青い瞳が開かれてこっちを見ている。


「デルムッド!」

「なんだもっと触りたかったのに」

名残惜しそうに手をぷらぷらさせる。

「ばかっ!心配したんだから」

デルムッドの頬をぺしっと叩くと寝ているデルムッドの上に飛び付いた。

再び頭をゆっくりと愛しむように撫でられる。

「マリータ・・・」

「どこかつらいとこはない?」

心配そうな声にデルムッドは苦笑して言った。

「そうだな、どっかの誰かさんの身体が重たいな」


「!」


マリータは重いと言われたことがショックだったのかあわてて離れる。

「ははっ!嘘だよ」

デルムッドは笑いながら身体を起こすとマリータを抱き締めた。

しばらく沈黙が支配する。

マリータは黙って身体を預けていた。

話したいことがあったはずなのにいざとなると何も言えなかった。

そっと身体が離れてデルムッドは真剣な眼差しでいった。


「マリータ・・・アグストリアに帰ったら結婚してくれないか」


「・・・!」

「・・・もう何も隔てるものはないよ」

「デルムッド・・・」

いきなりの、だがずっと用意されていたであろう言葉にマリータは顔を赤くして伏せた。

3年も離れ離れだったのだ。こういうご褒美があってもいいのかもしれない。

「・・・・」

上手く返事ができない。

どんな顔をすればいいのかな。

デルムッドはとても真剣な眼差しを注いでくれている。

でもマリータは逆にうれしさと恥ずかしさに赤面してしまっていてなんだか不謹慎な様な

気までしてしまった。

「マリータ・・・駄目なのか・・・?」

「!!違う!」

あわてて真っ赤な顔を上げる。

「違うの、うれしいの!でもそうしたらどんな風に振舞えばいいかわかんなくなっちゃって」

後ろの方はまたしても下を向いてしまってよくは聞こえなかったかもしれない。

かあぁっとますます顔が赤くなるような気がしてマリータは頬に両手を当てた。

そばでデルムッドがくすっと笑ったような気配がした。

頬に当てられた手をデルムッドの大きな手が取る。

そしてそのまま体を引き寄せられてキスをした。


「デルムッド・・・・」

「俺の妻になってくれるか?」

「うん・・もちろんだよ」

涙声で言い切ってマリータはデルムッドに抱きついた。

窓の外から夕日がオレンジ色ににじみながら二人を照らしている。


さらに言えば見舞いにきたスカサハとラナがプロポーズの現場を見てしまったのは内緒の

話である・・・・・


 
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【四章 ・幸福】


プロポーズの次の日、体調も回復してベッドからはなれたデルムッドがのびをしていると

部屋をノックする音がした。

出ようとするデルムッドより先にマリータがドアのノブを回した。

すると突然黒\髪の少女がマリータに飛び付いてきた。


「たっだいま~!」


「ラクチェ様!」

なんとイード砂漠の平定 にシャナンとともに出掛けていたはずの彼女である。

そういえばそろそろ帰ってくると エーディンが言っていたことをマリータは思い出した。


「ラクチェ、騒ぐな。病人だぞ、デルムッドは。」

さらに扉の向こうからシャナンが姿をみせた。

「でも~もう平気そうだし!それに早く伝えたいことがあるじゃないですか!ねっ!」

「ラクチェ、シャナン様!お久しぶりです」

デルムッドが喜びながら近付いてきた。

「あぁ、元気そうで何よりだ」

金髪の頭をまるで兄が弟にする仕草のようにくしゃっとなでるとくすぐったそうな仕草をした。

「元気そうでよかった。・・・・・ところでデルムッド」

にっこりと笑うシャナン。

「はいなんですか?」

にっこりと返すデルムッド。


「お前、マリータと結婚するのだろう?」


『!!!』


いきなりの言葉に笑顔のデルムッドとマリータがぴしっと固まった。

昨日プロポーズしたばかりなのに何故もう知られているのだろう。

まさかその現場をスカサハとラナに目撃されていたとは思わない二人である。

ラクチェがにんまりと笑っていた。

シャナンは固まってしまった二人にお構いなしに話を続ける。


「親にあいさつにいくのだろう?」

デルムッドは観念して頷いた。

「・・・・え・・えぇ、帰りにエーヴェル様にご挨拶に行くつもりですが」


「レンスターにも拠っていけよ」


シャナンの言葉に目をぱちくりとさせるデルムッド。

「でも父上は今イードに…」

シャナンが言葉をさえぎるようにデルムッドの肩に手をおいた。

「いいか、よく聞け」

シャナンがうれしそうに目を細めた。マリータはそれを少し離れて聞いていた。

「?どうしたのですか?」


「フィンはもうレンスターに戻っている」


「え・・・」

デルムッドが目を大きく開いた。

「そ・・・れは・・・」

かすかな動揺をみせたデルムッドを落ち着かせるようにシャナンはゆっくり頷いた。


「ラケシスが見つかった。お前は母上に会えるんだ、デルムッド」


シャナンの言葉に呼応してデルムッドの瞳がゆれるのをマリータは見逃さなかった。

「母上が・・・・ご無事で・・・そうだったのか・・・!」

マリータがそっと近付いて手をとる。


「デルムッド・・・・」

やさしく笑うとデルムッドは実感がわいたのか涙をこらえてうん、と頷いた。

シャナンはそれを見守りながらマリータを見た。

「ちょっと旅は遠回りだがいいな?」

「もちろんです!わたしもお会いしたいです」

マリータの返答にシャナンは満足だったのか頷いた。

そのシャナンにラクチェがじゃれつきながら二人にウインクした。

「ラナがワープの杖を持ってるからひとっ飛びよ!」

「そうだな、ラナに頼むか」

シャナンも同意した。

「それでいいだろうか?」

「もちろんです、お願いします」


(母上に会える・・・・・)

胸が高鳴っていた。

マリータとの再会、結婚の約束。

そして行方不明だった母にまで会えるなんて・・・こんなに素晴らしい日々があってよいの

だろうか。

幸福をもてあましてしまいそうな感覚に襲われてデルムッドは確かめるようにマリータの

手を強く握った。

手に力を感じてかマリータがにこっと笑った。


「さて、仲良しはこれからでも出来るだろうから、今はよかったらおれたちに二人の結婚を

祝わせてくれ。一緒に食事でもどうかな?」

シャナンの誘いに二人は驚きすぐにほほ笑み大きく頷いたのであった。


                               



[135 楼] | Posted:2004-05-24 09:02| 顶端
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【前編・思わぬ足止め】


イードの砂漠でフィンとラケシスが13年の月日を越えて再会を果たしてから約一週間が

過ぎようとしていた。

そして現在二人は、懐かしいレンスターへの帰路の途中である。

だが予定の日数を越えた今もイードの砂漠を抜けることが出来ていなかった。


◇ ◇ ◇


砂漠の小さな町の宿場でラケシスはその細身の身体をベッドに投げ出していた。

はいているブーツすらぬがずにぐったりと寝台に沈んでしまっている。

純白のシーツにはけぶるような金髪が美しい流れを描いていた。

はぁっと大きくため息をついて腕を瞳にあてたところでフィンが濡れタオルを片手に部屋に

戻ってきた。

ベッドまで歩み寄ってぐったりしてしまっている妻の顔を覗き込む。


「どうですか、具合は・・・?」

「・・・頭が痛いわ・・・」

つらそうな様子をみせたラケシスをいたわるようにフィンは額から髪にかけて絹糸のように

細い髪をすいてやると額にタオルをかぶせた。

「冷たくて気持ちいい・・・」

「きっと暑さにあてられてしまったのでしょう」


二人が予定通りに砂漠を抜けることができなかった理由は、属に言う熱中病の症状を

見せたラケシスを気遣ったフィンが、あえて先を急がずゆっくりとした旅路を選んだことに

あった。

「なんだか身体が昔より弱くなった気がするわ・・・」

「長い石化できっと体力が落ちているのですよ」

フィンはベッドに腰をおろして労るように頬をなでる。

ラケシスはくすぐったそうにかすかに身じろきしたが何も言わずに甘受していた。


「・・・やはりアルテナ様とともに行くべきだったかな・・・・」

フィンはつぶやいた。

フィンがラケシスと再会した時にアルテナがドラゴンを率いてきていて傍にいたのである。

頼めばドラゴンに乗\ってレンスターに戻ることも可能だったはずだ。

「どうしてそうしなかったの?」

ラケシスの当然ともいえる問いにフィンは一瞬驚き、さらに一瞬真顔に戻って最後に

苦笑した。

「レンスターに帰る前にあなたに話したいことが色々ありましたから・・・」

フィンはラケシスの瞳をみつめてさらに苦笑した。

「要するに二人きりになりたかったんです」

ラケシスはまあっ、と瞳を大きく開いて身体をおこした。

タオルが手元に落ちる。

フィンに身体を近付けてラケシスは少し意地悪く笑った。

「なんて酷い父親なのかしら。レンスターではナンナとリーフ様がまっているというのに」

「そうですね・・・ラケシスを独り占めしたとナンナに怒られるかもしれません」

フィンがわざと真面目に答えた。

それがなんだかおかしくて二人は目を細めて笑った。

ラケシスがじゃれつくように抱きついてきたのでフィンはそのまま抱き寄せて寝台の

背もたれに身を預けた。


「メルゲンまではあと一日あればつくはずです。そこでレンスターに使いを出しましょう。

それまで大丈夫そうですか?」

「えぇ・・・でも今日はさすがに・・・」

ラケシスのいわんとすることを察してフィンは頷いた。

「出発はもちろん明日以降にしましょう」

いいながらラケシス額に手をあてる。

「まだ熱があります。休んだほうがいい」


軽く頷いてラケシスはフィンの胸元で瞳を閉じた。

まだわずかに頭痛がする。

フィンはそれに気付いたのかどうかはわからないが頭をずっとやさしく撫でていた。

心地よさに眠りの国へと意識が飛び立つギリギリのとかろでラケシスは本音をそっと

つぶやいた。


「・・・わたくしも二人の時間がとれてよかったと思うわ・・・すぐにレンスターについても

わたくし、ナンナにどんな顔すればいいのか、何を言えばいいのかわからないもの・・・」

フィンは驚いてラケシスを見た。

だが抱き寄せている今の体勢では顔は見えずうなじしか見えない。

その背はどことなく淋しそうだった。

13年という長い月日。

子供の傍にいることが出来なかったことにラケシスは責任を感じている。

「・・・わたくしはデルムッドの傍にも、ナンナの傍にもいてやることが出来なかった・・・

淋しい思いをさせてしまったわ・・・」

「ラケシス・・・」


フィンは二人の子供のことを思い出していた。

母親ゆずりの美しい金髪をなびかせた二人とフィンは色々なことを語った。

デルムッドにはどんな日々を過ごしてきたのか、これからどうするのか、 何かしてやれる

ことはないかと父親として出来るかぎりのことをしようと思った。

それはナンナに対しても同様だった。

そんな兄妹が望んだことはただひとつ。


母親に会いたいということ・・・・


(私もお母様を待ちます・・・・いつか・・・会える日を・・・)

そういってナンナは笑ってくれた。

(・・俺も・・アグストリアの再興をしながら・・・父上と母上が再会できることを・・・ずっと

信じています。)

そういってデルムッドも笑ってくれた。

良い子達だ・・・本当に良い子に育ってくれたと思う。

フィン自身何もしてやれなかったと思うことばかりなのに・・・


「・・・ラケシス、大丈夫です。ナンナもそれにデルムッドもあなたに会いたがっていますよ」

ラケシスの気配が少しだけ変わった。

「ことばが見つからないのであれば、抱き締めてあげてください。きっと喜びます」

「フィン・・・」

顔をあげたラケシスの瞳は少し潤んでいるように見えた。

「わたくし、子供たちに会いたい・・・会いたいの・・・本当よ・・・」

瞳に涙がたまる。

二人を産んだ日を思い出す。

あんなにも幸せだった日はほかにはない。大切な子供たちだ・・・

この迷いはただ、13年の月日が戸惑いを感じさせたせいだ。

ラケシスの想いはかわらなくても子供達はもう、そうではないかもしれないとどこかで

不安だった。


「えぇ、わかっています」

フィンは力づけるように笑って抱き締めた。

「何も心配なんていりません。きっとナンナは今頃、帰りが遅いとリーフ様に言っているころ

です」

「・・・そうかしら?」

「えぇ、きっとそうですよ」

フィンのどこか確信めいた予言にラケシスはほっとして、かすかに笑うと再びフィンに身体を

あずけた。


頭痛はもう、ない。

ゆっくりと眠れそうだった。


   
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【後編・予言は現実に】


ラケシスが覚醒したのは夕暮れ時だった。

砂漠に夜が近付いてきていることを知らせる涼しい風が頬をなでて、夢の国から現実へと

帰ってきた。

目をあけるとフィンの腕の中にいた。

どうやらラケシスが眠りについた後、フィンも寝てしまったらしい。

起こさないようにそっと腕から抜け出すと、次にラケシスは自分が裸足なことに気付いた。

きょろきょろと見渡すとブーツは寝台の脇においてあった。

ブーツを取ろうと白い手をのばしたとき、


目の前の窓を何かが通った。


「え・・・?」

大きな目をこするが窓には夕日しか映っていない。

だが確かに今、窓のむこうを上から下にむかってなにかが通った。

ここは三階なのに。

「え・・・え?」

ラケシスは状況がいまいち把握できない。

把握しようと必死に考えているうちにフィンが目を覚ましてしまった。


「ラケシス・・・?具合は・・・」

「フィン!今、何かが!」

ラケシスはフィンの質問には答えずに飛び付いて窓を指差した。

「今、あそこに何かが通ったわ!」

「・・・?」

フィンはラケシスの言うことの意味が理解できず、とりあえず窓のほうへと行ってみる。

ラケシスはフィンの後にくっついていた。

窓を開けて下をのぞいてみてフィンは驚いた。

なんとドラゴンがいるではないか。そしてその横にいる見覚えのある人影・・・


「あ・・アルテナ様!」


フィンの声に美しい竜騎士がこちらを振り返った。

ラケシスが見た何かの正体はドラゴンだったのである。


◇ ◇ ◇


「助かったわ。こんなにはやく見つかって」

アルテナは嬉々とした表情で部屋にやってきた。

「アルテナ様は私達にご用でいらしたのですか?」

フィンは答えに薄々感付きながらも尋ねた。

「フィンとラケシス様をむかえにきたのよ」

「わたしたちを?」

ラケシスは首をかしげた。それを見たアルテナは事情を説明しようと口を開く。

でも先に思い出し笑いが出てしまった。


「いえね、わたしが先にレンスターにかえって二人の無事を伝えたら、ナンナが一緒に

かえってきたのではないのですかって聞いてきたの。だからきっと二人で用事があるの

でしょう、すぐに帰ってくるわって答えておいたのよ」

アルテナのことばにラケシスはうんと頷く。

「でも、メルゲンについてもいい頃になっても二人が姿を現さないでしょう?ナンナが心配

して捜しに行きたいっていいはじめてねぇ」

え?とラケシスが驚く。

フィンはやはりなといったような表情を見せた。

くすくすとアルテナが笑う。

「お母さまたちが心配です、リーフ様止めないでください!ってナンナが言い出したから

リーフが困ってしまってね。姉上~って泣き付いてきたからわたしが二人を迎えにいくから

レンスターでまってなさいって言ったの」

「娘がご迷惑をおかけしまして…」

フィンが困ったように謝った。

「いいのよ。ナンナの気持ちは良くわかるもの」

ふふふっとアルテナは笑っている。

どうも弟夫婦のやりとりがおもしろくて仕方なかったようだ。

「せっかく二人きりだったのは悪いのだけれども一緒にレンスターへ戻れるかしら?」

「えぇ、もちろんです。それでいいですね?ラケシス」

同意を求めるために振り替えるとラケシスはうつむいて肩を震わせていた。


「・・・ラケシス?」

もしかして泣いているのではないかと不安になりながら近付いて肩に手をかけると

ラケシスが顔をあげた。


ラケシスは笑っている。


「ふふっ・・・おかしいわね・・!」

「・・・何がですか?」

フィンが首をかしげるとラケシスは内緒といってウインクをした。

その様子にフィンは困ったなぁとアルテナと視線をあわせて苦笑した。

なにがきっかけなのかはわからないがどうやら元気になったようである。

ラケシスはまだたのしそうに笑っている。


『きっとナンナは今頃、帰りが遅いとリーフ様に言っているころです』


さっきのフィンの予想は正しかったのだ。

ナンナはどうも自分に似すぎているようである。

一緒に暮らしていなかったのに不思議なことだ。

それがラケシスにはおもしろかったし、うれしかった。

先程のつっかえはどこかへ行ってしまったように心が晴れやかだった。

はやく、子供達に会いたいと心からラケシスは思った。


懐かしいレンスターはまもなくである。


 



[136 楼] | Posted:2004-05-24 09:03| 顶端
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【一章 ・旅立ち】


夜が明けようとしていた。

新トラキア王国の王リーフの戴冠式は厳かにそして盛大に行われた。

昨夜のレンスター城では歓喜の声が溢れ誰もが新王の誕生を祝った。

フィンはそれを見届け、そして・・・今一人旅立とうとしていた。


馬に荷物をのせながら、フィンの頭には今までのことが走馬灯のように蘇っていた。

キュアンとエスリンが戦死したイードの大虐殺から17年、彼等の志半ばで絶たれた夢は

彼等の息子であるリーフが叶えた。

だが、それまでの道のりは遠くそして厳しいものだった。


レンスター城が落城したあの日をフィンは今でも覚えている。

幼いリーフとナンナを胸に抱いて真っ赤に燃える城をただ見つめることしかできなかった

あの日、フィンは泣いていた。

そして感情のすべてを懐かしい城に置いてフィンは、リーフの成長を待った。

感情を殺すことでしか生きることができなかった・・・


(幼いナンナがよくわたしの無表情な様子を見て泣いていたな・・・)

そんなことまでもを思い出す。

しかしいつまでも子供だと思っていた二人は成長し、昨日の戴冠式と共に婚約を発表した。

フィンはそれを事前に知らされたときにさほど驚きはしなかった。

全てを分かち合って育ってきた二人が手を取り合うのは自然なことなのだろうと思って。

『これで本当のフィンの息子になれるな』

といってくれたリーフの言葉が嬉しかった。


知っていたはずの昨日の二人の婚約発表はそれでも胸に迫るものがあった。

今や偉大な王となったリーフの横に寄り添うナンナの姿は今までのどんな姿よりも美し

かった。父親としてこんなに嬉しいことはない。

『幸せになるのだぞ』と涙をがまんして声をかける。

ナンナは涙を流してフィンに抱きついてきた。

何もしてやれなかったと思うのに、ナンナは私に感謝の言葉をくれた。

そしてその言葉をもらうと同時に自分のレンスターでの役目は終わったと、そう思った。


ラケシスを探す旅に出る時が来たのだと―――


◇ ◇ ◇


「行くのか」

馬に荷物をつみ終えたフィンの後ろから声がかかる。

フィンは振り返らずに答える。

「・・・あぁ。リーフ様を頼むぞ」

「リーフ様は立派になられた。もはやたとえ一人になっても全てをうまくやっていかれる

だろう。貴様はそれを知っているから旅立つのではないのか?」

「・・・そうだったな」

自嘲気味な表情を見せる。いつまでも昔の癖が抜けない。

「セルフィナのこと・・・・・すまなかった。それを言っておきたかった」

「かまわない。セルフィナの言う事はもっともなのだから」


『フィン様は冷たい人です!ラケシス様のお気持ちを知っておられたはずなのに・・・!』

聡明なセルフィナが声を荒げたのはあのときだけだったように思う。

どうしても黙っていられない・・・そんな顔をしていた。


フィンは親友―――グレイドを振り返る。

「セルフィナの言うとおり私は彼女の気持を知っていた・・・・知っていたはずなのに・・・

下らない感情に負けて追い詰めた・・・」

10年前、ラケシスがイードを越えてデルムッドを迎えにいったのは間違いなく自分の責任

だった。

エルトシャン王を愛していたのではないかという猜疑心が、ラケシスを危険な砂漠へと追い

立てた。

自分を愛してくれていたことをフィンは知っていたはずなのに。

いつだってあの美しい琥珀色の瞳は自分を見つめてくれていたのに・・・


「・・・だから貴様は行くのだろう?」

親友の声に現実へと感情が引き戻される。

(そうだ・・・だから私は旅立つのだ。過去の過ちを正すために、そして彼女へ再び想いを

伝えるために・・・)

「・・・そうだな」

フィンはかすかに笑う。

グレイドは久しぶりにフィンの笑った顔を見た気がした。


「・・リーフ様やナンナ様には黙って行くのか?」

「あぁ。私が旅に出ると言えばそうでなくてもまだ少ない人手を捜索に割くと言い出されそう

だからな。それに・・・」

「それに?」

「ナンナに見送られたらきっと泣いてしまうな・・・それは避けたい・・・」

少し困ったように笑った。

「確かに」

つられて苦笑する。

だがそれもすぐに真顔に戻った。


「・・・旅の無事と成功を祈っている。ノヴァの加護があらんことを」

「あぁ。お前にも・・・また会おう」

フィンは頷くと馬の腹を蹴る。

走り出してだんだん小さくなってゆく親友の影をグレイドは最後まで見ていた。

それでもフィンは振り返らない。

方向はもちろんイードの砂漠。

10年の月日を越えての旅立ちだった。


 
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【二章 ・砂漠へ・・・】


レンスターで朝一番にあった会議は、これからのトラキア半島の今後を話し合う重要なもの

であった。

だが、そこにはいつもリーフの傍にいたフィンの姿がなかった。

グレイドはあえてそれを進言はしなかった。


◇ ◇ ◇


「そうか・・・わかった」

会議のあと、フィンの様子を見に行かせたリーフの返事である。

部屋には誰も見当たらなかったという報告だった。

フィンはもうこのレンスターにはいないことにリーフは気づいていた。

小さい頃から父代わりとなって自分を育ててくれた。

だからこそフィンのことはよくわかった。失ったものを取り戻しに彼は行ったのだ。

前からフィンの旅立ちにはうすうす感づいていた。

「・・・すまないが、ナンナを呼んでくれ」

「かしこまりました」

パタンと閉じられる扉。


(ナンナはフィンの旅立ちをどう思うだろうか。・・・泣くかもなぁ・・・あんなにフィンが好きだ

もの)

少しおかしそうにリーフは笑う。

いや、笑ったはずだった。


手にポツリと落ちた一粒の涙。


フィンをやっと旅出してやれた喜びか、それとも自分のもとを去ってしまった悲しみなのか、

リーフにはわからない。

でも、フィンがそれだけ自分の大きな部分を支えてくれていたのは間違いなかった。

ごしごしと目をこすって窓から外を見る。


父が、母が、そしてフィンが愛し続けてきたこの国。

託された未来、誰もが望んだ平和な時代にリーフは今、辿り着こうとしている。

(フィン・・・はやく戻って来い。ここはきっと美しい国になる・・・)

目を細めて笑う。


「リーフ様、失礼します」

ナンナが部屋に入ってくる。

リーフは窓から扉へと振り返った。

ナンナはその姿に驚いて父親似の青い瞳を大きく見開いた。

見慣れているはずのリーフがいつもより大人びて、そして大きくなって見えたからだ。

窓から差し込む光を一身に浴びているリーフの姿はトラキア半島のこれからの未来を

示している様だった。


◇ ◇ ◇


国境を越えたイード砂漠の入り口にフィンは愛馬を伴って立っていた。

果てしなく続く一面の砂。

イード砂漠は未だ治安の悪い状態が続いている。

聖戦が集結した今でもロプトの復活を望む信者たちがこの砂漠に集結しつつあった。

時に強く吹く風で砂が巻き上げられる。

フィンは白いマントを羽織って足を砂漠へと踏み入れた。

10年前、ラケシスが通った道。自分がたどって初めて解かる事がある。

砂漠は広いとはいえ、ならず者、ロプトの生き残り、簒奪者・・・進めば進むほど危険と

出くわす。

10年前の最も治安の悪かった時期にラケシスはたった一人この砂漠に挑んだのだ。


『わ・・わたくしが兄を・・・一人の男性として愛していると・・・そう、思っているの・・・?』


疑った過去。


『私、イザークに行くわ。デルムッドを迎えに行く―――』


引き止めれなかった自分。


『必ず戻るから・・・・そうしたら4人で暮らしましょう・・・』


去っていく後姿。


置いていかれた一振りの剣と、一通の手紙。


貴方を守ってくれますように―――と、つづられた文字。


手紙に託していった彼女の思い。


人は失ってはじめて気付く事がある。

だが、失ってからでは遅いのだとフィンは知っていたはずなのに止める事が出来なかった。


砂塵の中にラケシスが寂しそうに歩いていく幻が見えた気がした。

「必ず・・・・迎えに行きます・・・もう一人にはしない・・・」

後悔するだけの日々はもう終わりを告げた。

フィンは前へと歩み始めた。


                                                     



[137 楼] | Posted:2004-05-24 09:04| 顶端
雪之丞

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【三章 ・思わぬ再会】


「シャナン様~早く次の街に行きましょうよ。ここにはロプト教団の者もいないみたいですし」

「早まるなラクチェ。この町で南から進軍しているアルテナ王女と合流することになって

いる」

「そんなこと言ってもう3日ですよ?はやく戦いたい~~~!!」

手に握った剣をぶんぶん振り回す。

「ラクチェ・・・お前はもうちょっとじっとする事を覚えないとな」

「だって・・・じゃあシャナン様、わたしに稽古つけてください!」

「ダ・メ・だ。わたしは今からこの町の者と今後のことを話し合ってくる。その辺でも散歩

してろ」

シャナンはラクチェの頭をくしゃくしゃと撫でるとその場を去った。

「もうっ!!つまらない!!」

撫でられた頭を押さえながらラクチェは頬を膨らませた。


◇ ◇ ◇


現在、シャナンとラクチェがいる町は、砂漠の中間点からやや西よりの場所に位置する

コザと呼ばれる小さな町だった。


聖戦が集結し、無法地帯となっているイードの砂漠をイザ-クと新トラキア王国とで協力して

平定することになって3年近くがたつ。

シャナン率いるイザ-クは北から、アルテナ率いる新トラキア王国は南から共に進軍し、

このコザの町で合流することになっていた。

だが、合流するはずの新トラキア王国軍が未だに姿を見せないのである。

南の方はロプトの抵抗が大きいと聞くから平定に時間がかかっているのかもしれない。


ラクチェは当初そもそもイザークに残るはずだったのだが、恋人のシャナンと離れたくない

一心でここまでついてきたのだ。

双子のスカサハなんかは「おかげでラナとゆっくりできる。是非行ってくれ」と止めもせずに

快く見送った。

まぁそれもシャナンが一緒ならと安心しての言葉だったのだろうが・・・


「にしても・・・シャナン様ったら・・・もう少しわたしをかまってくれてもいいのに・・・」

足元に落ちている小石をつまらなさそうに蹴っ飛ばすラクチェ。

ついてきたのはいいものの、シャナンは何かと仕事が忙しいといってラクチェを一人にする

ことが多かった。大事にはしてくれるのだがどこか不満が隠せないラクチェである。

「あ~~スカサハとラナがいたら暇しなかったのに・・・あれ・・・?」


呟いている途中でラクチェは足を止めた。

町の酒場の前に止められた見事な馬が目に入ったからだ。ラクチェは馬に近づく。

馬は一瞬警戒した様子だったがラクチェが撫でても騒いだりしなかった。

「いい子ね・・・にしても誰の馬かしら?よく躾けられているわ」

(こんなに躾けられているということは誰か騎士の方の馬かな?でもこんな砂漠の町に

騎士がいるのかな~??)

う~んと唸り始めたラクチェの疑問は、酒場から出てきた人物によって解消されることに

なった。


だが疑問は去ったかわりに驚きがやってくることにもなった。

きいっと開かれた酒場の木戸から姿を表したのはラクチェもよく知る、レンスターの騎士

フィンだったのだ。


「ふっ・・・フィン様・・!?」


思わず大きな声を上げてしまうラクチェ。

その声にフィンもまた驚きラクチェの名を呼んだ。

「ラクチェ様・・・・」


二人は思わぬ再会を果たすこととなった。


◇ ◇ ◇


「イード平定軍はシャナン様が率いてこられたのですか・・・」

イザ-ク軍がこのコザの町に駐屯していることは知っていたが、まさか王自ら進軍してきて

いるとは思ってもいなかったフィンである。

「はい、そうなんです。でもまだアルテナ様と合流できなくて・・・」

「わたしは南から来ましたが、ロプト教団がかなり抵抗していると聞きました。だからかも

しれません・・・」

「やっぱり・・・じゃあもうしばらくはこのままかな?」

しゅんとするラクチェ。

その様子にフィンはおや?といった表情をとった。


「・・何かあったのですか?」

「シャナン様が忙しくてあまりかまってくれないから拗ねてるだけです。進軍になったら

それなりに一緒にいたリできるのですけれど・・・」

ふぅっと溜息をつくラクチェ。

その様子にフィンは苦笑した。こういった感情は恋する女性なら誰もが思うことなの

だろうか・・・

昔、よく仕事で約束をやぶってはラケシスが怒っていたことをフィンはふと思い出した。


「では、そのシャナン様にかまってもらいに行くとしましょう。案内をお願いしても?」

フィンはラクチェに微笑みかける。

ラクチェもシャナンに会いに行く口実が出来てうれしかったのかにこっと笑った。

「もちろんです!!」


◇ ◇ ◇


歩きながらラクチェはふと思い立ったようにフィンを振り返った。

「そういえば・・フィン様はなぜここに?」

何気ない質問のつもりだったのだが騎士の表情が真剣になるのを見てラクチェは

はっとした。

「・・・妻を捜しています」

ラクチェはその返答を聞いて自分のうかつさに唇をかみ締めた。

昔、ナンナか彼女の母親がイードで行方不明になったことを聞いて知っていたのに・・・。

するとラクチェに気を使わせたことにフィンは気付いたのか、さっきの真剣な表情がまるで

嘘かのように微笑むと「さぁ、行きましょう」と歩み始めた。


ラクチェはフィンの後ろに続く。その背中を不思議な気持ちで見つめていた。

ラクチェはフィンの息子であるデルムッドと家族同然に育った。

しかし彼の父親であるフィンはデルムッドと1年と暮らした事はないのだ・・・戦時中だった

とはいえ残念なことだと思う。


デルムッドは幼い頃、両親を亡くしたラクチェやスカサハに気遣ってか父親や母親の話を

したことはあまりなかった。

だが、時折デルムッドが見つめていた空の方角がレンスターの方角だと気付いた時

ラクチェはいたたまれない気持ちになったのだ。

兄弟にも等しい幼馴染のためにも・・・フィンには妻との再会を果たしてほしかった。

もしかすると再会を望むのは自分に両親がいないのも大きな理由だったのかもしれない。


とにかく、ラクチェは前を歩む騎士に、あの残酷な日々を潜り抜けて幸せになって

ほしかったのだ。



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【四章 ・訪問者】


さっきまで拗ねていたと思っていたラクチェがニコニコ顔で連れてきた人物の正体に

シャナンは大いに驚いた。

ラクチェに連れられてきた人物の顔にはかすかに笑みが浮かんでいるようだった。

「お久しぶりです、シャナン様」

「フィン!どうしてここに・・・」

驚きつつも近づいてフィンの肩に手をおく。

かつての二人の間にあった身長差は現在ない。

同時に、当時の面影も・・・やんちゃな少年から責任感のある青年へと成長したシャナン。

優しさが映しだされていた面立ちを失い、厳しさすらただよう一人の男性へと姿を変えた

フィン。

その変化を肯定すべきなのか、それともそうすべきでないのかは成長したシャナンにも

わからない。

ただ、月日が過ぎたことだけは間違いなかった。

そしてその月日はフィンがラケシスを失い続けた時に等しい。


「いや・・・どうしてなんて聞くのは間違っているな。ラケシスを探している、そうなんだな?」

「・・はい」

「そうか・・・」

考え込むように一度うつむき次にシャナンは顔をあげると勇気付けるようにフィンの肩を

二度たたいた。

二人の話が終わったことを確認したラクチェは間に立つと一緒にお昼にしましょうと明るく

言って駆け出していった。


「やれやれ、ちっともじっとしていない」

「よろしいではないですか。アイラ様も小さい頃はあちこちを走り回ってばかりだったと

おっしゃっていましたよ。ラクチェ様は似ておられるのでしょう」

「そうかぁ?あいつはなんだかこれからもずっとお転婆な気がしてならないけどな」

口ではいやだいやだといいつつも、うれしそうに見えるのはきっとフィンの気のせいでは

ないだろう。

微笑ましいことだ。

しかし・・・


「シャナン様、差し出がましいようですがラクチェ様に寂しい思いをさせてはいけませんよ」

「ラクチェがなにか言っていたのか?」

「少し。でも様子を見ていたらだいたいわかるものです」

そう言うと、シャナンは困ったなぁと頭をかいた。

そのしぐさは幼い頃からかわらない。

「そうか・・・確かにそうかもしれないな。このところ進軍のこともあってバタバタしていた。

これからは気をつける」

「そうして差し上げてあげて下さい」

フィンは笑った。

だが、内心は真剣だった。

大切なものや愛しい人々・・・どれも失ってからでは遅いのだから―――


◇ ◇ ◇


昼食を取りに部屋を飛び出したラクチェは階段を下りたところで家の入り口が騒がしい

ことに気付いた。

見張りの兵と、若い女の声が聞こえる。


「どうしたの?」

ひょこっと顔を見せた姫君に見張りの兵はあわてて敬礼した。

兵の向かいには白いローブを肩におとした黒\髪に、日に焼けた肌をした女性が立って

いた。

歳はラクチェと同じくらいか、少し上のようだった。やさしそうな顔立ちをしていた。

「はっ。こちらの女性がシャナン王にお目通りを願いたいと言うのですが・・・」

「シャナン様に?」

ラクチェは女性の方を見た。

女性は一礼するとお願いしますと静かな声で言った。


◇ ◇ ◇


「では、カルーダの町が危ないとあなたは言うのだな?」

予定していた昼食を先に延ばしてラクチェは女性をシャナンに引き合わせた。

そして二人は対面し、一番に女性が告げたのが、カルーダの町に救援を請うというもの

だった。

「はい。まだ町には到達してはおりませんが、まもなくロプト教団が来る、と・・・」

女性はまつげをふせて答えた。

「まもなく?ロプトがどこに潜んでいるかカルーダの町人たちは知っているのか?」

「はい。町よりさらに西に10キロも行った所にロプトの神殿がございます。そこにかつて

ない数の教団の者が集結しつつあります」

「そうか、まずいな・・・」

シャナンはあごに手をあてて考え込んだ。

アルテナたち新トラキア王国軍と合流できていないのだがここは急ぐべきかもしれない。


「きっとロプト教団はおいつめられてそこで決着をつけるつもりなんですよ!」

ラクチェがシャナンに言った。

フィンは部外者ということもあって黙って話を聞いていた。

「先にお知らせしたほうが有利にお戦いになれるのではないかというこになりまして、

長老の命を受けて私がこちらに来させていただいたのです」

「そうか。ご協力いたみいる。それにしても・・・」


シャナンは情報を持ってきてくれた女性を見た。

歳はラクチェより少し上にみえるが、この危険な砂漠を彼女一人で来させるなど町の者は

何を考えているのか・・・

シャナンの心の内を表情からなんとなく理解したのか女性は控えめに答えた。

「・・・私がここに一人で参りましたのは来れる者が私しかいなかったからでございます・・・」

「何故だ?他のものは何をしているのだ?」


「・・・・亡くなりました」

『!!!』

シャナン、ラクチェ、フィンの3人ともが驚き女性に視線を集中させた。

「私の世代の者はかつての子供狩りにあって私以外誰も生き残っておりません。私どもの

親達も抵抗してたくさん殺されました。カルーダの町には老人たちが残るのみです」

女性はつらそうに顔をふせた。

「私も幼かったあの日、旅人の方に助けていただけなければ今、ここにはいなかったこと

でしょう・・・」

静まり返る部屋。


「・・・そうだったのか・・・酷な事を聞いてすまなかった・・・」

シャナンは片膝をついて女性の肩に手をおいた。

女性は目にたまった涙をこらえて微笑んだ。

「いいえ・・・いいのです・・・」

「町のことは必ず助けよう。急いだ方がよさそうだ。ラクチェ!出立の準備を!」

「はい、シャナン様!!」

駆け出していくラクチェ。

フィンはそれを見届けるとすっと部屋の中央に歩み出た。


「私もお供させて下さい」

「いいのか?」

「えぇ。何か情報がつかめるかもしれません」

フィンの答えにシャナンは頷くと女性に視線を戻した。

「案内をお願いする。それと遅くなってしまったが名は?」

女性は一瞬驚いてのち、控えめに微笑んだ。

「シュナと申します。どうか町をお救い下さい・・・」

「あぁ、もちろんだとも」

シャナンはバルムンクを握り締めた。


                             



[138 楼] | Posted:2004-05-24 09:05| 顶端
雪之丞

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【五章 ・手がかり】


ただちにイザ-ク軍はカルーダの町に向けて進軍をはじめた。

シュナと名乗\った女性は案内として、シャナン、ラクチェ、フィンの傍で白いローブを

かぶって歩いている。

しかし、彼女はつい先程シャナンの元へと辿り着き休む間もなくふたたび砂漠を越えて

いるためか疲労が隠せないようだった。


「シュナ、もしよろしければ私の馬へどうぞ。お疲れでしょう?」

フィンは気遣ってシュナを彼の手によって引かれていた馬の元へと促した。

「え・・・でも・・」

「かまいませんよ。さぁ・・・」

フィンが手を貸してシュナが馬上へと登るのを手伝った。

馬の上に横座りしたシュナは丁寧に礼を述べるとふと思った事を口にした。

「・・・不思議です。旅人の方とは皆、こうなのでしょうか・・・」

「こう、とは?」

「親切な方が多いのかなと・・思ったのです」

フィンは馬上のシュナを見上げた。さらに上方にある太陽が黄色くまぶしかった。

「そういえば、幼い頃旅人に助けられたのでしたね」

「はい・・・あの旅人の方が我が身を省みず助けてくださったおかげで今の私があるの

です・・・」

シュナは目をふせた。


「でも・・・」

「・・・・でも?」

「旅人の方が私を助けてくださる時・・・ロプトの数が多すぎて・・・・」

「もしや・・・亡くなられたのですか?」

フィンは控えめに尋ねた。

シュナはしばし沈黙するとわからないのですと答えた。

「何かの魔法をかけられたようでした。‘彼女’の足元が石のようになってだんだん身体の

上へと侵食していくのが見えました・・・」

‘彼女’とシュナは言った。旅人は女性だったのだろうか?

フィンは驚き、同時に何かが胸に引っかかったような感覚を覚えた。

だが、今は沈んでいるシュナを慰めなければ・・・・


「それはきっと石化の魔法でしょう。大丈夫、キアの杖さえあれば助ける事ができる

はずですよ」

シュナを元気付けるようにフィンはやさしく答えた。

フィンの答えにシュナは驚き少し震えながら口を開いた。

「では・・・ではっ・・お助けする事ができるのですか・・・!?」

「えぇ。その方の石像はロプトの神殿にあるのですか?」

「はい・・おそらくは」

「では、今度の戦いでお救いできるでしょう。よかったですね」

フィンの答えにシュナは涙を溜めて必死にコクコクと頷いた。

きっと彼女は長い間自分のために囚われた旅人に責任を感じ続けてきたのだろう。

フィンは自分の子供達の年齢にも近いこのシュナという女性を感心の眼差しで見つめた。


しかし、フィンの平常はここまでだった。

シュナの次の一言が彼の心に大きな衝撃を与えることになる。

かすれた、でもうれしそうな声でその言葉はつげられた。


「あぁ・・・やっとお救いできます・・・・ラケシスさま・・・」


「!」

フィンは瞳を大きく見開いてその場に立ち止まった。


―――・・・今・・・シュナはなんと言った・・・?


フィンは心音が高鳴るのを感じながら心の中で自身に問うた。


―――・・・ラケシス・・・だと・・・言わなかったか・・・・?


あまりの衝撃のあまりに立ち尽くすことしかできない。

この3年間、いや、ラケシスが行方不明になってからの間ずっと追い求めてきた彼女への

手がかりを今掴んだのだ。

シャナンも傍らで驚いていたがフィンが何かを言い出すのを待っていた。

その時―――


「王!!前方、カルーダの町より火の手が上がっているのが見えます!!」

兵士の叫びにシャナンははっとした。

「なにっ・・・」

「王!」

さらにまた別の兵士が後ろから駆けてくる。

「今度は何だ!?」

シャナンは冷静にややかけた声を上げた。

「後方上空より影が!おそらくは新トラキア軍かと!」

その報告がおわらないうちにイザ-ク軍の上方にドラゴンの影が一気に通り抜ける。

ドラゴンの軍を率いるは女性の竜騎士。


「アルテナ王女!!」

シャナンは声をはりあげてドラゴンに騎乗\している指揮官に話しかけた。

「前方の町がロプトに襲われている!援護を!」

シャナンの声が聞こえたのか、アルテナは手でぐっとOKサインを出すと全軍をカルーダへ

と急がせた。

「シャナンさま・・」

ラクチェの声にシャナンは頷いた。

「我等もアルテナ王女に合流する!!急げ!!」

進軍のスピードが上がったイザ-ク軍。シャナンはフィンを振り返るとシュナを頼むと言って

駆けていった。


◇ ◇ ◇


「町が・・・」

不安そうにシュナが呟く。

「アルテナ王女が先にドラゴンを率いています・・・きっと助かるでしょう・・」

フィンはかろうじて答えた。

先程のフィンとの様子の豹変にシュナは驚いていた。さっきまではあんなにも堂々と

見えた騎士が、今は何故かどこか無垢な少年を思わせる。

それも何かに畏怖しているような・・・

「フィンさま・・・?」

シュナの声にフィンはゆっくりと反応してシュナを見上げた。

ブルーの瞳がかすかに揺れているように見えた。


「シュナ・・・あなたを助けた旅人は・・・ラケシスと名乗\ったのですか・・・?」

「え・・えぇ・・そうです・・・」

どうしたというのだろう?この騎士はラケシス様を知っていたのだろうか?

「・・・彼女の背格好を・・・教えていただけませんか?」

「ラケシス様は・・・とても美しい方でした。金髪で、瞳はそう、琥珀色の・・・」

シュナの答えを聞いてフィンは瞳を閉じた。


金髪の旅人・・・そして琥珀色の瞳の持ち主は彼の捜し求めていた妻、ラケシスである

ことにもはや間違いない・・・


(やっと・・・見つけた・・・ラケシス・・・)

フィンは瞳をゆっくりと開いた。

青い瞳に太陽が映る。

同時に、太陽では宿しえない希望の光が彼の瞳には宿っていた。


 
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【六章 ・オアシスのほとりで】


フィンとシュナがカルーダの町に辿り着いた時にはすでに火も争いも収まっていた。

二人はあの後無言でこの町まで来る事となった。

というより、フィンが考え込んでしまいってシュナが話し掛ける機会を失ったというのが

正しいようだった。

シュナはフィンがラケシスを知っているのではないかとの疑問を抱いているがそれも聞けず

にいた。

二人が町の中央へと歩みを進めると、シャナンたちが待っていた。

横にはアルテナ王女の姿も見えた。


「フィン」

アルテナが心地よい声で忠臣の名を呼んだ。

「アルテナ様、お久しぶりです」

「えぇ。本当になつかしいわ・・・リーフからあなたが砂漠へと行った聞いた時には驚いたの

だから・・!」

「それは・・申し訳ありませんでした」

フィンは苦笑して頭を下げた。

「いいえ謝る事なんてないわ。ラケシス様を探しているんだものね・・・」

アルテナの言葉を聞いてシュナは確信した。

やはりこの騎士とラケシス様は知り合いだったのだ・・・しかも探していたなんて―――!


「それで・・・、シャナンから聞いたけど・・・ラケシス様の手がかりがつかめたとか・・・」

シャナンの顔をちらっと見て頷くのを見るとアルテナはフィンを見た。

フィンはしばし沈黙したがこれは言葉を選んでいたようだった。

「・・このシュナの言う・・・旅人はおそらくラケシスに間違いない・・・と思われます。あの

時期に砂漠に踏み込む旅人自体が少ないわけですから・・・」

フィンの言葉に二人は頷いた。

「ロプトの神殿にラケシスの石像があるということですので・・・」

「助けに行くんだな?」

シャナンの問いにフィンは真剣な面持ちで頷いた。

「はい、もちろんです。それでアルテナ様にお願いしたい事があります」

フィンは亡き主君に似た女性の瞳をまっすぐに見た。

「なに?私にできることならなんでもするわよ?」

「ありがとうございます、アルテナ様。では、ドラゴンに乗\れる者を一騎お貸しいただきたい

のですが」

「えぇ。それはかまわないけど、どうするの?」

アルテナは首をかしげた。

「その者には伝令を頼みます。リーフ様へキアの杖を使えるサラという少女を遣わして

いただけるように」

「では、レンスターへ向かわせるのね?わかりました。すぐに手配しましょう」

フィンは頷いた。

これで準備は整ったことになる。

ロプトの神殿で石像となったラケシスを救い出して石化を解くことが叶えば・・・・

ラケシスを救うことができる・・・・そして・・・私は―――


フィンは瞳を伏せた。その様子を見たシャナンはフィンの肩に手を置いた。

「部屋を町の者が用意してくれたようだ。休むといい。早朝、神殿に向かう・・・そして・・・」

シャナンは最後の言葉をあえて言わなかった。

フィンは黙って頷くと踵をかえしてその場を去った。


「そして・・・ラケシス様と再会することができる・・・ですね」

シャナンの発せられなかった言葉をラクチェがぽつりと継いだ。


◇ ◇ ◇


深夜に近づくと砂漠は昼の気温が嘘かのように、涼しくなっていた。

部屋で一度フィンは休んでいたのだが、どうも寝付けそうになかった。

マントを羽織ると外へと繰出す。

肌寒さを感じながらフィンは静かな砂漠の夜空を見上げていた。


(いつだって同じ夜だった。でも今日は違う・・・明日、あなたに会えるかもしれない・・・)


方向を定めずに歩いているうちにオアシスに辿り着いていた。

夜の色を写した水面が美しかった。

ラケシスも13年前、このオアシスを見たのかもしれない・・・

そのときラケシスは何を思っていただろうか。

デルムッドに会える事を楽しみにしていたのだろうか・・・

それとも・・・レンスターでのことを思い出していただろうか・・・

わたしの事を彼女はどう思っただろう―――?

フィンは苦しそうに眉をひそめて俯いた。

しかし、すぐに後ろを振り返った。何か人の気配がする・・・


「誰ですか・・・?」

闇に向けて声をかける。

敵意は感じられない。

町の者だろうか・・・?

闇をぬって現れたその姿は・・・


「フィン様・・・」

「シュナ・・・」

シュナの手には木桶がさげられていた。水をくみにきたのだろう。

「まだ、こんな時間にまで仕事をしているのですか・・・今日は砂漠を往復して疲れた

でしょう?早く休むといい」

フィンのやさしさの感じられる言葉にシュナははにかむように笑った。

「平気です。お気になさらないで」

そういいながらシュナはフィンの横で膝をついて水を救い上げた。

闇に水面を水滴がたたく音が響いた。しばらくシュナは沈黙していた。波立ってる水面を

じっとみつめていたがしばらして何か決意でもしたかのように勢いよく立ち上がった。


「フィン様・・・ごめんなさいっ・・・」

いきなり立ち上がったと思えば、さらにいきなりの謝罪の言葉にフィンは驚いた。

「シュナ・・?」

「ラケシス様のことです・・・私を庇ったばかりに・・・あの方は・・・」

シュナの瞳から涙が落ちた。

今日、シャナンからラケシスがフィンの妻である事を聞かされたシュナである。

それもずっと探していたと言うではないか・・・

「ごめんなさい・・・」

シュナが顔を覆った。

フィンはその様子を見てやさしく微笑んでシュナの頭を撫でた。

昔の自分ならきっと涙を流す女性に対してオロオロしたことだろう。

でも今は違う。子供を得て視線がかわったようだった。


「いいのですよ・・・ラケシスが貴女を助けようとした気持ちを私は理解しているつもりです」

驚いて顔を上げたシュナをフィンはじっと見た。

きっと歳は彼の息子であるデルムッドとかわらない。

13年前、ラケシスは自分の子供と歳の近い子を他人だからと見捨てきれなかっただろう。

彼女らしいと思う。


「それに、あなたはずっとラケシスのことを助けようとしてくれていたのでしょう?」

「え・・・?」

「町の老人の方に聞きました。わずかに残された若い人々がこの町を去っていく中、

一番幼かったあなただけは決してこの町を離れようとしなかったと・・・ずっと石像となった

ラケシスのことを思ってこの地に留まってくれたのでしょう?」

フィンの問いにシュナは答えなかった。

でも彼女の瞳に映る涙がフィンの問いを肯定しているようであった。

「ありがとう・・・シュナ・・・」

フィンの礼の言葉を聞いてシュナはさらに泣いた。

ずっと長い間抱え続けた思いが今、救われた気がした。

フィンはやさしく頷くとシュナを家へと帰した。

必ずラケシスを助け出すと約束して・・・


フィンはシュナが去った方角を見つめていた。

「誰に彼女を責めることができるというのだろうか・・・」

フィンは独語する。

自分を愛していてくれた人を疑って砂漠においやった者に、彼女を責める資格などある

はずが、なかった。

シュナは罪など犯してはいない。にもかかわらず彼女なりに必死に償ってきたのだ。

今度はフィンの番だった。ラケシスに対する負債を彼は償わなければならない。

それからもう一度愛していると・・・想いを告げるのだ。

そして、許されることならばもう一度二人で・・・


フィンは静かに瞳を閉じた。

まだ、眠るには時間がかかりそうだった。




                      



[139 楼] | Posted:2004-05-24 09:06| 顶端
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